Archive

Archive for 12月 2016

メモ


① syrupとアートの対バンは正直観たいなあ。アートなんて作品こそ買ってるけど、ライブは『レクイエム~』の頃に観たきりだ! しかし発表がもう少し早かったら、というか耳に入るのがもう少し早かったら、合わせられたのに…、あとは運を天に任すしかない…。

② 「ギンギラギンにさりげなく」って憧れる。ギンギラギンなのにさりげないってどんな。

③ ワイルドかつナイーブ。ネガティブかつエネルギッシュ。

④ 決して筆まめではないが、年賀状を何枚か毎年もらうので、つまりは毎年書く。引っ込み思案でも人間関係をもっとも増やせるであろう(と勝手に思っている)学生時代に、自分につながるほとんどの糸を切断していたので、そのころから今につながっている関係性というやつはまったくない。掛け値なしにまったくだ。それは本当に後悔している。しかし後悔先に立たず。ということで、年賀状を書くという話だけれど、書くにしても数枚なのだが、案の定まだ書けていない。明日書いて出すにしても元旦には届くまい。数人のみなさんスイマセン。昨年は今頃にはもう出していたのですが、今年はダメそうです。堪忍。

⑤ キーボードが使いづらい。





メモ


① こんなところにすごい人がいるわけないって思ってるからそう思えないだけで、実はすごいって人、いるのかもしれないな。

② 泥のように、とか、死んだように、って言葉がピンとこないので、忘れられたように眠りたい。いやすでに、忘れられている。のだけれど。

③ 世の中上手くいかないことの方が多いからさ、たまに上手くいくと涙出そうになるときがある。この人なんで目潤んでるんだろうって、周りはきっと理由が分からないだろう。ただ、そう、コミュニケーションが上手くいったとかさ、そんなことでもいいんだ。1000億の針の中に、ひとつだけダイヤの粒見つけた。みたいなさ。いいすぎか。



PERFECT


確かに人と人との関係でなりたってはおるわけだが、その中で喜びを感じることもあるのはもちろんなのだけれど、しかし僕は痛みを感じることの方が多い気がしてならない。さりとて人のいないところで暮らせるはずもなく、つきましては、僕は痛い痛いと言いながらも毎日を「ガンバ」ればいいのでしょう。そうなんでしょう。

聞き流す、ふりして真に受ける。

いつかなんてどこにもない。僕はあの頃から変われたのか。変わってないじゃないかって、ことあるごとに、思う。






メモ


① オレの食べてたスープが手元が狂って床にそのままダイブした…。そしてそこに積んであったこれから読まれる文庫本たちに中身がそのままぶっかかってしまった…。乾けばまあ目立たなくはなるだろうが、読む前からページはヨレヨレになってしまうのだろう…悲しい、あああ『双孔堂の殺人』が…『十角館の殺人』が…(オイオイまだ読んでないのかよというツッコミは可)、読みかけで長らく放置の『殺戮病院』が…濡れてブヨブヨしてる…。それも味と言えば味か…。俺だけのものになったのだ(?)。悔しさは通り越した。とんだメリークリスマス、というかそんなのとっくに過ぎてたわ…。

② 結局まあ、自分の文章を愛でるために、何がしかの対象を愛でているというか、そんな感じなんじゃないでしょうかね。そう思うよ今夜は。





メモ


① みんな夜に来るよな。

② なんだかんだでみんなのこと愛してるよ。愛って何か知らないけど。

③ あいつはリアルネームでTwitterやってよく堂々と分かりきったようなことを呟けるなあ。その自信が眩しい。羨ましいよ、確かな知識と経験に裏打ちされたその言説。

④ 食堂でボンヤリとイヤホンをつけている俺がまさか『ドラッケン』のBGMを聴いているとは、よもや誰も思うまい。

⑤ 『シルバー事件』のHDリマスターPC版、日本版のフィジカルリリースが先日到着した。プレステ時代に何周もし、稚拙な文章を認めたりもしたのですが、今リマスター版を改めてプレイすることに対して、(購入はしたものの)いささか消極的になったりもしていた。体験版の段階で、若干操作性に難を感じたりもしてしまい、ストーリーも一本道だし、正直モチベーション的にどうかなあと思っていたのだが、届いたものをインストール、プレイしていたら、あっという間にその世界に飲み込まれてしまった! 今ちょっと時間がないのでまとめてプレイができないのが非常にもどかしい。無理してその世界に突っ込んだら帰ってこれない自信がある。そういう意味で今はとりあえずあえて消極的な態度をとっている。恐ろしい世界だよまったく。24区をうろうろしてさ、みんなと会話するっていうだけのゲームにしてくれてもさ、楽しめると思うんだ。それだけ魅力的な世界がそこにはある。でもやっぱりOPムービーはオリジナル版の方が好きで、よくよく設定を見たらちゃんとオリジナルとリマスター版を選ぶことができるようになっていて、これはうれしいシステムだった。ああ、楽しみでたまらないよ。25区も出してくれ、頼む須田さん、いやさGHM!

⑥ 『水車館の殺人』はやはりボンヤリと記憶にあった通りの展開になっていた。でもボンヤリと、だったから作品の吸引力が弱まることはなかった。面白かったです。終わり方はちょっと何か好きではない。



醒ます



Nine Inch Nails - Eraser (Polite)




メモ


① 会社のiPadの使いづらさに辟易する。

② 誰かの願いが叶うころ。あの子が泣いてるよ。みんなの願いは同時には叶わない。

③ 義を見てせざるは勇無きなり。




メモ


① 2階から玉ねぎ。

② 懐が広いと思った人が案外に小さくてビビる。小さいことでガタガタ嫌味たらしいことを言わないでください。言うんじゃないよ。しかもオレの方が先輩だぞ! ← 嫌な奴やん。

③ なんでこれが評価されるのか分からんというものが世の中には多くありすぎる。今まさに直面しておる。いやいつも言うけれどオレの受け皿のせいなんだろ、そうなんだろ。それもなんかなあ。

④ 最近けっこうテンションが上がったり下がったりするなあ。なんだ。

⑤ コレ↓声出して笑った。腹痛い。「少子化問題高齢アッハゥアー!!」のところが最高。









メモ


① ホテルの静かな部屋で、電気コンロで静かにお湯を沸かして、ティーパックでお茶を飲んでると、ああホテルいるわって感じしません? いや今いるわけじゃなくて、ふとそう思っただけなんですが。

② なんかケーブルテレビのアニマルプラネットばかり観てる。いや垂れ流してるだけだ。そういうところを見ても、自分にとってテレビ番組というのは魅力をなくしたのかもしれない。あるいはこちらが変わったというのも考えられる。M-1もTHE MANZAIも観ておらん。めちゃイケの『君の心は。』は面白かった。

③ 『水車館の殺人』、冒頭で気づきました。俺これ読んだわって。だいぶ前だから覚えてないけど。読みながらところどころぼんやりと記憶がよみがえってくるような気がして。全部思い出したらヤダなって思いながら読んでいるという、変な、もしかしたら初めての読書体験。

④ このブログ、ロシアからのアクセスがたまに超絶に増加するんですが、なんでしょうか。スパム的な何かなのかなあ。特定の記事にアクセスが集中してるような気もするんだが…しかし。どっかに貼られたリンクが何かのターゲットになっているのか、そんなところだろう。こんな場所にそれほどの価値はない。

⑤ 3冊買って1冊しか読んでないのにまた2冊買う。でも買いたいときに買うのが良いんですよ。今はインターネットあるけれど、昔は買いたいときに買っておかないと、本ってあとで手に入らなかった、入りにくかった。そのときの癖が残っている、というわけでもないのだけど、今日はわりと欲望に忠実だった。

⑥ 『ゴールデンゴールド』の2巻って来年なの? もっと早い時期を予告してませんでしたか。

⑦ 充電式の電池ってなんか持ちが短い気がする…。今頃そこに、その可能性に思い至る。

⑧ たまに聴きたくなるって、それだけでも。










メモ


① たいしたことないものがたいしたことあるように見える、見せるのが、世の中。みんながみんな騙されているという発想も、あながち。

② タンスの奥のまんじゅうを一人でこっそり食べているつもりが、いつの間にかみんなが食べていたという話。共有というやつだ。インターネットの嫌い、というか怖いところだ。ここではタンスの奥にまんじゅうを隠しておくことは、なかなか難しい。消費されてしまう。≫ http://www.1101.com/darling_column/2008-05-19.html



メモ


① 突き放せるということは、それだけ距離が近いということだ。と考える。

② 「目には目を」はやはりよくないのではないか。「そうくるなら」、「こっちだって」と繰り返し、どちらかがアプローチを変えて、何かしらの違った行動を起こさない限り、状態が凝り固まってしまう。敵対することが目的化してしまう。でもそういった状態を作り出す人が幸せにならない、なれないかっていうと、そうとも限らないのだから、世の中は分からない。

③ 結局今夜もあまり眠れなさそうだ。あくまで僕に関する限りの話、十分な睡眠時間ではない。ない。

④ 日向に置かれたあたたかいミルクティー、を、よく、覚えている。

⑤ 隣町の商店街を歩くといろいろ思い出す。いけない。いけなくはない。そろそろ引っ越してもいいかもしれない。


ナイン・インチ・ネイルズ、新EP『Not The Actual Events』リリースへ



ストアがダウンしてるんじゃないか…。

急すぎじゃねえか…。前触れはあったみたいだが。


≫ http://ro69.jp/blog/miyazaki/153133


また、1999年の大作『The Fragile』が、4枚組のヴァイナル・バージョンでリリースされることも発表されている。37曲のボーナス・トラックが付くそうだ。


37曲って…ボーナスの域を超えてるだろ!




syrup16g tour 2016「HAIKAI」 - 2016/12/15@Zepp Tokyo


どうせみなさん観てらっしゃったんでしょう? ニコニコ生放送を!

だから今夜も箇条書き。過剰。

あとセットリスト

・セットリストの特別感はこの日が上だったけれど(「生活」とか「パープルムカデ」とか)、その構成が響いたのか、お客の盛り上がりは前日の方がよかった。フロアの飲み込まれ方が全然違う。あえてなのかもしれないけれど「Drawn the light」でちょっとトーンダウンしちゃったような。やはりあそこは「天才」で攻めてほしかった。「手首」でもいいかもと思ったけれど、やっぱ違うか。

・本編最後に「Rookie Yankee」を持ってきたので、ちょっと意表を突かれた。攻めてるモードでライブを、ツアーを、締めたかったのかもしれない。だから「Reborn」もないし「翌日」もないし。今までにもあったパターン。いいね。

・「Father's Day」と「正常」は同じセットリストに入れない方が良いと思い至る。魅力を相殺してしまう気がする。

・「Find the answer」、「Father's Day」でポロポロと歌詞をつかみ損なう五十嵐氏。

・「タクシードライバー・ブラインドネス」の直後「鼻かみたい!」と大声で願う五十嵐氏。フロアから「かんで!」、「いいよ!」と許可をもらう。ほほえましいやり取り。

・「I'll be there」。顎をわずかにあげて首を傾けて歌う五十嵐氏にスポットが当たると、なんだか神々しい。昨日に引き続き、今日はここで「死にそう感」を見る。

・「遊体離脱」がちょっと精彩を欠いていたような。ギャーンといきそうでいかない曲なので、ライブではトーンというかテンションの落としどころが難しいのかもしれない。

・ギターのキンキン感は軽減されていたけれど、代わりにベースがシュゥーンとした変な残響音を出していて、途中気になって仕方なかった。

・明らかに終盤は疲れてる感が出てて、それでもその中で渾身のライブを見せてくれて、すごく嬉しかった。「リアル」で僕は終わると思ってて、歌詞の「お前にこの一生捧げよう/必要なくなって 見捨てられるまで」の「お前」が「音楽」に思えて、急に感情のスイッチが入ってしまった。たとえこの瞬間だけだとしても、そこにはリアルがあったし、それに僕は突然に胸を打たれて、自分でも分けのわからぬままに、涙腺が緩む。なんで「リアル」でだよ?と自分の心ながらまるでコントロール不能。でも「リアル」で終わると思ったらまた出てきてくれてうれしい悲鳴。もう何でもいいよ!って思ってとにかく嬉しくて(きっと嬉しいんだと思う)、ちょっと泣く。

「『darc』っていうの出したんだけど、うーん、これ、どうなん…だろ…」と頭をかきまわしながら悩む五十嵐氏。この物言いが五十嵐隆だなあと思う。「年刊俺、みたいな、俺レポートみたいな形でお届けしてるけど(場内笑う)、今回はツアーもまわれて、お得だったと思うし…」「もうちょっと、聴いてやってください」「来年も出す、かもしれないけど(場内おおいに沸く!期待してます!)、それまで、味がしなくなるまで□◎×▽■◆」。『darc』について「どうなんだろ」ってのは自信がないということではなくて、説明しづらかったんだろうね、違うかな、そして出てきた言葉が年刊「俺」っていう(これから散々使われるぞこのワードは!)。こんな公衆の面前でニコ生だって通じてるのに「来年出すかも」って言っちゃうのがすごいなあ(なんか見えてるものがあるのかな)。わざと追い込んでるんじゃないかって心配してしまいますよ。それは新しい曲は聴きたいけれど、生き急いで息切れして欲しくはない(一時期メジャーにいたときがそのイメージ)。

・Zepp Tokyoが遠い…。乗り換えを使って時間短縮で帰るはずがボンヤリしてたら(寝てたわけではない)、乗り過ごしてストレートに帰る羽目になって、寄り道しないでまっすぐ帰ったのに日付変わりそう。ってことはまあどうでもいいんですよ。ツアーお疲れ様でした。ありがとうございました。またお会いできる日まで。『darc』を聴いています。いやそれ以外も。やっぱ『darc』いいアルバムだよ! 断言する。


・もうね、単純に、カッコいい。間違いない。カッコいい。こんなに世界観が強くて(年刊『俺』というくらいに『俺』の世界)、こんなにカッコいいなんて、最高にロックじゃないか。


*** *** ***


ここからは1日たってから書いてます。

見事に『darc』が鳴りやまない。頭の中でずっと回ってる。特に「Murder you know」が強い。何かっていうとひょっこり顔を出して頭の中を占領する。

ライブ観た人、頭の中が『darc』になってないですかね。僕だけかな。ライブが終わってからこっち、あのアルバムが異常な(ホントに異常な)強度で(ライブ参戦前よりも)輝きだしています。それこそずっと繰り返して聴いている。

ライブの触感に非常に近しいアルバムなのではないかと思う。ライブと音源の距離が近いというか。生々しいという感想も書いたけれど、その部分がやっぱりライブと重なる。自分の中で。聴いていると、ライブの映像がものすごい勢いでフラッシュバックしてくる。面白いくらいに。隙があるボーカルの感じとか、ドカドカしたリズムに、金属的なギター、ダイナミックな音像。悪い意味じゃなくて、いい意味で、『darc』というアルバムが、あのライブでは再現されていて、それが立体的に包み込んできたのだと思う。そしてすんなりと心の中に居座っている。そして聴くたびに、あの空間が、ステージが、脳裏に立ち上がってくる。そんな感覚。ほかの作品に伴うライブでこんな感覚になったことはない。すごく自分でも不思議。

もしかして―まだもしかしてという感覚なのだけれど―、『darc』ってすごいアルバムなんじゃないか、そんな気がしている。うすうすと。





syrup16g tour 2016「HAIKAI」 ‐ 2016/12/14@Zepp Tokyo


書けることが! そんなに! ない! 箇条書きみたいに行きます。みたいに。ね。

当たり前だけれど、ライブハウスという環境に合わせたセットリストになっていて、当たり前だけれど、それはズバリ効を奏していた。

セットリストはこちら

なんでこうガッツリと『darc』とそれ以外を分けちゃうんだろうって思ったりもするけれど、組み込んだら何となく「違う」と思ったのかもしれませんね。

でも『darc』は全曲演奏しても40分くらいにしかならないわけで、当然それでライブは終われないし、あとどんな曲をやるのかってところが気になるところであったわけです。

全体的にギターの音がキンキンしすぎに感じられたのですが、そんなことないでしょうか。特に『darc』収録曲が目立ってそう。ちょっと違和感。でもライブで聴いてて思ったけれど、『darc』の曲って、『Hurt』のそれより全然ポップな気がする。音源は音作りのせいでちょっとポップから遠く感じられるかもしれないけれど、ライブで聴くと歌が立ってる。言葉が生きているというか。すごく聴きやすく感じました。聴きやすいとか言っといてあれだけど、「Father's Day」聴いてて、久しぶりにsyrupのライブで「生気のなさ」を感じた。エレカシをカバーした「遁生(白昼夢ver.)」を聴いたときに感じた「おい、なんか死にそうじゃないか」って感覚。あと終盤のリズム隊がやっぱり熱い。この在り方が「正常」と被るんだけど、個人的には今はその「死にそう感」も含めて「Father's Day」の方が好き。

「Murder you know」で歌詞をトばす五十嵐氏。他公演でも前科ありの模様。

『darc』ゾーンのあと珍しく中畑さんがしゃべる。全公演かは分からないけれど、確実に一部講演では喋っている様子(こういうの見ても今ホントにバンドのあり方が健康的なんだなって思う。嬉しいし、微笑ましい)。この日の中畑さんは一通りの礼を述べた後で―「生まれて初めて見る、って人います?」と問いかけ、チラホラと上がった手を見て「あ、そんなには、いないですか。どうですか、とまどってないですか? とまどいますよねえ? この感じ」と、フロアに手を差し伸べる。その時点ではほとんどの曲で棒立ちだった観客を差しているのでしょう。「そのほかの方々は、もう、ずっとこの感じで、きたわけですから。ねえ」と笑う。そのあと間を開けて「この旅の終わりに―」って言い出すから、ちょっとドキリとしてしまったけれど、それはツアーの終わりの意味で(ホントにドキッとしたよ! End rollツアーを思い出してしまう)、クリスマス間際のお台場近くという場所で、そこに最も似合わないこのsyrupというバンドが、それでも一生懸命演奏するんで、みなさんも一生懸命楽しんで帰ってくださいと、結ぶ(五十嵐さんは両のこぶしを頭の横に挙げて揺さぶりながら、「頑張る」ポーズ)。「よしっ、言えた!」とまるで子供のような満面の笑顔でガッツポーズする中畑氏。座って「それじゃ次の曲やりまーす」といって、スティックを構えてから「あー」と妙な声を出すものだから、会場笑う。

今回のツアーではどこでもやっているようだけれど、「タクシードライバー・ブラインドネス」が演奏されるとは思わんかったな! 事前情報はいっさい触れてなかったので、嬉しい驚きがあった。そんでもってスゲーよいのですよ。演奏も唄も。まあライブ映えするっていう曲じゃあないけれど、でもやっぱいい曲。ここで初めて聞いたって人はきっとCD買いに走るんじゃないかな。あーそうだ!嬉しい驚きとか言ってたら思い出したけれど、一部公演で「赤いカラス」やってるじゃんか! うらやましい! 「透明な日」もあるし! そのうち「光」とかやりだすんじゃないかって淡い期待もっちゃいますよ。なんか「Heaven」とかやってるところもあるけれど、なんで「Heaven」をチョイスしたんでしょう。そんなに目立った曲ではないと思うんですが…いやだから選んだのか。「うお座」も聴きたかった…。

僕は割と後ろのブロックで静観してたんですが、前方ブロックにいつ火が着くかと気にしていました。昔渋谷のAXで演ってた頃とか、僕が前で見てたこともあるかもしれないけれど、床が揺れるくらいにめっちゃ盛り上がってましたよね?(誰に問いかけているんだ)。だから「syrup=お客さん棒立ち」なんて図式、誰が作ったんだこの野郎なんて思って、前回のホールツアーの感想にも、次はぜひライブハウスでって書いたんだけど、ねえ、ライブハウス(っても大きい方だけど)でやった結果どうですか。すごく盛り上がったでしょう。ホールの時にはなかったでしょう、この一体感。そのフィードバックが確実に五十嵐さんにあったんだと思うんですが、「落堕」の冒頭のノリノリ感(水鉄砲乱射アンド回転パフォーマンス含む)、踊るみたいなギターの弾き方とか、床にぶっ倒れてハウリング&痙攣ギターからの「真空」とか、終盤になるにつれてパフォーマンスもどんどんアグレッシブに変化していって、その熱に飲み込まれるフロアの領域も確実に増えていって、振り上げられる拳の数も増えていって、ステージからのライトに照らされる、その何かを求めるように伸びる数多の拳たちは、後ろから見ていて壮観だった―ホールの「観る」感覚から、ライブハウスの「体感する」感覚へ、観心地は見事に変化していた。

順番前後しちゃうけれど、「神のカルマ」のときかな(今セットリスト見ると、10~16曲目の畳みかけ、すごいね)、ステージ後方の幕がドロップ(真っ黒なやつ)されて、この演出は新鮮だった。フロアの盛り上がりに確実に一役買った。あと今までコーラスってほとんど中畑さんがやってた(一部キタダさん)けれど、今回は別に流してる部分もあったように聴こえたんですが、違うかな。

ああ、あと一番残念なのは、「coup d'État」に入る前の、ドローンとした演奏に乗せて五十嵐さんが語るやつね、よく意味があるような、ないようなことを言ったりするので、その類かと思ってたんですが、どうも違うようで、所信表明というか現状報告というか、そんなニュアンスが込められているように感じられ、耳を研ぎ澄ましたのですが、しかし! まったく! 何を言われているか分かりませんでした…(帰り際に誰かが口にした同じ意見が耳をかすめましたよ…)。「○○させてください。よろしくお願いします」とか言ってた気がしますが、ライブを構成する上でそんなに重要な要素ではないんでしょうか。大事だったらきっと普通にマイクで言うと思うんだよね…。でもファンとしては聴き取りたいわけで。どっかの誰かが文字起こししてくれるのを待ちましょう(それが合っているという保証もないけれど)。

「Rookie Yankee」を最後の最後に持ってくるとは思わなかった。というかライブでやるとは思わなかった。ここに持ってくるってことはそれなりに重要なポジションだと思うんだけれど、何となく視点が「内」から「外」に向かっている気がして、syrupっぽくないなと思っていたので、これで幕切れにしたのは意外だった。だからって「旅立ちの歌」も嫌だけど(笑)。

僕の中ではなんとなくだった『darc』と『coup d'État』の関連性が示されたような気もするし(やっぱり重なるんです、その二作が。上手く言葉でいえないけれど。実際『coup d'État』の曲多かったでしょう。でもそれは勢いのある楽曲をチョイスしたせいかもしれないけれど)、今もってあれだけの熱量を生み出せるバンドが今を生きてないわけないし、ポテンシャルどころかその先の可能性まで示された、非常に素晴らしいライブでした。ちょっと粗い部分もあったかもしれないけれど、それもライブ感を生んでたと思います! 何が「湧き上がる衝動がない」だよ! 何が「言いたいこともない」だよ! 大丈夫だよ! バンドはこんなに生きてるじゃないか! 今回のライブハウスツアーで何か手に入れてくれると、嬉しいなあ。

あとストロボ系のライティングは目が痛い。とか言っておく。

あぁ、2日目も参加するけれど、ニコニコ生放送だし、あまり書くこともないかも~。


↓おーいこれマジかよ!↓




*** *** ***


syrupが解散したのは2008年、このライブが2016年じゃないですか。

その間に僕はチョコチョコほかのバンドのライブにも行ってたんですよ。

今回、久しぶりにチケットホルダー使うかな、なんて思って、収納というか押入れというか、そこからホルダーを出して、ペロッと開けたらビックリした。

2008年3月1日の日本武道館のチケット、その半券が、そのまま入っていたから!

何年越しのご対面だよ。そして何の因果だよ。

ドラマチックな演出だよ、まったく。

そういう意味でも、僕の中では、あの日とこの日がつながったというか、塗り替えられた気がして、syrup16gはかくして完全に復活した。







syrup16gの『darc』をきいています。



※画像は『darc』とは関係ありません。


『darc』に関連したインタビューでは『音楽と人』のものが一番ピンときました。「ああ今五十嵐さんそういう状態なんだなあ」、「あのときそうだったんだ」というのがよく分かる、リスナーというか僕のかゆいところを掻いてくれた、素敵なインタビューでした(そこはさすが金光さんというべきか)。

その中にあった―

「そもそも伝えたいことなんて全然ないし、湧き上がる衝動のようなものって、もはや僕にはないんですよ」

―という言葉。

「作る動機やモチベーションが昔から変わらない」という話の流れから出た言葉なので、「伝えたいことがない」ってのは「昔から」のことだと解釈できるにしても、それと合わせて「湧き上がる衝動がもはやない」というのは、これは以前にも似たような言葉を言っているかと思うんですが、「もはや」ということは「昔はあった」ということで、それが「今はない」ということです。改めて言われるとちょっとショッキングです。だって言いたいこともないし、衝動もない(注意点としては、「湧き上がる衝動」はない、ということだけれど)ということは、ある種の表現者(というとまた大げさかもしれないけれど)としては、致命的にも思えるからです。(今引用した五十嵐さんの言葉がどれほど真実味のある言葉なのかということも、大いに考慮すべきかもしれませんが)

でもそれでも五十嵐隆は曲を作るし、自分でその歌を唄うのです。なぜか?

バンドを解散して、憧れていた普通の生き方を目指すも、「やっぱり俺、普通に向いてないんじゃないかって結論にはどうしてもなって。でも死ぬ勇気もなくて、全部辞めて逃亡……はあ」という言葉にあるように、どこにも行けなくなって、結局「ここ」に戻ってくることしかできなかったからでしょう(「戻された」という方が正確なのかもしれません)。どんな過程があって「普通に向いてない」って思ったのかは分からないし、「普通」ってのがサラリーマン的に働くって意味だったら、若いときはあっちやこっちでバイトしてたはずだし、(これもバイトだけど)ビデオ屋でいいポジションまでいったはずだし、だから働くのは大丈夫なんじゃないですか?って思ったりもするんだけど、何もなしにいきなり「死ぬ勇気もない」とか穏やかじゃない思考に至るはずもないので、何かしらの挫折があったのかもしれません。

「再結成」という言葉が冠された『Hurt』とは違って、今回の『darc』にはそういった付加的な要素―ステータス補正と言ってもいいかもしれません―がありません。なのでここで真価を問われるというと言い過ぎだけれど、いよいよバンドのポテンシャルが(非常に)気にされるタイミングでもあります。

その絶好のタイミングに合わせて、その辺りの―五十嵐隆は「音楽」に戻ってきて、改めて「ここ」でやっていくことに対して、どういう心境なのかっていうところが、『音楽と人』では分かりやすく語られていて、でも分かりやすい反面、僕は非常にやるせなくなってしまって、なんだか泣きそうになってしまいました。嬉しいとか悲しいとかじゃなくて、だって言いたいこともないし、強い衝動もないし、「カラカラになりつつある井戸」という自覚もあるし、あと引用ばかりでスイマセンが、これで最後です―

「ただでもシロップ解散の時点で一応やりきってはいて、そこからはもう、自分では未知なんですよ。音楽やるってことが今どんだけリスキーなことかっていうのもあるし。これしか出来ないから始めちゃったけど、もう契約社員みたいに、1年1年更新していくような形でしかやっていかないだろうなって思うし。そういう意味では諦観したっていうか」

―こんな風に思いながら(ちょっと喋り過ぎな気もしますよ五十嵐さん…!)、それでも音楽やるってどうなんだよ、いや続けてくれてありがとうございますって気持ちもあるんだけど、どんだけの覚悟というか、チャレンジャーすぎるんじゃねえの?って、もういつ終わってもおかしくないみたいな、ギリギリすぎるでしょなんて危なっかしいバンドだよって、そう思って、なんていうんでしょう、言葉で言い表せない、変な重みってやつが心にのしかかってきて、しばらくぼんやりしてしまいました。…でも五十嵐さんが河川敷で笑ってる写真見たら、ほっこりして、自分も笑ってしまいました。

今更当たり前すぎて本当に誰もスルーしてるけれど、とっくのとうに五十嵐さんは唄っていた―

「歌うたって稼ぐ 金を取る シラフなって冷める あおざめる / 辛くなってやめる あきらめる 他に何か出来る?」

―そのまんますぎる…。

-----------------------------------------------------------------------


syrupの曲というか作品がスルメって言われるのは分かります。何回も聴いて味が分かるというか、即効性がない分、長く、飽きずに聴くことができるというか。思い返しても、聴いて1発でスッと耳と心に入ってきた曲というのが、syrupの場合ほとんどない。『coup d'Etat』なんて試聴機で聴いた瞬間に、こんなバンドだったっけ?って思ったこと覚えてます。今やライブの定番曲が並んでる傑作ですし、現時点でのキャリアの中では僕のベストになってます。

スルメっていうのもそうだけど、僕はsyrupの作品にはツンデレ的な部分があると思っていて、そのまんまの意味ではないんだけど、syrupは特に第一期終了前後くらいからですかね、失礼を承知で書きますが「ん…この曲は…良いの?」って思うことが増えたように記憶しています。本当に失礼ですが。でも良い曲は本当に良いんですよ! そのふり幅が実に大きい。挨拶無視されて凹んでたら、急に笑顔で話しかけてきた、みたいな。そういう意味でツンデレ的だと思ったのです。何か奇妙というか失礼な論理ですが、そのふり幅の論理はライブにもあてはまるもので、もちろんライブは水ものですし、どんなベテランだって出来不出来はあるだろうし、こっち側、観る側の問題もあって、その良し悪しもひっくるめてライブとして楽しむものだと思うんだけど、syrupのライブもやはり良いときとそうでないときの落差があったりして、その良いときを体験した人は「きっと次も」って期待して、それで通ってしまうと思うんですよ(逆の場合、足が遠のく人もいるでしょう、もちろん)。どんなバンドにも当てはまることかもしれませんが、やっぱりツンデレ的だよな、って思います。

ご多分に漏れず、『darc』でいうなら、「I'll be there」です。突出している。白眉というほかない。「そっちだ!そっちへ行ってくれ!」って方向に見事にメロディが展開していった。『MUSICA』で鹿野さんがいう「集大成」っていうのにはあまりピンとこなかったんだけど、確かにsyrupが抱える普遍的なテーマというのが、そこにあるのかもしれません。置いて行かれたものの視点。怒りや悲しみではなく、諦め。まどろっこしい言い方をやめると、「やっぱいい曲書くなあ!」ってその一言に尽きる。実は初聴きでちょっと泣いた。終盤のギターフレーズまで含めて全部好き。同じような体験は犬が吠えるのライブで「光」を聴いたときにもあって、あのときも会場で「やっぱこの人すごいなあ、すげーいい曲じゃん」って思ったら、ホロリと涙が出ていた(と書くと涙もろいように思われるかもしれませんが、ライブで泣くということはそうそうないのです)。

こういう曲が書けることを考えると、他の曲ではあえてメロディ抑えてるのかなって思ったりもするんだけど、どうなんでしょう。メロディ全開にしたら、syrupらしくはなくなるかもしれないけど、もっとポップなのが作れるんじゃないかなって気がちょっとしました(1回やって欲しいけど絶対やらないでしょう)。『Free Throw』だか『COPY』だかのインタビューで、自分たちの曲は抜けが悪いって言ってたように記憶してますが、確かにそれはずっと変わらないし、『darc』でも変わってないし、つまり『darc』はポップな部分はあるけれど、ぜんぜん抜けが良くないし、ついでに暗い。ぜんぜん売れ線ではないです。

でも僕は1回聴いてすごく好きになったし、あまり過去作との比較は本望ではないんですが、触感としては『coup d'Etat』を思い出しました。この「くっらいなあ…」って第一印象。バランスが良いんだか悪いんだかよく分からない楽器音たちは気持ち悪いくらいの生々しさで、「Cassis soda & Honeymoon」(この意味の分からなさよ!)の冒頭のドラムでゾクリとする。緊張感が半端ない。コンクリート打ちっぱなしの閉塞空間で天井見上げて、見えない空に憧れてる、みたいな、息詰まり感。ダブルミーニングというか言葉遊びの要素も(おそらく意識的だと思うんだけど)、顕著にカムバックしています。「You're lights goes down, going down」と「世はLIEと業だ 強引だ」は、面白いけど、ホント強引だなって思いました(笑)。あと「Find the answer」って作中では割と風通しの良い楽曲なのに、唐突にサラリと「吐きそうだ 御免」って、答え探しの途中で弱さを見せるところも面白い。言葉遊びメインになってしまうと辟易してしまいますが(ワガママ)、『darc』はよいバランスです。耳だけで聴いてると、ちょっと歌詞がすんなり追えなかったりするけど、それはご愛嬌。ああ、あとどことなく宗教色というか、神の影がちらつくところも、『coup d'Etat』に重なりました。

「Father's Day」は実はライブ映えする曲ではなかろうか。ヌワーンとしたボーカルラインの後ろで、ドラムとベース、リズム隊の暴れっぷりが見逃せない。燃える。「Missing」は「ニセモノ」あたりから感じ始めた演歌感というか、歌謡曲感が再び匂い立つ。グラムとはまた違うんだけれど(でもあのバンドが唄ったら似合いそう)、僕の中ではこれも今やsyrupのカラーの一つ。「きたきたこの調子」って感じ。

生々しい音作り、(苦労の末かとは思いますが)往年を彷彿させる鋭角的かつユニークな歌詞。歌詞の内容は相変わらず出口のない脳内迷宮的な酩酊感(多分にパーソナル)なので、とっつきづらいです。もっと分かりやすく直接的でよいような気もするし(実際今作でもそういう部分はビックリするくらいいともたやすく心に刺さってくる)、普遍的というか―分かりやすく言えば失恋とか―、そういう多くの人が共感(というと嘘くさいか?)できそうな要素になると(もうならないかなあ)、全然違って聞こえると思うけど、きっと嘘は唄いたくないと思うので、それを望むのは難しいんだと思います。『coup d'Etat』が好きな自分としてはああいう衝動性や直接的な分かりやすさ、パンチ力を期待してしまうのですが、もう衝動はないのだから仕方ない! 歌入れでどうにもテンションが落ちているというか嘘が入っているような気がして、結局ほとんど仮歌を採用したことで生まれているこのゆらぎというか、ナチュラル感というか、全体的な生々しい音作りが僕はすごく好きなんですね(バンドとしては不本意かもしれませんが、このちょっとグロテスクな質感、僕はMarilyn Mansonの「The Nobodies(Acoustic)」に通じるものを感じました)、だからこれまでと比較してどうこうではなくて、今作には特別な中毒性があるように思います。せっかく買ったからそんなに気に入ってないけど、とりあえず何回か聴いて自分に馴染ませような的な、そういう聴き方ではない、由緒正しいリピートを実際にしています。

「メメント・モリ」は、Wikipediaから引用すれば―『ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」』という意味であるから、「メメントもらず」ってことはそれを忘れるってことでしょう。「スケベな内に」ってのはエロい意味ではなくて(いやそれも含んでるかもしれないけれど)、生きていくことに対する下心、欲望がある内に、この状況を「受け入れ」ようじゃないかっていう宣言なのかなあ。曲調に反して何となく前向き?って思ったら、次のセンテンスで「受け入れる 振り」って言っちゃってるし…。ちなみにカシスソーダには酒言葉というのがあって、それは「あなたは魅力的」らしい。ハネムーンは「蜜月」。五十嵐さんがここでそのイメージを利用してるのかは分からないけれど、なんとなく喪失感がにじむ。

上に書いたような、引用したような心情でバンド続けてるって考えたら、安易に「おかえり」とか言えなくなりました。ブラックジョークでしょうそんなの。「なんだ、戻ってきちまったのかよ、へへ、おかえり(ニヤリ)」みたいな、黒い笑いしか似合わない。


かくしてバンドのポテンシャルは(僕には)存分に示されたわけですが、まだこんなもんじゃないと思ってる、いや信じているので、その片鱗をライブでぜひ確かめたいと思います。武者震いしそう。


何回も書くけど、解散前に沢山あった未発表曲、どこかのタイミングでリリースして欲しいです。切に願います。『delayed』や『delaydead』だってあるわけですし。そういうコンセプトでいけないかなあ。再結成して、バンドが軌道に乗ってきた(ように思える)次作あたりとか、どうかなあ。ひっそりとだけど、ずっとずっと期待してます。マジで。


過去作と比較したらどこに軍配が上がるのかって方向に頭が行きかけましたが、そこは割愛。


あと前からうすうす思ってたけど、syrupの曲がちょっと変わったのは元ベースの佐藤さんがいなくなってからのように思います。佐藤さんがいなくなったときがひとつの区切りだったと、いつか五十嵐さんも語っていたので、少なくない影響がある…のかなあ…それは当然あるか。別にどっちがどうということではないんですけれど。


*** *** ***



参考・引用文献

金光浩史. 2016. 絶望の向こう側.
音楽と人, 10(18), 128-135. 株式会社 音楽と人

HOWEVER EROS




みなさんポイズンってますか


言いたいことも言えないこんな世の中じゃポイズン、と思いましたが、そもそも言いたいことなんてなかったわ。



HOTEI - POISON


もちろん違う「ポイズン」。20年以上前なのかあ。改めて聴くとめっちゃポップだな。

ついでに「スリル」も聴いたけど、頭からケツまでポップだった。




ワールド






メモ


① ここには怒った調子の嫌な投稿があったりしたんですが、一夜明けたら「やあ、なんだ」という感じだったので、消そうかと思ったわけですが、とりあえず言いたいことはみんなTwitterやめてくれ。





メモ


① コンプレックスをバネに。誰かに勝っても。それは勝ってることになるんですかね。結局、って考えると。ねえ。





NIVAを知っていますか


ひょんなことから知った『NIVA』というゲームがとても素敵だった。



http://www.nivagame.com/

驚くべきことに、name your priceで提供されている。

何をなすべきなのかということは、どうやらオフィシャルサイトに書かれているようだが、雰囲気だけで、よく要領を得ないままプレイしてしまいました。だが要求されていることはそんなに難しくない。ようです。ようです。というのは、とりあえずまだクリアしていないから。

でもクリアなんてよくないですか。どうでも。このゲームが始まったときの、空間的広がり。視界がサアッと開けていくような、風を感じる。すばらしい。

プレイヤーの化身はおそらく『もののけ姫』のシシガミ様をモデルにしているのだと思います。森の神といってもよいのでしょうか。基本的にはこの森の神を動かして、森を平和に導くのが、ゲームの目的であるようです。

嬉しいことにゲームパッドが使えます。使うべきアクションは少なくて、ジャンプと、あとは特殊能力のみ。特殊能力というのは勝手に僕が呼んでいるだけですが、森の中の植物をコントロールすることができるのです。単純に言うと、枯らしたり、生やしたりといった操作をすることができるのです。察しのよい方は想像ができるでしょうが、この特殊能力を使って、多少のパズル的要素といいますか、謎解きのようなものを行いながら、プレイヤーの化身は森の中を進んでいくのです。

謎解きは想像を重ねていけば、それほど難しくないものだと思います。おそらく。多くのプレイ動画もYouTubeにあるので、どうしても詰まって先に進めない方は観てみるのもよいかもしれません。

まあそんな僕もプレイ中ですけれど。グリグリと森の中を歩いているだけでも楽しいんだなあ。落ち着くんだなあ。きっちりクリアしたら、そういう楽しみ方も良いと思います。

気になる方は是非プレイしてみてください。ゲーム中に何ら言葉によるメッセージは出てこないので、英語力が要求されないのもうれしいところ。

あんまり日本語で紹介されているところがないみたいだけど、もったいない!!



でもまあ


飯も食べるし、風呂も入るし、普通に寝るし、元気だけどな。


誰もいない自分だけの場所には音楽が連れて行ってくれるけれど、


きっと僕は、誰かと一緒に同じ景色が見たいんだろう。


遊ばない絡まない力合わせたくない、じゃあ、限界があるんだなあ。







後ろを見るな





鳥たちの上 遠い日の言葉


なんかスカーレットってたまに無性に聴きたくなる時があって、だいたいそういう時は『リフレクション』であることが多いのだけれど、今日はなぜか『シープスリープ』でどうしても聴きたくて、CDラックから引っ張り出した。


このエモーショナルな感じ、よいなあ。解散前後の時期にはこういう感じなくなってたなあ。良くも悪くもだけれど。


SCARLET / 青い月 MV&TV Spot

こんなMVだったかな笑。2004年なのにみんなあんまり変わらない。

にしても橋本くん、何やってるのかなあ…。音楽はやってないんだろうなあ…。




他人のツイートを利用して情報を届ける僕は


買うわ。買うぞ!

今MVが公開されているものよりも、俺は「アンダースロー」が好きだ!

来年あたりのライブ待ってます!



PICTURE