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備忘録


2024.11.01 MoritaSaki in the pool@Koenji HIGH
MoritaSaki in the pool 1ST ALBUM “Love is Over!” RELEASE ONE-MAN TOUR!!
“Hello, We Are Tiny Dancer!”

2024.11.02 syrup16g@日比谷野外大音楽堂 「遅死11.02」

参加しました。



無様に生きろ、そして笑え


① ガタガタに思えて、実はフラットで、いややっぱりガタガタな日々を送ってる中で、久々に響くことがありましたね。syrup16gの無観客ライブ。ツアーファイナルを中止ではなく延期にしたうえで、本来予定されていたライブは無観客で行いかつそれを生配信という、これ以上ないくらい太っ腹な対応にはニヤニヤしてしまいます(いや嬉しいという意味です。本当にありがとうございます)。職場の人は半休とってPerfumeのライブに出向いたら現地で突然中止を告げられてふて腐れていたので(仕方のないことなんですけどね)、そこと比較するのもいろいろ違うとは思いますけれども、やっぱり比較してしまうと、スゲー対応だなあと思う次第(今回これに近い対応だとナンバーガールですかね。無観客でライブビューイング&YouTube生配信という。あとはこの記事→『ナンバガやKREVA、syrup16gらが急遽ライブ生配信。イベント中止の影響で』)。ライブの内容について何か言いたいこととか、今のsyrupについて言いたいこととかってのは正直なくてですね、一言最高でしたという言葉しかなく。あと「向日葵」のイントロでは部屋で歓声あげちゃいましたね。普通ライブ会場で観てると、もちろんみんなでライブ観てるんだけど、そしてみんなそれぞれ何か思ってるんだけど、それを共有するなんてことはなくて(できなくて)、でも無観客生配信という形だと、あの場にはみんないないんだけど、全国(あるいは世界?)各地でモニター、画面の向こうでみんなが観てて、それぞれ思ってること、考えてること、それらがリアルタイムにコメントという形で目に見えて共有されて、それはもちろん「コメント仕様」に変換されたコメントなんだけど、でもなんとなく「ああみんなこんなこと思いながら観てたんだな」、「ああオレと同じようなこと思ってるんだな」って思えて、ライブ会場にいたのでは味わえない、また別の一体感とでもいうヤツが感じられて、独りで観てても独りじゃないみたいな、不思議な感覚が強くあって、そこが一番印象的だった。逆にライブ会場だと、大勢で観てるんだけど独り、みたいな感覚が強いかもしれない。とにかく良かった。あーこれは28日の話。29日も観ます。グッズもウェアはほとんど購入した。ジップアップのパーカー大好きだからうれしい。デザインもいいよね。


② 堀口選手のナイトルーティーン、好き(笑)。怪我する前の撮影みたいだけど、改めてじっくり見ると、体つきやべえな!





THOUGHT : syrup16g Tour 2019 【SCAM : SPAM】10/4


10/4(金)。

恵比寿ガーデンホールはフラットな床の何だかライブ会場っぽくない印象。

割と前の方で観てましたので、後ろの方のリアクションは分かりませんが、

おおむねいつも通りの印象。

「SCAM」と「SPAM」でどうセットリストを分けてくるのか、

現時点ではわかりませんが、この日は「SCAM(詐欺)」だそうだ(中畑さん談)。

前回のツアーが終わり冥途に旅立ってからおよそ1年半。

全国5か所でツーデイズを開催。1日目と2日目でコンセプトを分けるという【SCAM : SPAM】ツアー。

正直「思ったよりも戻ってくるの早いですね(笑)」という人が多いんじゃないですかね。

1年半とか普通ですよね。

別にほかのバンドさんだって1年半動きがないとか、ぜんぜん有ると思う。

前回のツアー後「どんだけ休むか決めてない」っていう発言もあったので、

「これは長いかもなあ」なんて思ってたんですが、そうでもなかった(偉そう)。

でもなんでじゃあこのタイミングなのかってのはよく分からない。

増税・・・ってのはまあ関係ないにしても、

すわ新作か?と淡い期待はしたが、どうも今のところその気配もない、

さてはあれか、涼しくなってくる頃だから、みたいな感じかしら(笑)。

***

まあこれは物思いなんでライブレポートではないんですが、

しかし再結成してからの曲をひとっつも演らないってのは意図的ですよね。

解散前のラストアルバムからは「scene through」演ってるのに、

どういう心持ちなんだろう。

やっぱライブっていうと、今ここで、この瞬間、生、ってのが醍醐味なので、

というかそう思うので、やっぱりライブではバンドの最新をみたいって僕は思うので、

そう考えると、少なくとも最新作からは何かしら演って欲しかった。

『delaidback』が外されるのは仕方ないにしても(聞きたいけどね)、

『Hurt』~『darc』がマルッとないのは・・・ねえ・・・、

いつか書いたように、前に進んでない感じがしてしまうのです。

今まであまり演ってないであろう曲、

「Honolulu★Rock」とかね、

「(I'm not)by you」とか、「回送」とか、

ダブルアンコールの果てについに

中畑さんの念願かなって演奏された「根ぐされ」とか、

そういうレア曲が披露されたということは嬉しいんですけれど。

特に「(I'm not)by you」はずうっとライブで聞きたいと思っていたので、

これは僕の念願かなった形で、この日一番シビれた瞬間でした。

***

まあそういう最新の形がどうのこうのを置いて考えると、

この日はアグレッシブな選曲だったのかなと思います。

初っ端の「手首」、「ソドシラソ」、「神のカルマ」、「Sonic Disorder」という

『クーデター』からの鉄板曲連打(そして中畑さん息切れ)というのが、

この日の姿勢を示しているように思います
(「Sonic Disorder」の「人は一人」が「君と二人」に聞こえたのは、空耳だろう)。

だからドローンとした、あるいはシンシン(まあ静かなという意味です)とした曲は

ほとんどなくて、「ハミングバード」と「(I'm not)by you」くらいですか?

「正常」とか聞きたかったですねえ。

「生活」も、「明日を落としても」も、聞きたかったですねえ。

そして何よりも『delaidback』から聞きたかったですねえ(笑)。

冥途行き前のツアーで僕が行った日には、ほとんど演奏されなかったんですねえ・・・。

ああああ。

***

五十嵐さんのコミュニケーション不全っぷりが目立ちましたね(笑)。

フロアと対話する感じってより、一人で何か言って、一人で終わっちゃうのね。

何言ってるかよく分からなかったです(笑)。

本編ラストに「ほんとに、終わっちゃうな、早いな」とか一人で。

「すっごい緊張する!」と胸に手をやったり。

ダブルアンコール前には「恥ずかしい!」とまた胸を押さえる。

人前に出ることが恥ずかしいのか、アンコールを受けていることが恥ずかしいのか、

そこんところはよく分かりませんが。

いまだにライブにはストリップ的な感覚を持っているのでしょうか。

途中で「ごめんなさいね、乱暴な◆×△※」、「こんな大きな会場で○×◎□」とか、

一人で扉を開けて、一人でまた扉を閉める、みたいな。

おいおいこっちまだ扉の中に入ってないよ!っていう。そんな感じ。

「一年半ぶりのツアー、っていうか、
がっちゃんが人前に出ること自体が一年半ぶり・・・」という、

中畑さんのネタなのかマジなのか分からない話にも、

何とはなしに信憑性を感じた瞬間でありました。

***

まあ2020年の2月に追加公演が発表されているけれど

(タイトルは【SCAM:SPAM:SCUM】となっていて、

一つ単語が付け加えられている)、

そんでもって僕は2日とも行くつもりではいるのだけれど、

それまでに新作出たりしないかなあなんて、

思っちゃったりしているのだけれど、

要は新作聴きたいなあ!ってそういうことですね。

歌詞トバしたり(抜けたのか、演奏に気を取られたのかは分からない)、

曲の入りが上手くいかなかったりと、相変わらずの場面は散見されましたが、

声はいつぞやの絶不調をはるか彼方に追いやるように、見事に復活してましたね。

あの声がスコーンとビームみたいに伸びてくる感じ、

「(I'm not)by you」で久々に堪能しました。

音のバランスも良かったです。

***

東京の2日目はどうやら1日目と一曲も被らない選曲だったみたいですね。

ていうことは、きっとそういう感じだから、

どっちかっていうと、僕は2日目が観たかったのかな。

まあ行けなかったわけだけど。

ファン泣かせだな。

オレは新しい曲ばっかりの方がうれしいけどな!

確かにsyrupは(ダサく言えば)青春なんだけど、

そこに留まるんじゃなくて、それ抱えたまま、

何食わぬ顔してオレは生きていきたいのさ。

だから(変な論理だろうけど)彼らのライブで、

「オレはちゃんと今を生きてる」って感じたいのさ。

あの頃に戻るんじゃなくてね。



何はともあれお疲れ様でした!

(まだ終わってないけどな!)。

五十嵐さんも、もう46歳か・・・、若くはないな(笑)。





随想 from syrup16g 「十六夜 〈IZAYOI)」 その十六夜


ちょっとちょっと!

syrup16g後半戦いよいよスタート
十六夜最終日公演に、サブタイトル最終夜「冥途」を追加


syrup16g COPY発売16周年記念ツアー「十六夜 <IZAYOI>」の後半、いよいよ始まります。

昨年の一夜から七夜はCOPY中心のセットリストで臨みました。

七夜からの後半戦は、最新アルバム『delaidback』、そして『delayed』と『delayedead』のdelayedシリーズ三部作と『COPY』の曲でセットリストを組みました。

前半とは表情が異なるsyrup16gをお届けします。

最終日、十六夜の新木場コースト公演ですが、サブタイトルを追加します。

最終夜「冥途」

としました。


思えば2014年の再始動以来、年に一枚のリリース、年に一回のツアーと、syrup16gとしてはコンスタントに活動してきました。

休止とかおおげさなものではないですが、このへんで一休みします。

少しの間、冥途に旅してきます。

みなさん、旅の前にツアーでお会いしましょう。

syrup16g スタッフより

という文章を見て、ツアー後半についての情報いっさいをシャットアウトして、あの曲やるかなこの曲やるかなと期待を膨らませていた僕の期待を、この日(3月20日)見事に打ち破ってきやがりましたね。

何って『delaidback』から1曲しか演ってないし(涙)! それもビックリまさかの「変拍子」だし。なんで「赤いカラス」じゃないの。「光のような」じゃないの。「upside down」じゃないの。「光なき窓」じゃないの。

『delayedead』だって「Sonic Disorder」と「翌日」じゃん! それってどっちかって言ったら『Free Throw』じゃん(涙)!

つーか今調べたらほかのとこではめちゃめちゃ演ってるじゃないですか。ねえ。水戸では「光のような」がさく裂してるし…。「これで終わり」も各所で演ってんじゃん。うわあ…。「光なき窓」もあるし…。

……。

いや分かりますよ。いや分からないけど、たぶんツアー最終日だし、これからしばらくお休みすることも表明してるし、ここが節目になる日だからこそ、先述のメッセージには当てはまらない、いわば「例外」としてこの日があって、それでこの日のライブは今までの総集編的なセットリストにしたんだろうなって、何となく想像はできます。できるんです。『HELL-SEE』や『パープルムカデ』、『coup d'Etat』、『Kranke』、『darc』、『リアル』、いろんな作品からちょっとずつ演ってくれた。それはそれで嬉しい。でも、それって今までのライブでも演ってきてるわけで。

なので。やっぱり。僕は。このツアーだからこそのセットリストで来てほしかった。マジで。特に新作『delaidback』からの曲は聴きたかったなあ。今だとどんな感じで鳴らされるのか、すごく聴きたかった…。だって、これから先、また活動が始まって、ライブやってくれても、『delaidback』の曲って、なんとなく、演ってくれないような気がしません?? なんとなく、このツアーでしか聞けないんじゃないかって、そんな気がするもんですから。

もう、こればっかりは、仕方ないんだけど…。

でもそれは僕の独りよがりな意見にしかすぎなくて、逆に考えれば、たとえばこの日初めてsyrupを観に来た人もいるかもしれないし、そういうファンにとっては、「syrupのライブといえばこの曲」ってのがあると思うし、「あの曲をライブで聴きたい」っていうのも当然あると思うし、ここでそれらを披露してくれたのも、バンド側のサービス精神というか、やさしさというか、気遣いなのかもしれないって、今はなんとなくそう思えます。「ライブの定番」ではあるけれど、「他所ではやってこなかった曲」を、この日演奏してくれたわけですものね。

そんなセットリストはこちら。

*** *** ***

前半はフロアからも心配の声が出るほど、声の調子がイマイチでしたね。五十嵐さん。なぜか僕まで嫌な汗かいてました。大丈夫なんですかコレ続けられるんですか?ってくらい不安を感じてしまいました。高音は出てると思うんだけど、低音になると掠れるか裏返るかしちゃってほとんど声が出てない状態がずっと続いてて。明らかに声がぷっつり消えるからお客さんみんな気づいたでしょうね。喉の使い方の問題なんでしょうか、ふつう高音が出にくくなるような気がするんですが。中畑さんもそれを気にしてなのかどうか、いつもより厚めのコーラスでサポートしていたような気がします。五十嵐さんはあとで「想定内!」って自分で言ってましたけど(フロア爆笑)。

加えて2曲目の冒頭でいきなり歌詞トばしてましたね(笑)。「ラララ」で誤魔化してましたけど。

っていうような、まあセットリストの件は抜きにしても、先行きの不安というか、暗雲を感じたライブ冒頭だったんですが―

中盤から! 謎の盛り返しが! さく裂!! すごい勢いで盛り返してきた!

もっとも出だしから音のバランスは良かったんです。五十嵐さんも声がアレなだけで別に音程が危ういとかそういう感じではなかったし、高音は抜け感もあったし、兆しはあったのかもしれません。

中盤の「パープルムカデ」あたりから、声の調子が謎の復活を果たし、まったく気にならないくらいに。ホントに何が起こったんだろう。

個人的にクライマックスはこの本編中盤からラストにかけての畳み掛け。「正常」~「落堕」~「coup d'Etat」~「空をなくす」~「Drawn the light」~「翌日」の流れがシビれました。アツい。バージョンアップした「落堕」のイントロでは中畑さんがフロアを煽り一気にヒートアップ、ウェーブができはじめる。「空をなくす」で本編終了かと思わせてそこからさらに「Drawn the light」がくるんだけど、これが今まで観た中で一番アツい「Drawn the light」だった。暴発気味の歌唱とダイナミックな演奏が絶妙なバランスで交じり合い、見事な荒々しさ。僕はsyrupの持っている静と動でいえば静の部分が好きな方なんだけど―ドロドロしていて、危うい甘さがあって、ゆらめいていて、ときに透き通ったりして、その中に記憶の断片だったり、何事かへの諦念が滲んだりするような―、でもここでは僕の好きな形での「動」があって、すごく良かった。今はちょっと違うんだろうけれど昔の(というか僕が好きなアルバム『coup d'Etat』の頃の)syrupの根底にあった「怒り」が、曲の中に充満しているように感じられて、あと一歩バランスが崩れたら破たんしそうな、あの感じ、すごくよかったです。フロアとの相互作用もあるんでしょうね。

本編ラストの「翌日」は素直にうれしかったです。僕が「演ってほしい」と思っていた曲だから。まあ、なんですかね、たぶん、自分の中では「End Roll Tour」と重なるところがあったんでしょう。解散を発表したあの日は、最後「翌日」で締めくくられて。この日は「しばらくお休み」が決まっていたし、そこに来ての「翌日」だったから、なおさら思うところがあったんでしょう。なんでしょう、みなさん書いているように、今まで幾度か静止期間(休止とは言いたくない)のようなものはあったから、待つのは別に何てことはない、はず、なんですけど。フロアのムードもぜんぜんシンミリしたものではなかったし、バンド側もあっさりしたもんだったし(まあ「休止とか大げさなものではない」って明言されているから、でしょうかね)。そんな感傷的になる必要はないんですけども…。

「翌日」の前でしたか? フロアからの「頑張って」に「あいよ」ってマイクから外れたところで応えた五十嵐さんが妙に記憶に残っている。普通の会話じゃねえかって(笑)。

*** *** ***

で、まあ相変わらず自分の気持ちばっかり書きますけれど―だから随想なんですよ?―詳細なレポートが読みたい方は都内のものだったら、探せば見つかるでしょう。それ以外は、よく分かりませんけれど。個人的にはそういうの、読みたい。

で、こういう書き方してる時点でバレているかもしれませんが、罰当たりにも、ワタクシ本編でお腹いっぱいでした。いやストマックの方じゃなくて気持ちの方です。見事な流れに見事な締めで。実際現場では上に書いたように「このセットリストなんじゃい」って思ってたわけですが(笑)、今にして思うと、ここで終わられても僕はぜんぜん満足だった。それぐらい渾身のライブだったと思う。

でもライブは続く。あとはボーナスステージみたいな受け取り方で、「まだこんなにやってくれるんだ~」って、ホケーッとしてたのが僕です。やっぱりスローなイントロから入る「生活」はカッコいいなあ。初めてライブで聴いた「生活」もちょっと違うけどスローなイントロのやつで、打ち抜かれたなあ、あのとき。『遅死10.10』のときの「生活」もよかったなあ。なんて、記憶が飛び回るのは、走馬灯を思わせるので、止めましょう。アンコール1回目のラストは「真空」だったけど、これはホントに予定外だったんですかね。中畑さんの「1曲やるか!」で急に始まった感じだけれど。痙攣気味のイントロバージョン。

中畑さんの雄叫びもさく裂させて、果たしてここで終わりかと思わせる、も、客電つかずで、「こ・れ・は」とみな足を止めて待つ。

再び登場して「アンコールあると思って」、「めちゃめちゃ準備してきたから」って笑わせる中畑さん。五十嵐さんはテンション上がってるのか、疲れてるのか、その両方なのか、ぶっきらぼうな動きでピックをフロアに投げようとしてるんだけど?、ヒラヒラ~ッってしちゃって届いてない、みたいな(笑)。「落ち着いて!」って笑いながら中畑さん。いい女房役だ。ホントに中畑さんなしでは成り立たないなsyrupは。そんなこと前から分かってるけど、改めてそう思う。もちろん五十嵐さんのバンドなんだけど、一人でしょい込んでるイメージはちょっとずつなくなってきたような気がする。あくまで僕の中での話だけど。インタビューも二人で受けたりしてるし、ライブのMCを中畑さんがやるようになったり(まあそうすると逆に五十嵐さんがしゃべらなくなって神秘性が高まってしまうような気もするけれど、今のところはいいバランスが保たれていると思う)、前にも似たようなこと書いたけど、「二人でsyrup」(いやもちろんキタダさんもね)な空気が作られてきているのは、よい関係性だってことですよね、やっぱり。やっぱ昔の―解散前の―ライブでピリピリしてたのは僕の勘違いじゃなかったのかな。

「またいつか戻ってくるんで。会いに来てください」


ってそんなあっさりした言葉で、「Reborn」へ繋げる。

節目の「Reborn」はやはりグッとくる。

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セットリストは云々と書いたけれど、ライブは素晴らしかった。いや声の不調でドキリとしたのは事実(ライブのご愛嬌というには度が過ぎるレベルではあるまいか)だけれど、中盤からそれはまったく気にならなくなった。丁寧さよりも、パワフルなバンドらしさ。ナイーブさの裏返しにも思える精神的爆発性。それを孕んだ緊張感。そのコントラスト。ライブの何たるかが詰まっていたように思います。

「いつか」っていつだろうな。近いような、遠いような。一回休んだら戻れなくなった、っていう昔みたいなことはないとは思うけど。バンドの調子は絶好調に思えるし、そっちから考えると、このタイミングでってのは残念ではあるけれど。でも確かに『delaidback』で過去をいったん清算できたと考えれば、確かに休むのにちょうどよいタイミングではある。次のことを考えているのか、いないのか、自信があるのか、ないのか、分からないけれど。

僕にできることは、待つだけですね。応援、じゃ、なくて、なんて言葉がいいんでしょうね。聴き続けますよ。そしてまた会いに行きます。

戻ってきた暁には、ライブで『delaidback』からの曲、演ってください、絶対(笑)。僕が聴きたくて聴けなかったヤツ。


お疲れさまでした!




syrup16gの『delaidback』を聴いています。


いや、書けることないくらい?傑作だと思います。何を書いても的を射ていない気がする。けれど。

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『ROCKIN'ON JAPAN』の2017年12月号は買い逃した。読み逃した。読みたかった。『音楽と人』は手に取った(そして読んだ)。『MUSICA』も読んだ。


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公式ウェブサイトに依れば「開けられずじまいの心の窓から」と「夢みたい」が(収録曲中では)最も古く、1997年ごろの楽曲ということなのだけれど、僕はそのころのsyrupに出会っていないので、感慨というほどのものはない。正直なところ。

僕の中では2004年10月10日の日比谷野外大音楽堂でのライブを以てsyrup16gの第一期は終了したという認識で、それ以降、2007年末の「END ROLL」ツアーが始まるまでの期間は、バンドの迷走期というか暗黒期というか、ライブはやっていたものの、バンドとしてはもう上手くいっていなかったんだろうなあと思います。そして2008年3月1日の日本武道館でのライブを最後に、解散をしてしまう。

その迷走期、暗黒期のライブで多くの(ホントに多くの)新曲が披露されていたのはファンの方々ならよくご存知のこと。それらの一部はアルバム『syrup16g』に収められた。けれどそれ以外は…表に出ることなく、出すことなく、バンドは消えてしまった。解散後にそれらを出してほしいとは、僕は思わなかった。商業的な匂いがしそうだったから。

解散後にさほど間をおかずに五十嵐さんは「犬が吠える」なんて変な名前のバンドを始めたけれど、それも数回ライブをやっただけで、またいなくなってしまった。その数回のライブを観れた僕は「光」で我知らず泣いたりしてしまった。やっぱりこの人すげえなあって思って。


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syrupがいなくなって、犬が吠えるもいなくなって。

もう音楽辞めちゃうのかなあ、そうなんだろうなあ、なんて思ってたら、ひょっこり戻ってきて(というか戻らざるを得なくなり)。ひょっこりではあるけれど、まあ今振り返ると、4年も5年も経っていたのですが。

再結成してもなんだよグダグダじゃねえかってバンドも多いと思うんですよ、世の中。でもsyrupは再結成後、いなかった期間を取り戻すように精力的に活動してくれて、リリースもするしライブもやるしで、沈黙なんてほとんど感じさせない。端から見ると絶好調だ。ライブを観てもバンドがいい調子なのは明らかで(創作に関してはギリギリっぽいことも言ったりしているけれど、どこまで真実味があるかは分からない)。

別の投稿で、「バンドが軌道に乗り始めた今こそ、過去の未発表曲たちリリースしてくれないかなあ」なんて書いたけれど、今回それが叶った形になる。


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初っ端の「光」改め「光のような」でいきなり打ち抜かれてしまった。ドラマチックなイントロを経てからの歌声が入る瞬間の、このゾクリとする感じ(どういった感情なのかは自分でも分からない)。歌詞は一部変わっているけれど、犬が吠える時代に披露された形とほぼ一緒だ。ミックスのせいなのか、なんなのか、いつもより声の抜けがよいというか、若さを感じるのは僕だけだろうか。曲調のせいもあるんだろうか。そこにある世界観に、荒井由実の「翳りゆく部屋」に通じるものを感じる。たとえ自分が死んでも「あの輝き」はもう戻らないという諦めと、中央線が止まっても最終に乗り遅れてもこの生活は終わらないという行き止まり感。日常的な描写に落とし込まれているけれど、「何か」が起きても、自分の今おかれた状況はもう変わらないんだという、諦念(もちろん、だからこそ、そこから見える光が、とても眩しい。とても)。それが底でつながっていはしまいか。syrupのライブで披露されることがあるのか分からないけれど、新たなマスターピースの予感がする。「光」から「光のような」に改めたのは、syrupらしくしたということなのかもしれない。

アルバムを聴いていて思うのは、やっぱり「今」じゃないよなということ。最新形に歌詞は書き換えられたりはしているんだろうけれど、この軽やかさ、ギターポップ然とした瑞々しいギターと厭世的な歌詞の同居によって香ってくるノスタルジアは、およそ今のsyrupからは出てこないように思う。もちろん録音してるのは今だから、今っていえば今なんですけども。たとえば「向日葵」にもあった、思春期の狂騒を冷徹な視線で突き放すような、あの感じ。インタビューを読むと、デモ段階で残っていたものは歌詞がついていないものも多く、それらには現在から当時を振り返ってそのそのときの心情に適した歌詞を充てたということなので(それも難しい作業だとは思うけれど)、やはりそこに「今」とは違うと感じるのは自然なことなのだろう。

「透明な日」とか「冴えないコード」(ライブで映えそうだなあ)とか「ラズベリー」とかは割と最近に寄っている気がします。線が太くて重々しいギターに寓話的というか抽象的な歌詞。

「夢みたい」はちょっと「希望」を彷彿させるけれど、こういった恋愛に直結した歌詞、「変拍子」もそうだけれど、これも「今」の歌にはもう出てこないように思う。「分かりあえた日々が 眩し過ぎて 見れないだけ」って、上手いなあと唸る。「愛しあった日々」とかじゃあないんだね。

今のところ一番好きなのは「光なき窓」なんですが、このサビがどこだかハッキリしないまま、ミニマルな展開の中でメロディを上下させる作り方、syrupっぽいし、すごく好き。低空飛行から始まって、やがて空高く飛んでいくような歌唱、シャウトも胸に迫る。アルバムの冒頭が「光のような」でラストが「光なき窓」って絶対意図的だと思うんですが、この舞い踊るような輝かしいギターのイントロと対比するような寂しげな歌詞で描かれているのは、果たして希望なのか、絶望なのか。

今の暗いくせにパワフルな曲調も好きだけれど、この軽やかなメロディの裏で人生を憂うっていうのが、やっぱりsyrupだよなあって思ったし、改めて五十嵐さんのメロディメイカーっぷりを見せつけられた気がします(本当にPOPだ)。電車の中でも、家事の最中でも、食事中でも、隙さえあれば聴いています。メロディが抜きんでているのもあるんでしょうが、プラスノスタルジックっていうのもありますし、一時は表舞台から姿を消したと思われた楽曲たちが(曲によっては)20年以上もの歳月を経て音源化されたという意義深さもあり、僕は「傑作」という言葉を送ります。まったく文句がない。今までで一番聴いたアルバムは間違いなく『クーデター』なのだけれど、それを抜く予感がする。


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前にも似たようなこと書いたけれど、上に書いた大音楽堂のライブからもう13年経ったというのが本当に(本当に)信じられない。しかしそれは事実なのです…。生活環境が変わってsyrupを(というか、音楽を)聴かなくなった人もいるでしょう(前にインタビューで五十嵐さんも似たようなことを言ってましたが)。でもこうして、バンドは今も存続、継続しているし、「傑作」を届けてくれている。僕は今も聴いている。自分自身が、変わっていないってことなのかな。好きなバンドと一緒に年をとれるということは、幸せなこと、だと思っている。「幸せ」、ですよね?(笑)

ありがとうございます。

このアルバムで一度バンドが清算された、というようなことを五十嵐さん言ってますが、いや、まだ出てない曲あるしー、「ディレイドシリーズはいつでも出せる」と言っているので、これで終わりって感じでもないみたいだけど。ツアー終わったらしばらくお休みしてもよいので、新作と共にディレイドシリーズも継続してほしい。

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でもこのあと『darc』を聴くとそんなにメロディが弱いとは思わなくて、じゃあこのアルバムとの違いって何なんだろうって思うと、アレンジなのかなあって思ったりもするんですが、結局よく分からない。やっぱり『darc』は不思議なアルバムだ。


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人は孤独で。どんなに大勢に紛れようとも、いや紛れたときこそ、それは色濃くなるのかもしれない。そしてsyrupの音楽、そこにある「孤独」に惹かれるのは、自身が孤独だからだろうか、それとも、孤独に憧れるからだろうか。たとえば電車の中のような雑踏で、イヤホンを耳につけ聴いていると、さびしくなると同時に、僕はとても安心してしまう。孤独。



随想 from syrup16g 「十六夜 〈IZAYOI)」 その一夜


2017年10月5日。Zepp東京。

syrup16gの『十六夜』ツアー初日―「一夜」に行ってきました。長い感想はまた今度…書くかもしれないし、書かないかもしれませんが。

『COPY』の曲は余すところなく披露された。今の曲の方がパワフルだなって感じました。つまり昔の方が枯れているっていうか、覇気がないっていうか(笑)。諦念というか、捨ててる感が。

そしてそれが僕の中ではsyrup16gだし、多くのファンもそうかもしれないし、だから今みたいに開き直られちゃうとなんか違う感じがするのかもしれない。

でも歌を聴きに行っているというよりは五十嵐さんを見に行っているという気もするし、五十嵐さんが頑張っているのを見て「オレもまだ大丈夫」って思いたいだけなのかもしれないなあ、ってなんとなく、最近思います(別に悪いことではないと思いますが、自分では違う観方を欲している)。

五十嵐さんは「心なんて一生不安さ」って歌ってるけれど、逆に考えると?人間って、というか僕は安心したいんですやっぱ。不安でいたくない。安心してたい。そして僕は不安を歌っている人のライブを観て安心するっていう、そんな構造。だから安心を手に入れたら、僕はsyrup16gから離れるのかもしれない。でも「一生不安」であるからして、それはない、のかもしれない。なんて。グルグル。

***

ライブって、演者の調子はもちろんだけれど、観る側の調子も、その感じ方に大いに関わってくる。と僕は思っている。そういう意味では、この日の僕は集中力を欠いていた、ような気がする。もっと興奮できたはずだって、今でも思っている。何かあった、っていうほどのこともないようなことが、僕にはあったりしたんだけれど、もうそれは仕方がない。心のコントロールがヘタクソだったというわけだ。

こんなところを読む人はとっくにセットリストも見ているだろうから触れてしまうけれど、コピー全編の合間合間に、それ以外の曲を挟み込むような構成だった。その合間合間が各地で入れ替わるんだろうな。ツアー全部で頭からケツまで丸まる『COPY』じゃあさすがにちょっと…って思いますもんね。『HELL-SEE』の頃はアルバム通りにやったこともありましたっけ。

***

来月にアルバムが出ることが発表されたわけだが、これはやはり『delayed』、『delaydead』に続くものだろう。タイトルを見ても。

1曲目の「光のような」は、あの「光」だろうし(ついに!)、そうでなかったら盛大にみんなでズッコケましょう。でも犬が吠えるで披露されたものとはきっと変わっているだろうし、そうすると感じ方もまた変わるんだろうな。すごく聴きたいけど怖い気も。「チャイム」も入れてほしかったし、「エブリディ~エブリナイ~」って出だしのやつも入れてほしかったし、もしかしたら違うタイトルで入ってるかもだけど、望みは薄そう…。でも思い返すとアレも入ってないし、アレも入ってないし、ってもう一枚アルバム作れるくらい、未発表曲ありますよね。さすがにもう出してくれないかな…。

ツアーのラストまた東京に戻ってくるのは何でだろう。別のところで終わってもぜんぜんよいと思うんですけどね。「十六夜」Tシャツは欲しいけどさ。と思ったら途中にリキッドルームもある…。新木場コーストとリキッドどっちも狙いたくはないこの感じ、伝わるでしょうか(大好物は少しずつ食べたいタイプ)。どちらかだけ行くとしたらまあTシャツの件は置いておいて、よい記憶があるのはコーストなんですが、でもリキッドで観たいこの感じ、またしても伝わるでしょうか…。なので先行予約はまだ迷っている…。

***

「明日を落としても」は弾き語りでもよかった気がする(と思うのも最も感極まったのがこの曲だからであろう、相変わらず)。ベースとドラムが入ると何か、こう、輪郭が崩れる感じがあって、他も曲によっては歯車かみ合ってないみたいな、妙な違和感がございました。

あと五十嵐さんよく吠えてましたね。お客さんに引っ張られてる部分もあるのかもしれない。久しぶりに行く地方のライブはどんだけ盛り上がるんだろうか。覗いてみたい。

「デイパス」、「パッチワーク」、「土曜日」がよかった。「サイケデリック後遺症」だったかな?キタダさんがコーラスしてるっぽくて、「ex.人間」(この日はやってない)以来の特別な興奮! あとアンコールに「Deathparade」もってくるとは思わなかった。意外だった。

やっぱりどうして、こなれていない感じもあるのかもしれない。しばらく硬い感じだったし。僕は「デイパス」あたりでちょっと変わったかな?って感じたんだけど。ツアー後半はもっと一枚岩のようなイメージが強くなる、のかもしれない。キタダさんが譜面台を置いているのも新鮮だった。Twitterにあった「16年前の譜面の無い曲の 変なベースラインとらせれて(原文ママ)」というのはやはりこのバンドのことだったのだろうか。

***

バンド史上最長のツアーにニューアルバムを挟み込んで、なおかつそこにはファン待望の音源化曲が含まれるという、猛攻撃。

激アツです。今度こそ第二期始動といわせてください。

どうかご自愛ください。

***

あとTシャツ3枚買いました。グッズ売り場、なかなかの、なかなかの、行列だった。

もう良いとか悪いとか、そういうことじゃないんだろうなあと、帰りの電車でボンヤリ考えた。バンドがどんな状態になろうと、これは最後まで見届けるんだろうなって、そう思う。だから?演奏についてあんま書くことがなくなってきたのかもしれない。特定のバンドのファンを長いことやってる人ってこういう感じ、心境なんだろうか。よく分からないけれど。あんま感じたことがない、この心持。

ついていくっていうのは違うか。見届けます。



2017.06.01 TK from 凛として時雨 presents「error for 0 vol.3」@新木場 STUDIO COAST


≫ syrup16g

僕はもちろんsyrupが観たくて参加したわけですが、その意味では非常に満足でした。音が良かった。中畑さんのドラムも空間ビリビリ震わせるし、久しぶりにハイパーな調子だった。キタダさんのベースも変にブヨブヨしてなかったし、芯がしっかり聴き取れました。あと五十嵐さんの声も良かったですねー。前回のツアーより良かったと思います。やさしさより鋭さ多めな感じでしたが。

前半はメロディメイカーっぷりを見せつける、割とおとなしめの曲を並べてきたので(「I'll be there」、「生きているよりマシさ」、「赤いカラス」、「来週のヒーロー」)、今日はそんなモードなのかなとかボンヤリ思っていた。「I'll be there」とか最後のギター、アレンジ変わってなかったですかね。あと「生きているよりマシさ」もドラムちょっと変えてきてたし(今までやってないパターンではあるまいか)、曲をライブ仕様に変化、深化させ続けている姿勢も目の当たりにできて、やはり来てよかったと実感。メロディで聴かせる曲であっても、3ピースでも、しっかりダイナミックで、そこは相変わらずかっこいいなあと思う。歌詞のすっ飛ばしも目立ったけれど、そこも相変わらず(笑)。

「Share the light」のドスの効いた空間(ベースがイカす。ちょっと変えてたかな?)から一気にハードモードへ転換し、「天才」、「coup d'Etat」~「空をなくす」、「Deathparade」、ラストの「リアル」へとなだれ込む。「coup d'Etat」のネタバレ感も相変わらず甚だしくて、ああくるなあという予定調和の空気が物凄いのですが、この日は恒例のグルグルドロンとした演奏の中で向井秀徳ばりの語りをするのかと思いきや、「シャ~イニン スタ~リン クマ~のリュックと~ ローマ帝国の配下~で 君はまゆげ~をなくした~」って「回送」の一節を唄ってくるからドキリとした。あわや予定調和を破って「回送」が始まるかとドキドキしたけれど、そこは違った。てっきりこれはアドリブかと思っていたのだけれど、中畑さんのインスタグラムを見ると、セットリストらしきものが上げられており、そこには明確に「回送」という文字が見て取れる(さらにはそこから「空をなくす」へつながっているように見える)。ということは予め組み込まれていたということか! どういうチョイスなんだろうなあ。

モチのロン、この日は五十嵐隆氏の誕生日であり、フロアからは隙を狙って、祝いの気持ちを伝えたいファンの声が飛び出す。五十嵐さんは照れ臭そうに逃げるように(とはいっても僕にはステージはほとんど見えていないから、声の調子だけで判断しているのですが)、「ありがとうございます」と繰り返す。「リアル」の前にTKに感謝の念を述べるが、そこで「こんな素敵な日に」と言って、「今日僕誕生日なんですけど」って自分で言ってましたね。ハハハ。で、また「おめでとう」って言われるから、「ありがとうございます」って手短に告げて、「一生懸命歌うんで、最後まで聴いてください」って、切り上げる。

「空をなくす」でまさかのミラーボール回転で、おいおいマッチするのかって思いましたが、違和感なかった。そういや「落堕」のMVもそんな感じでしたかね。

と、大方の意見もそうかもしれないけれど、非常にバンドの調子がよさそうに思えます。個人的には声の抜けが良いってのが、一番うれしいです。会場に依るところもあるのかもしれないけれど、この調子でぜひ次のツアーを拝みたい。


≫ TK from 凛として時雨

どっちかって言ったら好きなんだけどでもファンと言うほどではない、作品も持っていないという具合です(好きの度合いでいえば凛として時雨の方が好き)。知ってる曲はごくわずか。ライブ映像を見たこともなく、インタビューも見たことない。そんなTK from 凛として時雨のライブはキーボードやストリングスを加えた5人編成で、決して多いというわけではないんだけど、先のsyrupと比べるとやはり楽器が多い分、世界観の広がりというやつは感ぜられたかもしれない。しかしギターサウンドとストリングスというのはやはり難しいと思う。何回かそういうライブ観たことありますが、上手く使わないと埋もれちゃいますよね。ってこんなド素人に言われるまでもなくそんなこと考えて演ってるわって話でしょうけれど。観てると聴いてると、やっぱりハッキリしないことが多いんです。

いろんな音楽のエッセンスをぶちこんで、何がしかの感情的な発露を、いわばJ-Rock/J-Popの領域で行っているということで考えると、やっぱりどうしてユニークな音楽性。他にちょっと思いつかない。ウィスパーな歌唱から音波気味のシャウトまで使い分ける、ある種奇妙なボーカルスタイルも、この界隈では似たスタイルを思いつかない。凛として時雨よりも抒情的だったり、空間的広がりが感じられるってのが僕の勝手な判断なんだけれど、ファンの方はどのように音楽性の違いをとらえているのでしょうかね。その辺りも気になります。

ドラムとかリズムのスタイルってのが凛として時雨とそんなに違わないような気もするんですが、ブラストビートっぽい地鳴りみたいなヤツもたまにかましてくるじゃないですか。ドドドドドドドドドガガガゴアアアアァァァって。もちろんリズムだけじゃなくて、ほかの楽器と渾然一体となって繰り出されるあの辺りの圧倒的圧力、破壊力ってのが、一番ビリビリしたところです。他にもっとあるだろ?って言われそうですが。ハハハ。

メロディで聴かせるって感じの曲があまりないので、メロディが立ってるのが好きな僕としては「Signal」が一番よかったです。楽器が複雑に絡み合った(ように思える)楽曲たちは、そこにある絡まりの妙というか造形美、そこにあるカタルシスを楽しむもののように感じられる。もちろん歌詞によって描かれる世界観もそこに加味されるので、より豊かで複雑な音楽体験にはなると思う。その混沌の中にある刹那の鋭さ、みたいなものが魅力なのかなと思う(たぶん僕は凛として時雨と区別できていない。自分の中で。それが分かる)。

こんな曲も作るんだって驚きもあったし、こんなに映像使うんだっていう発見もあったし(ちゃんとステージ見えなかったのは悔しい。2階席がよかったかもしれない)、これまでよりがぜん興味をもってきました。TKに。そう、前にも書いたけど、TKがすごくやさしい喋り方するのが印象的で、その辺ちょっと五十嵐さんとイメージ被るかもしれない。

「昔からsyrupさんは聴かせてもらっていて」、「初めて聴いたとき」、「こんなに命を削って歌っている人がいるんだなって」、「衝撃的だったことを覚えています」、「昔、凛として時雨で対バンもしてるんですが」、「今回こんなツーマンができるなんて」、「昔の自分に話してあげたいです」って嬉しそうに、感慨深そうに話していて、なんだすげー真摯な人じゃねえか!って一気にTK好きになりました(笑)。

せっかくツーマンだから何かカバーとかあるかなって思ったけれど、さすがに、やっぱり、お互いにそれはなかった…。最後にステージに2バンド揃いでもしてくれたら、まことに貴重な瞬間だったのだが…! 五十嵐さんとTKが肩組んじゃったりして、「みんな写真撮っていいよ。拡散してよ」とかなってさ…と、妄想は膨らむのであった。

ではまた。



今日のできごと


今日はTK from 凛として時雨の自主企画「error for 0 vol.3」を観に行ってきました。まとまった感想はまた後日書きますが、TKってあんなやさしい喋り方する人だったんですね。もっと鋭い人かと誤解してました。

ライブ終りに出口で配られたフライヤー見てたら、さりげなくsyrupの次のツアーが告知されててビックリしました(ウェブサイトでもすでに情報は掲載されてます)。去年末にツアーやったばかりなのに。走るなあ。今年はやる気だなあ。今さら無理して走るとは思えないので、調子がよいということなんでしょうね。きっと。

10月のZepp Tokyoからスタート。まだ時間あるしそれまでに新しい曲とかできてしまったら、堪らないですね。

『COPY』から「16」年目っていうのがツアーの名目らしいけれど、ちょっと強引な気がしなくもない(笑)。

まあ嬉しいからいいや。



syrup16g tour 2016「HAIKAI」 - 2016/12/15@Zepp Tokyo


どうせみなさん観てらっしゃったんでしょう? ニコニコ生放送を!

だから今夜も箇条書き。過剰。

あとセットリスト。

・セットリストの特別感はこの日が上だったけれど(「生活」とか「パープルムカデ」とか)、その構成が響いたのか、お客の盛り上がりは前日の方がよかった。フロアの飲み込まれ方が全然違う。あえてなのかもしれないけれど「Drawn the light」でちょっとトーンダウンしちゃったような。やはりあそこは「天才」で攻めてほしかった。「手首」でもいいかもと思ったけれど、やっぱ違うか。

・本編最後に「Rookie Yankee」を持ってきたので、ちょっと意表を突かれた。攻めてるモードでライブを、ツアーを、締めたかったのかもしれない。だから「Reborn」もないし「翌日」もないし。今までにもあったパターン。いいね。

・「Father's Day」と「正常」は同じセットリストに入れない方が良いと思い至る。魅力を相殺してしまう気がする。

・「Find the answer」、「Father's Day」でポロポロと歌詞をつかみ損なう五十嵐氏。

・「タクシードライバー・ブラインドネス」の直後「鼻かみたい!」と大声で願う五十嵐氏。フロアから「かんで!」、「いいよ!」と許可をもらう。ほほえましいやり取り。

・「I'll be there」。顎をわずかにあげて首を傾けて歌う五十嵐氏にスポットが当たると、なんだか神々しい。昨日に引き続き、今日はここで「死にそう感」を見る。

・「遊体離脱」がちょっと精彩を欠いていたような。ギャーンといきそうでいかない曲なので、ライブではトーンというかテンションの落としどころが難しいのかもしれない。

・ギターのキンキン感は軽減されていたけれど、代わりにベースがシュゥーンとした変な残響音を出していて、途中気になって仕方なかった。

・明らかに終盤は疲れてる感が出てて、それでもその中で渾身のライブを見せてくれて、すごく嬉しかった。「リアル」で僕は終わると思ってて、歌詞の「お前にこの一生捧げよう/必要なくなって 見捨てられるまで」の「お前」が「音楽」に思えて、急に感情のスイッチが入ってしまった。たとえこの瞬間だけだとしても、そこにはリアルがあったし、それに僕は突然に胸を打たれて、自分でも分けのわからぬままに、涙腺が緩む。なんで「リアル」でだよ?と自分の心ながらまるでコントロール不能。でも「リアル」で終わると思ったらまた出てきてくれてうれしい悲鳴。もう何でもいいよ!って思ってとにかく嬉しくて(きっと嬉しいんだと思う)、ちょっと泣く。

・「『darc』っていうの出したんだけど、うーん、これ、どうなん…だろ…」と頭をかきまわしながら悩む五十嵐氏。この物言いが五十嵐隆だなあと思う。「年刊俺、みたいな、俺レポートみたいな形でお届けしてるけど(場内笑う)、今回はツアーもまわれて、お得だったと思うし…」、「もうちょっと、聴いてやってください」、「来年も出す、かもしれないけど(場内おおいに沸く!期待してます!)、それまで、味がしなくなるまで□◎×▽■◆」。『darc』について「どうなんだろ」ってのは自信がないということではなくて、説明しづらかったんだろうね、違うかな、そして出てきた言葉が年刊「俺」っていう(これから散々使われるぞこのワードは!)。こんな公衆の面前でニコ生だって通じてるのに「来年出すかも」って言っちゃうのがすごいなあ(なんか見えてるものがあるのかな)。わざと追い込んでるんじゃないかって心配してしまいますよ。それは新しい曲は聴きたいけれど、生き急いで息切れして欲しくはない(一時期メジャーにいたときがそのイメージ)。

・Zepp Tokyoが遠い…。乗り換えを使って時間短縮で帰るはずがボンヤリしてたら(寝てたわけではない)、乗り過ごしてストレートに帰る羽目になって、寄り道しないでまっすぐ帰ったのに日付変わりそう。ってことはまあどうでもいいんですよ。ツアーお疲れ様でした。ありがとうございました。またお会いできる日まで。『darc』を聴いています。いやそれ以外も。やっぱ『darc』いいアルバムだよ! 断言する。


・もうね、単純に、カッコいい。間違いない。カッコいい。こんなに世界観が強くて(年刊『俺』というくらいに『俺』の世界)、こんなにカッコいいなんて、最高にロックじゃないか。


*** *** ***


ここからは1日たってから書いてます。

見事に『darc』が鳴りやまない。頭の中でずっと回ってる。特に「Murder you know」が強い。何かっていうとひょっこり顔を出して頭の中を占領する。

ライブ観た人、頭の中が『darc』になってないですかね。僕だけかな。ライブが終わってからこっち、あのアルバムが異常な(ホントに異常な)強度で(ライブ参戦前よりも)輝きだしています。それこそずっと繰り返して聴いている。

ライブの触感に非常に近しいアルバムなのではないかと思う。ライブと音源の距離が近いというか。生々しいという感想も書いたけれど、その部分がやっぱりライブと重なる。自分の中で。聴いていると、ライブの映像がものすごい勢いでフラッシュバックしてくる。面白いくらいに。隙があるボーカルの感じとか、ドカドカしたリズムに、金属的なギター、ダイナミックな音像。悪い意味じゃなくて、いい意味で、『darc』というアルバムが、あのライブでは再現されていて、それが立体的に包み込んできたのだと思う。そしてすんなりと心の中に居座っている。そして聴くたびに、あの空間が、ステージが、脳裏に立ち上がってくる。そんな感覚。ほかの作品に伴うライブでこんな感覚になったことはない。すごく自分でも不思議。

もしかして―まだもしかしてという感覚なのだけれど―、『darc』ってすごいアルバムなんじゃないか、そんな気がしている。うすうすと。





syrup16g tour 2016「HAIKAI」 ‐ 2016/12/14@Zepp Tokyo


書けることが! そんなに! ない! 箇条書きみたいに行きます。みたいに。ね。

当たり前だけれど、ライブハウスという環境に合わせたセットリストになっていて、当たり前だけれど、それはズバリ効を奏していた。

≫ セットリストはこちら

なんでこうガッツリと『darc』とそれ以外を分けちゃうんだろうって思ったりもするけれど、組み込んだら何となく「違う」と思ったのかもしれませんね。

でも『darc』は全曲演奏しても40分くらいにしかならないわけで、当然それでライブは終われないし、あとどんな曲をやるのかってところが気になるところであったわけです。

全体的にギターの音がキンキンしすぎに感じられたのですが、そんなことないでしょうか。特に『darc』収録曲が目立ってそう。ちょっと違和感。でもライブで聴いてて思ったけれど、『darc』の曲って、『Hurt』のそれより全然ポップな気がする。音源は音作りのせいでちょっとポップから遠く感じられるかもしれないけれど、ライブで聴くと歌が立ってる。言葉が生きているというか。すごく聴きやすく感じました。聴きやすいとか言っといてあれだけど、「Father's Day」聴いてて、久しぶりにsyrupのライブで「生気のなさ」を感じた。エレカシをカバーした「遁生(白昼夢ver.)」を聴いたときに感じた「おい、なんか死にそうじゃないか」って感覚。あと終盤のリズム隊がやっぱり熱い。この在り方が「正常」と被るんだけど、個人的には今はその「死にそう感」も含めて「Father's Day」の方が好き。

「Murder you know」で歌詞をトばす五十嵐氏。他公演でも前科ありの模様。

『darc』ゾーンのあと珍しく中畑さんがしゃべる。全公演かは分からないけれど、確実に一部講演では喋っている様子(こういうの見ても今ホントにバンドのあり方が健康的なんだなって思う。嬉しいし、微笑ましい)。この日の中畑さんは一通りの礼を述べた後で―「生まれて初めて見る、って人います?」と問いかけ、チラホラと上がった手を見て「あ、そんなには、いないですか。どうですか、とまどってないですか? とまどいますよねえ? この感じ」と、フロアに手を差し伸べる。その時点ではほとんどの曲で棒立ちだった観客を差しているのでしょう。「そのほかの方々は、もう、ずっとこの感じで、きたわけですから。ねえ」と笑う。そのあと間を開けて「この旅の終わりに―」って言い出すから、ちょっとドキリとしてしまったけれど、それはツアーの終わりの意味で(ホントにドキッとしたよ! End rollツアーを思い出してしまう)、クリスマス間際のお台場近くという場所で、そこに最も似合わないこのsyrupというバンドが、それでも一生懸命演奏するんで、みなさんも一生懸命楽しんで帰ってくださいと、結ぶ(五十嵐さんは両のこぶしを頭の横に挙げて揺さぶりながら、「頑張る」ポーズ)。「よしっ、言えた!」とまるで子供のような満面の笑顔でガッツポーズする中畑氏。座って「それじゃ次の曲やりまーす」といって、スティックを構えてから「あー」と妙な声を出すものだから、会場笑う。

今回のツアーではどこでもやっているようだけれど、「タクシードライバー・ブラインドネス」が演奏されるとは思わんかったな! 事前情報はいっさい触れてなかったので、嬉しい驚きがあった。そんでもってスゲーよいのですよ。演奏も唄も。まあライブ映えするっていう曲じゃあないけれど、でもやっぱいい曲。ここで初めて聞いたって人はきっとCD買いに走るんじゃないかな。あーそうだ!嬉しい驚きとか言ってたら思い出したけれど、一部公演で「赤いカラス」やってるじゃんか! うらやましい! 「透明な日」もあるし! そのうち「光」とかやりだすんじゃないかって淡い期待もっちゃいますよ。なんか「Heaven」とかやってるところもあるけれど、なんで「Heaven」をチョイスしたんでしょう。そんなに目立った曲ではないと思うんですが…いやだから選んだのか。「うお座」も聴きたかった…。

僕は割と後ろのブロックで静観してたんですが、前方ブロックにいつ火が着くかと気にしていました。昔渋谷のAXで演ってた頃とか、僕が前で見てたこともあるかもしれないけれど、床が揺れるくらいにめっちゃ盛り上がってましたよね?(誰に問いかけているんだ)。だから「syrup=お客さん棒立ち」なんて図式、誰が作ったんだこの野郎なんて思って、前回のホールツアーの感想にも、次はぜひライブハウスでって書いたんだけど、ねえ、ライブハウス(っても大きい方だけど)でやった結果どうですか。すごく盛り上がったでしょう。ホールの時にはなかったでしょう、この一体感。そのフィードバックが確実に五十嵐さんにあったんだと思うんですが、「落堕」の冒頭のノリノリ感(水鉄砲乱射アンド回転パフォーマンス含む)、踊るみたいなギターの弾き方とか、床にぶっ倒れてハウリング&痙攣ギターからの「真空」とか、終盤になるにつれてパフォーマンスもどんどんアグレッシブに変化していって、その熱に飲み込まれるフロアの領域も確実に増えていって、振り上げられる拳の数も増えていって、ステージからのライトに照らされる、その何かを求めるように伸びる数多の拳たちは、後ろから見ていて壮観だった―ホールの「観る」感覚から、ライブハウスの「体感する」感覚へ、観心地は見事に変化していた。

順番前後しちゃうけれど、「神のカルマ」のときかな(今セットリスト見ると、10~16曲目の畳みかけ、すごいね)、ステージ後方の幕がドロップ(真っ黒なやつ)されて、この演出は新鮮だった。フロアの盛り上がりに確実に一役買った。あと今までコーラスってほとんど中畑さんがやってた(一部キタダさん)けれど、今回は別に流してる部分もあったように聴こえたんですが、違うかな。

ああ、あと一番残念なのは、「coup d'État」に入る前の、ドローンとした演奏に乗せて五十嵐さんが語るやつね、よく意味があるような、ないようなことを言ったりするので、その類かと思ってたんですが、どうも違うようで、所信表明というか現状報告というか、そんなニュアンスが込められているように感じられ、耳を研ぎ澄ましたのですが、しかし! まったく! 何を言われているか分かりませんでした…(帰り際に誰かが口にした同じ意見が耳をかすめましたよ…)。「○○させてください。よろしくお願いします」とか言ってた気がしますが、ライブを構成する上でそんなに重要な要素ではないんでしょうか。大事だったらきっと普通にマイクで言うと思うんだよね…。でもファンとしては聴き取りたいわけで。どっかの誰かが文字起こししてくれるのを待ちましょう(それが合っているという保証もないけれど)。

「Rookie Yankee」を最後の最後に持ってくるとは思わなかった。というかライブでやるとは思わなかった。ここに持ってくるってことはそれなりに重要なポジションだと思うんだけれど、何となく視点が「内」から「外」に向かっている気がして、syrupっぽくないなと思っていたので、これで幕切れにしたのは意外だった。だからって「旅立ちの歌」も嫌だけど(笑)。

僕の中ではなんとなくだった『darc』と『coup d'État』の関連性が示されたような気もするし(やっぱり重なるんです、その二作が。上手く言葉でいえないけれど。実際『coup d'État』の曲多かったでしょう。でもそれは勢いのある楽曲をチョイスしたせいかもしれないけれど)、今もってあれだけの熱量を生み出せるバンドが今を生きてないわけないし、ポテンシャルどころかその先の可能性まで示された、非常に素晴らしいライブでした。ちょっと粗い部分もあったかもしれないけれど、それもライブ感を生んでたと思います! 何が「湧き上がる衝動がない」だよ! 何が「言いたいこともない」だよ! 大丈夫だよ! バンドはこんなに生きてるじゃないか! 今回のライブハウスツアーで何か手に入れてくれると、嬉しいなあ。

あとストロボ系のライティングは目が痛い。とか言っておく。

あぁ、2日目も参加するけれど、ニコニコ生放送だし、あまり書くこともないかも~。


↓おーいこれマジかよ!↓




*** *** ***


syrupが解散したのは2008年、このライブが2016年じゃないですか。

その間に僕はチョコチョコほかのバンドのライブにも行ってたんですよ。

今回、久しぶりにチケットホルダー使うかな、なんて思って、収納というか押入れというか、そこからホルダーを出して、ペロッと開けたらビックリした。

2008年3月1日の日本武道館のチケット、その半券が、そのまま入っていたから!

何年越しのご対面だよ。そして何の因果だよ。

ドラマチックな演出だよ、まったく。

そういう意味でも、僕の中では、あの日とこの日がつながったというか、塗り替えられた気がして、syrup16gはかくして完全に復活した。







syrup16gの『darc』をきいています。



※画像は『darc』とは関係ありません。


『darc』に関連したインタビューでは『音楽と人』のものが一番ピンときました。「ああ今五十嵐さんそういう状態なんだなあ」、「あのときそうだったんだ」というのがよく分かる、リスナーというか僕のかゆいところを掻いてくれた、素敵なインタビューでした(そこはさすが金光さんというべきか)。

その中にあった―

「そもそも伝えたいことなんて全然ないし、湧き上がる衝動のようなものって、もはや僕にはないんですよ」

―という言葉。

「作る動機やモチベーションが昔から変わらない」という話の流れから出た言葉なので、「伝えたいことがない」ってのは「昔から」のことだと解釈できるにしても、それと合わせて「湧き上がる衝動がもはやない」というのは、これは以前にも似たような言葉を言っているかと思うんですが、「もはや」ということは「昔はあった」ということで、それが「今はない」ということです。改めて言われるとちょっとショッキングです。だって言いたいこともないし、衝動もない(注意点としては、「湧き上がる衝動」はない、ということだけれど)ということは、ある種の表現者(というとまた大げさかもしれないけれど)としては、致命的にも思えるからです。(今引用した五十嵐さんの言葉がどれほど真実味のある言葉なのかということも、大いに考慮すべきかもしれませんが)

でもそれでも五十嵐隆は曲を作るし、自分でその歌を唄うのです。なぜか?

バンドを解散して、憧れていた普通の生き方を目指すも、「やっぱり俺、普通に向いてないんじゃないかって結論にはどうしてもなって。でも死ぬ勇気もなくて、全部辞めて逃亡……はあ」という言葉にあるように、どこにも行けなくなって、結局「ここ」に戻ってくることしかできなかったからでしょう(「戻された」という方が正確なのかもしれません)。どんな過程があって「普通に向いてない」って思ったのかは分からないし、「普通」ってのがサラリーマン的に働くって意味だったら、若いときはあっちやこっちでバイトしてたはずだし、(これもバイトだけど)ビデオ屋でいいポジションまでいったはずだし、だから働くのは大丈夫なんじゃないですか?って思ったりもするんだけど、何もなしにいきなり「死ぬ勇気もない」とか穏やかじゃない思考に至るはずもないので、何かしらの挫折があったのかもしれません。

「再結成」という言葉が冠された『Hurt』とは違って、今回の『darc』にはそういった付加的な要素―ステータス補正と言ってもいいかもしれません―がありません。なのでここで真価を問われるというと言い過ぎだけれど、いよいよバンドのポテンシャルが(非常に)気にされるタイミングでもあります。

その絶好のタイミングに合わせて、その辺りの―五十嵐隆は「音楽」に戻ってきて、改めて「ここ」でやっていくことに対して、どういう心境なのかっていうところが、『音楽と人』では分かりやすく語られていて、でも分かりやすい反面、僕は非常にやるせなくなってしまって、なんだか泣きそうになってしまいました。嬉しいとか悲しいとかじゃなくて、だって言いたいこともないし、強い衝動もないし、「カラカラになりつつある井戸」という自覚もあるし、あと引用ばかりでスイマセンが、これで最後です―

「ただでもシロップ解散の時点で一応やりきってはいて、そこからはもう、自分では未知なんですよ。音楽やるってことが今どんだけリスキーなことかっていうのもあるし。これしか出来ないから始めちゃったけど、もう契約社員みたいに、1年1年更新していくような形でしかやっていかないだろうなって思うし。そういう意味では諦観したっていうか」

―こんな風に思いながら(ちょっと喋り過ぎな気もしますよ五十嵐さん…!)、それでも音楽やるってどうなんだよ、いや続けてくれてありがとうございますって気持ちもあるんだけど、どんだけの覚悟というか、チャレンジャーすぎるんじゃねえの?って、もういつ終わってもおかしくないみたいな、ギリギリすぎるでしょなんて危なっかしいバンドだよって、そう思って、なんていうんでしょう、言葉で言い表せない、変な重みってやつが心にのしかかってきて、しばらくぼんやりしてしまいました。…でも五十嵐さんが河川敷で笑ってる写真見たら、ほっこりして、自分も笑ってしまいました。

今更当たり前すぎて本当に誰もスルーしてるけれど、とっくのとうに五十嵐さんは唄っていた―

「歌うたって稼ぐ 金を取る シラフなって冷める あおざめる / 辛くなってやめる あきらめる 他に何か出来る?」

―そのまんますぎる…。

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syrupの曲というか作品がスルメって言われるのは分かります。何回も聴いて味が分かるというか、即効性がない分、長く、飽きずに聴くことができるというか。思い返しても、聴いて1発でスッと耳と心に入ってきた曲というのが、syrupの場合ほとんどない。『coup d'Etat』なんて試聴機で聴いた瞬間に、こんなバンドだったっけ?って思ったこと覚えてます。今やライブの定番曲が並んでる傑作ですし、現時点でのキャリアの中では僕のベストになってます。

スルメっていうのもそうだけど、僕はsyrupの作品にはツンデレ的な部分があると思っていて、そのまんまの意味ではないんだけど、syrupは特に第一期終了前後くらいからですかね、失礼を承知で書きますが「ん…この曲は…良いの?」って思うことが増えたように記憶しています。本当に失礼ですが。でも良い曲は本当に良いんですよ! そのふり幅が実に大きい。挨拶無視されて凹んでたら、急に笑顔で話しかけてきた、みたいな。そういう意味でツンデレ的だと思ったのです。何か奇妙というか失礼な論理ですが、そのふり幅の論理はライブにもあてはまるもので、もちろんライブは水ものですし、どんなベテランだって出来不出来はあるだろうし、こっち側、観る側の問題もあって、その良し悪しもひっくるめてライブとして楽しむものだと思うんだけど、syrupのライブもやはり良いときとそうでないときの落差があったりして、その良いときを体験した人は「きっと次も」って期待して、それで通ってしまうと思うんですよ(逆の場合、足が遠のく人もいるでしょう、もちろん)。どんなバンドにも当てはまることかもしれませんが、やっぱりツンデレ的だよな、って思います。

ご多分に漏れず、『darc』でいうなら、「I'll be there」です。突出している。白眉というほかない。「そっちだ!そっちへ行ってくれ!」って方向に見事にメロディが展開していった。『MUSICA』で鹿野さんがいう「集大成」っていうのにはあまりピンとこなかったんだけど、確かにsyrupが抱える普遍的なテーマというのが、そこにあるのかもしれません。置いて行かれたものの視点。怒りや悲しみではなく、諦め。まどろっこしい言い方をやめると、「やっぱいい曲書くなあ!」ってその一言に尽きる。実は初聴きでちょっと泣いた。終盤のギターフレーズまで含めて全部好き。同じような体験は犬が吠えるのライブで「光」を聴いたときにもあって、あのときも会場で「やっぱこの人すごいなあ、すげーいい曲じゃん」って思ったら、ホロリと涙が出ていた(と書くと涙もろいように思われるかもしれませんが、ライブで泣くということはそうそうないのです)。

こういう曲が書けることを考えると、他の曲ではあえてメロディ抑えてるのかなって思ったりもするんだけど、どうなんでしょう。メロディ全開にしたら、syrupらしくはなくなるかもしれないけど、もっとポップなのが作れるんじゃないかなって気がちょっとしました(1回やって欲しいけど絶対やらないでしょう)。『Free Throw』だか『COPY』だかのインタビューで、自分たちの曲は抜けが悪いって言ってたように記憶してますが、確かにそれはずっと変わらないし、『darc』でも変わってないし、つまり『darc』はポップな部分はあるけれど、ぜんぜん抜けが良くないし、ついでに暗い。ぜんぜん売れ線ではないです。

でも僕は1回聴いてすごく好きになったし、あまり過去作との比較は本望ではないんですが、触感としては『coup d'Etat』を思い出しました。この「くっらいなあ…」って第一印象。バランスが良いんだか悪いんだかよく分からない楽器音たちは気持ち悪いくらいの生々しさで、「Cassis soda & Honeymoon」(この意味の分からなさよ!)の冒頭のドラムでゾクリとする。緊張感が半端ない。コンクリート打ちっぱなしの閉塞空間で天井見上げて、見えない空に憧れてる、みたいな、息詰まり感。ダブルミーニングというか言葉遊びの要素も(おそらく意識的だと思うんだけど)、顕著にカムバックしています。「You're lights goes down, going down」と「世はLIEと業だ 強引だ」は、面白いけど、ホント強引だなって思いました(笑)。あと「Find the answer」って作中では割と風通しの良い楽曲なのに、唐突にサラリと「吐きそうだ 御免」って、答え探しの途中で弱さを見せるところも面白い。言葉遊びメインになってしまうと辟易してしまいますが(ワガママ)、『darc』はよいバランスです。耳だけで聴いてると、ちょっと歌詞がすんなり追えなかったりするけど、それはご愛嬌。ああ、あとどことなく宗教色というか、神の影がちらつくところも、『coup d'Etat』に重なりました。

「Father's Day」は実はライブ映えする曲ではなかろうか。ヌワーンとしたボーカルラインの後ろで、ドラムとベース、リズム隊の暴れっぷりが見逃せない。燃える。「Missing」は「ニセモノ」あたりから感じ始めた演歌感というか、歌謡曲感が再び匂い立つ。グラムとはまた違うんだけれど(でもあのバンドが唄ったら似合いそう)、僕の中ではこれも今やsyrupのカラーの一つ。「きたきたこの調子」って感じ。

生々しい音作り、(苦労の末かとは思いますが)往年を彷彿させる鋭角的かつユニークな歌詞。歌詞の内容は相変わらず出口のない脳内迷宮的な酩酊感(多分にパーソナル)なので、とっつきづらいです。もっと分かりやすく直接的でよいような気もするし(実際今作でもそういう部分はビックリするくらいいともたやすく心に刺さってくる)、普遍的というか―分かりやすく言えば失恋とか―、そういう多くの人が共感(というと嘘くさいか?)できそうな要素になると(もうならないかなあ)、全然違って聞こえると思うけど、きっと嘘は唄いたくないと思うので、それを望むのは難しいんだと思います。『coup d'Etat』が好きな自分としてはああいう衝動性や直接的な分かりやすさ、パンチ力を期待してしまうのですが、もう衝動はないのだから仕方ない! 歌入れでどうにもテンションが落ちているというか嘘が入っているような気がして、結局ほとんど仮歌を採用したことで生まれているこのゆらぎというか、ナチュラル感というか、全体的な生々しい音作りが僕はすごく好きなんですね(バンドとしては不本意かもしれませんが、このちょっとグロテスクな質感、僕はMarilyn Mansonの「The Nobodies(Acoustic)」に通じるものを感じました)、だからこれまでと比較してどうこうではなくて、今作には特別な中毒性があるように思います。せっかく買ったからそんなに気に入ってないけど、とりあえず何回か聴いて自分に馴染ませような的な、そういう聴き方ではない、由緒正しいリピートを実際にしています。

「メメント・モリ」は、Wikipediaから引用すれば―『ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」』という意味であるから、「メメントもらず」ってことはそれを忘れるってことでしょう。「スケベな内に」ってのはエロい意味ではなくて(いやそれも含んでるかもしれないけれど)、生きていくことに対する下心、欲望がある内に、この状況を「受け入れ」ようじゃないかっていう宣言なのかなあ。曲調に反して何となく前向き?って思ったら、次のセンテンスで「受け入れる 振り」って言っちゃってるし…。ちなみにカシスソーダには酒言葉というのがあって、それは「あなたは魅力的」らしい。ハネムーンは「蜜月」。五十嵐さんがここでそのイメージを利用してるのかは分からないけれど、なんとなく喪失感がにじむ。

上に書いたような、引用したような心情でバンド続けてるって考えたら、安易に「おかえり」とか言えなくなりました。ブラックジョークでしょうそんなの。「なんだ、戻ってきちまったのかよ、へへ、おかえり(ニヤリ)」みたいな、黒い笑いしか似合わない。


かくしてバンドのポテンシャルは(僕には)存分に示されたわけですが、まだこんなもんじゃないと思ってる、いや信じているので、その片鱗をライブでぜひ確かめたいと思います。武者震いしそう。


何回も書くけど、解散前に沢山あった未発表曲、どこかのタイミングでリリースして欲しいです。切に願います。『delayed』や『delaydead』だってあるわけですし。そういうコンセプトでいけないかなあ。再結成して、バンドが軌道に乗ってきた(ように思える)次作あたりとか、どうかなあ。ひっそりとだけど、ずっとずっと期待してます。マジで。


過去作と比較したらどこに軍配が上がるのかって方向に頭が行きかけましたが、そこは割愛。


あと前からうすうす思ってたけど、syrupの曲がちょっと変わったのは元ベースの佐藤さんがいなくなってからのように思います。佐藤さんがいなくなったときがひとつの区切りだったと、いつか五十嵐さんも語っていたので、少なくない影響がある…のかなあ…それは当然あるか。別にどっちがどうということではないんですけれど。


*** *** ***



参考・引用文献

金光浩史. 2016. 絶望の向こう側.
音楽と人, 10(18), 128-135. 株式会社 音楽と人

me ga samenai


『遅死10.10』を観なおす。




12年も前だなんて信じられる?

12年前の自分がそこにいただなんて。

いや、いたんだ。確かに。

このジャケットもすごく好き。

どんな人?って聞かれたらこんな人って。



syrup16gの8曲入りニューアルバムが完成しました。


絶妙なダサさ! 褒めてるぜ! ものっそ頑張って活動してくれてありがとうございます!

「HAIKAI」前夜 ニューアルバム「darc」収録曲世界最速披露会も行きたいけれど、どうですかねえ。

http://natalie.mu/music/news/203754






永遠に届かないのは


電車でぼんやりしながら「月になって」を聴いてると、浮かぶイメージ。

「月になって」≫「好きになって」と考えるのは安直かもしれないけれど。

僕が月で君が地球じゃないのかコレは。僕は月になって、君の周りを回るだけ。「そばにいるだけ そこにいるだけ」、「君がいないなら 僕もいないから」、「掴めそうで手を伸ばして 届かないね永遠にね」、「夜は寒いから 明日が怖いなら そばにいるだけ 朝が来るまで」、月と地球の関係性に符合する。

今さらか。



syrup16g tour 2015 「Kranke」 2015/07/09@NHKホール


2日間とも見事に雨だったわけですが(わりと本降り)、最終日のこの日、終演後になるとアラ不思議、雨は止んでいました。まるでsyrupのライブが終わるまではと、大いなる意志が働いたように感じられ、天候まで味方につけてライブを演出するとはまったくもってニクいバンドだぜと、思った次第。

2日連チャンでsyrupのライブを見るという、幸せに恵まれたワタクシですが、東京公演初日の8日が1階席で、2日目にしてツアー最終日の9日が3階席という、まったく異なる視点を運命の神によって与えられていたのです。どっちがいいかっていうと難しいんですが、バンドに近いのは確かに1階席なんだけど、ライブ(とその演出)を観るという意味では俯瞰的な視点を持てる3階席も捨てがたいなと、どちらも体験して思いました。この日俯瞰してみた思ったのは、「相変わらずセット簡素だなー」ってことです。今までに比べたらスクリーンとか使ってるし、確かに演出は力入ってるけど、でもセットはホントにシンプル。ドラムセットがほんのちょっと高くなってるだけで、あと平板ですもん。飾りなんていらねーよって感じで、そこが好き。

+ + +

この日もよくしゃべりました。ビックリした。と内容を書く前に、まずはセットリストはこちら。ほとんど初日と同じ並びですが、一部「Everything is wonderful」が「負け犬」に差し替わり、ラストが「生活」~「リアル」ではなく、「coup d'Etat」~「空をなくす」~「Reborn」になっていました。「Reborn」東京ではやらないかと思ったから嬉しかったなあ。

さてこの日は、頭っから初日の違和感もなくスムーズな出だし。非常によい感じでライブ空間に入っていけました。歌声はツアー最終日ということもあるんでしょう、疲弊した感じも見られましたが、逆にそこが生々しくてよかったです。妙な危うさというかリアリティが生まれていて、それをロック的といってしまうと良く言い過ぎかもしれませんが、嫌な感じはぜんぜんなかったです。

「冷たい掌」もサビの爆発力が獲得されていて、格段に初日よりパワーアップした印象だったんですが、何が違うんでしょう。音のバランスが違うのかな。エフェクト? 正体はよく分かりませんが。冷静に聴くとヘンテコな曲だなと思うんですが、それをライブで違和感なく披露するバンドと、なんの疑問もなく受け入れるファンという図式も幸せの形です。

「Stop brain」の前あたりですか、ふいにMCが始まります。

「いやーツアーもいよいよ最終日」って五十嵐氏。

「正直…」と言いかけて妙に間を空ける。

静まり返る空間。

「終わって良かったなあって」と安堵の息を吐きながら五十嵐さん。

場内笑うが、

「まだ終わってないから!」って中畑さんピシャリと突っ込む。確かに! まだ終わってない!

「正直ここに立ってるのが奇跡かっていうくらいに、ツアー嫌いだったんだけど」

って五十嵐さん正直すぎるわ! 確かにそんなキャラクターだけども!

「今日はもう、最後の一滴まで、拭いきれなくなるくらいまで、絞り出してやるので」

って何だかんだやる気を見せてくれて一安心(って変なライブだよまったく:笑)。

「My Song」から「明日を落としても」って落差あるヨなって思いながらも染み入りつつ、昨日のクライマックスを飾った「正常」がこの日もお目見え。すわどうなるかと期待しましたが、不思議と初日を超えることはなく。いやもちろんよかったんですが、初日の浸透力は発揮されず。続く「負け犬」~「吐く血」と、位置的には昨日の最大クライマックス(変な表現)に輝いた部分なのですが、この日はひとつ引っ込んでいる印象。

だが! この日のクライマックスは別にあったのです! それは次の「Share the light」! ノりきれないとか先日のときは書いたのですが、僕が不満に思っていたサビの爆発力が不思議にも改善されていまして、何なんだろうこれは、中畑さんのコーラスか? いったいなぜ爆発力と厚みが獲得されたのかはやはり謎なのですが、サビ(といってよいのか分からない箇所ですが)が、ちゃんとひとつ前に突っ込んでくる感じで、非常にビリビリときました。カッコいい! 実際ギターとベースとドラムだけで、よくもまあ、あんなにドスの利いた空間を作り出すものだと、その深淵さに酔いしれました。

「真空」の入り方って何パターンかあると思うんですが、この日は五十嵐さんの痙攣ギターがメインになっていたように思います。初日は中畑さんのドラムぶっ叩き。ステージ中央でよろけたようにギターをギャギャッ、ギャギャギャッって引く姿にまたシビれます。syrupの好きなライブアレンジ(っていうのか分からんけど)のひとつです。今回やってないけど「Sonic Disorder」のアレンジも好き(やって欲しかったア)。

「パープルムカデ」~「神のカルマ」~「Thank you」とほぼ間を空けずに続き、あっという間に本編終了です。やっぱ「Thank you」カッコいいすわ。ドラムがよいです。帰りの道中もなぜか頻繁に頭に上ってくるのがあの出だしのところで。音源で始め聴いたときは、やはりというべきか、違和感がありましたが、今聴いたらなんていうか、「良い曲」としか感じられません。これぞライブの力です。ライブの力で楽曲のイメージが塗り替えられました。「Thank you」は一度ライブで聴くべきではないでしょうか。キラキラと走ってる感じが、今のsyrupに似合ってます。

+ + +

そんなに喋ってねーじゃんって思うかもしれませんが、これからです。僕も当日はそうでした。「ああ今日はあんま話さない日なのな。そういう日もあるよね」って思ってました。しかーし!! ここからだ!!

アンコールでTシャツ姿で登場した3人ですが…

ななななんと! マキリン(と呼ばせてください)ことキタダマキ氏が、あの激渋クールなスーパーベーシストが! ステージの際まで進み出た! そして誇らしげに胸を張り、「オレのTシャツ見ろよ」と言わんばかりに親指を胸に突き立てる(心なしか笑ってる?)! なんだこのパフォーマンス! 

3階席の僕にはそのTシャツの文字が見えなくて本気でヤキモキしてたんですが、調べたところ「医者」と書いてあったとかないとか…(笑)。

「患者Tシャツ着たくないんだって」と五十嵐氏がギターしょいながら笑う。

「スーパードクター」って中畑さんも笑う。

スーパーベーシストならぬスーパードクター誕生(笑)。

しかしなんだ「医者」って! このために作ったのですか?? でも医者って何かマキさん似合う(笑)。

「vampire's store」って初日も中畑さんのコーラス入ってたかしら。思い出せない。でもこの日は入ってて、これがすごくいい。この曲のサビの部分ってトーンダウンするような調子があるから、そこで勢いが殺されちゃうんですよね、僕の中では。でも中畑さんのコーラスが重なることで、音の厚みが増すし、確実にそこが浮き上がってくるし、すごく曲として完成された形になると思います。この曲確実にライブで進化してます。これからもカッコよく変わりそうで楽しみ。そう考えると「To be honor」や「Thank you」もそうだけど、ツアー嫌いっていうわりには、ライブで映える曲とかライブで演ったときに盛り上がる曲とか、意識して書いてるんじゃないかって勘繰りたくなります。

「落堕」の入りもカッコよかった。あの3人でギャリギャリドカドカブリブリやってるとこ。初めてあの形聴いたの日比谷だったかなあと思うんだけど、体感的にあのときと同じくらい長い入りで、こういうの僕は何時間でも(っていうと言い過ぎだけど)聴いていたい。本当にカッコよくて気持ち良い。もうこの曲は殿堂入りして他の曲に座を譲ってもいいんじゃないかってくらいの活躍ぶりだよ、「落堕」。

+ + +

まだそんなに喋ってねーじゃんって思うかもしれませんが、まだこれからです!

2度目のアンコールで出てきた3人。

(五十嵐さんのコケたようなパフォーマンスもありつつ)定位置に着くや否や―

「じゃあ、スーパードクター、最後に一言お願いします」って、まさかの五十嵐氏からフリが!

場内大歓声!!!! キタダさんちょっと笑ってるっぽい!

でもこのまま流されちゃうんじゃないのおなんて思っていたのも束の間! 歓声が静まるのを待って、ちゃんと話してくれるマキさん!!

「えー、今日はどうも、ありがとうございますぅ」って!! 

うわおっ、ちゃんと肉声聞いたのいつ以来だ! なんか声高くね!?

「お大事に…」ってマキリン、オチまでつける!!

場内大喝采!!!!

「今日イチの盛り上がりじゃん」って笑ったのは中畑さんか? 

それを横目に見ながら五十嵐さん、場内に目配せして、ささやき声で―

「ちょっとすべってたね」だって! 

いやらしいわー(笑)。寡黙なマキリンにフッといてそれはないわあ(笑)。

思わぬいじめっ子ぶりを見せた五十嵐氏でしたが、一気にエンジン全開で何やら分からぬ雄たけびを上げて―

「coup d'Etat」さく裂!! 

こっからの「空をなくす」!! 

圧倒的にシビれる!! 

しかしホッコリムードからの落差がすごい!! 

ここからも分かるように(?)、もはや楽曲のイメージとバンドの在り様を重ねるのはsyrupには似合わないのかもなあって考えてしまいました。昔はピリピリした雰囲気でライブ演ってるときの方が圧倒的に好きだったし、ペラペラしゃべってるときは逆に嫌がってたりした僕ですが、今はぜんぜんこの楽しそうな雰囲気がすごくうれしくて、よく分からない論理だけど、ごめんなさいって言いたいです。曲は表現のひとつであって、それはそれとして受け取ればよいだけのこと。バンドの雰囲気は良いに越したことないし、曲以外の部分でそれを見せられても、それは表現とは関係ないのだと、キッチリ分けて受け取ればよいんです。だからオレは、今のsyrup、大好きです(昔から好きですけど)。ハッキリと、そう言えます。

「いやー、いよいよツアーも終わり」って話す五十嵐さん。

もうすぐ終わりだなって客席も分かってる。ちょっとさびしいからもっと話してほしいって思う。

「さっきはツアー大嫌いとか言っちゃったけど」

間。

「終わってみると、楽しかったなって」

それは終わったからじゃないのか!ってツッコミを、僕も含め多くの方がしたことでしょう。

「ちょっと、ぜんぜん関係ない話していい?」って唐突に五十嵐さん。

「友達いないからさ、しゃべる人いないんだよ、聞いてくれる人が」って自嘲(笑)。

何か各所で休止期間のこといろいろ話したからかな、一周回って開き直ったのかな五十嵐さん。うしろめたさみたいの、ないよね。

「昨日ね、帰って寝るじゃん。寝ようとするんだけど、やっぱ寝れないのよ(と、このあとゴニョゴニョいう。興奮して眠れないってことでしょう)」

僕の頭には、暗い部屋で布団(ベッドではなくて断然布団)に横たわるサラサラヘアーの五十嵐隆が浮かぶ。なぜかクスリとする。

「でね、寝たり、起きたりを繰り返すんだけど、そしたらね、ついにね、あれを見ちゃったんだよ!」って興奮気味に。

何? 何を見たの?

「あの、あ、め、アレ、ん? なんだっけ? あの、あれ」

ってもどかしいわ!!(笑) アドリブなんかやっぱり。

「明晰夢! 明晰夢? あの意識はハッキリしてるんだけど、夢っていう」

「こう色とかもさ、きらびやかで、ハッキリしてて」

とここから独壇場で話し始めます―

「なんかね、こう、可愛らしい(と手で丸い形をなでるように)小動物とかさ(場内笑い)、やさしいお姉さんとかいて、キレイな景色で、お花畑とか広がってて(場内爆笑)、もう、楽園、パラダイスでさ、やった!って思って。オレもう、一生ここにいてやる!って思ったの(五十嵐さんのイメージ通り過ぎて、またも場内爆笑)」

「でも、だんだんね、いやこれはヤバいって思ってきて。浦島太郎的なアレだと思うんだけど(謎の「浦島太郎的なアレ」。何となく分かりますが、ぼかし過ぎ!)。ヤバい起きなきゃつって、頑張って起きたんだけど」

「たぶんね、あのまま寝てたら―死んでたね!」

大大爆笑に包まれる場内。

「でもあそこにいるよりも、今日ここにいる方が、10倍も、100倍も楽しいです」

「ホントにありがとう!」
と言って演奏に入りながら、「また来てね!」って言ってくれたように思います。

すげーうれしい言葉だった。涙出そうで。絶対また来ますから。

最後の最後に繰り出された必殺の「Reborn」は、終わりの方で客電点けるからさ、いつかの武道館を思い出してグッときてしまった。

場所も状況もぜんぜん違うんだけど、あのとき明るい視界の中で鳴らされた「Reborn」は、「バンドの終わり」を意味していて、でも今日のそれは「終わり」とは対極にあって、あのとき終わりを告げた「Reborn」が今似たような光景の中で「始まり」を告げていると思ったら、すごく感慨深くて、よい意味で打ちのめされました。もちろん生還ライブのときも「Reborn」は鳴らされていたんだけど、僕の中ではこの日の「Reborn」はまた違う意味合いなんです。なぜってこの2日間のライブで、僕はsyrupは新生したと、感じたからです。明るい調子でごまかすように、端々に、今後への決意のようなものが感じ取れて、「癒える事ない痛みなら いっそ引き連れて」というミスチルの歌詞が頭をよぎるような、開き直ったような強さを感じ取ったからです。

+ + +

音源で聴いてると「曲が変わった」って思うんですが、ライブだとあまり違和感がないんですよね。まあライブっていう筋が一本入ってるからってのもあるかとは思うんですが、もしかしたら僕らが思うほど変わってないんじゃないかって、よく分からなくもなりました。でも逆に考えれば(?)、バンド側がこれまでの曲も今の曲もきちんと自分たちの中に落とし込めているってことだと思うんです。だからきちんと「今」の自分たちで、自分たちの曲を鳴らしているっていうか。決して懐メロとかじゃなく。そういう意味でも、syrupは決してレジェンド、伝説などではなくて、「今」を生きているバンドなのだと思います。正確にいうと「今」に蘇った、というとゾンビみたいですが(笑)、でもホント見事な蘇りです。

「冷たい掌 握り直して 過去へ 連れてって
 冷たい掌 握り直して 未来へ 連れていこう」

ってなんとなく、この復活の暗喩にも受け取れませんか。

冷たくなった掌を握り直して、過去も受け入れて、そして未来へ―

+ + +

不思議なもんで、僕は彼らが解散した時のレポート(このブログにはないです)に、その後の自分と音楽とのかかわり方について、「ドラゴンボールが終わってから週刊ジャンプを読まなくなったのと同じようなことが起こるような気がする」という回りくどい表現で書きましたが、これはつまり「ドラゴンボールが終わって他の漫画も読まなくなった」→「syrupが解散して他のバンドも聴かなくなるんじゃないか」という意味でして、悲しいかなその予見は少なからず当たることになったのです。まったくとはいかないですが、他のバンドさんの音楽を聴くことから遠ざかり、そしてライブからもメッキリ足が遠のいたのです。でも今、その逆のことが起ころうとしている、というか起こる気配を感じます。

syrupの復活を確信した今、他のバンドのライブにも久々に行こうかな、なんてちょっと思ってる自分がいて、自分でもビックリです。いったいどこまでいつまで僕に影響を与えれば気が済むんでしょうかsyrup16gというバンドは! 

大好きだ! 

どうかのんびりでよいから、末永く、活動してください。切に願います。

おしまい。



syrup16g tour 2015 「Kranke」 2015/07/08@NHKホール


うわあああああああ。

患者Tシャツ買ったよ。着てる。書いてる。

9日のライブも行くのだけれど、これを着ていく勇気がない。一人で行くもんで。上になんか羽織っていって会場で脱ぐって手もあるけど、僕の中ではそれは邪道。なのです。

しかしライブTシャツって久しぶりに買った。この袖を通した時の不思議な一体感っていうんですか、「ああオレこのバンドのファンだ」っていう愛の再確認っていうか、「このライブ行ったんだよな」って感慨もあるし、いたるところのファンとこれを着ることによって見えない糸でつながっているような、奇妙なうれしさもあります。あとフェイスタオルも買ったけど(これは家で使う)、ステッカーも買ったけど(PCに貼りそう)。今回は珍しくバンドにお金を落とす(いやらしい言い方)僕であります。

+ + +

ここ近年(解散前後も含めて)で、最も五十嵐氏のトークが聞けた公演ではないでしょうか。ご存知のようにsyrup16gのライブはMCがほぼありません。ないときはホントにない。「ありがとうございます」、「ありがとうございました」くらいしかないときもある。まあライブに何求めてんだよって話だけれど、でも好きなバンドに直に接するからには、普段は聞けない生の声(すなわちそこだけの、行った人だけが聞ける肉声)を求めるのもファンの心理というものです。今日はそれが非常に満たされました。

セットリストはこちら。

ホントに序盤はやっぱり硬い印象があって(特に「冷たい掌」)、それは前回のライブの時も一緒だったんだけれど、置きにいってる感じがすごくあって、ハズさないように、ハズれないように、堅実に、そしてちょっと探ってる感じっていうか。歌も演奏も。それが硬さにつながっていたんだと思います。「To be honor」をこんなに頭、3曲目に持ってくるとは思わなくて、本編ラストとかその辺りかと思っていたので、意外でした。でも予想通りというか、この曲はライブ映えします。あの広がりのある空間と、その中でスコーンと抜けていく五十嵐さんの声。改めていい曲だと思いますし、今後ライブの定番曲になってもおかしくないです。

「HELPLESS」はアレンジが違うっていうか、鋭いギターを前面に出してきたので、初め何の曲か分からなかった。分からなかったし、頭のギターを五十嵐さんはミスったようだった。顔の前に手を出して、ドラムの中畑さんに詫びていた。「明日を落としても」や「吐く血」においても歌詞のトビが見られ(笑)、往年のトチりっぷりが頭をよぎり、懐かしく、ホッコリした気持ちになってしまいました。

「My Song」や「明日を落としても」になると、やっぱりもう聴かせ方が違うと言いますか、冒頭の置きにいってる感じなど微塵もなく、ホントにひとつの塊としての曲がそこにあって、もちろんドラムとベースとギターと声によって成り立ってるんだけど、すべてが1個にまとまってる感がすごくて、特に「明日を落としても」はやっぱり破壊力がすごくて、何回も聴いているのにいっこうにその破壊力は薄れなくて、僕は目がウルウルしてしまいました(歌詞をトばしたというよりは、ちょっと入りを間違ったような箇所がありましたが、強引に進みました。僕は潤んだ目でちょっと笑ったもんです)。

本編のクライマックスは何回かありましたが、個人的には間違いなく、8曲目の「正常」がピーク。2回目の日比谷でやったときから、この曲のライブでのヤバさを意識しはじめましたが、この日もヤバい。鳥肌立ちました。かつてのsyrupの真骨頂と思われる、澱んだ空気と、サイケデリア、仄かな甘さが入り混じり。そして静と動の対比によるカタルシス。中畑さんの叫びとドラミングに呼応するように、どんどん曲の熱量が上がっていく。五十嵐さんの裏声もさく裂。そして底の方で曲を牽引し続けるキタダさんのストイックなベース。すごく、すんごーく好きです。特に歌が終わってからがすごくヤバい。もっと長尺で聴いてたいくらいです。

このあとかなあ(違うかもしれません。記憶曖昧)、五十嵐さん喋る!

「こんばんは!」
て威勢よく。「帰ってきましたよ!」って、親戚の兄ちゃんみたいな挨拶をする。

場内を飛び交う「おかえり!」の黄色い声と野太い声。

「ぜんぜん緊張してるんだけど」ってサラリと正直にいう五十嵐氏。

場内温かい笑い。

「今日2日目!じゃなくて、1日目だけど」と続ける五十嵐氏。

「ツーデイズなんてできると思ってなくてさぁ。やらせる方もどうかと思うけど」って笑う。

まさかの批判(笑)。

続けて何か言ってたけど、歓声で聞き取れません。五十嵐さん喋るとみんなうれしいんだよね。内容的には「今日で全部出し切る」的なことを言ったんだと思います。

「明日のために喉大事にしようとか、そういうのやってきてないし、できないし」

「だから気分的にはね、今日が最終日、千秋楽ですよ。ハートだけはね!」と薄い胸を叩く。場内大歓声!

「Everything is wonderful」の浮遊感とサイケデリア(ギャリギャリしたノイズギターかっこいい)もよかったんですが、「吐く血」のアッパーな調子が印象的でした。確かに曲調はもともとノりやすいですけども、イントロで「フゥーッ!!」とか五十嵐さん言ってくるから、「この歌詞で『フゥーッ!!』ってノりすごくね?」って思って、一人でニヤニヤしてました。

「Share the light」は見るたびに「演奏難しそうだなあ」って思ってしまって、どうもノりきれません。いやカッコいいんですけどね、サウンド的には「ニセモノ」に匹敵するくらいヘビーな切れ味持ってると思いますし、演奏は実際切れてたんですが、サビでもうちょっと爆発力出るともう完璧です。

このあとは本編ラストの「Thank you」まで怒涛の名曲連打。「天才」(「Share the light」からの「天才」に違和感ないのが驚いた)、「真空」(入りがカッコいい!最後に中畑さんが『ワンワン!!』って叫ぶの何←これは「落堕」か?)、「パープルムカデ」(左足上がらず。序盤に一瞬浮いた)、「神のカルマ」ときたもんです。セットリストを見て分かるように、今回のライブは万遍なくすべての作品から選曲されてますが、どちらかというと、攻めのスタイルです。それは完全にバンドのモードを暗示しているし、実際本編ラストの前に五十嵐さんが決定的な言葉を口にします―

「まあ」とちょっと腰をかがめた感じで笑いながら―

「おとなしいけどね! 大丈夫ですか」って。

ああ! やっぱり気にしてる! おとなしいって言われた! 裏を返せばもっと盛り上がってくれよってことでしょ!? 俺ら攻めてんだからついてこいよって! 場内笑いが起きる辺り、みんな気づいてんだよね!

「いつもだいたい楽しそうだけどねー、うんうん」って誰に向かって言ってるのか分からない口ぶりで続ける五十嵐氏。

すかさず場内では「楽しいよ!」、「楽しい!」って黄色い声と野太い声が。

「次の曲で最後なんだけど―」って言われかけるや、客席みんなで慌てて、「えー!!」って一際ユニゾンで盛り上げます(笑)。

「まあ感謝の曲なんで―」と言って五十嵐氏、フワッとした裏声で華麗にコーラスを始める。このアレンジにくいわー、かっこいいわー。メロディで「Thank you」って分かったけど、何かすっかりライブバージョンに生まれ変わってる気がしますね(歌詞も一部「諦めない僕に Thank you を」を「諦めない君に Thank you を」に変えてきた)。カッコいい。僕は「旅立ちの歌」よりこっちが好き。やたらと疾走感あるし。当然好き嫌いはあるでしょうが、考えようによっては「翌日」と同じようなポジショニングなのかなあって、聴きながら思いました。

+ + +

立ったままアンコールを願うこと数分、暗がりの中でステージ天井から何かが下りてくるのが見えました。

ああ!

他公演で「レンコンが降ってきた」という分けのわからない情報を某所で目にしていたのですが、その意味が分かりました。手術台の照明を模した照明道具(分かりにくい表現でスイマセン)が天井から降りてきていたのですね!(詳しくは「手術台 照明」で画像検索してネ!) 患者を演出してるわけか!、あーいいじゃん、面白い演出じゃないですか!って一人感心してました。しかもちゃんと照明つくし、ライトの色も場面に合わせて変わるし、どうやって作ってるんでしょうかアレは。もともとああいうのがあるんでしょうか。分からんけれど、面白い。手術台まであれば…ってそれはやりすぎか。そこに寝てギター弾くとか? いや、やりすぎだ(笑)。

いや話が逸れました。「vampire's store」はやっぱりライブ向きですね。やっぱりまだこなれてないこともあるんでしょうか、音源をなぞったような感じでしたが、ライブ独自の熱量が吹き込まれれば、これは定番曲になってもおかしくない(「Sonic Disorder」とまではいかないか)。

東京のお客さんは(僕も含め)スロースターターなんでしょうか、アンコール2曲目の「落堕」になってようやく拳を振り上げはじめました。「寝不足だっていってんの!」の合唱もさく裂。ここにきて遅すぎるともいえるヒートアップでついにバンドと熱量がかみ合った気がします。遅い!! 他公演の情報をほとんど見てなかった僕は、ここで終わりかな?とか個人的には思ったんですが(もちろんまだやって欲しいという気持ちがありながら)、客電がつく気配もないし、これは期待していいのか!?と、再びのアンコールを願う。

間髪入れずにっていうと言い過ぎだけど、全然またせずに再度登場した3人。

ドラムセットに上った中畑さんが、五十嵐さんを指さし、ギターを弾くポーズをとり、「こいつが今からイカすギター弾くからよぉ」的なナイスな笑みを見せる。それを受けて、ぜんぜん曲に入るそぶりがあったわけではないのだけれど、置いてきぼりをくらいそうになった五十嵐さんが焦ったようにいう、「ちょっと待って!!」って割とでかい声で(笑)。

みんながハッと見たら、シールドがこんがらがってて、絡みをほどくべく、ギターを中空でグルングルンと回す五十嵐氏がそこに(笑)。その様子、まるで服の裏返しを直すべく格闘する子供のようで。数秒、それを見守るわれわれ。まったく今回はなんでそんなにお茶目なんだ!

と、軽快に話し始める五十嵐氏(ホントに楽しそうだなあ…)。

「こんなTシャツ買ってくれた人、ありがとね」って。患者Tシャツ。やっぱ自覚あるんだ、ヘンなデザインだって(笑)。

「うちに帰ってパジャマにしてたらお母さん驚いちゃうよね。ついに来たか!っつって」と続ける。

「分かりやすいナ」って中畑氏のつっこみさく裂。

「ねえ、ほんと」と話題を変えつつ五十嵐さん、「さっきの『落堕』って曲もさあ、チューニング間違えて演奏しちゃうし…」と唐突な暴露(笑)。中畑さんも笑う!

「5年6年経つとこうなっちゃうから、ねえ、これからライブもちょっとずつ
(と指の間に隙間を作り)やってってね」(場内大歓声)

「みなさまに恥ずかしくない!syrup16gを!お見せできるように、頑張っていきます!」と、西川きよし師匠の「小さなことからコツコツと!」ばりの握り拳を作りながら、聞いたことないような宣言を! らしくないけどすげー嬉しい! 続くんだよね! そうだよね! ライブもいっぱいやってくれるんだよね!

こんな明るい調子いつ以来だよ?って思ったけど、思い出せない(笑)。924(daimasの日記スペシャル)とかさ、あのくらいまで遡らないとないんでないかな(僕はあのときの「翌日」がすごくスキなんです)。

「日々の積み重ね、ですよ」って言った五十嵐氏、そこから「生活」のイントロへつなげるニクい演出。こういうのアドリブでやってるんかな。寝る前とかに考えてるのかな(笑)。普段口数少なそうなのに、ここぞというときに、バチッとした言葉を口にするのは、どこか「北斗の拳」のケンシロウにも通じる気がして(笑)、まあ何が言いたいかっていうと、僕はそういう人が好きっていうことです(ケンシロウはちょっと行き過ぎてるけどな)。

もうこの辺の「生活」や、ラストの「リアル」に関しては、単純に楽しんじゃって何がどうとか一切頭に上ってきませんでした。

去り際に客席を拝みながら、五十嵐氏が手をメガホンにして、会場に向かって何か口にしたようですが、まったく聞き取れず。なんて言ってたんでしょうか。

+ + +

点数付けるのはおこがましいので、来場前の期待を超えたか否かで表現すると、見事に超えてきました。すばらしかったデス。上手く言えないんだけれど、syrupについては「来るか来ないか分からない『その時』を、信じて待ってる」っていうイメージがあって、一度でもsyrupに(よくも悪くも)打ちのめされたことがある人は、また「それ」を求めて彼らを聴いたり観に行ったりすると思うんです。でも必ずしも「それ」はやってこない。かと思えばこれまでを上回る「それ」がやってくるときもある。だから、僕らは「それ」がくる「そのとき」を信じて待ってるんです。だって確かにそれを与えてくれたんですから、もう一度、ってそう思うのはおかしいことじゃない。音源に関しては一度聴いちゃうとどうしても2度目は2度目になってしまうから、だから僕らは1回こっきりの水ものであるライブに足しげく通うのです。そこにしかないものを求めて。今回のライブでかくして「それ」は与えられました(個人的には「正常」~「Everything is wonderful」~「吐く血」がベスト)。だから僕は、また行くでしょう。「それ」を求めて。(まあsyrupに限らずライブってのはそういうもんだとは思いますが)

今あたりまえにsyrup16gが自分の生活に存在し始めてますが、考えてみれば、4年も5年も不在だったわけで、でもそんな気がしないところが非常に不思議なのです。思うに不在期間中も普通に聴いていたからではないかと踏んでいるのですが、果たしてどうなんでしょうか。それとも、もうキッチリ終わりを認めてたからなのかなあ。

バンドの調子というか雰囲気がホントによさそうで、今後のこととか何にも分かりませんが、期待しちゃうよ?いいよね?って問いかけたくなるような、素敵なライブでした。そういう意味では、いよいよ、本当に、復活の狼煙が上がったのかもしれません。新譜が出たばかりですが、新しい曲が聴きたくてたまりません。どんなんが出てくるのか。

+ + +

NHKホール初めての1階席でしたが、わりと近くで見た五十嵐氏はやっぱり細くて白くて疲れてて、頼りなさげでした(初めて見たときから変わってない)。煽り気味の中畑さんに対してキタダさんはいつにも増してクールな印象でした(さすがに紹介されたときは手挙げてましたけどね。そんくらい。あとは「落堕」でのドラム間近でのブリブリベース)。中畑さんは演奏もそうだけど、叫びとコーラスがすごいなあ(特に「真空」)。五十嵐さんを食いかねない要(かなめ)っぷりでした。

五十嵐さんのサラサラとしたストレートヘアは、「俺もうひねくれないよ」って意志の表れなんじゃないかって、今回のライブを見ながら、フト思いました。おしまい。




syrup16gを聴いています。


ライブが近くなってきたせいか、syrup16gを聴く頻度が上がっています。

『Kranke』については何かしょっぱい感想を書いてしまいましたが、なぜだかその『Kranke』を聴く回数が圧倒的に多いのが不思議です。でも思い当る節はあって、僕は「ながら聴き」と「本聴き」で使うヘッドフォンを分けているんですが(スピーカーではまず聴かない、というか、聴けないのです。隣近所の存在がありますから)、「本聴き」で聴いたら、明らかに違う聴こえ方をしてきまして、「あれ、すげーよくね、コレ」という気持ちが芽生えてきたもので、それを確認するように、日々何回も聴いているという次第です。

何回か書いているように僕は『クーデター』が一番好きで、理由はいろいろあるんですが(詳しくは過去記事参照)、改めて考えると、音作りも一因としてはあると思うんですね。ベースの目立ちっぷりとか、ドラムのクラッシュとかハイハットとかの立ち具合、刺さり具合とか、ギターのディレイとディストーションの同居(睡眠薬とビンタという比喩を使おう)とか、シューゲイジングというか白濁感というか、白昼夢的な危うさと美しさがあって、すごくスキなんです。

それに比べると、以降は音が細いというか、キレイすぎるんじゃないの、なんて思っていました。昔エモが盛り上がってきたときに、J.ロビンスがプロデュースする作品について「音をキレイにしすぎる」という意見を言った人がいましたが、そういう言葉を使いたくなる感じだったんです。

高山徹さんがマスタリングしたとか言っても、僕はほとんど気にしてなかったんですけどね。おそらく今回初めて、syrupの作品でミックスやマスタリングについて意識しました。『ヘルシー』のリマスタリングも確かに「いいなあ」って思っていたんですが、そこまで気にすることなかった。

この音の粒が立ってる感じっていいますか。全体ですごく包容力があるんだけど、その空間の中で、ひとつひとつの音の輪郭がすごくクッキリしている。だから混沌とした調子はないんだけど、聴いていてすごく気持ちよいというか、カッコいいというか、心地よいんです。「vampire's store」の後半とかすごくカッコよくて、作品の中でがぜん上位に浮かび上がってきました。ボーカルと拮抗するようにギターフレーズもしっかり突き刺さってくるし、ベースもブリブリ唄ってるし、ドラムも重量感あるし。ライブでどうなのかっていうのはもちろんまた別ですが。

そもそもたとえば『クーデター』の頃とは曲の作り方というかギターの使い方とか違う気がするから(よく分かりませんけどね)、一概に比較はできないけれど、混沌としていながら浮遊感を保っていた『クーデター』とは確かに違っていて、けれどまた新しい音を獲得しているのです! そしてそれはおそらく今のsyrup、表面的な陰鬱さが薄らいだsyrupに、似合っている。

まさかこういった方向から今のsyrupを再評価する気持ちが自分の中に出てくるとは、露とも思っていませんでした。ライブも楽しみです。

あと「Thank you」のコーラスってずっと「あきらめの~」だと思ってたんですが「あきらめろ~」なんですかね。「あきらめの悪い」に被せてるから「あきらめの~」だと思ってました。

おしまい。



それはやぶれかぶれ




何が違うって、やっぱりテンション。
楽曲そのものもそうだけれど、歌唱のトーンも全然違う。
この「やぶれかぶれ」感。「ソドシラソ」なんかもだいぶキてる。
これがいわゆる空回ってる感につながってるんだろうけれど、でも圧倒的だったんだなあ。

やっぱり僕はこのころが一番好きです。どうしたって。

それはピクシーズの『ドリトル』が好きとか、
ウィーザーの『ピンカートン』が好きとか、
ダイナソーJRの『バグ』が好きとかと、似た感じかもしれない。
別に他が嫌いなわけじゃないけど、自分の中で、って、ありますよね。

もう一発、かましてほしいなあ。

syrup16g - Kranke


「再発」ライブのあと、わりと近しいところにいる人たちがそろって、syrup16gの精力的な活動をほのめかしはしなかった。むしろその逆で、ゆっくり見守りましょうというニュアンスの意見が多かったように記憶しています。それはコンスタントなリリースやライブを期待させるものでは当然なくて、syrupというバンドはホントに大事にされてるんだなあと思うと同時に、まだどうなるか分からない感じなのかなあって、不安を煽りもしました。

だから何年かに一回ポソッとアルバムなり作品だして、東名阪でライブみたいな、のんびりした活動を、なんとなく考えていました。でも蓋を開けてみたら、とりあえず一年も経たないうちにこうやって作品を届けてくれました。ツアーも組まれているし、なんともうれしい限りではないですか。

『Kranke』は賛否吹き荒れる(というようほどの嵐は起こしていないけれども)作品になってしまったようです。

確かに詰め込んできてる感じがすごくあって、統一感はないように感じます。何を求めているかによって感想は大きく異なるんでしょうね。僕は前にも書いたかもしれませんが、もうsyrupに涙を求めてはいないので、五十嵐さんの作るメロディと声があれば、満足できちゃうかなあって、何か聴き方としてはレイドバックしてしまったようなところもあるので、ぜんぜん否定的には捉えてません。挑戦してくれてもいいし、たとえ焼き直しを食らわしてきたところで、結局受け入れてしまうんだろうなあって、これはあまりよいリスナーではないかもしれませんね。

メロディがどこか突き抜けていないというのも分かりますし、歌詞の抽象性が高いというか観念的なのも確か。たとえば過去のインタビューで―

 「うん。自分がもう思春期じゃないっていうのは
どうしようもないから。
そこは否定しないで。
でもなんか、歌になるものを探していって、
今までみたいに……ものすごい傷付いたりとかね、
初恋の時の喜びとかね、そういう感情のリミットを
音楽に閉じ込めたりとか、そういうことは
多分難しいけど、本当の日常の中にあるものを、
なんか音楽にしていく、のかな」
(『音楽と人』,vol.126,p.170)

―って自覚しているように、もう初期衝動的なドロドロと煮えたぎって、それでいて瞬発力のあるものはおそらく出てこない。歌詞だけで考えてみたって、五十嵐さんは進んで色んな体験をする人には思えない(誤解かもしれないけど)ので、自身を歌詞に落とし込むタイプとしては、どうしたって引き出しが減ってくるであろうことは予想できる。だから自分と世界の関係性についてのグルグルした抽象的な歌詞にならざるを得ないんじゃないか。別にそれが悪いということではなくて(実際キレがなくなったとはあまり思わない)。と、書いていて思い出したのが、阿刀田高さんの『アイデアを捜せ』というエッセイ集の、一篇(これがsyrupに当てはまるという話ではなくて、あくまで思い出したから書いているだけです)。

阿刀田さんはその一篇の中で、小説の出来る過程を数式、x×y=cで示している。cは定数、つまり一定で、これは作品の出来を示す値とする。xはアイデアを捜す力、yは小説を書くテクニック(阿刀田さんは「工房の能力」という表現をしている)とする。cが64のとき、xが8ならばyは8で済むが、xが4になってしまったら、yは16にしなければ、cを64には保てないというわけ。しかし思いつけるアイデアにも限度があるし、工房の能力とて無限に上がり続けるわけではない。ということは作品の質(c)を一定に保つためには、並々ならぬ努力が必要ということになる。だからテクニックもない新人の内にアイデアを使い捲ってしまうと、アイデアが枯渇しても、テクニックがないから何のフォローも出来ない、ということで、作品はドンドン貧弱になってしまうという恐るべき構造を分かりやすく言ってくれている。

音楽にも似たような構造があるかもしれないなあって、何となく思いますよね。あとスティーブン・キングの近年の書き方について「もうテクニックだけで書いてる」というニュアンスの言葉を誰かが言っていたのを思い出しましたが、誰でしたっけね、山田悠介さんだったかなあ・・・。でもたとえばネタが同じでも、テクニックでその見せ方、切り口を変えて提示できるってのはやっぱり才能だと思うし、僕の好きな花村萬月さんとかもその傾向がある(あった)し、重松清さんなんかも作品は変わっても根っこの部分は変わらずにいると思うので(というほど読んでないですね。すいません)、僕はテクニックに重きを置く形に否定的な気持ちはありません(あまり)。

ずいぶん話が逸れておりますが?、とりあえずやっぱりというべきかなんというか「冷たい掌」が一番好きです。途中で調子がガラリと変わるような構造はなんとなく「パープルムカデ」を彷彿。ゆるやかに放たれるサビは爆発力はないかもしれないけれど、やっぱりきれいで儚くて。サビのあとにグーンと滑るようなベースラインがすごくスキ。

「vampire's store」は、もともと僕がsyrupの曲でこういう疾走系のものをあまり好きでないというのがあるので(ライブではよいんですけどね…)、それほどガツンとはこず。「病名は無いが 患者」とか、「金箔の裸眼 見開いて 十把一絡げ Sorryで 即神成仏 磨いて 膝枕」とか、意味わかんねーけど、面白い歌詞で(「バリで死す」の言葉遊びを思い出す。あと「回送」の不思議なイメージにも近い)、曲調やメロディが違ったら、すごくスキになってたかもしれません。

「songline(Interlude)」は、「オー、オー、アッアッエッ」と無気力な顔でマイクに歌いかける五十嵐氏を想像して微笑む(この聴き方はどうなんだ)。

「Thank you」はちょっと「旅立ちの歌」系ですね。ヒラヒラと飛翔系。解散前後で獲得されたと思われるキラキラ感。歌詞は肯定的とも否定(自虐)的とも取れるけれど、そんな意味合いすらもたせずに、単なるオレの心情実況報告みたいな。どうとでもとってくれっていう。曲調も歌詞もストレートで聴いてて気恥ずかしい気がしなくもない。解散時に散ったと思われた青春が、まだ終わってない様子が感じ取れます(結局)。

「To be honor」はアルバムの最後だったらなあ!ってすごく思う。似合ったんじゃないかなあ、このリバーヴ感というか包容力というか、壮大な感じ。EPのここにあると唐突感が。あとやっぱりフォークの人なのかなあってのを感じます。ダイナミックなバンドサウンドに囲まれてはいますが、ギターポロポロ弾いて、歌だけでもイケる曲だと思いますコレは。「数秒間の静寂が 永遠より長すぎるから とりあえず喋ろう」って、俺は休まず歌い続けるよっていう決意表明にもとれなくもないですが、穿ちすぎですよね、ええ、きっとそうですよね。

ということでレジェンドになるにはまだ早い、というかなって欲しくないので、これからも安定の迷走感で、安全に徐行運転してほしいと思います。落ち着いてほしくない。優柔不断な僕らの代表でいてほしい。なんて、なんかシニカルに書いてますが、僕は五十嵐さんの歌が聴ければそれでよいのです。いつか『健康』ってアルバム出してくれるまで応援し続けますって書こうとしたけど、『HELL-SEE(ヘルシー)』が出てるので先手を取られた感じです。座布団一枚。だから今度は『Healthy』を是非(想像したら笑えてきましたが)。

今度のライブは東京二日間行く予定です。何事もなければ。すっかりライブに行かなくなったけれど、syurpだけは行く気になる。まだまだファンのようで、自分でなぜか安心した。

おわり。