この夏、職場の人たちと海へ出かけた。
何日かあとで、そのときの写真をもらった。
しまおうと思って、アルバムを整理した。
僕は自分の写っている写真が好きではない。
自分の写真写りが嫌いだから。
それに、そこには失くしたものばかりが写っているから。
だから、持っている写真はすごく少ない。
失くしたもの。
もらった写真をしまおうとして、まだ、もっていた写真があったことに気づいた。
失くしたもの。
それでも世界が続くなら 『シーソーと消えない歌』 PV
痛みや悲しみは人並みに感じてきたつもりだ。でも、不幸だと思ったことはない。
人生にはどうしようもないことがある。夢の終わりや、人間関係の終わり。
どうしようもないから、自分の中でつじつまを合わせて、生きていく。
生きにくいと思った。
でも現実はグロテスクなんだって、矛盾に満ちているんだって、
そのことを実感してから、それを受け入れてから、視界は明るくなった。
昔の友人に会うと、変わったねと言われる。
家族に言われることもある。昔の僕はどんなだったんだろうか。
失くしたものを悔やんでも仕方がない―
そう自分を納得させるには、ものすごく、エネルギーがいる。
でも、ウソも突き通せば、真実になるんだって、そう言い聞かせる。
かつてあったものが、今目の前にないことを悲しむより、
これから出会う何かに、思いを馳せる。
あのときから、僕はずっとそう思ってる。
今日も彼女は、僕の知らないところで、
泣いたり笑ったり、しているんだろう。
+ + + + + +
「それでも世界が続くなら」の歌はとてもグロテスクだ。心の深いところに、手を触れてくる。この曲はPVと一緒に聴くと、何倍も重みが増す(イメージが固定されてしまうという弊害はあるけれど)。何の気なしにPVを観ていた僕は、どうやらそっと心に触れられたようで、思わず泣いてしまった。
この9月に、彼らはメジャーデビューするようです。それについてフロントマンの篠塚くんが書いているメッセージがとてもいい。一部だけ抜粋させてください―
“感謝し始めたら書ききれない。
でも、遅かれ早かれ、バンドなんて解散するからさ、そしたらジュースでもおごるよ。バイトするからおごらせてよ。
勝手に歌って、勝手に消えます。暇なときでいいから見ててくれたらうれしい。
効率なんて関係あるか、変わらず感謝したい全部に感謝して、許さないものは許さない。
言いたいこといって、好きな友達とバンド続けて、精一杯音楽やって、灰になります。
これで最後。
「音楽の為に生きてる」なんて言う人がいるけど、逆だろ。
お前が生きてるから、こっちは音楽つくってんだよバカ。
音楽の主役は、音楽作ってるやつじゃない。聴いてるやつだろ。お前だよ。
お前ら、どっかのダサいバンドがメジャーデビューなんてどうでもいいから、
なりたい自分になって燃え尽きろ、想像しろ、言え、諦めるのを諦めろ。
自分とかそんなんねーよ探すな。自分は音楽と同じで創るもんだろ、最後笑顔でちゃんと灰になれ。
あーもうなんかわけわかんなくてごめん。読んでくれてありがとう、長くてごめん。
それじゃ、またどこかのライブで。”
終わりを見据えたその眼差しは、とても強くて、やさしい。
彼らの音楽をとても遠く感じる人もいるだろう。でもその逆もいる。
いつかきっと終わる。それは分かりきってる。
でも終わるなら、終わるから、自分であることに全力を尽くすのもよいんじゃないか。
世界のことなんてとても考えられなくて。
自分と自分の周りの、小さな世界の中でしか生きられない。
その関係性の中での、悲しみや苦しみを、彼らは唄う。
変な話だけど、そのパーソナルな世界観に、とても安心する。
悲しくても苦しくても。失くなっていくものばかりでも。
それでも世界が続くなら。
その中で生きていく。僕はきっとそうだ。
久しぶりに、終わりを見届けたいバンドに出会った気がします。