ここ数日、スタジオ・おま~じゅさん制作によるフリーゲーム『キリンの国』をプレイしていました。
ダウンロードしてからちょっと時間あいてしまったんですが、一息ついたタイミングで何の気なしにプレイしてみたら、一気に引き込まれて、そこからズッポリと、最後まで。
すごく、すごく面白かったです。
なので興奮して何やらしたためている次第。
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この先はストーリーに触れているので、先にプレイしてドキドキしたい方は読まないでくださいね。
さて、キリンの国っていっても、何?動物の国?って感じかもしれませんから、ちょっと紹介文を公式サイトから引用させていただきます―
“梅雨の頃、鞍馬特区からの手紙が届く。
それは鞍馬のお姫さまからの招待状。
梅雨明けと共におとずれた夏休み。
キリンと圭介は、天狗の国、鞍馬への冒険に旅立つ。
少年たちの友情と、人生の節目を描いた、長編ビルドゥングスロマン。”
ってこれだけでも分からないかもしれません。
舞台は一応日本国ですが、独自の設定が設けられています。
それは天狗という存在で。
天狗には天狗たちの決まりごとがありますし、人間には当然人間たちの決まりごとがあります。
そして天狗と人間たちの関わり合いもあります。
また天狗たちの間でも勢力争い、権力争いもあります。
天狗は人間たちと共に暮らしてはおらず、商業的な部分で関わりはあるようですが、基本的には天狗たちで独自に生活を営んでいます。
そして詳しくは描かれていないものの、人間と天狗は決して仲の良い関係ではなくて。
そんな世界でのお話。
わけあって天狗の国から追放されていたキリン(という名前の少年です)は、人間の国で暮らしている中学生(この作品に出てくる天狗は、いわゆる真っ赤な顔に長い鼻をもった典型的な容姿ではなくて、人間と何ら変わらない見た目なのです)。彼は幼き日に、天狗の国、鞍馬のお姫さまであるヒマワリと約束を交わしているのですが、彼女からある日手紙が届くのです。
会いたいと。
人間の世界でのたった一人の友人である圭介(けいすけ)を強引に誘って、キリンは鞍馬の国へ旅立つ決意をします―
というのが導入部なんですが、てっきりガチガチのファンタジーだと思っていた僕は、この時点でかなり引き込まれていました。冒頭部分が完全に違う世界のお話(鞍馬の国の天狗たちが政治的な話をしている)だったので、小難しい路線かと思っていたのですが、本編がはじまるや、主人公はどうやら中学生二人組だと分かり、なんだか一気に親近感湧いちゃいました(だって昔は自分も中学生だったし)。
この本編以降で如実に感じることなんですが、文章がよいです。ダウンロードサイトで同じようなことを書いている方もいましたが、僕も同じ感想です。技巧派とか凝ってるとか、そういうんじゃなくて、逆です。非常に読みやすい。要は文章もリズムだと思うので、KAZUKIさんの文章のリズムが僕に合っているということかもしれないです。もちろんインターフェースも関係あるでしょう。エンターキーやマウスクリックで文章を読み進めるわけですが(言い忘れた!今作はノベルゲームです)、このバランスもすごくよいです。クリックが負担になるほど文章が細切れにされていることもなく、逆に一気に表示され過ぎて読んでいる間にリズムもへったくれもなくなって興ざめ、みたいなこともないんです(いわゆるノベルゲームでは、これすごく重要だと思います)。
そう、文章は読みやすいんですが、ときおりハッとさせられる表現が出てきて、しかもそれが浮いてなくて、作品の世界にマッチしてて、読んでて何度もうなりました(わざわざ引用はしません)。すごくスキな文章です。
世界観もキッチリ作りこまれていて、天狗の国の文化や政治、経済、歴史的背景も細かく設定が設けられていて、物語に厚みを与えています。特に食べ物についての描写は多く出てきますが、どれもすんげえ美味そうで、あれらは実際にあるものなんですかね? どうなんだろ。腹減りながらプレイしていると、よだれが出てきそうです。
そういう、強固な世界観と、文章のよさと、あとはイラストもよいんですよ。立ち絵枚数1000枚以上、立ち絵用意キャラクター数25人という、豪華なつくり。いわゆる萌えな路線は回避されていて、シンプルなんだけどきちんとキャラクターが描き分けられていて、しかも服装のバリエーションや、表情や立ち居振る舞いの動きも豊かで、これも物語にアクセント、躍動感を与えています。
強固な世界観、文章のよさ、イラストのよさ、と三拍子来たところで、一番大事なのはストーリーですね。言うまでもなくこれもよい! 会いたいという一心でヒマワリの元へ向かう二人ですが、とある事情で簡単には会えないわけです。純粋な気持ちで突っ走るキリンが「子供」であるとすれば、それを拒む事情というやつは、いわば「大人」でしょうか。そんな大人と子供という対比的な構造が、この物語の大筋にはある気がします。その狭間にいるのが、キリンと行動を共にする圭介で。彼はキリンのストッパーとして機能(つまり子供をたしなめる大人のような)しますが、ところどころで、自分の中の純粋な衝動にも気づいて、それと格闘します。そしてそれぞれが自分を知り、成長していく。
でも単純に純粋な気持ちが認められるべきで、それを拒むやつらがおかしいとか悪いとかいう展開にはなっていないところがまた、よいです。特に天狗側の雲龍のポジションとか絶妙ですね。キリンたちを助けるわけでもないんだけど、でも身内でも曲がったことをする奴は容赦なく罰するっていう。めちゃカッコいい。
やっぱりですね、葛藤のある物語ってよいですよね。なぜなら人生って葛藤の連続で、登場人物の葛藤には少なからず感情移入できるわけで、その葛藤の解決に向けて登場人物たちが強い気持ちを持ったときには、本当に興奮しますし、涙だって流れます。そういう強い思いっていうんですか、それが充満していていたるところで胸を打たれます。クライマックスはやはり圭介がキリンを助けに向かうシーンでしょう。なんだよこのハートの強さ(しかも文章はくどくない。絶妙)。もう、ボロボロしっぱなしですよ・・・。
これは演出のうまさにも通じるかもしれないんですが、文章と音楽とイラストの使い方がとにかく巧みで、ここぞというところで必ずキメてくれます。僕は何度もポロポロしたり、鳥肌立ったりしてました。個人的にマックスだった2か所を上げさせてもらうと、序盤でキリンが教室の窓から雲を眺め、そこに広がる「夏」に気持ちを抑えきれず、窓から抜け出していくシーン。すげえいい。忘れていたことを思い出させるような。あとは、中盤、ヒマワリの近くまで行くも会うことはかなわず、遠くから顔を一目見るだけという、切ないシーン。5年ぶりにヒマワリの顔を見たときのキリンのあの顔、いやそこにある感覚が、画面中からバチーンと伝わってきて、鼻の奥がジンジンしました。他にもたくさんあるんですが、あんまり書くとインパクト損なってもいけないんでこの辺で。あと初めはわりとライトなノリですが、終盤からは一気に「死」の影がちらつくシリアスな展開になってきます。気づいたら「え、まさか?」ってドキドキしてました。
とにかくこのあらゆる要素がフィックスされた『キリンの国』。傑作だと思います。気になる方は是非プレイしちゃってください!! 全編からにじみ出る夏休み感もノスタルジアを呼びます。解放感にあふれた夏の終わりはさびしくて―旅の終わりは別れの予感で、そんな別れがいくつも用意されていて、これもとても、なんというか、胸に迫るんです。まさにセンチメンタル・ジャーニー。
ちなみにスタジオ・おま~じゅさんは同じ世界を舞台にした『みすずの国』も制作しています(こちらもフリーです)。時系列的にはたぶん『キリンの国』よりもあとになるのかな? こちらはボリューム的には『キリンの国』よりも少なくなりますが、よい作品です(ヒマワリも出てきますし、『キリンの国』で聞いた名前もチラホラと)。合わせてプレイするとよりいっそう楽しいと思います。含みのある表現があったり、詳細が意図的に回避されているような部分もあるので、他にも同じ世界の作品が予定されているのでしょうか? 期待しちゃいます。
あ、一番好きなキャラクターはホオズキです。ほっち。ホチ助。和みます。でもあの子に泣かされるとはな・・・。
※作者さんのブログを読むと、シナリオを書く上でのプライオリティの一位に「リズム」とあって、ああやっぱりだからこそこの気持ちよさなんだなと、納得しました。自分の感じ方が間違ってなかったこともうれしい。
『キリンの国』をプレイしていました。
syrup16gの再発ライヴを観てきました。
国際フォーラム。2階席。
もはやセットリストとかそういう書き方しないからオレ。できないという方が正しい。
。
とりあえずまだツアー終わってないから、曲タイトルや演出関係は極力省くor全部伏字にします(想像が膨らみません?)
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演奏に関してはキレッキレのライヴですごいよかったです。声もすんごい出てたけど、ところどころちょっと気になっちゃう部分があったのも確か。
頭の何曲かちょっと硬い感じがあって、ドキドキしちゃったけど、中盤の「生活」あたりから抜けた感が出てきて、一気に突き抜けました。2曲目でいきなり「**」とかやるから、何かホントに理由が分からないんだけど、涙がこみあげてきてしまった。懐かしいのか嬉しいのか、自分でもよく分からないんですが、万感の思いというのはああいうのをいうんでしょうか。
序盤でさらっと「ただいま」とか言っちゃうから、ええそんな簡単に!? もっと大事に使ってくれよその言葉!とか思ったんだけど、みなさんはどうなんですかね。意外に調子が軽くてびっくりした。
「君待ち」もやったりして、スクリーン使ったりして、ああいう演出はすごく久しぶりだと思うんですが、やっぱりsyrupには似合うと思う。もっと使えばいいのにな。2回くらいしか使ってなくないかな。
ただ曲演奏してるだけじゃなくて、バンドとしてすごくまとまってて、そこがとてもよかったです。やっぱりライヴだもんね。「ニセモノ」とか、まさかあのアルバムからの曲をやるとは思ってなかったので意表を突かれたんだけど、めっちゃめちゃカッコよかった。特にイントロ。あの重量感と鋭さの同居。重い剣でジュバッと空間を切るような抜群の切れ味。思わず口をついて出てしまった「かっけえ・・・」のつぶやきに自分で笑いました。
アコギパート(といっても弾き語りではない)の「ハピネス」。syrupの真骨頂でしょう。これだよこれ、どうよこの一発で空間を塗り替える力、とか思いながら、目を閉じて聴き入る自分。自分がどこにいるのか分からなくなるこの感覚、久しぶりだった。高音もきっちり出てたし、ドラムやベースもぜんぜん邪魔になってなくて、パーフェクトな一瞬でした。続く「理想的なスピードで」もよかった。やっぱり最新アルバムの曲ってPOPなんだって、この辺で改めて気づいた。だってオレ全部口ずさめたからね。やらなかったのは「(You will) never dance tonight」と「メビウスゲート」だけだと思うけど、あとは実際一緒に唄うことができるくらいに、ホント頭の中にメロディが残ってることに気づいた。いやあのアルバムは傑作ですよ(今更かよ)。
終盤で畳み掛けるように演奏された「宇宙遊泳」、「落堕」、「リアル」の連打が特にバンドの復活を感じさせました。中畑さんのドラムがキレるキレる(吠えまくってたし、ドラムセットにも何回も上ってた。アンコールの「**」のとき背中からライト浴びて数秒間、あのシルエット、めちゃんこカッコよかった)。この辺りの導入部の、あのドロドロした感じっていうのかな、混沌とした感じも久しぶりに味わった。ギターとドラムとベースが渦を巻いて絡まり合っていくスリル。冴えわたる混沌、という矛盾したような表現さえ頭をかすめる、鋭い闇。ホントにバンドのイメージ通りの音像がそこに広がっていて、もう復活の狼煙とか、そういうレベルをはるかに超えた水準のライヴになっていて、頼もしすぎました。
MCは相変わらずほとんどなかったけど、でも喋ってくれた方だと思うけど、1つだけ書かせてください。1回目のアンコールかな、「イカれた HOLIDAYS」、「希望」と続いて、次の曲に入る前に、「えーあんまり好きじゃない曲、やります」って箇所が一番笑った。言いながら「え、言っちゃダメ?」みたいな感じで後ろを見る五十嵐さん。そして視線を受けた中畑さん、笑ってた。そんなこと言ってから唄われても・・・ねえ(笑)。まあ「旅立ちの歌」かなあって思ったけど、やっぱりそうで。ジャカジャカギター弾きながら、軽快に歌ってましたなあ。確かに異色だわ。でもあのテイストも違和感なく(とは言わないけど)鳴らせるというか、ライヴの中に組み込めるということは、ライヴという筋が1本通っているから、ってのはもちろん事実だけど、バンドが解散までのキャリアと今現在をきちんと繋げられているからだと思うんです。だからこれまでのアルバムからもほぼ万遍なく、曲をやってくれたんでしょうし。繋げた上で、次のステージに向かおうとしてる、いや向かってるという感覚を、ヒシヒシと感じました。
曲の作り方とか歌詞の書き方とか、もしかしたら変わってきてるのかもしれないけど(その辺は僕はよく分からない)、でも新作は間違いなくPOPだし、すぐれた作品だと思うし、そう考えると、これから先に何が出てくるんだろうって、すごく楽しみになってきたんです。ライヴ中にふと思ったのは、「もう涙は求めてないのかもしれない」ってこと。ホントにふとそのイメージが頭に降ってきたんだけど、知らず知らず、僕はsyrupに涙を求めていたところがあって、それは言い換えれば「感傷」とか「心の傷」とかそれに結びつくもろもろの事象、エピソードとかになるんだろうけれど、そういった要素をsyrupに求めていたことに気づいたいんです。そういったところを唄って欲しいって。
でもライヴ中にふと思ったのが、「もしかしたらもう違うのかも」ってことなんです。この日のライヴはもちろん新しいアルバムからの曲が多くて、そこでふと思い至ったのが、対象は過去じゃなくて今なんじゃないかということなんです。何のって、歌詞の世界観というか、闘ってる相手というか、その部分の対象が。歌詞の内容は、過去からの攻撃に苦しんでるんじゃなくて、今現在目の前の世界にどう立ち向かうかという、その部分にフォーカスが移ってるんじゃないかってことなんです。話をまとめると、僕もそうだということです。過去におびえるんじゃなくて、これからの世界―今現在、あるいは未来に、どう立ち向かうかという、その恐れや苦痛、苦悩というのが大きいということです(もちろん希望も持ちたい)。そういう意味で、もう「涙は求めていないのかもしれない」と、閃いたんです。だから、図らずも僕の心情というか心の状況もまた、syrupのネクストステージと共振しているのかもしれません。
だから感じることなのかもしれませんが、お客さん(いや俺もお客さんだけど)、おとなしすぎません? まあ今回は会場が会場だけに、仕方ないかってところはありますが・・・、にしても、新作からの「宇宙遊泳」とかすごくいい感じだったのに、ほとんど動きなしですよ。これ、もう、スタンディングのフロアがあるところでやった方が絶対よいと思います。もったいないですって。コンサートみたいなかしこまった調子が強すぎて、すごくよい演奏だったのに、エネルギーが一方通行っていうか、客席からステージにエネルギーが向かってないというか(名古屋はホント盛り上がりすごかったらしいジャン・・・うらやましいナ・・・)。考えてみたら、ここ最近の(ってもだいぶ前だけど)東京公演ではライヴハウスでやったのっていつだよ・・・って2007年のリキッドルームってマジかよ? 7年以上前(っても2008年解散だから間抜かせばそんなに昔でもないのか)。もうなんか、ホント、次はライヴハウスでやってみてもよいんじゃないですか! チケットとれなくても仕方ない! 行けた人が盛り上がれれば! あ、余計な話でこの日の僕はといえば、男女に挟まれていたわけですが、男の子→ノリノリ、女の子→泣いてる、というわけでまさに冷静と情熱の間(ちょっと違うがな)でバランスを取りつつ、ノーマルにノってました。あと家に帰ったら扇風機回りっぱなしだった・・・。
というわけで(どんなわけだ?)、ライヴはすんげーよかったです。最後に「**」か「**」やって欲しかったけどやらんかったなあ。それが心残り。そこだけです(新作からの曲はさすがにちょっとこなれてなかったけど、これからの発展に期待して)。すばらしかった!! 伝説と化した黄金の左足も拝めたしね(笑)。
僕のハートは非常に満たされました。もうしばらく音楽聴かなくても大丈夫かもしれません。ってそれは違うか。でもそんな心持にすらなる満足感に、今は支配されています。
ありがとうございます。
*** *** ***
・・・。
さて。
彼らが2004年10月10日、日比谷野外大音楽堂のライヴで、第一期を終了してから、僕がずっと言えずにいた言葉があります。
この言葉を、言える日がくるなんて、想像すらしてませんでした。
「犬が吠える」が終わってから、きっとこのまま終わりだって、そう思ってた。期待すらしてなかった。
だから、正直ちょっと忘れちゃってたのかもしれない。言いそびれてたけど。
この場を借りて。届かないかもしれないけど。
おかえりなさい。
ホントのホントに帰ってきたんだなって思って、また自分の生活に彼らが存在し始めるということに、不思議な気持ちすら感じています。
では、また。必ず会いに行きます。
syrup16gをきいています。
というタイトルで長々書こうとして、訳あってやめて、はや数週間。3回くらい聴いたあとに、プリファブ・スプラウトの『クリムゾン/レッド』を聴いたりして。なんだこのジェントルでフォーキーなポップは! すげーまろやか。やっぱパディ・マクアルーンの声がよいのかもしれん。とか思ったりして。
じゃなくて? syrup16gの『Hurt』の話か! そうだった! 何を書いてもぜんぜんまとまらないから、嫌になって投げ出しかかってしまった。うむむ。
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自分にとってsyrupのイメージを決定づけたアルバムってどこなんだろうって考えたんです。そうすると、たぶん『コピー』と『クーデター』だろうなあって結論になって。一番最初に聴いたのは『インディーズマガジン』の付録CDに収録されていた「真空」だったと思うんだけど、そんときはまったく記憶に残ってなかった。
『クーデター』で人生に逆ギレ妄言ノスタルジアで空回って、『ディレイド』はその空回りの反動のごとく、真っ暗な湖底に向かって落ちる石のようにさびしくて、『ヘルシー』はその底で、地獄を直視するのがつらいから、半歩ずれてシニカルにやりすごし、『マウス・トゥ・マウス』で一歩踏み出して、人生のプラスもマイナスもひっくるめた世界観に飛び込み、でもしっくりこなくて『ディレイデッド』で過去に戻りつつ初期衝動を再確認、したけどバンドは昔に戻れず『syrup16g』でありがとう・さようなら(適当だなあ・・・)。結局アルバムごとにカラーが異なっていて、どこから聴き始めたかで、彼らに持つイメージもだいぶ異なるんじゃないかって思いました。
ということで僕はだんぜんsyrupは『コピー』と『クーデター』のイメージなんだけど、つまりそれを頭に持って『Hurt』を聴いてしまったわけなんだけど、そうするとやっぱり結構アレ?ってなっちゃうんですよね。なってしまったんですよ。その感覚を上手く言えたらなあって思うんですけど、どうも上手く表現できない。聴きやすいってことなのかなあ。抜けがよいのかなあ。昔五十嵐さんは自分の曲を抜けが悪いって言ってた気がするんだけど、たとえば「旅立ちの歌」とか、これって抜けがよくないです? 確かにアルバムの中でも異色ですけど。 「ラファータ」とかもそうだけど、こういう感じも出せるのが今のsyrupなんですよね、きっと。だから、やっぱり変わってるんだと思うし、僕はその変化は『マウス・トゥ・マウス』前後で始まっていると思うから、これは後期syrupの延長線上だと思うし、つまりこれを第二期syrupといってもいいんじゃないかと思うんです。たぶんあの先にゴタゴタがなければ、こういう感じのアルバムが普通に(かどうかは分からないけど)出てきてたんじゃないかなあって思います。
だから過去と比べてどうこうってのはあまりアレ、というか野暮なのだろうけれど、僕の中ではいまだに『クーデター』が一番なんですよね。何でなのっていう話だけど。それを書いた。下に。
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五十嵐さん、5年間ホントに何もしてなかったみたいだけど、僕もだいぶ前に1年~2年くらい(1年と2年じゃけっこう違うけど、よく覚えてないんよ)何もしていない時期がありました。ホントに何も。職探しもしてるような、してないような。自分の貯蓄で食ってたから、ニートって言えるのかどうかは分からないけど。実家を出たばかりで、新天地だったから、つるめる人も皆無に等しくて。外に出るのもそんな好きじゃないし、出てもすぐに戻ってきちゃうし(そんなに金もないからね)、まあ孤独といっても差し支えないような毎日。そんな日々の中で僕は『クーデター』ばっかり聴いてたんです。「そればっかり聴いてると、ホントにそんな考え方になっちゃうよ」って心配されたりもしました。ホントにそうだったかもしれなくて。後悔とイラつきばかりで、未来への視点など持てず、いろいろなものがダメになっていって。いやそれはもともと僕がそういう人間だったというだけの話なんだけど、図らずも『クーデター』の日々とリンクしているんです。だから?っていうのも変だけど、僕が一番好きなのは『クーデター』で、そういう意味では、この『Hurt』は、当然?『クーデター』は超えていない。ある人にとっては超えてくるんだろうけれど、僕にとっては違う。
「もう、これでいいや」とか「なんで俺の人生こんななんだよ」じゃなくて、「これじゃだめだ」って方向に、少しでも、僕の気持ちは変わってきたんでしょう。ホントのホントに、ウソみたいな話なんだけど、syrupの解散した時期と、僕の周りでいろいろ変わり始めた時期が重なっていて、ほんの少しでも「このままじゃだめだ」って方向に気持ちが動き始めたのが、ちょうど同時期なんです。その気持ちの動きには、少なからずsyrupの解散というヤツも関係している、と僕は考えていて。だから、生還ライヴでsyrup16gのメンバーがそろったときに、syrup16gの曲が再演されたときに、僕は嫌な気持ちになったんですよ。「なんでそんなことするんだよ、ふざけんなよ」って。完全にこっちのワガママだけど「せっかく俺が変われたのに、なんでそっちは戻っちゃうんだよ」って。そのときの感覚、悔しさを思い出すと、今でも泣きそうになります。でも繰り返すけど、それはこっちのワガママ(再結成がうれしくてなんか変われそう、って人もいるもんね)。
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生還ライヴを観る中で、その後の再結成に際してのインタビューを読んで、僕の心にあった余計なバイアスは取り払われたようで、今ではこの復活をフラットに受け止めています。そして、僕はもう歌詞がどうこうとか、そういう聴き方は、悲しいかな、syrupに対してはあまりできないようですね。前は内側にいた気がするんだけど、今は外から見ている気がします。だからもう自分としては、五十嵐さんの声とメロがあれば、歌詞はなくて全部ラララ~♪とかだけでも聴けちゃいそうな気がするんで、どっかで一回やってください(無理なお願い)。
アルバム全編書下ろしで、って気持ちもすごく分かるんですが、貯まってた曲たちをどこかで出してほしいなあ。「チャイム」とか「犬の星」とか、スゴイ好きでしたよ。あーほら『delayed』や『delayedead』もそうじゃないですか。過去の曲たちを、っていうコンセプトなわけだし。あのシリーズでやれば問題ないでしょう? って期待できないかな。『delayedeaded』とか何でもいいから(笑)。遅れすぎだろ!って(笑)。
でも5年のブランク(ホントにブランクだよね)で、いきなりこれを放り投げてくるのはやっぱスゴイ。復活が決まってから全曲書下ろしたってことは、実質曲を練る時間ってのはあまりなかったわけだし。確かに僕は、ピンとはきていない(スルメなのは認めます)。けど、でも、ぼんやりバッターボックスに立ってたら、いきなり剛速球がズドン!ときたみたいな驚きはあります。滑り出しは大成功。あとはこれから先。気が早い? いやいや。ねえ。期待してます。マジで。
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そう(何がそうなのか分からないけど)、だから発想の転換、じゃないけど、過去と比較するのではなくて、このアルバム単体で受け止めるように頭と心を持っていくとですね、がぜん聴こえ方が変わってくるんですよ。『クーデター』が好きなら『クーデター』聴いてろよって話だし。このアルバムの良さを受け止めるのが、僕にとってよい聴き方なんだって何回かリピートしてて気づいたんですよ。おどろおどろしい、スリリングな「Share the light」(ライヴの一発目にもってこいじゃないか)から、部屋で孤独に酒飲んでる風景が浮かぶ「イカれた HOLIDAYS」(韻を踏んだり、言葉遊びも健在)、おそらくアルバム中で一番人気の「Stop brain」、このディレイギター、ニューオーダー感(「生きているよりマシさ」もそうだけど、今作はホントにベースが唄ってる)、初めて聴いたとき鳥肌立ったな、やっぱりこの人すげえよって(犬が吠えるのライヴで「光」を聴いたときもそうだった。思わず泣いたのはよい思い出)、このワンブロックだけでもどうですか、バラエティに富んでいて、見事なまとまりになっているじゃないですか。
五十嵐さんの声も優しくなった気がするんですよ(歌詞とは裏腹に「楽しんでる」という言い方もできる)。『コピー』の頃とか厭世感がにじみ出てるっていうか、いろいろと「捨て」てる感じがあってスゴイ好きなんですが、いつからかストレートになってきました。「ゆびきりをしたのは」の声には何となくヒリヒリした感じ(泣きそうな感じ)があるんですが、この歌詞の意味は何なんでしょうね(全曲解説は敢えて読んでないんです僕)。「答えが何処に在るのか知らないけど ゆびきりをしたのは」って。何となくバンドの復活に重ねてしまうのは僕だけでしょうか。バンドがどこに向かうかは分からないけれど、ゆびきり(約束)したから、とにかく走り続けるっていう、そんな意思表示を独特の表現でやってるのかなあって思ったんですが。そう思ったらちょっと泣きそうになった。5, 6, 7曲目はちょっといなたいというか、syrup特有の懐古的ダサさがさく裂していて、この感覚自体に安心感。
1~3曲目と同様、8~10曲目も僕の中で見事なまとまりをもつブロックで、「生きているよりマシさ」はまさにバンド解散後の五十嵐さんがそのまま落とし込まれているといっても、過言ではないでしょう。自分のことを唄っていると思いきや、いきなり「君」が出てくるのでびっくりしますが、これは何をたとえているのでしょう。分からないまま、「間違いだったけど嬉しい」にちょっと泣きました。「誰かの君になってもいい うれしい」って感情高まったあとに、またいきなり「死んでいる方が マシさ」ってストンと落とすので、涙目でちょっと笑った。MVでは東京タワーをバックに収めながら五十嵐さんが唄うシーンがあるんですが、東京タワーで思い出したのが、『the last day of syrup 16g』のボーナスディスクの映像ね。解散ライヴのあとタクシーに乗った五十嵐さんと中畑さん、ほとんど会話もなく進んでいくんだけど、五十嵐さんがふいに「ああきれいだ」ってつぶやいて、中畑さんが「お、東京タワー」ってフロントガラスの向こうを見る、そんな何気ないやりとりをする箇所があって。そう考えるとねえ、あのタワーが、2人の別れと再会のモニュメントみたいに思えて、そこまで意図してあのMVが作られているのか分からないけど、ちょっと「あぁ」ってなって、感慨深く思った部分です。
「宇宙遊泳」の歌詞、「次のステージでDestination うんただの僻地が」ってシニカルすぎて笑った(あとに「輝いてくれ」って続くけどね)。最後の「旅立ちの歌」も「もうあり得ないほど嫌になったら逃げ出してしまえばいい」って、おいおいおい「旅立ちの歌」なのに逃げ出すて!・・・まあそれも旅立ちかい!って突っ込んだことはちょっと内緒。
やっぱりなんかまとまんねえから、ここで終わり。あと『音楽と人』の中畑さんインタビューは泣いた。2人のインタビューを合わせて、解散の真相、のようなものが、なんとなくでも見えた瞬間。事務所云々、って話がオフィシャルに出てきたのは初めてじゃないですかね。噂はあったけれど、いろいろ考えてしまいます。よかったのか、悪かったのか・・・。
まあまあ、終わったことさ。
ということで、次はライヴで会いましょう! 楽しみだなあ。生還ライヴの時と違って、今は変なバイアスがないので、下手をしたら号泣の予感です。
よくよく考えていたら、確かに彼らは戻ってきたけど、でも変わったんだと、そう思うようになりました。少なくとも新作ではそう感じる(一言で言おうとすると、暗いんだけど楽しそうっていう言い方になるんだけど、それだとしっくりこない気もする)。「あいつなんか変わったけど、でもやっぱあいつだわ」ってそんな友人いるでしょう、たまに。そんな感じ。
あ、チケット2階席だった! まあいいか。
Spangle call Lilli line "nano - TK kaleidoscope Remix" (Official Music Video)
疾走する喪失感。秋によく合う。何かを失いそうで、全速力で、必死に手を延ばしても、届かない。やがて対象が何だったのかさえ、忘れてしまう。悲しみ。
上向く予兆もなく日は落ちて
僕が気を許せそうになった人は、みんな僕から遠ざかっていくんだな。
同僚の一人が、会社を辞めるらしい。今日聞いた。
もともとミスマッチなんだろうなってのは感じてたけど、だからやっぱりかって思うけど、正直悲しい。もっとたくさん話したいことがあったんだ。共有できる領域がありそうだったんだ。そう感じていた矢先。
異性だけど、異性じゃなくても、つまり同性でも、仲良くなりたい感じの人だったんだけどなあ。悲しいな。なんて、本人には言わないけどな。
「言葉はすぐに色あせる」から。「それはないものねだり 求めちゃいけない」から。「分かりあうとか 信じあうとか そんなことどうだっていい だけど」
だけど。
Syrup16g/My song
こんな、どうでもいいこと書く日が、あってもいいのかなあって、今は、この瞬間だけは、そう思う。
