今宵その夜

MUSICAを読んでいました。五十嵐隆のインタビュー。サラサラヘアーは昔々にもあったかもしれないけど、なんか肌ツルツル…?まあそれはいいか。見た目若返った感じがする。

インタビュー読むのにドキドキしたの何年振りか。本屋で買ってから家に帰るまでドキドキしっぱなしだった。意外に突っ込んだ内容でまたドキドキ。

感想を一言でいうと、「愛されてるなあ」。特にダイマスさんに。ずっとフォローしてるみたいですね、五十嵐さんのこと。インタビューの現場にもいたみたいだし。ダイマスさんがいなかったら、とっくに隠居しちゃってる気がします。

スッキリしたことがいくつかあります。まずは「犬が吠える」の解散理由。「生還」ライヴに至る経緯とあの内容になったことについて。そして復活の経緯。

特に「生還」ライブのこと。「今」を見せることよりも、何よりも、まずはホントに「生還」というか「生存」の報告だったんですね。あのライヴは。誰も聴いたことない曲を延々見せつけて一人で悦に入るよりも、まずはファンに「ありがとう」の意味でもsyrupの曲を、と考えて。

でもそこからハイ復活とはならなくて、一回ほかで凹んでからそれがきっかけで復活というのが、なんとも五十嵐さんらしい(笑)。

復活に際しsyrup16gの名を冠することに問題視する意見もあったみたいだけど、そこを説得する五十嵐さんもなんだか微笑ましい。「どう計算しても、最終的にはsyrup16gというパターンしか出ないので。」って結論。僕が考えたってそりゃそうなるだろうと思うし、それでいいんじゃないかと思います。このメンバーでバンド結成しておいて違う名前って想像できないですもん。

最近はsyrupは解散てしたんじゃなくて、長い間休んでいただけなんじゃないかなって、なんだかそう思えてきました。

だからこれはバンドのシーンへの復帰でもあるし、同時にメンバーのsyrupへの帰還でもあるんじゃないかって。つまりリスナーにとってもメンバーにとっても、「そこ」は帰る場所。きっと安心できる場所なんじゃないかなあ。だって僕、インタビュー読みながら、「なんか、すごく、ダメなこと言ってるなあ、このヒゲの人(よく見たらヒゲなかったけど)」って思いながらも、すごく安心しちゃってますからね。ホントに。その在り方は、まさにsyrupの音楽そのもの。

帰還を受け入れる心の準備は、整いつつある。まずはアルバム聴いてからですけどね!

あと国際フォーラムも行きます。楽しみにしてます。ホントに。

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昔のインタビュー読み返してたら、印象的だった、というか今につながる、というか、変わってないなあって話がいくつもありました。

■当初東芝EMIに籍を置くもアルバム出せないままクビになって、ダイマスさんのUKプロジェクトから出すってなったとき。録ってる音も進む作業も気に入らなくて、全部新曲にしたい(ここも変わらないですね)って駄々こねて、レコーディング延ばして、今日は鼻声だからとかいってスケジュール延ばしちゃった話とか。(『音楽と人』 2008年2月号から)

■これも同じ記事からだけど、これは引用させてください。無断ですいません。解散についての話をしてるとき、なぜバンドがダメになってしまったのか、その理由を掘り下げていく中での、インタビュアーの金光さんとのやりとり。途中で出てくる「NHKホール」ってのは、解散を発表したEND ROLL Tourの話で、「2人」っていうのは、中畑さんとキタダさんのことです。

― 今、失って気づいた、って言いましたけど、すでにあなたは解散という決断を下してるわけですが、それに対して後悔の念はあったりするんですか?

「後悔だらけですよ」

― …………そっか。

「こないだNHKホールやってたときもすごく辛くて。でも俺はやっぱりここが好きなんだなって思った。俺を許してくれって、わがままを言えるのはここしかないんだな、って」

― そうだね。甘えさせてくれるもんね。

(中略)

「矛盾してるんですよね。圧倒的に2人を必要としてるんだけど、自分が生み出すものは何故か必要としていないものが出来ていってしまうっていう」
(金光祐史(2008), 『音楽と人』, 2008年2月号, p.73, USEN)

この時点ですでに分かってるんですよね。自分には2人が必要だって。逆にいえばそれでも解散を選ばなければならないほど、バンドの状態がよくなかったということでしょう。

■とりあえず今回はすべて同じ記事についての話になってしまうけど、これも同上。愛されたいか否かという話の中で、金光さんに「だって五十嵐くん、愛されたいって願ってるもん。話聞いたけど、どれも最終的に、どっかで甘えてるんだよね」って言われて―

「そう。メンバーにもスタッフにも甘えてるかな。それにちゃんとケリをつけないといけないなって思います。だって正直、辞めたくないですもん(笑)」

―って応える五十嵐さん。結局どうなんですか。ケリつけられなかったってことですか!? もっといえばこのインタビューでは、バンドの終わりに「青春の終わり」というイメージを重ねるような流れになってましたが、青春、青さ(ミスドで初代ベーシストの佐藤さんと中畑さんを交えた3人でバカ話しながら曲ができていってたあの頃、みたいな、そういう憧れというか)を捨てきれなかったということなのか。だから舞い戻らざるをえなかったのか。いや、捨てた上での復活なのか(でも今回のMUSICAのインタビュー読むと捨てれてないような気がしなくもない)。とりあえず気になる。

これは、目撃せねば、ですね。

きっと五十嵐さんは手に入らないものを求める人というか、少なくとも音楽ではそれを表現してきた人だと思います。手に入らなくて怒っちゃうか、うなだれちゃうか、皮肉っちゃうか、極端だけれど。そして人間ってやっぱり求めるじゃないですか。物理的な形あるものにしろ、そうじゃないものにしろ。自分自身に対しても欲するものというか、こうありたいという理想像というものがあるし。僕らは常に求め続ける。だから僕らは五十嵐さんの、syrupの音楽に惹かれるんじゃないかなあって今思い至りました。求めても得られない。そこから発生する思考の渦をsyrupは(美しいメロディと尖った言葉で)表現し、リスナーは自らをそこに投影、あるいはシンクロさせるのでしょう。でも『マウス・トゥ・マウス』や『syrup16g』では変化していたように思うし、その変化の先がこれからにあるのか、それとも…ってところは、やっぱり気になりますね。


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