syrup16gをきいています。

というタイトルで長々書こうとして、訳あってやめて、はや数週間。3回くらい聴いたあとに、プリファブ・スプラウトの『クリムゾン/レッド』を聴いたりして。なんだこのジェントルでフォーキーなポップは! すげーまろやか。やっぱパディ・マクアルーンの声がよいのかもしれん。とか思ったりして。

じゃなくて? syrup16gの『Hurt』の話か! そうだった! 何を書いてもぜんぜんまとまらないから、嫌になって投げ出しかかってしまった。うむむ。

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自分にとってsyrupのイメージを決定づけたアルバムってどこなんだろうって考えたんです。そうすると、たぶん『コピー』と『クーデター』だろうなあって結論になって。一番最初に聴いたのは『インディーズマガジン』の付録CDに収録されていた「真空」だったと思うんだけど、そんときはまったく記憶に残ってなかった。

『クーデター』で人生に逆ギレ妄言ノスタルジアで空回って、『ディレイド』はその空回りの反動のごとく、真っ暗な湖底に向かって落ちる石のようにさびしくて、『ヘルシー』はその底で、地獄を直視するのがつらいから、半歩ずれてシニカルにやりすごし、『マウス・トゥ・マウス』で一歩踏み出して、人生のプラスもマイナスもひっくるめた世界観に飛び込み、でもしっくりこなくて『ディレイデッド』で過去に戻りつつ初期衝動を再確認、したけどバンドは昔に戻れず『syrup16g』でありがとう・さようなら(適当だなあ・・・)。結局アルバムごとにカラーが異なっていて、どこから聴き始めたかで、彼らに持つイメージもだいぶ異なるんじゃないかって思いました。

ということで僕はだんぜんsyrupは『コピー』と『クーデター』のイメージなんだけど、つまりそれを頭に持って『Hurt』を聴いてしまったわけなんだけど、そうするとやっぱり結構アレ?ってなっちゃうんですよね。なってしまったんですよ。その感覚を上手く言えたらなあって思うんですけど、どうも上手く表現できない。聴きやすいってことなのかなあ。抜けがよいのかなあ。昔五十嵐さんは自分の曲を抜けが悪いって言ってた気がするんだけど、たとえば「旅立ちの歌」とか、これって抜けがよくないです? 確かにアルバムの中でも異色ですけど。 「ラファータ」とかもそうだけど、こういう感じも出せるのが今のsyrupなんですよね、きっと。だから、やっぱり変わってるんだと思うし、僕はその変化は『マウス・トゥ・マウス』前後で始まっていると思うから、これは後期syrupの延長線上だと思うし、つまりこれを第二期syrupといってもいいんじゃないかと思うんです。たぶんあの先にゴタゴタがなければ、こういう感じのアルバムが普通に(かどうかは分からないけど)出てきてたんじゃないかなあって思います。

だから過去と比べてどうこうってのはあまりアレ、というか野暮なのだろうけれど、僕の中ではいまだに『クーデター』が一番なんですよね。何でなのっていう話だけど。それを書いた。下に。

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五十嵐さん、5年間ホントに何もしてなかったみたいだけど、僕もだいぶ前に1年~2年くらい(1年と2年じゃけっこう違うけど、よく覚えてないんよ)何もしていない時期がありました。ホントに何も。職探しもしてるような、してないような。自分の貯蓄で食ってたから、ニートって言えるのかどうかは分からないけど。実家を出たばかりで、新天地だったから、つるめる人も皆無に等しくて。外に出るのもそんな好きじゃないし、出てもすぐに戻ってきちゃうし(そんなに金もないからね)、まあ孤独といっても差し支えないような毎日。そんな日々の中で僕は『クーデター』ばっかり聴いてたんです。「そればっかり聴いてると、ホントにそんな考え方になっちゃうよ」って心配されたりもしました。ホントにそうだったかもしれなくて。後悔とイラつきばかりで、未来への視点など持てず、いろいろなものがダメになっていって。いやそれはもともと僕がそういう人間だったというだけの話なんだけど、図らずも『クーデター』の日々とリンクしているんです。だから?っていうのも変だけど、僕が一番好きなのは『クーデター』で、そういう意味では、この『Hurt』は、当然?『クーデター』は超えていない。ある人にとっては超えてくるんだろうけれど、僕にとっては違う。

「もう、これでいいや」とか「なんで俺の人生こんななんだよ」じゃなくて、「これじゃだめだ」って方向に、少しでも、僕の気持ちは変わってきたんでしょう。ホントのホントに、ウソみたいな話なんだけど、syrupの解散した時期と、僕の周りでいろいろ変わり始めた時期が重なっていて、ほんの少しでも「このままじゃだめだ」って方向に気持ちが動き始めたのが、ちょうど同時期なんです。その気持ちの動きには、少なからずsyrupの解散というヤツも関係している、と僕は考えていて。だから、生還ライヴでsyrup16gのメンバーがそろったときに、syrup16gの曲が再演されたときに、僕は嫌な気持ちになったんですよ。「なんでそんなことするんだよ、ふざけんなよ」って。完全にこっちのワガママだけど「せっかく俺が変われたのに、なんでそっちは戻っちゃうんだよ」って。そのときの感覚、悔しさを思い出すと、今でも泣きそうになります。でも繰り返すけど、それはこっちのワガママ(再結成がうれしくてなんか変われそう、って人もいるもんね)。

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生還ライヴを観る中で、その後の再結成に際してのインタビューを読んで、僕の心にあった余計なバイアスは取り払われたようで、今ではこの復活をフラットに受け止めています。そして、僕はもう歌詞がどうこうとか、そういう聴き方は、悲しいかな、syrupに対してはあまりできないようですね。前は内側にいた気がするんだけど、今は外から見ている気がします。だからもう自分としては、五十嵐さんの声とメロがあれば、歌詞はなくて全部ラララ~♪とかだけでも聴けちゃいそうな気がするんで、どっかで一回やってください(無理なお願い)。

アルバム全編書下ろしで、って気持ちもすごく分かるんですが、貯まってた曲たちをどこかで出してほしいなあ。「チャイム」とか「犬の星」とか、スゴイ好きでしたよ。あーほら『delayed』や『delayedead』もそうじゃないですか。過去の曲たちを、っていうコンセプトなわけだし。あのシリーズでやれば問題ないでしょう? って期待できないかな。『delayedeaded』とか何でもいいから(笑)。遅れすぎだろ!って(笑)。

でも5年のブランク(ホントにブランクだよね)で、いきなりこれを放り投げてくるのはやっぱスゴイ。復活が決まってから全曲書下ろしたってことは、実質曲を練る時間ってのはあまりなかったわけだし。確かに僕は、ピンとはきていない(スルメなのは認めます)。けど、でも、ぼんやりバッターボックスに立ってたら、いきなり剛速球がズドン!ときたみたいな驚きはあります。滑り出しは大成功。あとはこれから先。気が早い? いやいや。ねえ。期待してます。マジで。

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そう(何がそうなのか分からないけど)、だから発想の転換、じゃないけど、過去と比較するのではなくて、このアルバム単体で受け止めるように頭と心を持っていくとですね、がぜん聴こえ方が変わってくるんですよ。『クーデター』が好きなら『クーデター』聴いてろよって話だし。このアルバムの良さを受け止めるのが、僕にとってよい聴き方なんだって何回かリピートしてて気づいたんですよ。おどろおどろしい、スリリングな「Share the light」(ライヴの一発目にもってこいじゃないか)から、部屋で孤独に酒飲んでる風景が浮かぶ「イカれた HOLIDAYS」(韻を踏んだり、言葉遊びも健在)、おそらくアルバム中で一番人気の「Stop brain」、このディレイギター、ニューオーダー感(「生きているよりマシさ」もそうだけど、今作はホントにベースが唄ってる)、初めて聴いたとき鳥肌立ったな、やっぱりこの人すげえよって(犬が吠えるのライヴで「光」を聴いたときもそうだった。思わず泣いたのはよい思い出)、このワンブロックだけでもどうですか、バラエティに富んでいて、見事なまとまりになっているじゃないですか。

五十嵐さんの声も優しくなった気がするんですよ(歌詞とは裏腹に「楽しんでる」という言い方もできる)。『コピー』の頃とか厭世感がにじみ出てるっていうか、いろいろと「捨て」てる感じがあってスゴイ好きなんですが、いつからかストレートになってきました。「ゆびきりをしたのは」の声には何となくヒリヒリした感じ(泣きそうな感じ)があるんですが、この歌詞の意味は何なんでしょうね(全曲解説は敢えて読んでないんです僕)。「答えが何処に在るのか知らないけど ゆびきりをしたのは」って。何となくバンドの復活に重ねてしまうのは僕だけでしょうか。バンドがどこに向かうかは分からないけれど、ゆびきり(約束)したから、とにかく走り続けるっていう、そんな意思表示を独特の表現でやってるのかなあって思ったんですが。そう思ったらちょっと泣きそうになった。5, 6, 7曲目はちょっといなたいというか、syrup特有の懐古的ダサさがさく裂していて、この感覚自体に安心感。

1~3曲目と同様、8~10曲目も僕の中で見事なまとまりをもつブロックで、「生きているよりマシさ」はまさにバンド解散後の五十嵐さんがそのまま落とし込まれているといっても、過言ではないでしょう。自分のことを唄っていると思いきや、いきなり「君」が出てくるのでびっくりしますが、これは何をたとえているのでしょう。分からないまま、「間違いだったけど嬉しい」にちょっと泣きました。「誰かの君になってもいい うれしい」って感情高まったあとに、またいきなり「死んでいる方が マシさ」ってストンと落とすので、涙目でちょっと笑った。MVでは東京タワーをバックに収めながら五十嵐さんが唄うシーンがあるんですが、東京タワーで思い出したのが、『the last day of syrup 16g』のボーナスディスクの映像ね。解散ライヴのあとタクシーに乗った五十嵐さんと中畑さん、ほとんど会話もなく進んでいくんだけど、五十嵐さんがふいに「ああきれいだ」ってつぶやいて、中畑さんが「お、東京タワー」ってフロントガラスの向こうを見る、そんな何気ないやりとりをする箇所があって。そう考えるとねえ、あのタワーが、2人の別れと再会のモニュメントみたいに思えて、そこまで意図してあのMVが作られているのか分からないけど、ちょっと「あぁ」ってなって、感慨深く思った部分です。

「宇宙遊泳」の歌詞、「次のステージでDestination うんただの僻地が」ってシニカルすぎて笑った(あとに「輝いてくれ」って続くけどね)。最後の「旅立ちの歌」も「もうあり得ないほど嫌になったら逃げ出してしまえばいい」って、おいおいおい「旅立ちの歌」なのに逃げ出すて!・・・まあそれも旅立ちかい!って突っ込んだことはちょっと内緒。

やっぱりなんかまとまんねえから、ここで終わり。あと『音楽と人』の中畑さんインタビューは泣いた。2人のインタビューを合わせて、解散の真相、のようなものが、なんとなくでも見えた瞬間。事務所云々、って話がオフィシャルに出てきたのは初めてじゃないですかね。噂はあったけれど、いろいろ考えてしまいます。よかったのか、悪かったのか・・・。

まあまあ、終わったことさ。

ということで、次はライヴで会いましょう! 楽しみだなあ。生還ライヴの時と違って、今は変なバイアスがないので、下手をしたら号泣の予感です。

よくよく考えていたら、確かに彼らは戻ってきたけど、でも変わったんだと、そう思うようになりました。少なくとも新作ではそう感じる(一言で言おうとすると、暗いんだけど楽しそうっていう言い方になるんだけど、それだとしっくりこない気もする)。「あいつなんか変わったけど、でもやっぱあいつだわ」ってそんな友人いるでしょう、たまに。そんな感じ。

あ、チケット2階席だった! まあいいか。

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