ネット上にものを書き始めてから10年以上が経っていることに気づきました。その頃の文章に触れて凹むという、これまで何回繰り返したか分からないサイクルを、また繰り返しました。文章を書く喜びに満ちている、ように思える瞬間が多々あって、今の僕には、あの「走った」調子はないのです。思考の幅も広かったし、言葉のボキャブラリーも多かったし、角度・視点も多彩だった、ような気がする。そしてあろうことか、これが一番凹んだ部分なのですが、考えていることが、変わっていない。しかも「変わっていない」ということを過去にも書いているということです。どういうことだってばよ。つまりは何にも変わっていないということです。
付き合う人間は多くなったが、行動の範囲は狭くなったような気がします。曲がりなりにも社会の一員になったからでしょうか。思うに僕はエネルギーのキャパシティが少なくて、生業(なりわい)にエネルギーを使い始めるや否や、その他の部分にエネルギーを使えなくなったということではあるまいか。だから僕は何においても大成しないのだ。それはそれで構わないのだけれど、よくある話というヤツで、自分が「いつか思っていたツマラナイ大人」になってきているのではないかというところがたまらないのです。いやそれすらも「仕方ないよね」で受け入れようとしている自分がいて、それに抗えるかどうかということを確認する意味もあって、こんな恥ずかしい文章を書いているのかもしれません。そもそもこのブログにはそういうこと、こういうことは、書かない腹づもりだったのです。ああ悔しい。
でもだからといって過去に書いていた日記が「面白かった」ということではありませんよ。このブログが日記全開になるということもないでしょう。ただ僕は、自分がショックを受けたということを何がしかの形で、ここに記しておきたかったのです。刻まれた歴史が正しいかどうかも分からない古代の石碑のように。
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syrup16gのライブ(東京公演)が間近ですが、何をしてよいか分かりません。珍しくソワソワしています。ライブを100%受け入れるために、何かできることがあるような気がするのですが、何をすればよいのか分からず、ヤキモキしています。インタビューを読むとか、作品を聴くとか、ライブDVDを観るとか、そういうんじゃないような気がしていて、落ち着きません。
でも今はなぜか椎名林檎の『無罪モラトリアム』を本当に何年振りかで聴いているという分けのわからない展開。話トビますが、やっぱり名盤ですよこれは。ファンの人は「今更何言ってんだよ」ってお思いでしょうが、「歌舞伎町の女王」とか「丸の内サディスティック」とかヤベえ。いや全曲ヤバいけども。「そういえばずいぶん聴いてないなあ」って思ったそこのあなた、聴いてみてください。ヤベえって思いますから。
「嗚呼 しくじった しくじった まただわ」(積み木遊び)って、「この間 俺はまた でかい過ち犯したんだ」(不眠症)に通じやしないだろうかとか、よく分からない思考展開になってきたので、ここまでにしておきましょうか。
何かこの物思いに意味はあったのかと考えてしまいますね。たぶん意味ない。
椎名林檎 - 歌舞伎町の女王