書けることが! そんなに! ない! 箇条書きみたいに行きます。みたいに。ね。
当たり前だけれど、ライブハウスという環境に合わせたセットリストになっていて、当たり前だけれど、それはズバリ効を奏していた。
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なんでこうガッツリと『darc』とそれ以外を分けちゃうんだろうって思ったりもするけれど、組み込んだら何となく「違う」と思ったのかもしれませんね。
でも『darc』は全曲演奏しても40分くらいにしかならないわけで、当然それでライブは終われないし、あとどんな曲をやるのかってところが気になるところであったわけです。
全体的にギターの音がキンキンしすぎに感じられたのですが、そんなことないでしょうか。特に『darc』収録曲が目立ってそう。ちょっと違和感。でもライブで聴いてて思ったけれど、『darc』の曲って、『Hurt』のそれより全然ポップな気がする。音源は音作りのせいでちょっとポップから遠く感じられるかもしれないけれど、ライブで聴くと歌が立ってる。言葉が生きているというか。すごく聴きやすく感じました。聴きやすいとか言っといてあれだけど、「Father's Day」聴いてて、久しぶりにsyrupのライブで「生気のなさ」を感じた。エレカシをカバーした「遁生(白昼夢ver.)」を聴いたときに感じた「おい、なんか死にそうじゃないか」って感覚。あと終盤のリズム隊がやっぱり熱い。この在り方が「正常」と被るんだけど、個人的には今はその「死にそう感」も含めて「Father's Day」の方が好き。
「Murder you know」で歌詞をトばす五十嵐氏。他公演でも前科ありの模様。
『darc』ゾーンのあと珍しく中畑さんがしゃべる。全公演かは分からないけれど、確実に一部講演では喋っている様子(こういうの見ても今ホントにバンドのあり方が健康的なんだなって思う。嬉しいし、微笑ましい)。この日の中畑さんは一通りの礼を述べた後で―「生まれて初めて見る、って人います?」と問いかけ、チラホラと上がった手を見て「あ、そんなには、いないですか。どうですか、とまどってないですか? とまどいますよねえ? この感じ」と、フロアに手を差し伸べる。その時点ではほとんどの曲で棒立ちだった観客を差しているのでしょう。「そのほかの方々は、もう、ずっとこの感じで、きたわけですから。ねえ」と笑う。そのあと間を開けて「この旅の終わりに―」って言い出すから、ちょっとドキリとしてしまったけれど、それはツアーの終わりの意味で(ホントにドキッとしたよ! End rollツアーを思い出してしまう)、クリスマス間際のお台場近くという場所で、そこに最も似合わないこのsyrupというバンドが、それでも一生懸命演奏するんで、みなさんも一生懸命楽しんで帰ってくださいと、結ぶ(五十嵐さんは両のこぶしを頭の横に挙げて揺さぶりながら、「頑張る」ポーズ)。「よしっ、言えた!」とまるで子供のような満面の笑顔でガッツポーズする中畑氏。座って「それじゃ次の曲やりまーす」といって、スティックを構えてから「あー」と妙な声を出すものだから、会場笑う。
今回のツアーではどこでもやっているようだけれど、「タクシードライバー・ブラインドネス」が演奏されるとは思わんかったな! 事前情報はいっさい触れてなかったので、嬉しい驚きがあった。そんでもってスゲーよいのですよ。演奏も唄も。まあライブ映えするっていう曲じゃあないけれど、でもやっぱいい曲。ここで初めて聞いたって人はきっとCD買いに走るんじゃないかな。あーそうだ!嬉しい驚きとか言ってたら思い出したけれど、一部公演で「赤いカラス」やってるじゃんか! うらやましい! 「透明な日」もあるし! そのうち「光」とかやりだすんじゃないかって淡い期待もっちゃいますよ。なんか「Heaven」とかやってるところもあるけれど、なんで「Heaven」をチョイスしたんでしょう。そんなに目立った曲ではないと思うんですが…いやだから選んだのか。「うお座」も聴きたかった…。
僕は割と後ろのブロックで静観してたんですが、前方ブロックにいつ火が着くかと気にしていました。昔渋谷のAXで演ってた頃とか、僕が前で見てたこともあるかもしれないけれど、床が揺れるくらいにめっちゃ盛り上がってましたよね?(誰に問いかけているんだ)。だから「syrup=お客さん棒立ち」なんて図式、誰が作ったんだこの野郎なんて思って、前回のホールツアーの感想にも、次はぜひライブハウスでって書いたんだけど、ねえ、ライブハウス(っても大きい方だけど)でやった結果どうですか。すごく盛り上がったでしょう。ホールの時にはなかったでしょう、この一体感。そのフィードバックが確実に五十嵐さんにあったんだと思うんですが、「落堕」の冒頭のノリノリ感(水鉄砲乱射アンド回転パフォーマンス含む)、踊るみたいなギターの弾き方とか、床にぶっ倒れてハウリング&痙攣ギターからの「真空」とか、終盤になるにつれてパフォーマンスもどんどんアグレッシブに変化していって、その熱に飲み込まれるフロアの領域も確実に増えていって、振り上げられる拳の数も増えていって、ステージからのライトに照らされる、その何かを求めるように伸びる数多の拳たちは、後ろから見ていて壮観だった―ホールの「観る」感覚から、ライブハウスの「体感する」感覚へ、観心地は見事に変化していた。
順番前後しちゃうけれど、「神のカルマ」のときかな(今セットリスト見ると、10~16曲目の畳みかけ、すごいね)、ステージ後方の幕がドロップ(真っ黒なやつ)されて、この演出は新鮮だった。フロアの盛り上がりに確実に一役買った。あと今までコーラスってほとんど中畑さんがやってた(一部キタダさん)けれど、今回は別に流してる部分もあったように聴こえたんですが、違うかな。
ああ、あと一番残念なのは、「coup d'État」に入る前の、ドローンとした演奏に乗せて五十嵐さんが語るやつね、よく意味があるような、ないようなことを言ったりするので、その類かと思ってたんですが、どうも違うようで、所信表明というか現状報告というか、そんなニュアンスが込められているように感じられ、耳を研ぎ澄ましたのですが、しかし! まったく! 何を言われているか分かりませんでした…(帰り際に誰かが口にした同じ意見が耳をかすめましたよ…)。「○○させてください。よろしくお願いします」とか言ってた気がしますが、ライブを構成する上でそんなに重要な要素ではないんでしょうか。大事だったらきっと普通にマイクで言うと思うんだよね…。でもファンとしては聴き取りたいわけで。どっかの誰かが文字起こししてくれるのを待ちましょう(それが合っているという保証もないけれど)。
「Rookie Yankee」を最後の最後に持ってくるとは思わなかった。というかライブでやるとは思わなかった。ここに持ってくるってことはそれなりに重要なポジションだと思うんだけれど、何となく視点が「内」から「外」に向かっている気がして、syrupっぽくないなと思っていたので、これで幕切れにしたのは意外だった。だからって「旅立ちの歌」も嫌だけど(笑)。
僕の中ではなんとなくだった『darc』と『coup d'État』の関連性が示されたような気もするし(やっぱり重なるんです、その二作が。上手く言葉でいえないけれど。実際『coup d'État』の曲多かったでしょう。でもそれは勢いのある楽曲をチョイスしたせいかもしれないけれど)、今もってあれだけの熱量を生み出せるバンドが今を生きてないわけないし、ポテンシャルどころかその先の可能性まで示された、非常に素晴らしいライブでした。ちょっと粗い部分もあったかもしれないけれど、それもライブ感を生んでたと思います! 何が「湧き上がる衝動がない」だよ! 何が「言いたいこともない」だよ! 大丈夫だよ! バンドはこんなに生きてるじゃないか! 今回のライブハウスツアーで何か手に入れてくれると、嬉しいなあ。
あとストロボ系のライティングは目が痛い。とか言っておく。
あぁ、2日目も参加するけれど、ニコニコ生放送だし、あまり書くこともないかも~。
↓おーいこれマジかよ!↓
シロップライブに行ってきたんですけど真空のイントロで五十嵐が座ったとき、客の男の人が五十嵐からピックもらって五十嵐のギター弾いててめちゃくちゃうらやましかった
— 塩分 (@iery_) 2016年12月14日
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syrupが解散したのは2008年、このライブが2016年じゃないですか。
その間に僕はチョコチョコほかのバンドのライブにも行ってたんですよ。
今回、久しぶりにチケットホルダー使うかな、なんて思って、収納というか押入れというか、そこからホルダーを出して、ペロッと開けたらビックリした。
2008年3月1日の日本武道館のチケット、その半券が、そのまま入っていたから!
何年越しのご対面だよ。そして何の因果だよ。
ドラマチックな演出だよ、まったく。
そういう意味でも、僕の中では、あの日とこの日がつながったというか、塗り替えられた気がして、syrup16gはかくして完全に復活した。