メモ


① 『Witcher2』は圧倒的に短い。三作目の10分の1くらいの時間で終わってしまった。しかしグラフィックの重々しさが好き。剣を振った時の重量感とかイイ。戦闘のシビアな感じも好き。戦闘の派手派手しさというか、QTE(クイックタイムイベント)が激アツで、カイラン戦は特に燃えた。がストーリーが分かりづらいのと、サブクエスト進行の難しさ(メインクエストを進めていると進行不可になってしまうものが多い)は好きではない。「3」はだいぶ(ホントにだいぶ)ユーザーフレンドリーになっていたんだなと気づかされました。

② 『屍人荘の殺人』を買う寸前までいくが思いとどまる。ミステリ熱がそれほど高くないのかもしれない。今は。たぶん文庫まで待つ。ような気がする。



メモ


① 状況を変えられない自分の不甲斐なさに腹が立っているだけなんだよって、言い訳のように聞えるだろうか。みんなで寄ってたかって一人の人間の文句を言って、そこに正義があるようにふるまう状況は、果たして正しいんだろうか。僕はそうは思わない。でも変えられない。それが、腹立たしい。



『The Witcher 3: Wild Hunt』の感想


言わずと知れた名作、かどうかは分かりませんが、『The Witcher 3: Wild Hunt』をプレイしていました。というかメインストーリーは終わりましたが、まだ拡張パックのコンテンツ「Blood and Wine(血塗られた美酒)」をプレイ中です(と、書いてる最中に終わりました)。

ポーランドのゲーム開発会社CD Projekt REDが開発したビデオゲームなわけですが、原作はアンドレイ・サプコフスキよるポーランドのファンタジー小説『魔法剣士ゲラルト』。



まあコレはPS4版ですけれども。僕はPC版で遊んでます。


勧善懲悪を避けたストーリーはメインクエストのみならず、サブクエストでも徹底されていて、要所要所で設けられている選択肢はどれもが正しく思えるし、どれもが間違っているようにも思える。その一択で世界情勢が変わる可能性すら孕んでいて、プレイヤーにとってはエンディングにまで影響を及ぼしてくるのだから、そう簡単には決められない(ちなみに僕はラドヴィッド王暗殺に関わるのは断りました)。


メインクエストの結果でWitcher3の世界は36種類の状況があり、サブクエストの選択結果も反映されるエンディングデモが3種用意されている。


なるほどエンディング自体は3種類。いまどきここまでのゲームであればYoutube見れば全エンディングは確認できてしまうわけですが、僕は見てませんよ。まだ。とりあえず自分のたどり着いたエンディングには納得したので。とうか、やはりストーリーの運びが巧みなので、「これで間違いではない」と思わせるのですね。プレイ時間はメインに50時間、それ以外に50時間、合計100時間が見込まれているそうですが、僕は倍以上費やしました。というかメイン以外はまだ終わってないわけですが。それだけ時間を費やしておいて、じゃあ他のエンディング見るためにどこからやり直せばいいのかな?って確認するのも、もうそれはできねーなって気持ちもあります(笑)。攻略情報も多数あるでしょうが、別に詰まってるわけでもないのに、それはしたくないという気持ち。また時間があれば再プレイもあるかもしれませんが、今のところその予定はない。

硬派なゲームではあると思うけれど、ときどきジョークじみた展開があって微笑ましい(比べるのは違うかもしれないが『The Elder Scrolls V: Skyrim』の方がよほど硬派だと思う)。ケィア・モルヘンで男ウィッチャー3人で、女魔術師イェネファーの衣装(というか下着も含め)を無理やり装着して、どこかの王?とテレビ電話的なアレでつながったときには笑った。しかも王はトイレ中っていう…焦る王に対し扉の外の側近が「紙ですか?お持ちしましょうか?」的なリアクション…。トゥサンで銀行の各部署をたらいまわしにされるクエストも面白かった。

操作性がよいとは決して思えなくて、特に愛馬ローチの操作性がなぜあんな感じなのか。思った通りに動かない。仕様といわれればそれまでだけれど。僕は馬の操作がホントに苦手で、騎乗したまま行うクエストはホントに冷や汗だった。おかげでトゥサンのトーナメントも、レースだけは見事に落としてしまった。なので僕はゴルゴンとは会いまみえていない(でもそれもまたよしと思うわけです。それが自分の力量ですから)。このあたりの問題に関しては、とあるクエストの中で副作用的にローチと会話できるシーンがあるのだけれど、そこでメタ的に語られていて面白い。口笛を吹けば海の向こうからでも現れるのに(プレイヤーが口笛を吹けばローチはすぐそばに飛んできてくれる)、かと思えばちょっとした段差すら引っかかる、これはなぜだ?と主人公が問えば、「できることとできないことがある」と返される。「あなたの馬術はまだ上達の余地がある」といわれるから、「お前がもっと機敏に対応してくれれば」、「勝手にあっちへ行ったりこっちへ行ったりするから…」と返したり…。面白いね。

ストーリーも長いし、サブクエストも複雑に絡んでいるので、次第にそもそもの目的ってなんだっけ?的な状態になったりもしました。映画や小説でもありがちですけれど、ドラマチックな展開に持ち込むために、現実的な選択が排除されているようにも思います。激アツだったのは、やはりケィア・モルヘンの戦いなわけですが、でもそもそもなんでシリを霧の島から連れ出したのかな? そこにいればワイルドハントに見つからないんだったらそこに匿っておけばよいんじゃない?、って思ったりもするんですが。 いずれは見つかってしまうから、いつまでも置いておけないってことかもしれませんが…。でも連れ出して、いわばおとり的に使って、それでワイルドハントをケィア・モルヘンで迎え撃つってやっぱり無理があった気がするなあ。アチラ側も少しずつしか軍隊を送り込めないとはいっても、一国のレベルなわけでしょう、トータルすれば。それを10人弱のウィッチャー+女魔術師+仲間たちで相手にするっていうのは、んー。そのあと訪れる悲劇に対して、僕は「お前がいなければみんな死んでいた」ってフォローしたんですが、シリには「違う。あたしがいたからワイルドハントがやってきた。あたしがいなければ」と返されたんですが、ごもっともです! 言わんこっちゃない! と言いたい。旅の目的はとりあえずシリ捜索であり、シリの行動を追っていく形になるのだけれど、いまいち把握できない。どこでアヴァラックと出会って、次にどこへ逃げて何をして、そしてどこでアヴァラックはウーマ化したのか?などなど。これに関しては必ずまとめている人がいると思ったので、探しましたが、いらっしゃいました。→ 【ネタバレ考察】”複雑”なシリの冒険を最初から振り返る。 やっぱり分かりづらいですよね。この中で『「ワイルドハントが私を忘れた頃」だと思ったシリが、Geralt達が住む世界に戻って来る。』ってところも、おいおいって思いませんか? ねえ。わがまま娘。

インターフェースに関してもいろいろ言いたいことはあるけれど、この辺はmodを探して導入すれば解決するのかもしれない。特に武器や防具の製作に関しては、作ろうとしているものをすでに所持しているか否かが表示されて欲しかった。ウィッチャー装備はストーリーが進むとアップグレードできるようになるけれど、常に全部を持ち歩くわけにはいかないので、とりあえず倉庫に預けておくのだけれど、そうするとどれをどこまで作ったのか忘れてしまうんですよね。何個も作ってしまったよ…。あと必要素材が店に売っているかどうか分かりやすくする「レシピ」という概念も良いが、もっと簡潔にできるのではあるまいか。

あと抽出液、ほとんど使わないというか、使うものが決まってくるっていう。効果が分かりにくいものはほとんど使わなかったし、それでも戦いには勝ててしまうし、その辺り、ちょっと空しかった。「黒い血」は効果的だった。弓矢の使いどころも、もうちょっとあると面白かったのになあ。威力が小さすぎる(これは頑張れば変異で強化できますね)。

というのは、まあ些細なことで。実際ドラマチックな物語には心を動かされる(ときにわき道にそれるけれど)。寡黙で皮肉屋で決してヒーローではない(というかそれはプレイヤーの選択次第だ)主人公、ゲラルトの人物像も好ましい。僕好みだ。ちなみに初期設定では髪型は決まっていて、時間経過とともに髭が伸びていくのだけれど、これは物語中に何か所か存在する床屋でカスタマイズできる。僕が好んでいた髪型は横は刈り上げ、トップは短め、うしろはポニーテール、髭は綺麗に剃るというスタイル。装備で長く愛用したのは前半は猫流派の装備、後半は新月の装備、蛇流派の装備、剣はイリス、ティール・トカール、エアロンダイトでした。

もっとも印象的だったクエストは(暫定的ですが)、ウィッチャーと対峙するやつですね。詳細は割愛しますが、2つほど、ウィッチャーと戦うか否かという選択を強いられるクエストがありました。ひとつは見逃し、ひとつは成敗しました。ランバートにはめっちゃ怒られましたが(笑)。モークヴァーグが絡む「狼の皮をかぶって」もどう解決するか悩みました。が、人間に戻した後で成敗してやりました。呪いは解いてやっただろっていう言い分でいいでしょうか。

きわめて濃厚なゲームであったわけですが、しかし僕は1も2もすでに購入してしまったんだなあ。2の日本語版は起動するのにちょっと根性がいるみたいだけど、そこまでたどり着けるかな。どうでしょうか。行ってしまったら、またしばらく戻ってこないのでしょう。アハハ。



おまけ:【ウィッチャーあるある】プレイしすぎて日常生活の歩き方がゲラルトっぽくなる。



syrup16gの『delaidback』を聴いています。


いや、書けることないくらい?傑作だと思います。何を書いても的を射ていない気がする。けれど。

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『ROCKIN'ON JAPAN』の2017年12月号は買い逃した。読み逃した。読みたかった。『音楽と人』は手に取った(そして読んだ)。『MUSICA』も読んだ。


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公式ウェブサイトに依れば「開けられずじまいの心の窓から」と「夢みたい」が(収録曲中では)最も古く、1997年ごろの楽曲ということなのだけれど、僕はそのころのsyrupに出会っていないので、感慨というほどのものはない。正直なところ。

僕の中では2004年10月10日の日比谷野外大音楽堂でのライブを以てsyrup16gの第一期は終了したという認識で、それ以降、2007年末の「END ROLL」ツアーが始まるまでの期間は、バンドの迷走期というか暗黒期というか、ライブはやっていたものの、バンドとしてはもう上手くいっていなかったんだろうなあと思います。そして2008年3月1日の日本武道館でのライブを最後に、解散をしてしまう。

その迷走期、暗黒期のライブで多くの(ホントに多くの)新曲が披露されていたのはファンの方々ならよくご存知のこと。それらの一部はアルバム『syrup16g』に収められた。けれどそれ以外は…表に出ることなく、出すことなく、バンドは消えてしまった。解散後にそれらを出してほしいとは、僕は思わなかった。商業的な匂いがしそうだったから。

解散後にさほど間をおかずに五十嵐さんは「犬が吠える」なんて変な名前のバンドを始めたけれど、それも数回ライブをやっただけで、またいなくなってしまった。その数回のライブを観れた僕は「光」で我知らず泣いたりしてしまった。やっぱりこの人すげえなあって思って。


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syrupがいなくなって、犬が吠えるもいなくなって。

もう音楽辞めちゃうのかなあ、そうなんだろうなあ、なんて思ってたら、ひょっこり戻ってきて(というか戻らざるを得なくなり)。ひょっこりではあるけれど、まあ今振り返ると、4年も5年も経っていたのですが。

再結成してもなんだよグダグダじゃねえかってバンドも多いと思うんですよ、世の中。でもsyrupは再結成後、いなかった期間を取り戻すように精力的に活動してくれて、リリースもするしライブもやるしで、沈黙なんてほとんど感じさせない。端から見ると絶好調だ。ライブを観てもバンドがいい調子なのは明らかで(創作に関してはギリギリっぽいことも言ったりしているけれど、どこまで真実味があるかは分からない)。

別の投稿で、「バンドが軌道に乗り始めた今こそ、過去の未発表曲たちリリースしてくれないかなあ」なんて書いたけれど、今回それが叶った形になる。


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初っ端の「光」改め「光のような」でいきなり打ち抜かれてしまった。ドラマチックなイントロを経てからの歌声が入る瞬間の、このゾクリとする感じ(どういった感情なのかは自分でも分からない)。歌詞は一部変わっているけれど、犬が吠える時代に披露された形とほぼ一緒だ。ミックスのせいなのか、なんなのか、いつもより声の抜けがよいというか、若さを感じるのは僕だけだろうか。曲調のせいもあるんだろうか。そこにある世界観に、荒井由実の「翳りゆく部屋」に通じるものを感じる。たとえ自分が死んでも「あの輝き」はもう戻らないという諦めと、中央線が止まっても最終に乗り遅れてもこの生活は終わらないという行き止まり感。日常的な描写に落とし込まれているけれど、「何か」が起きても、自分の今おかれた状況はもう変わらないんだという、諦念(もちろん、だからこそ、そこから見える光が、とても眩しい。とても)。それが底でつながっていはしまいか。syrupのライブで披露されることがあるのか分からないけれど、新たなマスターピースの予感がする。「光」から「光のような」に改めたのは、syrupらしくしたということなのかもしれない。

アルバムを聴いていて思うのは、やっぱり「今」じゃないよなということ。最新形に歌詞は書き換えられたりはしているんだろうけれど、この軽やかさ、ギターポップ然とした瑞々しいギターと厭世的な歌詞の同居によって香ってくるノスタルジアは、およそ今のsyrupからは出てこないように思う。もちろん録音してるのは今だから、今っていえば今なんですけども。たとえば「向日葵」にもあった、思春期の狂騒を冷徹な視線で突き放すような、あの感じ。インタビューを読むと、デモ段階で残っていたものは歌詞がついていないものも多く、それらには現在から当時を振り返ってそのそのときの心情に適した歌詞を充てたということなので(それも難しい作業だとは思うけれど)、やはりそこに「今」とは違うと感じるのは自然なことなのだろう。

「透明な日」とか「冴えないコード」(ライブで映えそうだなあ)とか「ラズベリー」とかは割と最近に寄っている気がします。線が太くて重々しいギターに寓話的というか抽象的な歌詞。

「夢みたい」はちょっと「希望」を彷彿させるけれど、こういった恋愛に直結した歌詞、「変拍子」もそうだけれど、これも「今」の歌にはもう出てこないように思う。「分かりあえた日々が 眩し過ぎて 見れないだけ」って、上手いなあと唸る。「愛しあった日々」とかじゃあないんだね。

今のところ一番好きなのは「光なき窓」なんですが、このサビがどこだかハッキリしないまま、ミニマルな展開の中でメロディを上下させる作り方、syrupっぽいし、すごく好き。低空飛行から始まって、やがて空高く飛んでいくような歌唱、シャウトも胸に迫る。アルバムの冒頭が「光のような」でラストが「光なき窓」って絶対意図的だと思うんですが、この舞い踊るような輝かしいギターのイントロと対比するような寂しげな歌詞で描かれているのは、果たして希望なのか、絶望なのか。

今の暗いくせにパワフルな曲調も好きだけれど、この軽やかなメロディの裏で人生を憂うっていうのが、やっぱりsyrupだよなあって思ったし、改めて五十嵐さんのメロディメイカーっぷりを見せつけられた気がします(本当にPOPだ)。電車の中でも、家事の最中でも、食事中でも、隙さえあれば聴いています。メロディが抜きんでているのもあるんでしょうが、プラスノスタルジックっていうのもありますし、一時は表舞台から姿を消したと思われた楽曲たちが(曲によっては)20年以上もの歳月を経て音源化されたという意義深さもあり、僕は「傑作」という言葉を送ります。まったく文句がない。今までで一番聴いたアルバムは間違いなく『クーデター』なのだけれど、それを抜く予感がする。


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前にも似たようなこと書いたけれど、上に書いた大音楽堂のライブからもう13年経ったというのが本当に(本当に)信じられない。しかしそれは事実なのです…。生活環境が変わってsyrupを(というか、音楽を)聴かなくなった人もいるでしょう(前にインタビューで五十嵐さんも似たようなことを言ってましたが)。でもこうして、バンドは今も存続、継続しているし、「傑作」を届けてくれている。僕は今も聴いている。自分自身が、変わっていないってことなのかな。好きなバンドと一緒に年をとれるということは、幸せなこと、だと思っている。「幸せ」、ですよね?(笑)

ありがとうございます。

このアルバムで一度バンドが清算された、というようなことを五十嵐さん言ってますが、いや、まだ出てない曲あるしー、「ディレイドシリーズはいつでも出せる」と言っているので、これで終わりって感じでもないみたいだけど。ツアー終わったらしばらくお休みしてもよいので、新作と共にディレイドシリーズも継続してほしい。

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でもこのあと『darc』を聴くとそんなにメロディが弱いとは思わなくて、じゃあこのアルバムとの違いって何なんだろうって思うと、アレンジなのかなあって思ったりもするんですが、結局よく分からない。やっぱり『darc』は不思議なアルバムだ。


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人は孤独で。どんなに大勢に紛れようとも、いや紛れたときこそ、それは色濃くなるのかもしれない。そしてsyrupの音楽、そこにある「孤独」に惹かれるのは、自身が孤独だからだろうか、それとも、孤独に憧れるからだろうか。たとえば電車の中のような雑踏で、イヤホンを耳につけ聴いていると、さびしくなると同時に、僕はとても安心してしまう。孤独。



CLOWの『DEAR FRAME』を聴いています。


ポップ・ミュージックに歩み寄れば、より多くの人に届くのだろうけれど、そうはなって欲しくないという、ジレンマ。

そしてこの純度をいつまで保っていられるのかというところも、やっぱり気になる。

あっさり顔出しをしてしまったけれど、そこにあったのは、往々にしてあるように、ちょっと儚げで、でもだからこその引力を持った、(普通の)女の子の横顔だった。

楽曲とのそのコントラストが、余計にグロテスクさを強める形になっていると感じるのは、気のせいだろうか。

このヒリヒリした感じ、最近感じた記憶がない。

どこかのタイミングでライブを観たいです。



きのこ帝国が秘めていたグロさに共振するものがある、気がする。

もっと再生回数伸びてもよいと思うけどな。




これは『DEAR FRAME』には入ってませんけどね。



メモ


① 浅野いにおの『零落』を読み始める。なぜかちょっとずつしか読めない。かつてファンだった人間としては『浅野いにおの時代が終わる』という惹句にひかれざるを得ない。

② 相変わらず妬み嫉みが湧き上がってくる自分に腹が立つ。そしてそのような作用を及ぼす対象に憎らしさを覚えることにも腹が立つ。隠しきれているのだろうか。望まないのに抑えきれないなどと、そんなバカなことが。そんな人間になりたいわけではないのに。葛藤。疲弊。