ART-SCHOOLを聴いています

ART-SCHOOLの新しいアルバム『YOU』を聴いています。なんだかんだいって(なんだかんだというのは、リスナーの間でどうこう言われても、ということです)ほとんどの作品を手に入れてきています。僕なんかが言うまでもなく、彼らはずうっとずうっと同じことを唄ってきています。音作りはそのときどきで少しずつ変わるけれど、世界観は本当にゆるぎがない。いつかどっかで書いたかもしれないけど、ずうっと同じことを唄っているから、僕は彼らに疑いをもったこともあったんです。ある種のポーズっていうか、そんなニュアンスのものが、そこにあるんじゃないかって。でも彼らは度重なるメンバーチェンジを経ても、変わらずに突っ走り続けていて、当初からの世界観を保ち続けている。憑りつかれているといってもいいほどに。小説家や映画監督でも、切り口が変化しても、扱っているテーマ自体はずっと同じだという人が、ままいる。ART-SCHOOLの核である木下くんもそのタイプなんだろうと思います。

きのこ帝国の佐藤さんが『YOU』によせたメッセージが、僕の感想・感覚に近いように思いました。『まず、「YOU」という作品をいち早く聴けたこと、とても嬉しく誇らしく思います。本当に素晴らしく瑞々しいART-SCHOOLが詰まっていました。悲しさもあるけど、でも優しくて、美しい音世界のなかに、まるで10代の頃のような衝動を感じました。純粋に胸を打たれました。なぜこのような感覚の音が、未だ出てくるのかとても不思議だし、類をみないと改めて思いました。こんなART-SCHOOL、待ってた、って自分は思いました。反面、過去の文脈を必要としない作品だとも思ってます。単体で光る。ホントみんな聴いた方がいいと思います』。この『なぜこのような感覚の音が、未だ出てくるのかとても不思議だし、類をみないと改めて思いました』の部分です。やっぱりそう思いますよね。長いこと聴いていますが、本当に不思議で仕方ありません。

ライナーノーツにあった木下くんの言葉にも胸を打たれました。小野島大さんが「いい曲」の定義を問うたときに、こう応えています。『立体的であり、情景が浮かぶ音楽ですね。それから、何分かでもいいから、リスナーがラクになれたらいい。聴くことで目の前の景色が変わったりね。僕自身もソニック・ユースを聴いてしんどい気分が良くなったりするから。音楽のできることってそれくらいしかないんじゃないかな。衣食住とか、食欲性欲睡眠欲に一切関係ないものだから。でもそれで救われることもある。ラジオとかでちょっと流れて、いい曲だなあって、ちょっと気持ちよくなって風景が変わってくれれば。僕らはそのためだけにやってるようなものだから』。これもいつかどっかで書いたんだけど、僕は彼らの曲から喚起されるイメージが好きなのだということ。この聴き方を肯定してくれているような、木下くんの言葉に、勝手にうれしくなってしまいました。

そのイメージの喚起力ということでいくと、僕は『MISS WORLD』や『REQUIEM FOR INNOCENCE』、『SWAN SONG(DISC1)』、『PARADISE LOST』あたりが大好きなんです(曲単位ではもっと細かく好みがあります)。そんな中でも、今作にあるわりとメロウなトラックたちは、すごく、よいですね。「YOU」やラストの「Hate Songs」は特に好いています。木下くんの声は、明らかに初期よりやさしくなっているし、ヒリヒリとしたシャウトも、もうないに等しい(でも「YOU」の中でシャウトがあって、ちょっと懐かしい)ので、そういった美しいメロディの曲が、特に映えて聴こえるんじゃないかと思います。

アジカンのゴッチや、ラッパーの環ROYなど、外部ミュージシャンとのコラボレーションも面白いです(ゴッチは全編プロデュースじゃなかったんですねえ)。前アルバム『BABY ACID BABY』にいまいち納得できていなかった僕は、溜飲が下がりました(偉そうだなあ。スイマセン)。ART-SCHOOL、まだまだ走ってくれそうで、安心しました。

余談だけどリードトラックの「革命家は夢を観る」におけるラッパーの招聘には、どうしてもBase Ball Bearの「The Cut -feat. RHYMESTER-」なんかが重なります(ラッパーの呂布とチャットモンチーの福岡晃子を招いた「クチビル・ディテクティヴ」も思い出さないでもないけど、あれはちょっと方向が違います)。Base Ball Bearの方はもともとヒップホップに意識的だったから、ラップも見事にはまっているし、なおかつ開けていて、やっぱり彼らのセンスは「ポップ」だなあと改めて思いました。そんな余談。別にアートがどうこうということではないです。

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