お笑いコンビが、結成後なかなか芽が出なかったのにボケとツッコミを交代した途端、急に売れたり、漫才やコントのスタイルを変えてブレイクしたりすることがある。
行き詰まって壁にぶつかって「このままではダメだ」と自分たちを否定して、もがき苦しみながら一から型を作り直す。そうした経験はすごく価値がある。
二十代半ば、わたしは商業誌の仕事を干されて、食えなくなった。当時のわたしは硬派ジャーナリストといわれるような書き手を目指していて、鋭い(とおもわれるような)文章が書こうとしていた。たぶん、向いてなかった。
編集者に「もっとわかりやすく書け」「すぱっと言い切れ」みたいなことをいわれて、そういう文章を書く練習をしてみたのだが、まったく書けなかった。
そのころ、昭和十年代あたりの私小説を読みはじめた。今の文章と比べると、文章がのんびりしている。ああでもないこうでもないと悩んで、悩んでいるうちになんとなくうやむやになる。
「自分は正しい」という文章と「間違っているかもしれないが、自分はそうおもう」という文章はちがう。前者は鋭く、後者は鋭くない。自分は、鋭い文章より、のらりくらしした文章のほうが合っているのではないかとおもうようになった。
で、これまでスタイルを変えて、売れましたと書けたらいいのだが、「文章が古いし、くどいよ」といわれ、さらに仕事が減ってしまった。
ただし、鋭い文章を書こうとしていたときは、何か批判されると、すぐ反論していた。ところが、古くさくてくどい文章を書くようになってからは「今、ちょっと迷走中でして」みたいな大人の対応ができるようになった。
で、大人の対応ができるようになったおかげで売れたと書きたいところだが、そうはならなかった。
ただし、くどい文章を書いて、大人の対応をしているうちに、(以前と比べると)性格がのんびりしてきて、多少、神経も図太くなってきた。
それから仕事が減ったおかげで、ひまな友人と知り合い、飲み会の誘いが増えた。
それがライター生活十年目、三十歳手前くらい。それから最初の単行本が出るまで八年くらいかかった。
何の教訓にもなっていない。
(via 文壇高円寺)