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Archive for 5月 2013

五十嵐隆 生還によせて

2007年の12月9日。END ROLLと銘打ったツアーの最終日、NHKホールにて、syrup16gは解散宣言を行った。そこから数えれば、5年とちょっと。2013年の5月8日。syrup16gのフロントマンだった五十嵐隆は、同じNHKホールで、生還と称したライヴを行った。解散宣言をした、同じ舞台で。心憎い演出だ。でもドラマチックで、syrupもとい、五十嵐さんらしい。

正直、今回のライヴが始まってしばらくは、僕は否定的だった。1曲目が「Reborn」だったからだ。似てるギターフレーズだなあ、なんて思ったんだけど、どうも似てるだけじゃない。そのものだった。薄い幕の向こうでギターを弾く五十嵐さんは、たぶん黒い上下で、syrupのときと、その姿になんら違いは見られなかった。

始めは五十嵐さんにしかスポットライトが当たってなかった。だからドラムやベースの音もしているんだけど、誰が演奏しているんだか、分からなかった(正直いえば、ライトの灯りでできる影の動きで、なんとなく予測はできたけど)。「Reborn」が終わって、僕はここから新曲だろうな、なんて思ったんだけど、また違った。「Sonic Disorder」だった! 加えて幕が上がって、ステージ全体が照らされたとき、そこにいたリズム隊―ドラムとベースは、他でもないsyrup16g時代とまったく同じ、中畑大樹にキタダマキだった!

なんだこれ?って正直思った。syrupと同じメンバーでsyrupの曲演奏して、何が「生還」なんだろうって、大げさかもしれないけど、僕は憤ってしまった。同じことやるならなんで解散したんだよ?って思った。罰当たりだけど途中ムカついて拍手しなかったもんねオレ(ごめんなさい)。五十嵐さんはいつだって自分の今を歌に落とし込む人だったから、それが何年も前に解散したバンドの曲やるなんて、完全に懐メロじゃないかって、ガッカリした。何にも進んでない。同じ場所にいる。いや短期間とはいえど「犬が吠える」があったことをふまえれば、むしろ逆戻りしているように思えて、紆余曲折を経ても結局原点に返る、いや、しがみつくしかない、みたいな、ロックの呪縛みたいなヤツが、うらめしく感じられた(そのうらめしさはThe Smashing Pumpkinsが復活したときに感じたものと似ている)。

前半はsyrupの曲ばっかだった。挙げてみようか。Reborn, Sonic Disorder, 神のカルマ, I・N・M, 生活。曲自体はぜんぜん好きなんだけど、それがどういった位置づけでここに提示されているのかが全然分からなくて、頭の中は「?」でいっぱいだった。これが今の五十嵐さんにとってリアルなんだろうか?って。だとしたら、なんも(ホントになんも)変わってないの?って。

でも途中で気付いた。「赤いカラス」を唄い始めたときだ。犬が吠える時代に唄っていた曲だ。「ああそうか」と僕は思った。考えてみれば、syrupのときの曲だって、すべて五十嵐さんが作っていたわけだ。もちろん犬が吠えるのときも。だから、ちょっと強引な言い方かもしれないけど、それらは五十嵐隆の曲/歌でもあるわけだ。それを五十嵐隆の生還ライヴで演奏しているのだという、そんな図式が頭の中に突然浮き上がってきて、なるほどこれは、今回のライヴは、「五十嵐隆が作った歌たちの総括、総集編」なんだなと、合点がいったのだった(だからTwitterでさんざん言われているような「syrup16g生還ライヴだった」とは、僕は捉えない。そんな生還、望んでいないから、かもしれないけど)。

「赤いカラス」のあとには僕が聴いたことのない曲(これを便宜的に未発表曲と呼ぼう)を立て続けに披露していて、単なる懐メロ披露会という僕の失礼な思い込みを見事に払拭してくれた。未発表曲たちは、やはり歌詞が聞き取りづらいこともあってか、既発のものに比べると、どうしても入り込み切れなかったけれど、パフォーマンス自体はすばらしかった。五十嵐さんのギターだって、ブランクを感じさせないくらい滑らかだったし、それに歌声だって五十嵐隆以外の何物でもなくて、多少抜けきっていないところはあったけれど、声自体はすごくよく出ていた。そこに一番ビックリした。やっぱりやるときはやる人だ。まったく音楽から離れていた人のパフォーマンスだとは思えなくて、この数年何かしらの形で音楽に関わっていたのではないかと、勘ぐってしまった。

後半にまたsyrupの曲をやるんだけど、今度はすんなり聴けた。明日を落としても(これはハミングバードで弾き語り), センチメンタル, 月になって, 天才, 落堕, coup d'Etat~空をなくす。やっぱりかつてバンドメンバーだったリズム隊のおかげもあるんだろう、過去のsyrup時代のライヴと比べても何ら遜色ない、すばらしい演奏だった。単純な演奏を超えたケミストリーさえ発生していたかもしれない。

アンコールでは「パープルムカデ」に「リアル」をやってくれた。「リアル」はやっぱりカッコいい。曲の起伏、あるいは歌い手の表現にあわせるように柔軟に変化する、中畑さんのドラムがすごい活きる。とかあんまり感心してるとsyrupに逆戻りしちゃうんで、この辺で。

最後の最後、2回目のアンコールの時だ。Tシャツ姿で独りだけ出てきた五十嵐さん。「夢みたいだ」といった。「半年前までは、こんな機会がもてるとは思わなかった」と。そして「あんまり言わないんだけど」と前置きして、感謝の言葉を述べた。まず今日観に来てくれたお客さん、ダイマスさん(遠藤さんと言ってたけど)、若林さん(VINTAGE ROCK)、スタッフのみんな、そして今回参加してくれた二人のメンバーへ。二人に関しては「本当にいろいろな気持ちがあったと思うんですが―」と言っていた。それを聴いた瞬間に、やっぱり今回のライヴは単なるsyrupの再演とは違う意味があるのだなと、感じた。だって一度解散してるバンドのメンバー呼んでるんですよ? しかもおそらく解散の理由は音楽性云々じゃないところが大きくて、もはやバンドとして機能しなくなっていたというものが考えられるわけで。その「いろいろ」を飛び越えてね、かつて在籍したバンドのフロントマンの復活ライヴに、こうやって駆けつけて、しかも見事なパフォーマンスをやってのけるという、二人のハートに思いがおよんで、僕は感極まってしまった。

しかもその謝辞のあとにさ、「翌日って曲やるんですけど」と前ふりしておいて、「もう10年以上前、いや20年以上か、そのくらい前に作った曲だけど、あの曲には原型があるんですよ。みなさんが知ってる翌日の前の形が」と。「僕が中畑くんにチャリンコ漕いで聴かせに行ったやつですね」と、ファンの間では有名なエピソードを話し出す。「その原型にですね、歌詞だけ変えて、作ってきたんで、聴いてください」と言う。まさにsyrup16gがこれから始まるという時期の、思い出ともいえるエピソードを語るもんだから、今そのバンドはもういないという喪失感、でも元メンバーが何かフロントマンの復活ライヴに参加してるしで、そこにあるであろうさまざまな思いが僕の頭の中にうずまいて、ようやく最後に来て、僕の涙腺がゆるみはじめた。

エレキギター1本でスローに奏でられる「翌日プロトタイプ歌詞書き下ろしバージョン」は、だんぜんハイライトだ。最後に爆弾もってきやがって! うれしい悲鳴だぜ! この曲がどうやっておなじみの「翌日」に変わっていったのかは分からないが、これはこれですばらしい。でね、この曲は五十嵐さんがギター1本で唄ってるんだけど、途中から袖にはけていたリズム隊の二人がステージに入ってきてね、暗い中を(スポットライトは五十嵐さんだけだ)、ゆっくりと所定のポジションについていくんですよ。その光景がまたよくてね、頼もしいっていうか、いや違うか、もうバンドとして元に戻ることはおそらくないんだろうけど、でも、そこには、かつてあった何かがまだ存在しているように思えて、僕の感情はどんどん高まってきてしまった。五十嵐さんの口から「あなたの傷跡になりたかった」という必殺の歌詞フレーズが放たれたとき、僕はもう泣いていた(その言葉からよみがえるイメージが、いろいろとあるんです)。そして翌日へ―


一番気になるのは、これからシーンに復帰するのか否かという点だ。ライヴ中にも、終了後にも、特にアナウンスはされていない。リリース情報があるわけでもない。こんなところで上げた声が届くはずもないけれど、どうか早くメンバーを固めて(だってまだまだ五十嵐さんはバンドでやった方が良いと思うから)、レコーディングして、リリースして、ツアーやってください。絶対(そう、これは絶対だ)ついてくる人たちはいますから。今回は帰還のあいさつってことで、昔の曲もたくさんやってくれたんだと思ってます。これからがあるのであれば、syrup16gをやるんじゃなくて、新生した姿を見せてほしい。

現状ではまだ「おかえり」って言えないんですけど(だってまたどっか行っちゃうかもしれない)、でも、ありがとうございました。うれしかったです。あ、「赤いカラス」やるんだったら、「光」も聴きたかったなあ(笑)!


昔みたいに長ったらしいライヴレポートは書けないみたいだ。エネルギーが切れた。思い出したら付け足します。Twitterには書かねえよ。手軽すぎて嫌いだから(笑)。ここにたどりついたみなさんはえらい! 熱心にディグりましたね? では~


そして追記 : ライブにいった人と話しているうちに、疑問が出てきた。なぜ今でなければならなかったのか?というものだ。なぜこのタイミングで、二人の元メンバーを招いて、syrup16gの曲をわざわざ演ったのか? メンバーはどうあれ、全編新曲で、というやり方もあったはずだけれど、それ(全編新曲という構成でいけるだけの曲が出来上がること)を待たなかったのはなぜか? 新曲を披露したとはいえど、なぜあえて「ほぼsyrup16gの曲」という構成のライヴを、このタイミングで、しかもあの二人を呼んで、行ったのだろう。今後の見通しが立っている様子もないのに。今できることがあのライヴだったというのは分かるんだけど、なぜ「今」だったのかというのが、最大の疑問になってきた。もちろん自分で考えても答えは出ない。いつかどこかで語ってくれることを願っています。

また追記 : ネット上をさまよっていて気付く。自分よりも、より深く、的確に、今回のライヴに対する考えを綴っている人たちがいる(その中で、上の疑問に対するひとつの答えを見つけた。ここには書かないけど)。むしろ僕の気持ちを代弁してくれているように、感じられる文章もある。そう、きっとsyrup16gの曲をライヴでやってほしくなかったのは、僕の中で彼らがしっかりと終わりを迎えていたからだろう。僕の中では合点がいっていた。彼らは終わることによって救われたんだと、そう考えていた。これでよかったんだと。続きはもうないんだと。「終わった」んだと。だから、なぜ「終わった」のに、それを否定するようなことをするんだろうと、僕はそこにいくらかの未練や、優柔不断さ、不明瞭さを感じ、憤ったのかもしれない。とてもきれいに終わった物語に、意図のよく分からない後日譚が付け足されようとしている。必要ないのに。僕の中の大事な部分が、強引にねじまげられていくような、なんだか悔しさにも似た感覚があったことは、今でも覚えている。今思えば、あの気持ちは「チクショー」って気持ちだったのかも。「全部ぶちこわされた」って。しかも案の定、なぜ今回のライヴに至ったのか、そしてなぜこの形になったのかについての、説明はない。

・・・まあ、もともと秘められた部分の多いバンドだったし、だから憶測ばかりが増えるし、自然とこちらの憶測と都合だけで、いろいろなことを言ったり書いたりしてしまうのも事実。なので、もう一度やりたいって言われたら、そこにある事情はやっぱりよく分からないままになりそうだけど、拒否はできない。望んではいないけれど。

五十嵐さんが活動しない理由はよく分からない。憶測は飛び交うけれど。それは真実とは切り離されたまま、人々の間を飛んでいく。だから、「自信をもって曲を書いてくれ」なんていうのは、実は的外れかもしれない。だって自信は十分にあるかもしれないし。ただの怠惰から活動していないっていう可能性だって、あるじゃないか。だから自分の望みだけを書くと、変わっていくのは仕方がないことなので、とにかく曲を出してほしい。syrupと比べて甲乙つけたって仕方がないので、単純にこれはもう、五十嵐隆が作った曲として聴くから。そして、そこに自分にとっての何がしかの輝きを見つけ出すから。必ず。だから、曲を、歌を、聴かせてほしい。待ってます。