いつになったらすべてを忘れてよいときがくるのでしょうか。
もう来てるのか。
二度と来ないのか。
例のごとく、毎度のごとく、お酒が入ると、やはり僕はグルグルしたことを書きたくなるようです。
誘ってくれる人がいて囲ってくれる人たちがいて僕の言葉で笑ってくれる人たちがいて、
それはすごく幸福なことだし恵まれていると思うのですが、何かどっかに足りないものを感じているのは、
きっと別に求めているものがあるのでしょうし、そしてそれは僕はきっとわかっているはずなのです。
「そこにあるすべて
それがもうすべて
求めればまた失うだけ」
(syrup16g - タクシードライバー・ブラインドネス)
そうだって、分かってるのにねえ、やまない。
もはや仏教的。
貧乏と暇人は求道的にならざるを得ないのか。
忙しくすればいいんだな。そうだそうだ。
そういえば曽我さん何してんのかなーなんて思って久々にツイッター眺めてみましたら、
ともこ一角(いっかく)っていうバンドをはじめてたんですねー、知りませんでした。
曽我淳一さんはトルネード竜巻のリーダー。2009年から活動休止中だけど。
僕は「言葉のすきま」と「パークサイドは夢の中」がすごくスキで、アルバム『ふれるときこえ』のときのライブと、
休止後に一回イベント出演した時に観にったんです。すごく良かった。
んで、そのともこ一角の歌が現在曽我さんのウェブサイトで聴けるんですよ。
バンドの公式サイトはないそうなので、今のところはそこから聴くしかないのです。
これが聴いてみたらホント曽我さんっぽくて(笑)。
いやどこがどうって言えないんだけど、絶対曽我さんぽいんです。
歪なくせにポップミュージックっていうか。
ディストーションギターとフワッとした女性ボーカル。
日常性と刺激性が同居してるっていうか。
いいなあ、って思いました。
3月にライブやったんだなあ知らなかった。行きたかったわ。
初ライブ直後にボーカルの早紀さんが産休に入ったということで(笑)、
でもこれからもコラボという形でライブは続けていくそうで、ちょっと気になっちゃいますねコレは!
さて、聴いた中で一番やっぱり直球でポップだったこの曲が好きです!! 張らせてください!!
関東甲信が梅雨明けということで、僕の大嫌いな夏大魔王がやってきました。夏の好きなところなんて洗濯物が早く乾くところくらいしかなくて(そこはホントに好きです)、他には良いと思えるところが申し訳ないんだけどひとつもない。
働くために外には出ないとならないわけで、そう考えると梅雨も負けず劣らず嫌なんだけど、でも部屋の中で聞く雨の音は嫌いじゃない―
土曜日の午後。学校からの帰り道。雨が降りそうな匂いがしていて。
家に帰って、母親が焼いた生ぬるいホットケーキを食べる。傍らにはコップに入った麦茶があって。
食べている間に雨が降り始めて、庭に咲いている紫陽花の葉を、「パツ、パツ」と、おとなしく打つ音が聞こえてくる。
庭に面した窓にかかっている、レースのカーテンが、フワリと揺れて、生ぬるい風が入ってくる。
僕はテレビのブラウン管を見るともなしに眺めながら、いつしかまどろんでしまう―
そんな子供の頃を、思い出すときもある。
これは向井秀徳さんのあのライブMC「俺ねえ、俺は思い出します。学校から帰ってきて、お母さんが台所で唐揚げをあげております。その唐揚げの香り、飯まだ?まだね?やもうちょい待ってっつって待つ間に、夕方の再放送の漫画を見ます。ドロロンえん魔くん君を見ます。肉まんを食べながら見ます。」につながるものだし、多くの人の中で共有される感覚というか記憶なのかもしれません。
* * *
0) 多少酔っぱらっています。
1) ライブ&ライブレポートの余波でしょうか、しばらくいろいろな方面で休んでた感がありますが、そろそろ平常運転に戻します。頑張ります。でもすべての活動は日常生活の上に成り立っておりますもので、日常生活が最優先にされますのもので、であるからして、なかなかに難しいところは難しいわけで、結局のところ更新できないときはできません。すいません。ここのところ仕事がらみでお酒&お酒&お酒が続くので、なかなか自分の時間が確保できないようです。といっても結局のところそんなに読者さまがいるわけでもないのですが。
2) 夏大魔王が襲ってきたので扇風機を投入しました。出がけに消し忘れないようにときちんと消してから出るのですが、帰ってきたらなぜか冷蔵庫が数センチ空いてました。詰めが甘かった。大したもの入ってないから大丈夫でしょうが、ショックでした。
3) 先日池袋のタワレコに何年振りかで行きましたが、やたらと閑散としておりまして、もしやスタッフの方が多いのではないかと思うくらいで、実店舗はやはり苦しいのだろうかとか、大してイマドキでもないんですが、心配をしてしまいました。かといって応援できるほどにお店で買い物してるかったら、してないんですけども。
4) 深夜に部屋に帰ってきたらゴッキーナが出現しました。が、退治する前にいずこかへ消えました。なぜに「絶対ここに逃げ込んだ!」と思われる場所から消えてしまうのでしょう。不思議でなりません。消えた場所が僕が寝る場所なもので、気になって仕方がありません。気にせず寝ても良いものでしょうか。
5) 結局のところ、愛とリビドーで僕という人間は駆動しているのだと思います。「くりかえされる諸行無常 よみがえる性的衝動」も非常に近しい。納得だ。そして空しい。
6) 自分の人生の行く末を愁い、なんのことはない、友達が欲しい、などと思う夜更け。だが結局のところSNSは…。
7) 昔から思うことは、すべてを裏切ってというかぶっちぎって、涼しい顔して「俺は負けないから」という宣言をしてやりたいということです。誰に?って謎なままなんだけど。不可侵領域。勝ちたいという思いが逃げに結びつく、悲しい構造。『ムーンライトシンドローム』にあった言葉、「君は弱さを強さに転換している」という言葉が非常にしっくりきます。
8) 今宵のキーワードは「結局のところ」でした。分けもなく叫びだしたい。ということは何かが上手くいっていないのでしょう。こんなブログは望んでおりませんが、たまには良いでしょうか。自分を律するというイメージが非常に好きなのですが、そして「そういう人だ」と周りからも見られますが、たまにできなくなります。結局のところこうなるわけです。難しいですね。
2日間とも見事に雨だったわけですが(わりと本降り)、最終日のこの日、終演後になるとアラ不思議、雨は止んでいました。まるでsyrupのライブが終わるまではと、大いなる意志が働いたように感じられ、天候まで味方につけてライブを演出するとはまったくもってニクいバンドだぜと、思った次第。
2日連チャンでsyrupのライブを見るという、幸せに恵まれたワタクシですが、東京公演初日の8日が1階席で、2日目にしてツアー最終日の9日が3階席という、まったく異なる視点を運命の神によって与えられていたのです。どっちがいいかっていうと難しいんですが、バンドに近いのは確かに1階席なんだけど、ライブ(とその演出)を観るという意味では俯瞰的な視点を持てる3階席も捨てがたいなと、どちらも体験して思いました。この日俯瞰してみた思ったのは、「相変わらずセット簡素だなー」ってことです。今までに比べたらスクリーンとか使ってるし、確かに演出は力入ってるけど、でもセットはホントにシンプル。ドラムセットがほんのちょっと高くなってるだけで、あと平板ですもん。飾りなんていらねーよって感じで、そこが好き。
+ + +
この日もよくしゃべりました。ビックリした。と内容を書く前に、まずはセットリストはこちら。ほとんど初日と同じ並びですが、一部「Everything is wonderful」が「負け犬」に差し替わり、ラストが「生活」~「リアル」ではなく、「coup d'Etat」~「空をなくす」~「Reborn」になっていました。「Reborn」東京ではやらないかと思ったから嬉しかったなあ。
さてこの日は、頭っから初日の違和感もなくスムーズな出だし。非常によい感じでライブ空間に入っていけました。歌声はツアー最終日ということもあるんでしょう、疲弊した感じも見られましたが、逆にそこが生々しくてよかったです。妙な危うさというかリアリティが生まれていて、それをロック的といってしまうと良く言い過ぎかもしれませんが、嫌な感じはぜんぜんなかったです。
「冷たい掌」もサビの爆発力が獲得されていて、格段に初日よりパワーアップした印象だったんですが、何が違うんでしょう。音のバランスが違うのかな。エフェクト? 正体はよく分かりませんが。冷静に聴くとヘンテコな曲だなと思うんですが、それをライブで違和感なく披露するバンドと、なんの疑問もなく受け入れるファンという図式も幸せの形です。
「Stop brain」の前あたりですか、ふいにMCが始まります。
「いやーツアーもいよいよ最終日」って五十嵐氏。
「正直…」と言いかけて妙に間を空ける。
静まり返る空間。
「終わって良かったなあって」と安堵の息を吐きながら五十嵐さん。
場内笑うが、
「まだ終わってないから!」って中畑さんピシャリと突っ込む。確かに! まだ終わってない!
「正直ここに立ってるのが奇跡かっていうくらいに、ツアー嫌いだったんだけど」
って五十嵐さん正直すぎるわ! 確かにそんなキャラクターだけども!
「今日はもう、最後の一滴まで、拭いきれなくなるくらいまで、絞り出してやるので」
って何だかんだやる気を見せてくれて一安心(って変なライブだよまったく:笑)。
「My Song」から「明日を落としても」って落差あるヨなって思いながらも染み入りつつ、昨日のクライマックスを飾った「正常」がこの日もお目見え。すわどうなるかと期待しましたが、不思議と初日を超えることはなく。いやもちろんよかったんですが、初日の浸透力は発揮されず。続く「負け犬」~「吐く血」と、位置的には昨日の最大クライマックス(変な表現)に輝いた部分なのですが、この日はひとつ引っ込んでいる印象。
だが! この日のクライマックスは別にあったのです! それは次の「Share the light」! ノりきれないとか先日のときは書いたのですが、僕が不満に思っていたサビの爆発力が不思議にも改善されていまして、何なんだろうこれは、中畑さんのコーラスか? いったいなぜ爆発力と厚みが獲得されたのかはやはり謎なのですが、サビ(といってよいのか分からない箇所ですが)が、ちゃんとひとつ前に突っ込んでくる感じで、非常にビリビリときました。カッコいい! 実際ギターとベースとドラムだけで、よくもまあ、あんなにドスの利いた空間を作り出すものだと、その深淵さに酔いしれました。
「真空」の入り方って何パターンかあると思うんですが、この日は五十嵐さんの痙攣ギターがメインになっていたように思います。初日は中畑さんのドラムぶっ叩き。ステージ中央でよろけたようにギターをギャギャッ、ギャギャギャッって引く姿にまたシビれます。syrupの好きなライブアレンジ(っていうのか分からんけど)のひとつです。今回やってないけど「Sonic Disorder」のアレンジも好き(やって欲しかったア)。
「パープルムカデ」~「神のカルマ」~「Thank you」とほぼ間を空けずに続き、あっという間に本編終了です。やっぱ「Thank you」カッコいいすわ。ドラムがよいです。帰りの道中もなぜか頻繁に頭に上ってくるのがあの出だしのところで。音源で始め聴いたときは、やはりというべきか、違和感がありましたが、今聴いたらなんていうか、「良い曲」としか感じられません。これぞライブの力です。ライブの力で楽曲のイメージが塗り替えられました。「Thank you」は一度ライブで聴くべきではないでしょうか。キラキラと走ってる感じが、今のsyrupに似合ってます。
+ + +
そんなに喋ってねーじゃんって思うかもしれませんが、これからです。僕も当日はそうでした。「ああ今日はあんま話さない日なのな。そういう日もあるよね」って思ってました。しかーし!! ここからだ!!
アンコールでTシャツ姿で登場した3人ですが…
ななななんと! マキリン(と呼ばせてください)ことキタダマキ氏が、あの激渋クールなスーパーベーシストが! ステージの際まで進み出た! そして誇らしげに胸を張り、「オレのTシャツ見ろよ」と言わんばかりに親指を胸に突き立てる(心なしか笑ってる?)! なんだこのパフォーマンス!
3階席の僕にはそのTシャツの文字が見えなくて本気でヤキモキしてたんですが、調べたところ「医者」と書いてあったとかないとか…(笑)。
「患者Tシャツ着たくないんだって」と五十嵐氏がギターしょいながら笑う。
「スーパードクター」って中畑さんも笑う。
スーパーベーシストならぬスーパードクター誕生(笑)。
しかしなんだ「医者」って! このために作ったのですか?? でも医者って何かマキさん似合う(笑)。
「vampire's store」って初日も中畑さんのコーラス入ってたかしら。思い出せない。でもこの日は入ってて、これがすごくいい。この曲のサビの部分ってトーンダウンするような調子があるから、そこで勢いが殺されちゃうんですよね、僕の中では。でも中畑さんのコーラスが重なることで、音の厚みが増すし、確実にそこが浮き上がってくるし、すごく曲として完成された形になると思います。この曲確実にライブで進化してます。これからもカッコよく変わりそうで楽しみ。そう考えると「To be honor」や「Thank you」もそうだけど、ツアー嫌いっていうわりには、ライブで映える曲とかライブで演ったときに盛り上がる曲とか、意識して書いてるんじゃないかって勘繰りたくなります。
「落堕」の入りもカッコよかった。あの3人でギャリギャリドカドカブリブリやってるとこ。初めてあの形聴いたの日比谷だったかなあと思うんだけど、体感的にあのときと同じくらい長い入りで、こういうの僕は何時間でも(っていうと言い過ぎだけど)聴いていたい。本当にカッコよくて気持ち良い。もうこの曲は殿堂入りして他の曲に座を譲ってもいいんじゃないかってくらいの活躍ぶりだよ、「落堕」。
+ + +
まだそんなに喋ってねーじゃんって思うかもしれませんが、まだこれからです!
2度目のアンコールで出てきた3人。
(五十嵐さんのコケたようなパフォーマンスもありつつ)定位置に着くや否や―
「じゃあ、スーパードクター、最後に一言お願いします」って、まさかの五十嵐氏からフリが!
場内大歓声!!!! キタダさんちょっと笑ってるっぽい!
でもこのまま流されちゃうんじゃないのおなんて思っていたのも束の間! 歓声が静まるのを待って、ちゃんと話してくれるマキさん!!
「えー、今日はどうも、ありがとうございますぅ」って!!
うわおっ、ちゃんと肉声聞いたのいつ以来だ! なんか声高くね!?
「お大事に…」ってマキリン、オチまでつける!!
場内大喝采!!!!
「今日イチの盛り上がりじゃん」って笑ったのは中畑さんか?
それを横目に見ながら五十嵐さん、場内に目配せして、ささやき声で―
「ちょっとすべってたね」だって!
いやらしいわー(笑)。寡黙なマキリンにフッといてそれはないわあ(笑)。
思わぬいじめっ子ぶりを見せた五十嵐氏でしたが、一気にエンジン全開で何やら分からぬ雄たけびを上げて―
「coup d'Etat」さく裂!!
こっからの「空をなくす」!!
圧倒的にシビれる!!
しかしホッコリムードからの落差がすごい!!
ここからも分かるように(?)、もはや楽曲のイメージとバンドの在り様を重ねるのはsyrupには似合わないのかもなあって考えてしまいました。昔はピリピリした雰囲気でライブ演ってるときの方が圧倒的に好きだったし、ペラペラしゃべってるときは逆に嫌がってたりした僕ですが、今はぜんぜんこの楽しそうな雰囲気がすごくうれしくて、よく分からない論理だけど、ごめんなさいって言いたいです。曲は表現のひとつであって、それはそれとして受け取ればよいだけのこと。バンドの雰囲気は良いに越したことないし、曲以外の部分でそれを見せられても、それは表現とは関係ないのだと、キッチリ分けて受け取ればよいんです。だからオレは、今のsyrup、大好きです(昔から好きですけど)。ハッキリと、そう言えます。
「いやー、いよいよツアーも終わり」って話す五十嵐さん。
もうすぐ終わりだなって客席も分かってる。ちょっとさびしいからもっと話してほしいって思う。
「さっきはツアー大嫌いとか言っちゃったけど」
間。
「終わってみると、楽しかったなって」
それは終わったからじゃないのか!ってツッコミを、僕も含め多くの方がしたことでしょう。
「ちょっと、ぜんぜん関係ない話していい?」って唐突に五十嵐さん。
「友達いないからさ、しゃべる人いないんだよ、聞いてくれる人が」って自嘲(笑)。
何か各所で休止期間のこといろいろ話したからかな、一周回って開き直ったのかな五十嵐さん。うしろめたさみたいの、ないよね。
「昨日ね、帰って寝るじゃん。寝ようとするんだけど、やっぱ寝れないのよ(と、このあとゴニョゴニョいう。興奮して眠れないってことでしょう)」
僕の頭には、暗い部屋で布団(ベッドではなくて断然布団)に横たわるサラサラヘアーの五十嵐隆が浮かぶ。なぜかクスリとする。
「でね、寝たり、起きたりを繰り返すんだけど、そしたらね、ついにね、あれを見ちゃったんだよ!」って興奮気味に。
何? 何を見たの?
「あの、あ、め、アレ、ん? なんだっけ? あの、あれ」
ってもどかしいわ!!(笑) アドリブなんかやっぱり。
「明晰夢! 明晰夢? あの意識はハッキリしてるんだけど、夢っていう」
「こう色とかもさ、きらびやかで、ハッキリしてて」
とここから独壇場で話し始めます―
「なんかね、こう、可愛らしい(と手で丸い形をなでるように)小動物とかさ(場内笑い)、やさしいお姉さんとかいて、キレイな景色で、お花畑とか広がってて(場内爆笑)、もう、楽園、パラダイスでさ、やった!って思って。オレもう、一生ここにいてやる!って思ったの(五十嵐さんのイメージ通り過ぎて、またも場内爆笑)」
「でも、だんだんね、いやこれはヤバいって思ってきて。浦島太郎的なアレだと思うんだけど(謎の「浦島太郎的なアレ」。何となく分かりますが、ぼかし過ぎ!)。ヤバい起きなきゃつって、頑張って起きたんだけど」
「たぶんね、あのまま寝てたら―死んでたね!」
大大爆笑に包まれる場内。
「でもあそこにいるよりも、今日ここにいる方が、10倍も、100倍も楽しいです」
「ホントにありがとう!」と言って演奏に入りながら、「また来てね!」って言ってくれたように思います。
すげーうれしい言葉だった。涙出そうで。絶対また来ますから。
最後の最後に繰り出された必殺の「Reborn」は、終わりの方で客電点けるからさ、いつかの武道館を思い出してグッときてしまった。
場所も状況もぜんぜん違うんだけど、あのとき明るい視界の中で鳴らされた「Reborn」は、「バンドの終わり」を意味していて、でも今日のそれは「終わり」とは対極にあって、あのとき終わりを告げた「Reborn」が今似たような光景の中で「始まり」を告げていると思ったら、すごく感慨深くて、よい意味で打ちのめされました。もちろん生還ライブのときも「Reborn」は鳴らされていたんだけど、僕の中ではこの日の「Reborn」はまた違う意味合いなんです。なぜってこの2日間のライブで、僕はsyrupは新生したと、感じたからです。明るい調子でごまかすように、端々に、今後への決意のようなものが感じ取れて、「癒える事ない痛みなら いっそ引き連れて」というミスチルの歌詞が頭をよぎるような、開き直ったような強さを感じ取ったからです。
+ + +
音源で聴いてると「曲が変わった」って思うんですが、ライブだとあまり違和感がないんですよね。まあライブっていう筋が一本入ってるからってのもあるかとは思うんですが、もしかしたら僕らが思うほど変わってないんじゃないかって、よく分からなくもなりました。でも逆に考えれば(?)、バンド側がこれまでの曲も今の曲もきちんと自分たちの中に落とし込めているってことだと思うんです。だからきちんと「今」の自分たちで、自分たちの曲を鳴らしているっていうか。決して懐メロとかじゃなく。そういう意味でも、syrupは決してレジェンド、伝説などではなくて、「今」を生きているバンドなのだと思います。正確にいうと「今」に蘇った、というとゾンビみたいですが(笑)、でもホント見事な蘇りです。
「冷たい掌 握り直して 過去へ 連れてって
冷たい掌 握り直して 未来へ 連れていこう」
ってなんとなく、この復活の暗喩にも受け取れませんか。
冷たくなった掌を握り直して、過去も受け入れて、そして未来へ―
+ + +
不思議なもんで、僕は彼らが解散した時のレポート(このブログにはないです)に、その後の自分と音楽とのかかわり方について、「ドラゴンボールが終わってから週刊ジャンプを読まなくなったのと同じようなことが起こるような気がする」という回りくどい表現で書きましたが、これはつまり「ドラゴンボールが終わって他の漫画も読まなくなった」→「syrupが解散して他のバンドも聴かなくなるんじゃないか」という意味でして、悲しいかなその予見は少なからず当たることになったのです。まったくとはいかないですが、他のバンドさんの音楽を聴くことから遠ざかり、そしてライブからもメッキリ足が遠のいたのです。でも今、その逆のことが起ころうとしている、というか起こる気配を感じます。
syrupの復活を確信した今、他のバンドのライブにも久々に行こうかな、なんてちょっと思ってる自分がいて、自分でもビックリです。いったいどこまでいつまで僕に影響を与えれば気が済むんでしょうかsyrup16gというバンドは!
大好きだ!
どうかのんびりでよいから、末永く、活動してください。切に願います。
おしまい。
うわあああああああ。
患者Tシャツ買ったよ。着てる。書いてる。
9日のライブも行くのだけれど、これを着ていく勇気がない。一人で行くもんで。上になんか羽織っていって会場で脱ぐって手もあるけど、僕の中ではそれは邪道。なのです。
しかしライブTシャツって久しぶりに買った。この袖を通した時の不思議な一体感っていうんですか、「ああオレこのバンドのファンだ」っていう愛の再確認っていうか、「このライブ行ったんだよな」って感慨もあるし、いたるところのファンとこれを着ることによって見えない糸でつながっているような、奇妙なうれしさもあります。あとフェイスタオルも買ったけど(これは家で使う)、ステッカーも買ったけど(PCに貼りそう)。今回は珍しくバンドにお金を落とす(いやらしい言い方)僕であります。
+ + +
ここ近年(解散前後も含めて)で、最も五十嵐氏のトークが聞けた公演ではないでしょうか。ご存知のようにsyrup16gのライブはMCがほぼありません。ないときはホントにない。「ありがとうございます」、「ありがとうございました」くらいしかないときもある。まあライブに何求めてんだよって話だけれど、でも好きなバンドに直に接するからには、普段は聞けない生の声(すなわちそこだけの、行った人だけが聞ける肉声)を求めるのもファンの心理というものです。今日はそれが非常に満たされました。
セットリストはこちら。
ホントに序盤はやっぱり硬い印象があって(特に「冷たい掌」)、それは前回のライブの時も一緒だったんだけれど、置きにいってる感じがすごくあって、ハズさないように、ハズれないように、堅実に、そしてちょっと探ってる感じっていうか。歌も演奏も。それが硬さにつながっていたんだと思います。「To be honor」をこんなに頭、3曲目に持ってくるとは思わなくて、本編ラストとかその辺りかと思っていたので、意外でした。でも予想通りというか、この曲はライブ映えします。あの広がりのある空間と、その中でスコーンと抜けていく五十嵐さんの声。改めていい曲だと思いますし、今後ライブの定番曲になってもおかしくないです。
「HELPLESS」はアレンジが違うっていうか、鋭いギターを前面に出してきたので、初め何の曲か分からなかった。分からなかったし、頭のギターを五十嵐さんはミスったようだった。顔の前に手を出して、ドラムの中畑さんに詫びていた。「明日を落としても」や「吐く血」においても歌詞のトビが見られ(笑)、往年のトチりっぷりが頭をよぎり、懐かしく、ホッコリした気持ちになってしまいました。
「My Song」や「明日を落としても」になると、やっぱりもう聴かせ方が違うと言いますか、冒頭の置きにいってる感じなど微塵もなく、ホントにひとつの塊としての曲がそこにあって、もちろんドラムとベースとギターと声によって成り立ってるんだけど、すべてが1個にまとまってる感がすごくて、特に「明日を落としても」はやっぱり破壊力がすごくて、何回も聴いているのにいっこうにその破壊力は薄れなくて、僕は目がウルウルしてしまいました(歌詞をトばしたというよりは、ちょっと入りを間違ったような箇所がありましたが、強引に進みました。僕は潤んだ目でちょっと笑ったもんです)。
本編のクライマックスは何回かありましたが、個人的には間違いなく、8曲目の「正常」がピーク。2回目の日比谷でやったときから、この曲のライブでのヤバさを意識しはじめましたが、この日もヤバい。鳥肌立ちました。かつてのsyrupの真骨頂と思われる、澱んだ空気と、サイケデリア、仄かな甘さが入り混じり。そして静と動の対比によるカタルシス。中畑さんの叫びとドラミングに呼応するように、どんどん曲の熱量が上がっていく。五十嵐さんの裏声もさく裂。そして底の方で曲を牽引し続けるキタダさんのストイックなベース。すごく、すんごーく好きです。特に歌が終わってからがすごくヤバい。もっと長尺で聴いてたいくらいです。
このあとかなあ(違うかもしれません。記憶曖昧)、五十嵐さん喋る!
「こんばんは!」て威勢よく。「帰ってきましたよ!」って、親戚の兄ちゃんみたいな挨拶をする。
場内を飛び交う「おかえり!」の黄色い声と野太い声。
「ぜんぜん緊張してるんだけど」ってサラリと正直にいう五十嵐氏。
場内温かい笑い。
「今日2日目!じゃなくて、1日目だけど」と続ける五十嵐氏。
「ツーデイズなんてできると思ってなくてさぁ。やらせる方もどうかと思うけど」って笑う。
まさかの批判(笑)。
続けて何か言ってたけど、歓声で聞き取れません。五十嵐さん喋るとみんなうれしいんだよね。内容的には「今日で全部出し切る」的なことを言ったんだと思います。
「明日のために喉大事にしようとか、そういうのやってきてないし、できないし」
「だから気分的にはね、今日が最終日、千秋楽ですよ。ハートだけはね!」と薄い胸を叩く。場内大歓声!
「Everything is wonderful」の浮遊感とサイケデリア(ギャリギャリしたノイズギターかっこいい)もよかったんですが、「吐く血」のアッパーな調子が印象的でした。確かに曲調はもともとノりやすいですけども、イントロで「フゥーッ!!」とか五十嵐さん言ってくるから、「この歌詞で『フゥーッ!!』ってノりすごくね?」って思って、一人でニヤニヤしてました。
「Share the light」は見るたびに「演奏難しそうだなあ」って思ってしまって、どうもノりきれません。いやカッコいいんですけどね、サウンド的には「ニセモノ」に匹敵するくらいヘビーな切れ味持ってると思いますし、演奏は実際切れてたんですが、サビでもうちょっと爆発力出るともう完璧です。
このあとは本編ラストの「Thank you」まで怒涛の名曲連打。「天才」(「Share the light」からの「天才」に違和感ないのが驚いた)、「真空」(入りがカッコいい!最後に中畑さんが『ワンワン!!』って叫ぶの何←これは「落堕」か?)、「パープルムカデ」(左足上がらず。序盤に一瞬浮いた)、「神のカルマ」ときたもんです。セットリストを見て分かるように、今回のライブは万遍なくすべての作品から選曲されてますが、どちらかというと、攻めのスタイルです。それは完全にバンドのモードを暗示しているし、実際本編ラストの前に五十嵐さんが決定的な言葉を口にします―
「まあ」とちょっと腰をかがめた感じで笑いながら―
「おとなしいけどね! 大丈夫ですか」って。
ああ! やっぱり気にしてる! おとなしいって言われた! 裏を返せばもっと盛り上がってくれよってことでしょ!? 俺ら攻めてんだからついてこいよって! 場内笑いが起きる辺り、みんな気づいてんだよね!
「いつもだいたい楽しそうだけどねー、うんうん」って誰に向かって言ってるのか分からない口ぶりで続ける五十嵐氏。
すかさず場内では「楽しいよ!」、「楽しい!」って黄色い声と野太い声が。
「次の曲で最後なんだけど―」って言われかけるや、客席みんなで慌てて、「えー!!」って一際ユニゾンで盛り上げます(笑)。
「まあ感謝の曲なんで―」と言って五十嵐氏、フワッとした裏声で華麗にコーラスを始める。このアレンジにくいわー、かっこいいわー。メロディで「Thank you」って分かったけど、何かすっかりライブバージョンに生まれ変わってる気がしますね(歌詞も一部「諦めない僕に Thank you を」を「諦めない君に Thank you を」に変えてきた)。カッコいい。僕は「旅立ちの歌」よりこっちが好き。やたらと疾走感あるし。当然好き嫌いはあるでしょうが、考えようによっては「翌日」と同じようなポジショニングなのかなあって、聴きながら思いました。
+ + +
立ったままアンコールを願うこと数分、暗がりの中でステージ天井から何かが下りてくるのが見えました。
ああ!
他公演で「レンコンが降ってきた」という分けのわからない情報を某所で目にしていたのですが、その意味が分かりました。手術台の照明を模した照明道具(分かりにくい表現でスイマセン)が天井から降りてきていたのですね!(詳しくは「手術台 照明」で画像検索してネ!) 患者を演出してるわけか!、あーいいじゃん、面白い演出じゃないですか!って一人感心してました。しかもちゃんと照明つくし、ライトの色も場面に合わせて変わるし、どうやって作ってるんでしょうかアレは。もともとああいうのがあるんでしょうか。分からんけれど、面白い。手術台まであれば…ってそれはやりすぎか。そこに寝てギター弾くとか? いや、やりすぎだ(笑)。
いや話が逸れました。「vampire's store」はやっぱりライブ向きですね。やっぱりまだこなれてないこともあるんでしょうか、音源をなぞったような感じでしたが、ライブ独自の熱量が吹き込まれれば、これは定番曲になってもおかしくない(「Sonic Disorder」とまではいかないか)。
東京のお客さんは(僕も含め)スロースターターなんでしょうか、アンコール2曲目の「落堕」になってようやく拳を振り上げはじめました。「寝不足だっていってんの!」の合唱もさく裂。ここにきて遅すぎるともいえるヒートアップでついにバンドと熱量がかみ合った気がします。遅い!! 他公演の情報をほとんど見てなかった僕は、ここで終わりかな?とか個人的には思ったんですが(もちろんまだやって欲しいという気持ちがありながら)、客電がつく気配もないし、これは期待していいのか!?と、再びのアンコールを願う。
間髪入れずにっていうと言い過ぎだけど、全然またせずに再度登場した3人。
ドラムセットに上った中畑さんが、五十嵐さんを指さし、ギターを弾くポーズをとり、「こいつが今からイカすギター弾くからよぉ」的なナイスな笑みを見せる。それを受けて、ぜんぜん曲に入るそぶりがあったわけではないのだけれど、置いてきぼりをくらいそうになった五十嵐さんが焦ったようにいう、「ちょっと待って!!」って割とでかい声で(笑)。
みんながハッと見たら、シールドがこんがらがってて、絡みをほどくべく、ギターを中空でグルングルンと回す五十嵐氏がそこに(笑)。その様子、まるで服の裏返しを直すべく格闘する子供のようで。数秒、それを見守るわれわれ。まったく今回はなんでそんなにお茶目なんだ!
と、軽快に話し始める五十嵐氏(ホントに楽しそうだなあ…)。
「こんなTシャツ買ってくれた人、ありがとね」って。患者Tシャツ。やっぱ自覚あるんだ、ヘンなデザインだって(笑)。
「うちに帰ってパジャマにしてたらお母さん驚いちゃうよね。ついに来たか!っつって」と続ける。
「分かりやすいナ」って中畑氏のつっこみさく裂。
「ねえ、ほんと」と話題を変えつつ五十嵐さん、「さっきの『落堕』って曲もさあ、チューニング間違えて演奏しちゃうし…」と唐突な暴露(笑)。中畑さんも笑う!
「5年6年経つとこうなっちゃうから、ねえ、これからライブもちょっとずつ(と指の間に隙間を作り)やってってね」(場内大歓声)
「みなさまに恥ずかしくない!syrup16gを!お見せできるように、頑張っていきます!」と、西川きよし師匠の「小さなことからコツコツと!」ばりの握り拳を作りながら、聞いたことないような宣言を! らしくないけどすげー嬉しい! 続くんだよね! そうだよね! ライブもいっぱいやってくれるんだよね!
こんな明るい調子いつ以来だよ?って思ったけど、思い出せない(笑)。924(daimasの日記スペシャル)とかさ、あのくらいまで遡らないとないんでないかな(僕はあのときの「翌日」がすごくスキなんです)。
「日々の積み重ね、ですよ」って言った五十嵐氏、そこから「生活」のイントロへつなげるニクい演出。こういうのアドリブでやってるんかな。寝る前とかに考えてるのかな(笑)。普段口数少なそうなのに、ここぞというときに、バチッとした言葉を口にするのは、どこか「北斗の拳」のケンシロウにも通じる気がして(笑)、まあ何が言いたいかっていうと、僕はそういう人が好きっていうことです(ケンシロウはちょっと行き過ぎてるけどな)。
もうこの辺の「生活」や、ラストの「リアル」に関しては、単純に楽しんじゃって何がどうとか一切頭に上ってきませんでした。
去り際に客席を拝みながら、五十嵐氏が手をメガホンにして、会場に向かって何か口にしたようですが、まったく聞き取れず。なんて言ってたんでしょうか。
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点数付けるのはおこがましいので、来場前の期待を超えたか否かで表現すると、見事に超えてきました。すばらしかったデス。上手く言えないんだけれど、syrupについては「来るか来ないか分からない『その時』を、信じて待ってる」っていうイメージがあって、一度でもsyrupに(よくも悪くも)打ちのめされたことがある人は、また「それ」を求めて彼らを聴いたり観に行ったりすると思うんです。でも必ずしも「それ」はやってこない。かと思えばこれまでを上回る「それ」がやってくるときもある。だから、僕らは「それ」がくる「そのとき」を信じて待ってるんです。だって確かにそれを与えてくれたんですから、もう一度、ってそう思うのはおかしいことじゃない。音源に関しては一度聴いちゃうとどうしても2度目は2度目になってしまうから、だから僕らは1回こっきりの水ものであるライブに足しげく通うのです。そこにしかないものを求めて。今回のライブでかくして「それ」は与えられました(個人的には「正常」~「Everything is wonderful」~「吐く血」がベスト)。だから僕は、また行くでしょう。「それ」を求めて。(まあsyrupに限らずライブってのはそういうもんだとは思いますが)
今あたりまえにsyrup16gが自分の生活に存在し始めてますが、考えてみれば、4年も5年も不在だったわけで、でもそんな気がしないところが非常に不思議なのです。思うに不在期間中も普通に聴いていたからではないかと踏んでいるのですが、果たしてどうなんでしょうか。それとも、もうキッチリ終わりを認めてたからなのかなあ。
バンドの調子というか雰囲気がホントによさそうで、今後のこととか何にも分かりませんが、期待しちゃうよ?いいよね?って問いかけたくなるような、素敵なライブでした。そういう意味では、いよいよ、本当に、復活の狼煙が上がったのかもしれません。新譜が出たばかりですが、新しい曲が聴きたくてたまりません。どんなんが出てくるのか。
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NHKホール初めての1階席でしたが、わりと近くで見た五十嵐氏はやっぱり細くて白くて疲れてて、頼りなさげでした(初めて見たときから変わってない)。煽り気味の中畑さんに対してキタダさんはいつにも増してクールな印象でした(さすがに紹介されたときは手挙げてましたけどね。そんくらい。あとは「落堕」でのドラム間近でのブリブリベース)。中畑さんは演奏もそうだけど、叫びとコーラスがすごいなあ(特に「真空」)。五十嵐さんを食いかねない要(かなめ)っぷりでした。
五十嵐さんのサラサラとしたストレートヘアは、「俺もうひねくれないよ」って意志の表れなんじゃないかって、今回のライブを見ながら、フト思いました。おしまい。
ネット上にものを書き始めてから10年以上が経っていることに気づきました。その頃の文章に触れて凹むという、これまで何回繰り返したか分からないサイクルを、また繰り返しました。文章を書く喜びに満ちている、ように思える瞬間が多々あって、今の僕には、あの「走った」調子はないのです。思考の幅も広かったし、言葉のボキャブラリーも多かったし、角度・視点も多彩だった、ような気がする。そしてあろうことか、これが一番凹んだ部分なのですが、考えていることが、変わっていない。しかも「変わっていない」ということを過去にも書いているということです。どういうことだってばよ。つまりは何にも変わっていないということです。
付き合う人間は多くなったが、行動の範囲は狭くなったような気がします。曲がりなりにも社会の一員になったからでしょうか。思うに僕はエネルギーのキャパシティが少なくて、生業(なりわい)にエネルギーを使い始めるや否や、その他の部分にエネルギーを使えなくなったということではあるまいか。だから僕は何においても大成しないのだ。それはそれで構わないのだけれど、よくある話というヤツで、自分が「いつか思っていたツマラナイ大人」になってきているのではないかというところがたまらないのです。いやそれすらも「仕方ないよね」で受け入れようとしている自分がいて、それに抗えるかどうかということを確認する意味もあって、こんな恥ずかしい文章を書いているのかもしれません。そもそもこのブログにはそういうこと、こういうことは、書かない腹づもりだったのです。ああ悔しい。
でもだからといって過去に書いていた日記が「面白かった」ということではありませんよ。このブログが日記全開になるということもないでしょう。ただ僕は、自分がショックを受けたということを何がしかの形で、ここに記しておきたかったのです。刻まれた歴史が正しいかどうかも分からない古代の石碑のように。
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syrup16gのライブ(東京公演)が間近ですが、何をしてよいか分かりません。珍しくソワソワしています。ライブを100%受け入れるために、何かできることがあるような気がするのですが、何をすればよいのか分からず、ヤキモキしています。インタビューを読むとか、作品を聴くとか、ライブDVDを観るとか、そういうんじゃないような気がしていて、落ち着きません。
でも今はなぜか椎名林檎の『無罪モラトリアム』を本当に何年振りかで聴いているという分けのわからない展開。話トビますが、やっぱり名盤ですよこれは。ファンの人は「今更何言ってんだよ」ってお思いでしょうが、「歌舞伎町の女王」とか「丸の内サディスティック」とかヤベえ。いや全曲ヤバいけども。「そういえばずいぶん聴いてないなあ」って思ったそこのあなた、聴いてみてください。ヤベえって思いますから。
「嗚呼 しくじった しくじった まただわ」(積み木遊び)って、「この間 俺はまた でかい過ち犯したんだ」(不眠症)に通じやしないだろうかとか、よく分からない思考展開になってきたので、ここまでにしておきましょうか。
何かこの物思いに意味はあったのかと考えてしまいますね。たぶん意味ない。
ライブが近くなってきたせいか、syrup16gを聴く頻度が上がっています。
『Kranke』については何かしょっぱい感想を書いてしまいましたが、なぜだかその『Kranke』を聴く回数が圧倒的に多いのが不思議です。でも思い当る節はあって、僕は「ながら聴き」と「本聴き」で使うヘッドフォンを分けているんですが(スピーカーではまず聴かない、というか、聴けないのです。隣近所の存在がありますから)、「本聴き」で聴いたら、明らかに違う聴こえ方をしてきまして、「あれ、すげーよくね、コレ」という気持ちが芽生えてきたもので、それを確認するように、日々何回も聴いているという次第です。
何回か書いているように僕は『クーデター』が一番好きで、理由はいろいろあるんですが(詳しくは過去記事参照)、改めて考えると、音作りも一因としてはあると思うんですね。ベースの目立ちっぷりとか、ドラムのクラッシュとかハイハットとかの立ち具合、刺さり具合とか、ギターのディレイとディストーションの同居(睡眠薬とビンタという比喩を使おう)とか、シューゲイジングというか白濁感というか、白昼夢的な危うさと美しさがあって、すごくスキなんです。
それに比べると、以降は音が細いというか、キレイすぎるんじゃないの、なんて思っていました。昔エモが盛り上がってきたときに、J.ロビンスがプロデュースする作品について「音をキレイにしすぎる」という意見を言った人がいましたが、そういう言葉を使いたくなる感じだったんです。
高山徹さんがマスタリングしたとか言っても、僕はほとんど気にしてなかったんですけどね。おそらく今回初めて、syrupの作品でミックスやマスタリングについて意識しました。『ヘルシー』のリマスタリングも確かに「いいなあ」って思っていたんですが、そこまで気にすることなかった。
この音の粒が立ってる感じっていいますか。全体ですごく包容力があるんだけど、その空間の中で、ひとつひとつの音の輪郭がすごくクッキリしている。だから混沌とした調子はないんだけど、聴いていてすごく気持ちよいというか、カッコいいというか、心地よいんです。「vampire's store」の後半とかすごくカッコよくて、作品の中でがぜん上位に浮かび上がってきました。ボーカルと拮抗するようにギターフレーズもしっかり突き刺さってくるし、ベースもブリブリ唄ってるし、ドラムも重量感あるし。ライブでどうなのかっていうのはもちろんまた別ですが。
そもそもたとえば『クーデター』の頃とは曲の作り方というかギターの使い方とか違う気がするから(よく分かりませんけどね)、一概に比較はできないけれど、混沌としていながら浮遊感を保っていた『クーデター』とは確かに違っていて、けれどまた新しい音を獲得しているのです! そしてそれはおそらく今のsyrup、表面的な陰鬱さが薄らいだsyrupに、似合っている。
まさかこういった方向から今のsyrupを再評価する気持ちが自分の中に出てくるとは、露とも思っていませんでした。ライブも楽しみです。
あと「Thank you」のコーラスってずっと「あきらめの~」だと思ってたんですが「あきらめろ~」なんですかね。「あきらめの悪い」に被せてるから「あきらめの~」だと思ってました。
おしまい。
≫ ガチで鳥肌…不可解なホラーゲーム『Sad Satan』深層Webで発見される
気になりますよね。
とりあえず「Sad Sad Satan」の動画はNine Inch Nailsっぽいイメージ。
サウンドも、『Ghosts』の頃とか、似通ってる気がします。
『Ghosts Film Festival』への参加作品といってもまかり通りそうな気はする。
参考動画―
1) ミネット・ウォルターズの『悪魔の羽根』を読了しましたが、「マッケンジー案外弱えぇ…」って貧弱な感想しか出てこなくて、もはや読んでいるのが申し訳なくなるレベルでした。次はジェレミー・ロビンスンの『怪物島』です。
2) 「人ごみ嫌いなんだよね」というセリフを自分の個性のようにのたまう方がたまにいらっしゃいますが、人ごみ好きな人の方が少ないんじゃないかな、と思います。間違ってたらスイマセン。僕はもちろん人のいない通りの方が好きです。大通りは避ける生き方みたいです。
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