syrup16gを聴いています。


ライブが近くなってきたせいか、syrup16gを聴く頻度が上がっています。

『Kranke』については何かしょっぱい感想を書いてしまいましたが、なぜだかその『Kranke』を聴く回数が圧倒的に多いのが不思議です。でも思い当る節はあって、僕は「ながら聴き」と「本聴き」で使うヘッドフォンを分けているんですが(スピーカーではまず聴かない、というか、聴けないのです。隣近所の存在がありますから)、「本聴き」で聴いたら、明らかに違う聴こえ方をしてきまして、「あれ、すげーよくね、コレ」という気持ちが芽生えてきたもので、それを確認するように、日々何回も聴いているという次第です。

何回か書いているように僕は『クーデター』が一番好きで、理由はいろいろあるんですが(詳しくは過去記事参照)、改めて考えると、音作りも一因としてはあると思うんですね。ベースの目立ちっぷりとか、ドラムのクラッシュとかハイハットとかの立ち具合、刺さり具合とか、ギターのディレイとディストーションの同居(睡眠薬とビンタという比喩を使おう)とか、シューゲイジングというか白濁感というか、白昼夢的な危うさと美しさがあって、すごくスキなんです。

それに比べると、以降は音が細いというか、キレイすぎるんじゃないの、なんて思っていました。昔エモが盛り上がってきたときに、J.ロビンスがプロデュースする作品について「音をキレイにしすぎる」という意見を言った人がいましたが、そういう言葉を使いたくなる感じだったんです。

高山徹さんがマスタリングしたとか言っても、僕はほとんど気にしてなかったんですけどね。おそらく今回初めて、syrupの作品でミックスやマスタリングについて意識しました。『ヘルシー』のリマスタリングも確かに「いいなあ」って思っていたんですが、そこまで気にすることなかった。

この音の粒が立ってる感じっていいますか。全体ですごく包容力があるんだけど、その空間の中で、ひとつひとつの音の輪郭がすごくクッキリしている。だから混沌とした調子はないんだけど、聴いていてすごく気持ちよいというか、カッコいいというか、心地よいんです。「vampire's store」の後半とかすごくカッコよくて、作品の中でがぜん上位に浮かび上がってきました。ボーカルと拮抗するようにギターフレーズもしっかり突き刺さってくるし、ベースもブリブリ唄ってるし、ドラムも重量感あるし。ライブでどうなのかっていうのはもちろんまた別ですが。

そもそもたとえば『クーデター』の頃とは曲の作り方というかギターの使い方とか違う気がするから(よく分かりませんけどね)、一概に比較はできないけれど、混沌としていながら浮遊感を保っていた『クーデター』とは確かに違っていて、けれどまた新しい音を獲得しているのです! そしてそれはおそらく今のsyrup、表面的な陰鬱さが薄らいだsyrupに、似合っている。

まさかこういった方向から今のsyrupを再評価する気持ちが自分の中に出てくるとは、露とも思っていませんでした。ライブも楽しみです。

あと「Thank you」のコーラスってずっと「あきらめの~」だと思ってたんですが「あきらめろ~」なんですかね。「あきらめの悪い」に被せてるから「あきらめの~」だと思ってました。

おしまい。



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