「うみべの女の子」



浅野いにおの「うみべの女の子」がいつの間にか完結していた。ひっそりとROMっている見知らぬ人のTwitterでそのことを知ってから、けっこう経った。久しぶりに気持ちに余裕があったので本屋に行ったら、購読している漫画が軒並み新刊を出していたので、ついでに「うみべの女の子」も手に入れた。そして読んだ。

考えてみればこの漫画には筋らしい筋がない。物語上のはじまりと終わりはもちろんあるんだけれど、ただ中学生の男女の心の機微が、延々とあるだけ。動機のわからない行動、クリアにならない心の内。なぜか分からないのに惹かれあう少年と少女。執拗なまでの身体の結びつき。

「してもしても足りない気がするのは、なんでだと思う?」

一瞬の間。

「興味ないね」

浴室で体を重ねながら交わされるこの会話が、この作品を象徴していると私は思っている。欠乏。渇望。何を欲しているのか自分でも分からない、あの感覚。何かを求めるあまり、ノーマルを外れて、いわゆるアブノーマルに踏み込んでみても、結局満たされない心。その欠乏感を、冷めた厭世的な態度でごまかしているのが磯辺であり(彼はものすごく淡々としてるけど、強い欠乏感を隠し持っていると思うし、彼の気持ちが希薄ではないことは、トラウマチックな描写に表れている)、逆にストレートに表に出しているのが小梅なのかもしれない。だから、あの二人は、求め合うレベルは一緒なのだ。けれど、後ろを向いている人間と、前を向いている人間が、顔を合わせることはない。そう、イメージは、背中合わせで、手だけをつないでいるような(ああ、syrup16gを思い出すな…)。だから手を離せば、手が離れれば、二人は、別々の道を歩き出すしかない。最終話の直前が、そのシーンだ。小梅は正面から向き合いたくて、ついに磯辺に告白する(正直このシーンがあるとは思わなかった)。だが磯辺はそれを断る。淡々と。こともなげに。泣きじゃくる小梅と、彼女のいないところで、ちょっとだけ泣く磯辺。そして離れる手―

もしかしたら、その段階で磯辺はもう渇望を感じていなかったのかもしれない。ちょっと短絡的な考えだけど、三崎へ暴力的な復讐を行うことによって、彼は兄の死という過去からの精神的脅迫を克服し、心の闇は晴れていたのかもしれない。だから、小梅と向き合えなかったのかもしれない。もう、満たされていたから(傷害事件を起こした自分を鑑みて、ということも、もちろんあるかもしれないけど)。ああ、そうだ。このシーンで、磯辺の髪はバッサリ短くなっているんだけど、この描写にもきっと意味がある。Amazonのレビューを拝読して初めて気づいた。「バンプの藤原が好き」という小梅の好みに合わせるように、磯辺の髪は、確かに最終話直前まで伸び続けていく。でも、それがここで切られているということは…。そういうこと、なのかもしれない。

でも最初は、磯辺が小梅に告白して、小梅が断ったところから、二人の関係がスタートしているんだよね…。はじまりは終わりに結びつき、そして終わりはまた、始まりへ―。最終話。小梅は高校生になっている。彼女が海辺でSDカードを探し、そこで中学生カップルを見かけるという描写。なるほど、これはそのまま、次の「うみべの女の子」に結びつくんですね(すみません。読んでない方には何を言っているか、分かりませんな)。うーん。さりげなく、深い。

+ + +

いい加減トラウマチックな描写はいらないんじゃないかなあって思っちゃうんだけど(笑)、でも私の好きな浅野いにおさんがいるような気がする(私は「おやすみプンプン」は途中から読んでないんです)。北野武監督の初期作品とか思い出す。透明感と、静けさと、それに相反するような、強い衝動性。

音楽を合わせるなら当然はっぴいえんどの「風をあつめて」なんだろう。小梅が磯辺の自殺を疑って、はっぴいえんどのアルバムと真剣なラブレターをもって、台風の中、磯辺の家に駆けつけるも、彼は不在。暴風雨の海辺をさまよい、結局出会えず、プレゼントと手紙はゴミ箱行きになるシーン。とても切ない。そして、いろいろと、自分と重なる。

ちょっと私事。話が逸れる。私が好きだった(今でも好きなのかは自分でも分からない)女性も、はっぴいえんどや、細野晴臣が好きなんだ。ひねくれた人。好きだといわれたのち、私が好きだと伝えたときは、敬遠された。拒否なのか、受容なのかもわからない態度。今でも顔を合わせる機会はある。連絡も取れる。でも、もう数年、その件についての話はしていない。

そういうことも関係あるのかもしれない。読後にとても、ホントにとても、憂鬱になった(褒め言葉ですよ)。死にたくなったっていうと大げさだけど。とても重い読み物だ。久しぶりに心が重くなった。モヤモヤが形をとって、そしてまた、モヤモヤに戻っていく。カバーに使われているこの抽象画は、上手いこと内容を象徴しているなと思う。淡い色遣いで、淡い輪郭の、モヤモヤ。暗いイメージも持った中で、つながれている二つの手。

ああ、自分としては、この作品に合う歌は何かって考えた。いろいろ考えたんだけど。現時点では松崎ナオさんの「あなたに向かって」にしておきます。1998年の「正直な人」収録。8cmシングルでも出てます。でも今もう廃番なんだね、コレ。もったいない。歌詞だけ載っけちゃうぜ! 聴きたい人は頑張って中古屋さんとか探してください!

▼ ▽ ▼ ▼ ▽ ▼

あなたに向かって 作詞 松崎ナオ/作曲、編曲 渡辺善太郎

調子はずれのうたうたってたら
夜が燃えてて 朝になっていた
今のボクには意味はないけど
真綿のようなキスを

引力には逆らえないから あなたの所に行くんでしょう?
いつも見てた知らないみずうみに 願いをかけに行こう
あなたがくれた船

ユララ ユララ 揺れてくれよう
ボクを乗せて 揺れてくれよう
心に咲く花を渡したくて
あなたに向かって

どうしてボクはあなたじゃないんだろう
なやんだこともあったのだけれど
今のボクには意味がないから
足の小指にキスを

とりとめのない想いから 溢れ出すしずくは
あなたがくれたもの

時を止めて 走ればいい
手と手には何もないけど
あなたと見た景色 探したくて
きっと 忘れない

ユララ ユララ 揺れてくれよう
ボクを乗せて 揺れてくれよう
風が見える場所で会えるのかなぁ
ほんとのあなたに

ユララ ユララ 揺れてくれよう
ボクを乗せて 揺れてくれよう
心に咲く花を渡したくて

あなたに向かって





五十嵐隆 生還によせて

2007年の12月9日。END ROLLと銘打ったツアーの最終日、NHKホールにて、syrup16gは解散宣言を行った。そこから数えれば、5年とちょっと。2013年の5月8日。syrup16gのフロントマンだった五十嵐隆は、同じNHKホールで、生還と称したライヴを行った。解散宣言をした、同じ舞台で。心憎い演出だ。でもドラマチックで、syrupもとい、五十嵐さんらしい。

正直、今回のライヴが始まってしばらくは、僕は否定的だった。1曲目が「Reborn」だったからだ。似てるギターフレーズだなあ、なんて思ったんだけど、どうも似てるだけじゃない。そのものだった。薄い幕の向こうでギターを弾く五十嵐さんは、たぶん黒い上下で、syrupのときと、その姿になんら違いは見られなかった。

始めは五十嵐さんにしかスポットライトが当たってなかった。だからドラムやベースの音もしているんだけど、誰が演奏しているんだか、分からなかった(正直いえば、ライトの灯りでできる影の動きで、なんとなく予測はできたけど)。「Reborn」が終わって、僕はここから新曲だろうな、なんて思ったんだけど、また違った。「Sonic Disorder」だった! 加えて幕が上がって、ステージ全体が照らされたとき、そこにいたリズム隊―ドラムとベースは、他でもないsyrup16g時代とまったく同じ、中畑大樹にキタダマキだった!

なんだこれ?って正直思った。syrupと同じメンバーでsyrupの曲演奏して、何が「生還」なんだろうって、大げさかもしれないけど、僕は憤ってしまった。同じことやるならなんで解散したんだよ?って思った。罰当たりだけど途中ムカついて拍手しなかったもんねオレ(ごめんなさい)。五十嵐さんはいつだって自分の今を歌に落とし込む人だったから、それが何年も前に解散したバンドの曲やるなんて、完全に懐メロじゃないかって、ガッカリした。何にも進んでない。同じ場所にいる。いや短期間とはいえど「犬が吠える」があったことをふまえれば、むしろ逆戻りしているように思えて、紆余曲折を経ても結局原点に返る、いや、しがみつくしかない、みたいな、ロックの呪縛みたいなヤツが、うらめしく感じられた(そのうらめしさはThe Smashing Pumpkinsが復活したときに感じたものと似ている)。

前半はsyrupの曲ばっかだった。挙げてみようか。Reborn, Sonic Disorder, 神のカルマ, I・N・M, 生活。曲自体はぜんぜん好きなんだけど、それがどういった位置づけでここに提示されているのかが全然分からなくて、頭の中は「?」でいっぱいだった。これが今の五十嵐さんにとってリアルなんだろうか?って。だとしたら、なんも(ホントになんも)変わってないの?って。

でも途中で気付いた。「赤いカラス」を唄い始めたときだ。犬が吠える時代に唄っていた曲だ。「ああそうか」と僕は思った。考えてみれば、syrupのときの曲だって、すべて五十嵐さんが作っていたわけだ。もちろん犬が吠えるのときも。だから、ちょっと強引な言い方かもしれないけど、それらは五十嵐隆の曲/歌でもあるわけだ。それを五十嵐隆の生還ライヴで演奏しているのだという、そんな図式が頭の中に突然浮き上がってきて、なるほどこれは、今回のライヴは、「五十嵐隆が作った歌たちの総括、総集編」なんだなと、合点がいったのだった(だからTwitterでさんざん言われているような「syrup16g生還ライヴだった」とは、僕は捉えない。そんな生還、望んでいないから、かもしれないけど)。

「赤いカラス」のあとには僕が聴いたことのない曲(これを便宜的に未発表曲と呼ぼう)を立て続けに披露していて、単なる懐メロ披露会という僕の失礼な思い込みを見事に払拭してくれた。未発表曲たちは、やはり歌詞が聞き取りづらいこともあってか、既発のものに比べると、どうしても入り込み切れなかったけれど、パフォーマンス自体はすばらしかった。五十嵐さんのギターだって、ブランクを感じさせないくらい滑らかだったし、それに歌声だって五十嵐隆以外の何物でもなくて、多少抜けきっていないところはあったけれど、声自体はすごくよく出ていた。そこに一番ビックリした。やっぱりやるときはやる人だ。まったく音楽から離れていた人のパフォーマンスだとは思えなくて、この数年何かしらの形で音楽に関わっていたのではないかと、勘ぐってしまった。

後半にまたsyrupの曲をやるんだけど、今度はすんなり聴けた。明日を落としても(これはハミングバードで弾き語り), センチメンタル, 月になって, 天才, 落堕, coup d'Etat~空をなくす。やっぱりかつてバンドメンバーだったリズム隊のおかげもあるんだろう、過去のsyrup時代のライヴと比べても何ら遜色ない、すばらしい演奏だった。単純な演奏を超えたケミストリーさえ発生していたかもしれない。

アンコールでは「パープルムカデ」に「リアル」をやってくれた。「リアル」はやっぱりカッコいい。曲の起伏、あるいは歌い手の表現にあわせるように柔軟に変化する、中畑さんのドラムがすごい活きる。とかあんまり感心してるとsyrupに逆戻りしちゃうんで、この辺で。

最後の最後、2回目のアンコールの時だ。Tシャツ姿で独りだけ出てきた五十嵐さん。「夢みたいだ」といった。「半年前までは、こんな機会がもてるとは思わなかった」と。そして「あんまり言わないんだけど」と前置きして、感謝の言葉を述べた。まず今日観に来てくれたお客さん、ダイマスさん(遠藤さんと言ってたけど)、若林さん(VINTAGE ROCK)、スタッフのみんな、そして今回参加してくれた二人のメンバーへ。二人に関しては「本当にいろいろな気持ちがあったと思うんですが―」と言っていた。それを聴いた瞬間に、やっぱり今回のライヴは単なるsyrupの再演とは違う意味があるのだなと、感じた。だって一度解散してるバンドのメンバー呼んでるんですよ? しかもおそらく解散の理由は音楽性云々じゃないところが大きくて、もはやバンドとして機能しなくなっていたというものが考えられるわけで。その「いろいろ」を飛び越えてね、かつて在籍したバンドのフロントマンの復活ライヴに、こうやって駆けつけて、しかも見事なパフォーマンスをやってのけるという、二人のハートに思いがおよんで、僕は感極まってしまった。

しかもその謝辞のあとにさ、「翌日って曲やるんですけど」と前ふりしておいて、「もう10年以上前、いや20年以上か、そのくらい前に作った曲だけど、あの曲には原型があるんですよ。みなさんが知ってる翌日の前の形が」と。「僕が中畑くんにチャリンコ漕いで聴かせに行ったやつですね」と、ファンの間では有名なエピソードを話し出す。「その原型にですね、歌詞だけ変えて、作ってきたんで、聴いてください」と言う。まさにsyrup16gがこれから始まるという時期の、思い出ともいえるエピソードを語るもんだから、今そのバンドはもういないという喪失感、でも元メンバーが何かフロントマンの復活ライヴに参加してるしで、そこにあるであろうさまざまな思いが僕の頭の中にうずまいて、ようやく最後に来て、僕の涙腺がゆるみはじめた。

エレキギター1本でスローに奏でられる「翌日プロトタイプ歌詞書き下ろしバージョン」は、だんぜんハイライトだ。最後に爆弾もってきやがって! うれしい悲鳴だぜ! この曲がどうやっておなじみの「翌日」に変わっていったのかは分からないが、これはこれですばらしい。でね、この曲は五十嵐さんがギター1本で唄ってるんだけど、途中から袖にはけていたリズム隊の二人がステージに入ってきてね、暗い中を(スポットライトは五十嵐さんだけだ)、ゆっくりと所定のポジションについていくんですよ。その光景がまたよくてね、頼もしいっていうか、いや違うか、もうバンドとして元に戻ることはおそらくないんだろうけど、でも、そこには、かつてあった何かがまだ存在しているように思えて、僕の感情はどんどん高まってきてしまった。五十嵐さんの口から「あなたの傷跡になりたかった」という必殺の歌詞フレーズが放たれたとき、僕はもう泣いていた(その言葉からよみがえるイメージが、いろいろとあるんです)。そして翌日へ―


一番気になるのは、これからシーンに復帰するのか否かという点だ。ライヴ中にも、終了後にも、特にアナウンスはされていない。リリース情報があるわけでもない。こんなところで上げた声が届くはずもないけれど、どうか早くメンバーを固めて(だってまだまだ五十嵐さんはバンドでやった方が良いと思うから)、レコーディングして、リリースして、ツアーやってください。絶対(そう、これは絶対だ)ついてくる人たちはいますから。今回は帰還のあいさつってことで、昔の曲もたくさんやってくれたんだと思ってます。これからがあるのであれば、syrup16gをやるんじゃなくて、新生した姿を見せてほしい。

現状ではまだ「おかえり」って言えないんですけど(だってまたどっか行っちゃうかもしれない)、でも、ありがとうございました。うれしかったです。あ、「赤いカラス」やるんだったら、「光」も聴きたかったなあ(笑)!


昔みたいに長ったらしいライヴレポートは書けないみたいだ。エネルギーが切れた。思い出したら付け足します。Twitterには書かねえよ。手軽すぎて嫌いだから(笑)。ここにたどりついたみなさんはえらい! 熱心にディグりましたね? では~


そして追記 : ライブにいった人と話しているうちに、疑問が出てきた。なぜ今でなければならなかったのか?というものだ。なぜこのタイミングで、二人の元メンバーを招いて、syrup16gの曲をわざわざ演ったのか? メンバーはどうあれ、全編新曲で、というやり方もあったはずだけれど、それ(全編新曲という構成でいけるだけの曲が出来上がること)を待たなかったのはなぜか? 新曲を披露したとはいえど、なぜあえて「ほぼsyrup16gの曲」という構成のライヴを、このタイミングで、しかもあの二人を呼んで、行ったのだろう。今後の見通しが立っている様子もないのに。今できることがあのライヴだったというのは分かるんだけど、なぜ「今」だったのかというのが、最大の疑問になってきた。もちろん自分で考えても答えは出ない。いつかどこかで語ってくれることを願っています。

また追記 : ネット上をさまよっていて気付く。自分よりも、より深く、的確に、今回のライヴに対する考えを綴っている人たちがいる(その中で、上の疑問に対するひとつの答えを見つけた。ここには書かないけど)。むしろ僕の気持ちを代弁してくれているように、感じられる文章もある。そう、きっとsyrup16gの曲をライヴでやってほしくなかったのは、僕の中で彼らがしっかりと終わりを迎えていたからだろう。僕の中では合点がいっていた。彼らは終わることによって救われたんだと、そう考えていた。これでよかったんだと。続きはもうないんだと。「終わった」んだと。だから、なぜ「終わった」のに、それを否定するようなことをするんだろうと、僕はそこにいくらかの未練や、優柔不断さ、不明瞭さを感じ、憤ったのかもしれない。とてもきれいに終わった物語に、意図のよく分からない後日譚が付け足されようとしている。必要ないのに。僕の中の大事な部分が、強引にねじまげられていくような、なんだか悔しさにも似た感覚があったことは、今でも覚えている。今思えば、あの気持ちは「チクショー」って気持ちだったのかも。「全部ぶちこわされた」って。しかも案の定、なぜ今回のライヴに至ったのか、そしてなぜこの形になったのかについての、説明はない。

・・・まあ、もともと秘められた部分の多いバンドだったし、だから憶測ばかりが増えるし、自然とこちらの憶測と都合だけで、いろいろなことを言ったり書いたりしてしまうのも事実。なので、もう一度やりたいって言われたら、そこにある事情はやっぱりよく分からないままになりそうだけど、拒否はできない。望んではいないけれど。

五十嵐さんが活動しない理由はよく分からない。憶測は飛び交うけれど。それは真実とは切り離されたまま、人々の間を飛んでいく。だから、「自信をもって曲を書いてくれ」なんていうのは、実は的外れかもしれない。だって自信は十分にあるかもしれないし。ただの怠惰から活動していないっていう可能性だって、あるじゃないか。だから自分の望みだけを書くと、変わっていくのは仕方がないことなので、とにかく曲を出してほしい。syrupと比べて甲乙つけたって仕方がないので、単純にこれはもう、五十嵐隆が作った曲として聴くから。そして、そこに自分にとっての何がしかの輝きを見つけ出すから。必ず。だから、曲を、歌を、聴かせてほしい。待ってます。

MEISHI SMILE - キッス KISS



MEISHI SMILEが突然ドロップしてきたトラック「キッス KISS BGM」がめちゃめちゃいい。ので思わず深夜に筆をとる。メインのブログであるUrban Guitar SAYONARAの方に書こうかと思ったが、分類が違うかと思い、こちらに書く。

恋愛シュミレーションゲーム「ときめきメモリアル」のヒロインである藤崎詩織をフィーチャーした、この動画と共にあってこそ、この曲はより強い感動を、私に与えてくれる(もちろんトラック自体がよいことはいうまでもない)。波打ち際や街路樹沿い、街中、夕暮れ空の下、さまざまな場所を彼女は、通り過ぎていく。でも彼女の隣には誰もいない。ひとりだ。彼女はときにさびしそうで、ときに楽しそうだ。独りなのに。そのことが私に何を感じさせるか。

かつて隣にいた「誰か」を思い出させるのだ。そしてその誰かが、今は私と関係のないところで、さびしくなったり、楽しくなったりしている。そんなアンタッチャブルな現実を私に感じさせるのだ。認識させるのだ。そこにあるのは、むなしさ以外の何物でもない。私の手を離れてしまった、けれど確かに存在している現実を思うのは、どこか空虚で、悲しい。ビデオの中に映るのが、フィクショナブルな世界に存在する女の子だからこその、むなしさ、なのかもしれない。私たちはしょせん生身の人間。電子の世界にある虚構に焦がれたところで、距離は埋まらないのだ。伸ばした指先は、何にも触れない。キラキラとしたElectronicな響きの、感傷的なメロディが、そんな思い―届かないというむなしさを、さらに助長する。このむなしさ、まるで生前のガールフレンドを収めたビデオを見ているようじゃないか。心をかき乱される。あきらめざるを得ないのに、そこにあるいくらかのトキメキが、私を悩ませる。

このトラックは彼の次の作品に入るのだろうか。すばらしいトラック。そして自らのトラックのイメージを見事に映像化してみせるこのセンス。すばらしい。ホント大好きですよ。

追記:オイオイ消されてるぜ!! 見たい人は探すんだ!

『KILLER IS DEAD』 第1弾PV



※このムービーには、一部、暴力シーンやグロテスクな表現が含まれております為、閲覧­は18歳以上の方に限定させていただきます。


角川ゲームス×グラスホッパー・マニファクチュア共同プロジェクト第2弾

―21世紀の大人たちに贈る愛と処刑(コロシ)のファンタジー―

殺し屋を処刑する処刑人モンド・ザッパ。
罪人の処刑はあくまで仕事、どんな任務でも怖れず、
真っ向から立ち向かう。
また、美女を甘い言葉で口説こうとするなど、ジゴロな一面も。
そんな危険過ぎる男を描く、"生と死と愛"の物語。
右手に刀、左手には換装武器。
いま、誰も見たことがない世界が、目の前に広がる!

【公式サイト】
 http://www.loveandkill.com/


むっちゃカッコいい。シルバー事件の頃から大好きだよ、GHM(グラスホッパー・マニファクチュア)。今私はゲーム機(ハード)持ってないんだけど、このためだけに買うってのもアリな気がしてきた。やりたい!

SCARLET - Addicted to Love



SCARLETの3年ぶりのアルバム、『Addicted to Love』を聴いている。もう10年選手だけど、わりと初期のころから好きで、『sheepsleep』からこっち、ほとんど聴いている。前作『REFLECTION』のツアーはちゃんと観に行ったし、最高傑作という言葉を贈らせてもらった。昔はカッチリした音作りで、ギターもリズムも尖がっていたんだけど、時を経るにつれて、彼らの音はどんどん丸みを帯びてきた。それが個人的には物足りなさに結びついていたし、そこを突破してエキサイティングなサウンドを取り戻しに来たような、前作が私はとても好きだった。

そして今作なんですが、これがまたよいんですよ! 何がって言われると困っちゃうんだけど、よし考えてみよう。よい感じに肩の力が抜けている、っていう表現が一番ふさわしいかもしれない。別にレイドバックしているとかじゃなくて、無理がないっていうんですかね。その気張ってない感じがすごく好ましい。花、みたいな。花って別に気張って咲かないでしょ(たぶん)。もちろん虫に花粉運んでもらわなきゃって、咲き誇るやつもいるんだろうけど、人間にはそこんとこ関係なくて、花なんて目に止める必要はない。でもやっぱり花は咲いてて。ふと見たら、その美しさに気付くときもあったりして。

佇まいとしてはインディーギターロック/ポップだから、癒しとかそんなんじゃないんだけど、はやり?の言葉を使うなら日常への「ちょい足し」をしてくれるような、そんな作品だ。なくても全然いける、つまり生活はできるんだけど、これがあることで、より生活が豊かになるというか。ベースの束紗嬢の作曲もだいぶ増えてきて、11曲中ほぼ半分は彼女の手によっている。ダンサブルなリズムを生かしたロックなポップやシンプルなギターポップサウンドが彼女が作る曲の特徴なら、ギターの橋本くんの作曲はアコースティックな響きが印象的だ。今作を静と動に分けるとしたら、意外にも動担当が束紗嬢で、静の担当が橋本君のようにも感じられる(この辺りは近年橋本君が行っている単独のアコースティック・ライヴも影響しているんだろう)。静~動へと流れ、そしてまた静へと返っていくような、アルバムの構成も素敵だ。物語のように盛り上がり、そして静かに幕を下ろす。そのコントラストが作品としてのまとまりを生んでいるっていうか、リスナーを飽きさせないようにしている。

昔からSCARLETってLOVEをテーマにしている部分があると思うんだけど、特に今作にあるそれは、決して激情の類ではなくて、もっとさりげない、日常的なものだ。けれど、深い。愛にもいろんな形があると思うんだけど、それをいろんなトラックの中でさりげなく鳴らし、歌という形にして届けてくれる。ギターもいつになく歌っている印象。作品全体にちょっとの悲しみを感じるのは、束紗嬢の歌声がそうさせるのか、けれど橋本君の特徴的な歌声が、その悲しみを融解させていくような、絶妙のバランス感覚。気が付けば、SCARLETはSCARLETでしかなくなっていた。もっと突き抜けているバンドなんていくらもいるんだろうけど、こんなフィーリングを持っているバンドは他にいない。

よい! 相変わらずうまく説明できなかったけれど。ひとつ言わせていただけるなら、ツインボーカル、もっと聴きたかったです! 冒頭の「melt away」とか、最後の「music」とか、すごく好きです。前作もだいぶ聴きましたが、今作もまたそうなるでしょう。ありがとうございます。また観に行きます。

ベーシスト林束紗氏がみずからアルバム全曲解説をしてくれています。≫ Addicted to Love勝手に全曲解説。





HEVEN'S PINHOLE


HEVEN'S PINHOLE【MUSIC VIDEO】

TVでフラッと流れたこの曲を聴いて、「オオやっぱりthe pillowsいいなあ!」と思ったら、さわおさんのソロだった。『Please Mr. Lostman』~『LITTLE BUSTERS』~『RUNNERS HIGH』以降、遠ざかっている私はファンとはいえないかもしれないけど、でもthe pillowsは素敵なバンドだと知っている。今バンドは休憩中だったんだねえ、これも知らんかった。確かにバンドが健康な状態だったら、ぜったいこれはthe pillowsでやるだろうなあと思います。よい曲。アルバムほしくなってきた。

君だけのキス


松岡恭子/君だけのキス(ソロ)

これもちょっと前からキになっている曲です。元エニクスパルプンテ、現ユナイテッドモンモンサンの曲。これはユーストリームの番組で特別に披露された、松岡恭子さんによるソロ・ヴァージョンなんだそうだ。この曲はちゃんとPVもあって、そちらはPop musicなコーティングがされたキュートとパンクが同居する、勢いのある仕上がりなんだけど、今の気分にはこちらがマッチする。あとライヴヴァージョンはさらにアグレッシヴ、パンクな感じになっていて、そちらもよいです。以下に。



ユナイテッドモンモンサン~君だけのキス