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Archive for 2014

Marilyn Manson - Deep Six (Explicit)



マンソン・イズ・バック!! 2015年1月に発売が予定されている新作『The Pale Emperor』からのトラック。

一発でマンソンを想起するこのイントロからしてここ数年のなんだかな~な作品とは一線を画していませんか。

なんだかんだ言って、ベスト盤以外のアルバムはすべて持っている(はず)の僕ですが(昔はシングルも集めてたし、自伝だって予約して初版で手に入れた)、『Eat Me, Drink Me』、『The High End of Low』、『Born Villain』と、アレアレどうしちゃったのかな路線が続いたここしばらくのマンソンにはまったく血が騒がなくなっていたのです。『Eat Me, Drink Me』はまだ、そのパーソナルな世界観と演歌調のドラマチックな哀愁がユニークで何回か聴きましたが、あとは正直曲覚えていないくらいです(ホントに失礼ですいません…)。「もうマンソンもダメかなあ」なんて、かつての盟友トレント・レズナーが勢いづいているのに反して、マンソンにはどうにも「ダメ」なものを感じてしまっていたのです。

このトラックの前に公開されてた「Third Day Of A Seven Day Binge」も、ミドルテンポの湿っぽい曲で、ここ数年のマンソンから離れた感じではなかったので、新しいアルバムもまたそんな感じなのかなあって残念にも思ってなかったところに! この「Deep Six」が! きたわけですよ!

上にも書いたけどこのイントロ! そして走り始めるカッチリしたリズムに、ディストーショナルなギター! さらにポップなメロディときた上に、マンソンのシャウトも効いてるし、なによりこのブギーな調子! たまらなくカッコいいじゃないですか。思わず笑ってしまいました。直線的なリズムと快楽に直結したハードなギターサウンドは、『The Golden Age of Grotesque』に近いものを感じる。ちなみに僕は『Holy Wood (In the Shadow of the Valley of Death)』が一番好きだし、マンソンのルックスは『Antichrist Superstar』の頃が一番好きです。

メンバー構成というか、誰が曲作ってるかでけっこうアルバム自体が変わってくるのが、マリリン・マンソンというバンドの面白いところでもあり短所でもあるんだけれど、でもこの新しいアルバムには期待しちゃいますね。ここしばらくなかったですよ、マンソンのアルバムに期待するなんて! 前回は前評判よかったから期待したんだけど、ぜんぜん合わなかったんです…。

MVも見方によってはちょっとコミカルなんだけど、昔からマンソンは道化を演じているので、この感じも何やら懐かしく感じてしまいます。にしてもマンソン、やっぱり太った! ネットでもいろいろ言われてたけど、そんなのネットのアレだろ、ネタだろただの、たまたま角度の問題でとかそんなんだろって思ってましたが、確信しました。彼は太った(笑)! まあ健康になったということでしょう。ロックスターのイメージとしてはちょっと丸みが目立つけれど、でも以前よりはマシになってるのかな? さすがにボンテージファッションはもうやらない方がよいかもな…。「The Beautiful People」のMVとかカッコよかったなあ(遠い目)。

ということで、何か批判的ともとれる意見も書きましたがそれも愛あればこそ。新作は必ず購入します。ライブがアナウンスされ始めているけれど、日本も来てくれるのかな? タイミング合えば行きたいデス。前に観たときはケツ見せてくれました(笑)。きれいな白色。

本当はもっと長く書きたかった、というかいろいろ振り返りつつ総括したかったけど、エネルギー切れのようです。

では。




ドラゴンボール 「ロマンティックあげるよ」





人生のある瞬間においてテーマソングに成り得ます。

ロマンティックあげるよ。

ってすげーポップな言葉だなって思います。

Wow



ワーオ。



『キリンの国』をプレイしていました。

ここ数日、スタジオ・おま~じゅさん制作によるフリーゲーム『キリンの国』をプレイしていました。

ダウンロードしてからちょっと時間あいてしまったんですが、一息ついたタイミングで何の気なしにプレイしてみたら、一気に引き込まれて、そこからズッポリと、最後まで。

すごく、すごく面白かったです。
なので興奮して何やらしたためている次第。

***

この先はストーリーに触れているので、先にプレイしてドキドキしたい方は読まないでくださいね。

さて、キリンの国っていっても、何?動物の国?って感じかもしれませんから、ちょっと紹介文を公式サイトから引用させていただきます―

“梅雨の頃、鞍馬特区からの手紙が届く。
それは鞍馬のお姫さまからの招待状。
梅雨明けと共におとずれた夏休み。
キリンと圭介は、天狗の国、鞍馬への冒険に旅立つ。
少年たちの友情と、人生の節目を描いた、長編ビルドゥングスロマン。”


ってこれだけでも分からないかもしれません。

舞台は一応日本国ですが、独自の設定が設けられています。
それは天狗という存在で。
天狗には天狗たちの決まりごとがありますし、人間には当然人間たちの決まりごとがあります。
そして天狗と人間たちの関わり合いもあります。
また天狗たちの間でも勢力争い、権力争いもあります。

天狗は人間たちと共に暮らしてはおらず、商業的な部分で関わりはあるようですが、基本的には天狗たちで独自に生活を営んでいます。
そして詳しくは描かれていないものの、人間と天狗は決して仲の良い関係ではなくて。

そんな世界でのお話。

わけあって天狗の国から追放されていたキリン(という名前の少年です)は、人間の国で暮らしている中学生(この作品に出てくる天狗は、いわゆる真っ赤な顔に長い鼻をもった典型的な容姿ではなくて、人間と何ら変わらない見た目なのです)。彼は幼き日に、天狗の国、鞍馬のお姫さまであるヒマワリと約束を交わしているのですが、彼女からある日手紙が届くのです。

会いたいと。

人間の世界でのたった一人の友人である圭介(けいすけ)を強引に誘って、キリンは鞍馬の国へ旅立つ決意をします―

というのが導入部なんですが、てっきりガチガチのファンタジーだと思っていた僕は、この時点でかなり引き込まれていました。冒頭部分が完全に違う世界のお話(鞍馬の国の天狗たちが政治的な話をしている)だったので、小難しい路線かと思っていたのですが、本編がはじまるや、主人公はどうやら中学生二人組だと分かり、なんだか一気に親近感湧いちゃいました(だって昔は自分も中学生だったし)。

この本編以降で如実に感じることなんですが、文章がよいです。ダウンロードサイトで同じようなことを書いている方もいましたが、僕も同じ感想です。技巧派とか凝ってるとか、そういうんじゃなくて、逆です。非常に読みやすい。要は文章もリズムだと思うので、KAZUKIさんの文章のリズムが僕に合っているということかもしれないです。もちろんインターフェースも関係あるでしょう。エンターキーやマウスクリックで文章を読み進めるわけですが(言い忘れた!今作はノベルゲームです)、このバランスもすごくよいです。クリックが負担になるほど文章が細切れにされていることもなく、逆に一気に表示され過ぎて読んでいる間にリズムもへったくれもなくなって興ざめ、みたいなこともないんです(いわゆるノベルゲームでは、これすごく重要だと思います)。

そう、文章は読みやすいんですが、ときおりハッとさせられる表現が出てきて、しかもそれが浮いてなくて、作品の世界にマッチしてて、読んでて何度もうなりました(わざわざ引用はしません)。すごくスキな文章です。

世界観もキッチリ作りこまれていて、天狗の国の文化や政治、経済、歴史的背景も細かく設定が設けられていて、物語に厚みを与えています。特に食べ物についての描写は多く出てきますが、どれもすんげえ美味そうで、あれらは実際にあるものなんですかね? どうなんだろ。腹減りながらプレイしていると、よだれが出てきそうです。

そういう、強固な世界観と、文章のよさと、あとはイラストもよいんですよ。立ち絵枚数1000枚以上、立ち絵用意キャラクター数25人という、豪華なつくり。いわゆる萌えな路線は回避されていて、シンプルなんだけどきちんとキャラクターが描き分けられていて、しかも服装のバリエーションや、表情や立ち居振る舞いの動きも豊かで、これも物語にアクセント、躍動感を与えています。

強固な世界観、文章のよさ、イラストのよさ、と三拍子来たところで、一番大事なのはストーリーですね。言うまでもなくこれもよい! 会いたいという一心でヒマワリの元へ向かう二人ですが、とある事情で簡単には会えないわけです。純粋な気持ちで突っ走るキリンが「子供」であるとすれば、それを拒む事情というやつは、いわば「大人」でしょうか。そんな大人と子供という対比的な構造が、この物語の大筋にはある気がします。その狭間にいるのが、キリンと行動を共にする圭介で。彼はキリンのストッパーとして機能(つまり子供をたしなめる大人のような)しますが、ところどころで、自分の中の純粋な衝動にも気づいて、それと格闘します。そしてそれぞれが自分を知り、成長していく。

でも単純に純粋な気持ちが認められるべきで、それを拒むやつらがおかしいとか悪いとかいう展開にはなっていないところがまた、よいです。特に天狗側の雲龍のポジションとか絶妙ですね。キリンたちを助けるわけでもないんだけど、でも身内でも曲がったことをする奴は容赦なく罰するっていう。めちゃカッコいい。

やっぱりですね、葛藤のある物語ってよいですよね。なぜなら人生って葛藤の連続で、登場人物の葛藤には少なからず感情移入できるわけで、その葛藤の解決に向けて登場人物たちが強い気持ちを持ったときには、本当に興奮しますし、涙だって流れます。そういう強い思いっていうんですか、それが充満していていたるところで胸を打たれます。クライマックスはやはり圭介がキリンを助けに向かうシーンでしょう。なんだよこのハートの強さ(しかも文章はくどくない。絶妙)。もう、ボロボロしっぱなしですよ・・・。

これは演出のうまさにも通じるかもしれないんですが、文章と音楽とイラストの使い方がとにかく巧みで、ここぞというところで必ずキメてくれます。僕は何度もポロポロしたり、鳥肌立ったりしてました。個人的にマックスだった2か所を上げさせてもらうと、序盤でキリンが教室の窓から雲を眺め、そこに広がる「夏」に気持ちを抑えきれず、窓から抜け出していくシーン。すげえいい。忘れていたことを思い出させるような。あとは、中盤、ヒマワリの近くまで行くも会うことはかなわず、遠くから顔を一目見るだけという、切ないシーン。5年ぶりにヒマワリの顔を見たときのキリンのあの顔、いやそこにある感覚が、画面中からバチーンと伝わってきて、鼻の奥がジンジンしました。他にもたくさんあるんですが、あんまり書くとインパクト損なってもいけないんでこの辺で。あと初めはわりとライトなノリですが、終盤からは一気に「死」の影がちらつくシリアスな展開になってきます。気づいたら「え、まさか?」ってドキドキしてました。

とにかくこのあらゆる要素がフィックスされた『キリンの国』。傑作だと思います。気になる方は是非プレイしちゃってください!! 全編からにじみ出る夏休み感もノスタルジアを呼びます。解放感にあふれた夏の終わりはさびしくて―旅の終わりは別れの予感で、そんな別れがいくつも用意されていて、これもとても、なんというか、胸に迫るんです。まさにセンチメンタル・ジャーニー。

ちなみにスタジオ・おま~じゅさんは同じ世界を舞台にした『みすずの国』も制作しています(こちらもフリーです)。時系列的にはたぶん『キリンの国』よりもあとになるのかな? こちらはボリューム的には『キリンの国』よりも少なくなりますが、よい作品です(ヒマワリも出てきますし、『キリンの国』で聞いた名前もチラホラと)。合わせてプレイするとよりいっそう楽しいと思います。含みのある表現があったり、詳細が意図的に回避されているような部分もあるので、他にも同じ世界の作品が予定されているのでしょうか? 期待しちゃいます。

あ、一番好きなキャラクターはホオズキです。ほっち。ホチ助。和みます。でもあの子に泣かされるとはな・・・。

※作者さんのブログを読むと、シナリオを書く上でのプライオリティの一位に「リズム」とあって、ああやっぱりだからこそこの気持ちよさなんだなと、納得しました。自分の感じ方が間違ってなかったこともうれしい。

MEET AGAIN


チャットモンチー 『いたちごっこ』

やっぱりチャットモンチーは強いなあ!!って思いました。マル。

syrup16gの再発ライヴを観てきました。

国際フォーラム。2階席。

もはやセットリストとかそういう書き方しないからオレ。できないという方が正しい。

とりあえずまだツアー終わってないから、曲タイトルや演出関係は極力省くor全部伏字にします(想像が膨らみません?)



*** *** ***


演奏に関してはキレッキレのライヴですごいよかったです。声もすんごい出てたけど、ところどころちょっと気になっちゃう部分があったのも確か。

頭の何曲かちょっと硬い感じがあって、ドキドキしちゃったけど、中盤の「生活」あたりから抜けた感が出てきて、一気に突き抜けました。2曲目でいきなり「**」とかやるから、何かホントに理由が分からないんだけど、涙がこみあげてきてしまった。懐かしいのか嬉しいのか、自分でもよく分からないんですが、万感の思いというのはああいうのをいうんでしょうか。

序盤でさらっと「ただいま」とか言っちゃうから、ええそんな簡単に!? もっと大事に使ってくれよその言葉!とか思ったんだけど、みなさんはどうなんですかね。意外に調子が軽くてびっくりした。

「君待ち」もやったりして、スクリーン使ったりして、ああいう演出はすごく久しぶりだと思うんですが、やっぱりsyrupには似合うと思う。もっと使えばいいのにな。2回くらいしか使ってなくないかな。

ただ曲演奏してるだけじゃなくて、バンドとしてすごくまとまってて、そこがとてもよかったです。やっぱりライヴだもんね。「ニセモノ」とか、まさかあのアルバムからの曲をやるとは思ってなかったので意表を突かれたんだけど、めっちゃめちゃカッコよかった。特にイントロ。あの重量感と鋭さの同居。重い剣でジュバッと空間を切るような抜群の切れ味。思わず口をついて出てしまった「かっけえ・・・」のつぶやきに自分で笑いました。

アコギパート(といっても弾き語りではない)の「ハピネス」。syrupの真骨頂でしょう。これだよこれ、どうよこの一発で空間を塗り替える力、とか思いながら、目を閉じて聴き入る自分。自分がどこにいるのか分からなくなるこの感覚、久しぶりだった。高音もきっちり出てたし、ドラムやベースもぜんぜん邪魔になってなくて、パーフェクトな一瞬でした。続く「理想的なスピードで」もよかった。やっぱり最新アルバムの曲ってPOPなんだって、この辺で改めて気づいた。だってオレ全部口ずさめたからね。やらなかったのは「(You will) never dance tonight」と「メビウスゲート」だけだと思うけど、あとは実際一緒に唄うことができるくらいに、ホント頭の中にメロディが残ってることに気づいた。いやあのアルバムは傑作ですよ(今更かよ)。

終盤で畳み掛けるように演奏された「宇宙遊泳」、「落堕」、「リアル」の連打が特にバンドの復活を感じさせました。中畑さんのドラムがキレるキレる(吠えまくってたし、ドラムセットにも何回も上ってた。アンコールの「**」のとき背中からライト浴びて数秒間、あのシルエット、めちゃんこカッコよかった)。この辺りの導入部の、あのドロドロした感じっていうのかな、混沌とした感じも久しぶりに味わった。ギターとドラムとベースが渦を巻いて絡まり合っていくスリル。冴えわたる混沌、という矛盾したような表現さえ頭をかすめる、鋭い闇。ホントにバンドのイメージ通りの音像がそこに広がっていて、もう復活の狼煙とか、そういうレベルをはるかに超えた水準のライヴになっていて、頼もしすぎました。

MCは相変わらずほとんどなかったけど、でも喋ってくれた方だと思うけど、1つだけ書かせてください。1回目のアンコールかな、「イカれた HOLIDAYS」、「希望」と続いて、次の曲に入る前に、「えーあんまり好きじゃない曲、やります」って箇所が一番笑った。言いながら「え、言っちゃダメ?」みたいな感じで後ろを見る五十嵐さん。そして視線を受けた中畑さん、笑ってた。そんなこと言ってから唄われても・・・ねえ(笑)。まあ「旅立ちの歌」かなあって思ったけど、やっぱりそうで。ジャカジャカギター弾きながら、軽快に歌ってましたなあ。確かに異色だわ。でもあのテイストも違和感なく(とは言わないけど)鳴らせるというか、ライヴの中に組み込めるということは、ライヴという筋が1本通っているから、ってのはもちろん事実だけど、バンドが解散までのキャリアと今現在をきちんと繋げられているからだと思うんです。だからこれまでのアルバムからもほぼ万遍なく、曲をやってくれたんでしょうし。繋げた上で、次のステージに向かおうとしてる、いや向かってるという感覚を、ヒシヒシと感じました。

曲の作り方とか歌詞の書き方とか、もしかしたら変わってきてるのかもしれないけど(その辺は僕はよく分からない)、でも新作は間違いなくPOPだし、すぐれた作品だと思うし、そう考えると、これから先に何が出てくるんだろうって、すごく楽しみになってきたんです。ライヴ中にふと思ったのは、「もう涙は求めてないのかもしれない」ってこと。ホントにふとそのイメージが頭に降ってきたんだけど、知らず知らず、僕はsyrupに涙を求めていたところがあって、それは言い換えれば「感傷」とか「心の傷」とかそれに結びつくもろもろの事象、エピソードとかになるんだろうけれど、そういった要素をsyrupに求めていたことに気づいたいんです。そういったところを唄って欲しいって。

でもライヴ中にふと思ったのが、「もしかしたらもう違うのかも」ってことなんです。この日のライヴはもちろん新しいアルバムからの曲が多くて、そこでふと思い至ったのが、対象は過去じゃなくて今なんじゃないかということなんです。何のって、歌詞の世界観というか、闘ってる相手というか、その部分の対象が。歌詞の内容は、過去からの攻撃に苦しんでるんじゃなくて、今現在目の前の世界にどう立ち向かうかという、その部分にフォーカスが移ってるんじゃないかってことなんです。話をまとめると、僕もそうだということです。過去におびえるんじゃなくて、これからの世界―今現在、あるいは未来に、どう立ち向かうかという、その恐れや苦痛、苦悩というのが大きいということです(もちろん希望も持ちたい)。そういう意味で、もう「涙は求めていないのかもしれない」と、閃いたんです。だから、図らずも僕の心情というか心の状況もまた、syrupのネクストステージと共振しているのかもしれません。

だから感じることなのかもしれませんが、お客さん(いや俺もお客さんだけど)、おとなしすぎません? まあ今回は会場が会場だけに、仕方ないかってところはありますが・・・、にしても、新作からの「宇宙遊泳」とかすごくいい感じだったのに、ほとんど動きなしですよ。これ、もう、スタンディングのフロアがあるところでやった方が絶対よいと思います。もったいないですって。コンサートみたいなかしこまった調子が強すぎて、すごくよい演奏だったのに、エネルギーが一方通行っていうか、客席からステージにエネルギーが向かってないというか(名古屋はホント盛り上がりすごかったらしいジャン・・・うらやましいナ・・・)。考えてみたら、ここ最近の(ってもだいぶ前だけど)東京公演ではライヴハウスでやったのっていつだよ・・・って2007年のリキッドルームってマジかよ? 7年以上前(っても2008年解散だから間抜かせばそんなに昔でもないのか)。もうなんか、ホント、次はライヴハウスでやってみてもよいんじゃないですか! チケットとれなくても仕方ない! 行けた人が盛り上がれれば! あ、余計な話でこの日の僕はといえば、男女に挟まれていたわけですが、男の子→ノリノリ、女の子→泣いてる、というわけでまさに冷静と情熱の間(ちょっと違うがな)でバランスを取りつつ、ノーマルにノってました。あと家に帰ったら扇風機回りっぱなしだった・・・。

というわけで(どんなわけだ?)、ライヴはすんげーよかったです。最後に「**」か「**」やって欲しかったけどやらんかったなあ。それが心残り。そこだけです(新作からの曲はさすがにちょっとこなれてなかったけど、これからの発展に期待して)。すばらしかった!! 伝説と化した黄金の左足も拝めたしね(笑)。

僕のハートは非常に満たされました。もうしばらく音楽聴かなくても大丈夫かもしれません。ってそれは違うか。でもそんな心持にすらなる満足感に、今は支配されています。

ありがとうございます。


*** *** ***


・・・。

さて。

彼らが2004年10月10日、日比谷野外大音楽堂のライヴで、第一期を終了してから、僕がずっと言えずにいた言葉があります。

この言葉を、言える日がくるなんて、想像すらしてませんでした。

「犬が吠える」が終わってから、きっとこのまま終わりだって、そう思ってた。期待すらしてなかった。

だから、正直ちょっと忘れちゃってたのかもしれない。言いそびれてたけど。

この場を借りて。届かないかもしれないけど。



おかえりなさい。


ホントのホントに帰ってきたんだなって思って、また自分の生活に彼らが存在し始めるということに、不思議な気持ちすら感じています。



では、また。必ず会いに行きます。


syrup16gをきいています。

というタイトルで長々書こうとして、訳あってやめて、はや数週間。3回くらい聴いたあとに、プリファブ・スプラウトの『クリムゾン/レッド』を聴いたりして。なんだこのジェントルでフォーキーなポップは! すげーまろやか。やっぱパディ・マクアルーンの声がよいのかもしれん。とか思ったりして。

じゃなくて? syrup16gの『Hurt』の話か! そうだった! 何を書いてもぜんぜんまとまらないから、嫌になって投げ出しかかってしまった。うむむ。

***

自分にとってsyrupのイメージを決定づけたアルバムってどこなんだろうって考えたんです。そうすると、たぶん『コピー』と『クーデター』だろうなあって結論になって。一番最初に聴いたのは『インディーズマガジン』の付録CDに収録されていた「真空」だったと思うんだけど、そんときはまったく記憶に残ってなかった。

『クーデター』で人生に逆ギレ妄言ノスタルジアで空回って、『ディレイド』はその空回りの反動のごとく、真っ暗な湖底に向かって落ちる石のようにさびしくて、『ヘルシー』はその底で、地獄を直視するのがつらいから、半歩ずれてシニカルにやりすごし、『マウス・トゥ・マウス』で一歩踏み出して、人生のプラスもマイナスもひっくるめた世界観に飛び込み、でもしっくりこなくて『ディレイデッド』で過去に戻りつつ初期衝動を再確認、したけどバンドは昔に戻れず『syrup16g』でありがとう・さようなら(適当だなあ・・・)。結局アルバムごとにカラーが異なっていて、どこから聴き始めたかで、彼らに持つイメージもだいぶ異なるんじゃないかって思いました。

ということで僕はだんぜんsyrupは『コピー』と『クーデター』のイメージなんだけど、つまりそれを頭に持って『Hurt』を聴いてしまったわけなんだけど、そうするとやっぱり結構アレ?ってなっちゃうんですよね。なってしまったんですよ。その感覚を上手く言えたらなあって思うんですけど、どうも上手く表現できない。聴きやすいってことなのかなあ。抜けがよいのかなあ。昔五十嵐さんは自分の曲を抜けが悪いって言ってた気がするんだけど、たとえば「旅立ちの歌」とか、これって抜けがよくないです? 確かにアルバムの中でも異色ですけど。 「ラファータ」とかもそうだけど、こういう感じも出せるのが今のsyrupなんですよね、きっと。だから、やっぱり変わってるんだと思うし、僕はその変化は『マウス・トゥ・マウス』前後で始まっていると思うから、これは後期syrupの延長線上だと思うし、つまりこれを第二期syrupといってもいいんじゃないかと思うんです。たぶんあの先にゴタゴタがなければ、こういう感じのアルバムが普通に(かどうかは分からないけど)出てきてたんじゃないかなあって思います。

だから過去と比べてどうこうってのはあまりアレ、というか野暮なのだろうけれど、僕の中ではいまだに『クーデター』が一番なんですよね。何でなのっていう話だけど。それを書いた。下に。

***

五十嵐さん、5年間ホントに何もしてなかったみたいだけど、僕もだいぶ前に1年~2年くらい(1年と2年じゃけっこう違うけど、よく覚えてないんよ)何もしていない時期がありました。ホントに何も。職探しもしてるような、してないような。自分の貯蓄で食ってたから、ニートって言えるのかどうかは分からないけど。実家を出たばかりで、新天地だったから、つるめる人も皆無に等しくて。外に出るのもそんな好きじゃないし、出てもすぐに戻ってきちゃうし(そんなに金もないからね)、まあ孤独といっても差し支えないような毎日。そんな日々の中で僕は『クーデター』ばっかり聴いてたんです。「そればっかり聴いてると、ホントにそんな考え方になっちゃうよ」って心配されたりもしました。ホントにそうだったかもしれなくて。後悔とイラつきばかりで、未来への視点など持てず、いろいろなものがダメになっていって。いやそれはもともと僕がそういう人間だったというだけの話なんだけど、図らずも『クーデター』の日々とリンクしているんです。だから?っていうのも変だけど、僕が一番好きなのは『クーデター』で、そういう意味では、この『Hurt』は、当然?『クーデター』は超えていない。ある人にとっては超えてくるんだろうけれど、僕にとっては違う。

「もう、これでいいや」とか「なんで俺の人生こんななんだよ」じゃなくて、「これじゃだめだ」って方向に、少しでも、僕の気持ちは変わってきたんでしょう。ホントのホントに、ウソみたいな話なんだけど、syrupの解散した時期と、僕の周りでいろいろ変わり始めた時期が重なっていて、ほんの少しでも「このままじゃだめだ」って方向に気持ちが動き始めたのが、ちょうど同時期なんです。その気持ちの動きには、少なからずsyrupの解散というヤツも関係している、と僕は考えていて。だから、生還ライヴでsyrup16gのメンバーがそろったときに、syrup16gの曲が再演されたときに、僕は嫌な気持ちになったんですよ。「なんでそんなことするんだよ、ふざけんなよ」って。完全にこっちのワガママだけど「せっかく俺が変われたのに、なんでそっちは戻っちゃうんだよ」って。そのときの感覚、悔しさを思い出すと、今でも泣きそうになります。でも繰り返すけど、それはこっちのワガママ(再結成がうれしくてなんか変われそう、って人もいるもんね)。

***

生還ライヴを観る中で、その後の再結成に際してのインタビューを読んで、僕の心にあった余計なバイアスは取り払われたようで、今ではこの復活をフラットに受け止めています。そして、僕はもう歌詞がどうこうとか、そういう聴き方は、悲しいかな、syrupに対してはあまりできないようですね。前は内側にいた気がするんだけど、今は外から見ている気がします。だからもう自分としては、五十嵐さんの声とメロがあれば、歌詞はなくて全部ラララ~♪とかだけでも聴けちゃいそうな気がするんで、どっかで一回やってください(無理なお願い)。

アルバム全編書下ろしで、って気持ちもすごく分かるんですが、貯まってた曲たちをどこかで出してほしいなあ。「チャイム」とか「犬の星」とか、スゴイ好きでしたよ。あーほら『delayed』や『delayedead』もそうじゃないですか。過去の曲たちを、っていうコンセプトなわけだし。あのシリーズでやれば問題ないでしょう? って期待できないかな。『delayedeaded』とか何でもいいから(笑)。遅れすぎだろ!って(笑)。

でも5年のブランク(ホントにブランクだよね)で、いきなりこれを放り投げてくるのはやっぱスゴイ。復活が決まってから全曲書下ろしたってことは、実質曲を練る時間ってのはあまりなかったわけだし。確かに僕は、ピンとはきていない(スルメなのは認めます)。けど、でも、ぼんやりバッターボックスに立ってたら、いきなり剛速球がズドン!ときたみたいな驚きはあります。滑り出しは大成功。あとはこれから先。気が早い? いやいや。ねえ。期待してます。マジで。

***

そう(何がそうなのか分からないけど)、だから発想の転換、じゃないけど、過去と比較するのではなくて、このアルバム単体で受け止めるように頭と心を持っていくとですね、がぜん聴こえ方が変わってくるんですよ。『クーデター』が好きなら『クーデター』聴いてろよって話だし。このアルバムの良さを受け止めるのが、僕にとってよい聴き方なんだって何回かリピートしてて気づいたんですよ。おどろおどろしい、スリリングな「Share the light」(ライヴの一発目にもってこいじゃないか)から、部屋で孤独に酒飲んでる風景が浮かぶ「イカれた HOLIDAYS」(韻を踏んだり、言葉遊びも健在)、おそらくアルバム中で一番人気の「Stop brain」、このディレイギター、ニューオーダー感(「生きているよりマシさ」もそうだけど、今作はホントにベースが唄ってる)、初めて聴いたとき鳥肌立ったな、やっぱりこの人すげえよって(犬が吠えるのライヴで「光」を聴いたときもそうだった。思わず泣いたのはよい思い出)、このワンブロックだけでもどうですか、バラエティに富んでいて、見事なまとまりになっているじゃないですか。

五十嵐さんの声も優しくなった気がするんですよ(歌詞とは裏腹に「楽しんでる」という言い方もできる)。『コピー』の頃とか厭世感がにじみ出てるっていうか、いろいろと「捨て」てる感じがあってスゴイ好きなんですが、いつからかストレートになってきました。「ゆびきりをしたのは」の声には何となくヒリヒリした感じ(泣きそうな感じ)があるんですが、この歌詞の意味は何なんでしょうね(全曲解説は敢えて読んでないんです僕)。「答えが何処に在るのか知らないけど ゆびきりをしたのは」って。何となくバンドの復活に重ねてしまうのは僕だけでしょうか。バンドがどこに向かうかは分からないけれど、ゆびきり(約束)したから、とにかく走り続けるっていう、そんな意思表示を独特の表現でやってるのかなあって思ったんですが。そう思ったらちょっと泣きそうになった。5, 6, 7曲目はちょっといなたいというか、syrup特有の懐古的ダサさがさく裂していて、この感覚自体に安心感。

1~3曲目と同様、8~10曲目も僕の中で見事なまとまりをもつブロックで、「生きているよりマシさ」はまさにバンド解散後の五十嵐さんがそのまま落とし込まれているといっても、過言ではないでしょう。自分のことを唄っていると思いきや、いきなり「君」が出てくるのでびっくりしますが、これは何をたとえているのでしょう。分からないまま、「間違いだったけど嬉しい」にちょっと泣きました。「誰かの君になってもいい うれしい」って感情高まったあとに、またいきなり「死んでいる方が マシさ」ってストンと落とすので、涙目でちょっと笑った。MVでは東京タワーをバックに収めながら五十嵐さんが唄うシーンがあるんですが、東京タワーで思い出したのが、『the last day of syrup 16g』のボーナスディスクの映像ね。解散ライヴのあとタクシーに乗った五十嵐さんと中畑さん、ほとんど会話もなく進んでいくんだけど、五十嵐さんがふいに「ああきれいだ」ってつぶやいて、中畑さんが「お、東京タワー」ってフロントガラスの向こうを見る、そんな何気ないやりとりをする箇所があって。そう考えるとねえ、あのタワーが、2人の別れと再会のモニュメントみたいに思えて、そこまで意図してあのMVが作られているのか分からないけど、ちょっと「あぁ」ってなって、感慨深く思った部分です。

「宇宙遊泳」の歌詞、「次のステージでDestination うんただの僻地が」ってシニカルすぎて笑った(あとに「輝いてくれ」って続くけどね)。最後の「旅立ちの歌」も「もうあり得ないほど嫌になったら逃げ出してしまえばいい」って、おいおいおい「旅立ちの歌」なのに逃げ出すて!・・・まあそれも旅立ちかい!って突っ込んだことはちょっと内緒。

やっぱりなんかまとまんねえから、ここで終わり。あと『音楽と人』の中畑さんインタビューは泣いた。2人のインタビューを合わせて、解散の真相、のようなものが、なんとなくでも見えた瞬間。事務所云々、って話がオフィシャルに出てきたのは初めてじゃないですかね。噂はあったけれど、いろいろ考えてしまいます。よかったのか、悪かったのか・・・。

まあまあ、終わったことさ。

ということで、次はライヴで会いましょう! 楽しみだなあ。生還ライヴの時と違って、今は変なバイアスがないので、下手をしたら号泣の予感です。

よくよく考えていたら、確かに彼らは戻ってきたけど、でも変わったんだと、そう思うようになりました。少なくとも新作ではそう感じる(一言で言おうとすると、暗いんだけど楽しそうっていう言い方になるんだけど、それだとしっくりこない気もする)。「あいつなんか変わったけど、でもやっぱあいつだわ」ってそんな友人いるでしょう、たまに。そんな感じ。

あ、チケット2階席だった! まあいいか。

Spangle call Lilli line "nano - TK kaleidoscope Remix" (Official Music Video)




疾走する喪失感。秋によく合う。何かを失いそうで、全速力で、必死に手を延ばしても、届かない。やがて対象が何だったのかさえ、忘れてしまう。悲しみ。

上向く予兆もなく日は落ちて

僕が気を許せそうになった人は、みんな僕から遠ざかっていくんだな。

同僚の一人が、会社を辞めるらしい。今日聞いた。

もともとミスマッチなんだろうなってのは感じてたけど、だからやっぱりかって思うけど、正直悲しい。もっとたくさん話したいことがあったんだ。共有できる領域がありそうだったんだ。そう感じていた矢先。

異性だけど、異性じゃなくても、つまり同性でも、仲良くなりたい感じの人だったんだけどなあ。悲しいな。なんて、本人には言わないけどな。

「言葉はすぐに色あせる」から。「それはないものねだり 求めちゃいけない」から。「分かりあうとか 信じあうとか そんなことどうだっていい だけど」

だけど。



Syrup16g/My song

こんな、どうでもいいこと書く日が、あってもいいのかなあって、今は、この瞬間だけは、そう思う。


Bloody Tears


(from インターネットのどこか)


ほんげー!!


おーい元気かーい?って言ってくれ


Number Girl - Drunken Hearted

僕は初期のナンバーガールが好きで、ザゼンボーイズになってからは1stしか聴いてないやつなんだけど、そういう感じの人ってどのくらいいるんだろう。逆の人もいるんでしょうね。

『Drunken Hearted』~『SCHOOL GIRL BYE BYE』のころが一番好きで。聴きやすいからかな(笑)。向井さんがまだ自分のスタイルを見つける前、って言葉も見たけど、確かにそうなんでしょう。でも向井さんがこんなにPOPな曲書くんだって、知らない人もいるんじゃないかな。

「SUPER YOUNG」とか、たった今、ヘッドフォンで聴いてたらめっちゃアガってしまった。すんげーかっこいい。


Number Girl - SUPER YOUNG

そんなに長々書けることもないんだけど、メロディもさることながら、歌詞がいい。青春と殺伐(まだ青春度高め)。「ありふれた希望や夢をありふれた幻メツにすりかえて堕落を気取っている。しなやかに見えすいた嘘ついて」ってラインはすごい好きです。

こういう興奮って久しく味わってない。まあ自分が変わったってこともあるんでしょう。

そんな夜語り。

「おーい元気かーい?って言ってくれ」。酔っぱらったときのこの気持ち。どこともつながっていない寂しさ。街をあてもなくブラつくような。たまらんね。



ふぁみこんむかし話 遊遊記 別れのBGM 耳コピ


ふぁみこんむかし話 遊遊記 別れのBGM 耳コピ [via akiy2344


うぉーん(泣)。最近この曲がブーム過ぎる。

お釈迦様がボン!って油性マジック出して、悟空がそれで落書きして、お釈迦様が「破門だぁ!どこへでも行ってしまえ!」って悟空を追い出すんです(わざとね・・・)。

悟空はお釈迦様に感謝しながら、チャオの元へ走る。そんなエンディング。あ、ネタバレ。まあまあ。懐かしい・・・。

しかしよい曲ですね。もちろんこれはアレンジ。

忘れなさい、すべて

最近珍しく人と飲む機会が多い(僕は自分から誘うことはほとんどないので、人から誘われているということだ。うれしいじゃないか)。それ自体は喜ばしいことだ。何かしら新しい発見がある(ような気がする。錯覚かもしらんが)。

ただ帰りの電車で寝過ごす機会がものすごく多い。直近の3回中は3回とも寝過ごした。100発100中だ。一駅二駅だったら歩くことにしているが、うち一回はとうてい歩ける距離ではないのでタクシーを利用した。

歩いてるといろいろ考える。僕はけっこう長いこと同じ場所に住んでるから、歩いていて見える景色には、懐かしいものも多い。だからかもしれない。感傷的な気持ちになることが多い。携帯型音楽プレーヤーで何かしらの音楽か、ラジオを聴きながらのことが多いんだけど、この間はたまたまsyrup16gの『delayed』を聴いていて、「Everything is wonderful」が流れた瞬間の、状況(深夜、屋外、独り、感傷的)とのマッチング具合がヤバくて、一瞬途方に暮れてしまった。

なぜ、考えてもどうしようもないことばかり、考えるのだろうと、僕は疑問に思う。思いながら歩く。とっくのとうに答えは出ていることを、なぜまた自分に問うのだろう。答えは変わらないのに。できることなどないのに。できあがった粘土細工を叩き壊して、新しいものを作ろうとするが、結局できあがるのは、同じ形なのだ。それをまた壊す。また作る。同じ形。何度も何度も何度も。同じことばかりする。酔っていることもあるのかもしれない。なんだったら、そんな自分をちょっと冷笑したりする。バカらしくて。

「ばかげている ばかげているけど あなたを見つけた この街の名は東京」

ハッピーエンドではなかったけれど、きっと意味はあったのだと、思いたい。そしてその意味だけを残し、あとは忘れたい。そう思う。晴れ晴れと、前を向きたい。



きのこ帝国 - 東京

Gamer - Turbo


***

レトロフューチャー。サイバーパンク。グロテスク。

最近知ったロシアのイラストレーター?、Unomoralez

詳しいことは分かりませんが、彼が関わっていると思われるのがこのGAMER(ないしはGAMER MUSIC)というユニット。

bandcampも持っているんだけど、ともかくこの映像作品がよいんですねえ。大好物です。クセになる。長編作ってくれないかなあ。他にもあるんで気になる方はYouTubeへゴー。

『桃太郎奇伝』がおもしろかった

最近、『桃太郎奇伝』というフリーゲームで遊んでました。たどりついた経緯は忘れました。

和風・レトロタイプ・コミカル・アドベンチャーRPG。桃太郎の設定は、主人公がモモにのってドンブラコと川を流れてくる辺りにしか残っていません。

旅の目的は打倒信長! おうちからはるばる安土城まで向かう道程がこのゲーム。

特徴的なのはまず、そのシステム。コミックメーカーで作っていることも関係あるんでしょうか、いわゆる普通のRPGのように、フィールドを縦横無尽に歩き回るものじゃなくて、すごろくチックに1マスというか1歩ずつ進んで、ポイントポイントにある目的地を目指すような形なんです。そのポイント~ポイント間がアドベンチャーパートで、敵に遭遇したり、宝箱を見つけたり、罠があったり、サブキャラとの出会いがあったりといったイベントが発生するんですね。


次にキャラクターがみんなして強烈っていう。主人公自体、初っ端で人間じゃなくなってるしね。信長が宇宙人と秘密裏にかわした人体実験の許可によって、人体改造されてしまった赤ん坊が主人公。それを拾ったのがもろ御茶ノ水博士顔(猿田彦顔ともいう)の博士であり、彼が主人公に改造を施すことによって、主人公は人間らしく生きられるようになるのです(初めは目も鼻も口もないし両手もないのだ!)。人造人間。彼は奥歯にとりつけた「加速装置」にスイッチを入れることで身体能力を向上させることができ、それによって敵をブッ飛ばすのが基本的な戦い方(この加速装置の設定は『サイボーグ009』からの引用ですね)。ちなみにこのゲームはナレーションやCVがバリバリに入っていて、戦闘が終わるたびに黒子の演出がかった声がいちいち流れるんです(笑)。加速装置で敵を殴るときも「かそくそーうち!」って主人公が拳をふりながら叫ぶんです(笑)。クリティカルのときの声も何パターンか用意されていて(アニメーションも派手になる)、いちいち面白いんですが、「エイドリアーン!エイドリアーン!!」てドスの利いた声で叫んだり(何気に羽佐間道夫似)、「大人はみんなウソつきだあ!!」とか、「イエス・ドゥー・イット!!」とか、おかしいんです。

途中で加入させることができる主人公の妹的な盾子(たてこ)という、やはり人造人間がいるんですが、まあ名前通り、一定確率で敵の攻撃を防いでくれるんですが(ストレスが徐々に溜まっていく)、あまりストレスを溜めすぎると書置きを残しておうちに帰ってしまうんです! 「家族ってそんなものですか」、みたいな書置き。引っ込み思案な性格で、家の裏の河原の木陰でいじけている彼女を慰める(お金を上げるか、カレーを上げるか)ことで、再び連れて歩くことができるんですね。「お金をあげるから殴らせてくれ」っていうブルジョアもいるし(実際殴らせるとお金をくれます。あと彼には実は裏がある)、キン肉マンフェニックス(ゲーム内では伏字)に戦いを教えたという神(顔だけのアレ)が戦いを挑んできたり。「かぶいてるかい?」が口癖のあいつとか(昔少年ジャンプでアレを読んでた人はすぐにピンとくるよね)。

随所にある引用というかオマージュも特徴なんですが、スレスレです(笑)。インディだからこそできるこの突っ走りぶり。鬼太郎に出てくるモブキャラ(メガネのあいつね)まんまの顔の町民がいたり(彼は宮本武蔵を騙る田舎剣士でボイスも田舎丸出しなのです。笑った)。敵ボスキャラの変身後の姿がまんまゲッターロボだったり。とある町ではコロ助とドラえもんの合体したみたいなのが出てくるし、キテレツもいるし、銀河鉄道999の車掌さんも出てくるし、生まれは葛飾柴又のあの人もTさんと言う名前なんだけど、まんまあの見た目をドット画にしたような形で出てくるし…もう、いろいろ、すげえインパクトですよ。なんだこいつらってのが多すぎる(笑)。


じゃあゲーム自体はどうなのっていったら、これが面白いんですね。ゲームバランスも決して悪くない。レベルも上がりやすいし、お金が必要になるって場面もほとんどない(そもそも金貨は9枚までしか持てないし、そうそう減るもんでもないし、フラフラしてればすぐに入手できる)。後半になるとザコ敵と戦う必要性がほとんどなくなっちゃって(こっちのレベルがあがってくると、経験値が入らなくなるのですね。あと宝箱からもほとんどなにも入手できないので)、逃げるのが得策みたいになっちゃうのがちょっと引っかかったけど、戦闘回数がカウントされてるみたいで、あれは何かに関係あるんですかね? でもボス戦には緊張感があるし(負けるってことはほとんどないと思うけど)、オール手書きの敵キャラクターも味があってよいし、アイテムを使ったり特殊な攻撃の時には視点が切り替わった形でアニメーションになるのもワクワクする(変身後の強攻撃がエクストラでアレになるアニメーションは一回しか見れなかった。しかも信長戦の最後の一撃!)。アイテム収集とか、やりこみ要素もあるし。

あとミニゲームが面白いんです。ミニゲームっていうかストーリー上必然なものもあるんだけど、戦いが格闘ゲームを模したクリックゲームになってたりね(初見では何もできずに死にました)、あと空を飛びながら敵を撃墜するシューティングゲームを模したこれもクリックゲームとかね。凝っていて面白い。


ピストル大名今川義元との格闘戦!


人間大砲でいざ霊峰フジの頂上へ。

もう結構前の作品なので、ネタバレに踏み込みますが、これからやるつもりの人は読まないでね。信長を倒した後は、その裏で地球浄化をもくろんでいたマザーブレインが登場! 彼女を追って宇宙へ飛び出す主人公! ここでマザーブレインを倒して一件落着かと思いきや、なんとマルチエンディングだった! バッドエンドとトゥルーエンドの二つだけど。マザーブレインの爆発に巻き込まれて未来に飛ばされちゃうか、無事に地球に帰り着くかって分岐。宇宙へ飛び出すときに天人という女の子の力を借りるのだけれど、彼女、実はマザーブレインの娘なんですね。で、ここにエンディングを分けるキーワードが隠されていて(まあ別にバッドエンドを見た場合に、トゥルーを見るための答えはもらえるんだけど)、彼女との友好度が高くないと、バッドエンド。友好度をあげる方法は、旅の道中で彼女と遭遇したときに毎度質問をされるんだけど、そこでもっともベターなものを選ぶこと。1回の回答で1あがるんですが、友好度30あれば間違いなくトゥルーエンドにいけます(20でもいけるかもしれないけど試してません)。

もっと言っちゃうと、マザーブレインのあとにも戦いがあります! メタ的な内容に突入して何ともカオスな展開に。って思い出したけど、道中のイベントでシャーマンに占ってもらうってのがあるんだけど、たいがい占ってもらってもたいしたイベントにはならないんだけど、ひとつだけゲームが終わっちゃうって結果になるのがあって(もちろんその前に警告はされます。終わっちゃうよ?いいの?って)。選択を進めると、ホントにゲームが終わります(!)。その終わり方が胡蝶の夢にひっかけたなんともカオスな終わり方で、印象に残っています。

ってところで、ぜんぜん語りきれてないけど、気になる人はやってみればいいんじゃないかな! こういうパワフルなの大好きです! きっと『メタルマックス』とか好きな人は好きなんじゃないかな。


my favorite ~ 最近の気になるアレ

別に最近じゃないのもあるヨ?

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新世界 / POLTA
≫ 禁断の多数決の方が…って人はいると思うんだけど、僕はきっとPOLTAの方が好きなんだと思います。そんなPOLTAはこの曲も含めたCDをリリースするレーベルを探しています。まだ見つからないなんて!? 世の中おかしくないですか。いやおかしいな。それは知ってる。 ≫ POLTAのCD発売大作戦!


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Kidkanevil ft. Phasma - "Inakunaru"
≫ ぜんぜん知らないんだけど、やたらと気になる。それって音楽の在り方のひとつだと思います。


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LLLL Because of My Eyes
≫ 傑作『Paradice』より。でも実は「Quietly」が一番好きだったりします。




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胸にアイタ穴 by セラニポージ
≫ ホントに最近知りました。僕らが一生のうちに出会うことができる音楽なんて、ホントに一握りなんでしょうね。多くは耳にすら入らぬままで人生は終わるのでしょう。悔しい。その悔しさもこういう曲に出会えると、多少は軽減するというものです。


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d a y d r e a m s - Can't Remember
≫ アレ、d0lphin spって名前じゃなかったっけ?? いやそのはずだ。なぜこのトラックを『Inertia』に入れないんだと憤ったからよく覚えています。


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イオン トップバリュ ピースフィット
≫ 映像はともかく、BGMが気になりすぎる。もっと長い尺で聴きたいです。


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菊田裕樹 - ねがい (『聖剣伝説2』より)
≫ オリジナル・バージョンはすごく短いんだけど、この動画は100分に編集されています。好き。


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光田康典 - 時の回廊("クロノ・トリガー"より)
≫ もういっちょそんな絡みで。この曲も大好きだな。


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serial TV drama - 赤いパーカー
≫ この爆発力と疾走感。もう解散してるバンドだし、このときのヴォーカル伊藤文暁さんは途中で脱退、鴇崎智史さんにチェンジしているんだけど、僕は伊藤さん派だった。抑制された調子から翻るエモーションがたまらんです。


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Shortcake Collage Tape - Milk Tea Drops 〜君は紅茶色〜 (Early Version)
≫ 2011年の『Official Bootleg』から。なんで今ここに自分の耳が向くのか、なんとなく理由は分かってますが。


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L75-3 - Flower of Love (feat.初音ミク)
≫ ほかのトラックも押しなべて好きなのですが、今はあえてコレ。もっと聴かれてもいいと思いませんか。やっぱ世の中おかしいんだよ。


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座右-「赤いブルーアルバム」PV






座右-「汚いライブハウス」PV
≫ 横浜のバンド、座右。チャットモンチー・ミーツ・神聖かまってちゃん、という表現が似合うかどうか分かりませんが使わせてください。キュートと同居する、強烈なシニカル。世の中の「普通」や「当たり前」にかみつき、ノーとクエスチョンを突きつけるパンクな精神。そしてPOP。気になるのです。「さよならミュージックステーション」も強烈です。


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こんなところで。また。

今宵その夜

MUSICAを読んでいました。五十嵐隆のインタビュー。サラサラヘアーは昔々にもあったかもしれないけど、なんか肌ツルツル…?まあそれはいいか。見た目若返った感じがする。

インタビュー読むのにドキドキしたの何年振りか。本屋で買ってから家に帰るまでドキドキしっぱなしだった。意外に突っ込んだ内容でまたドキドキ。

感想を一言でいうと、「愛されてるなあ」。特にダイマスさんに。ずっとフォローしてるみたいですね、五十嵐さんのこと。インタビューの現場にもいたみたいだし。ダイマスさんがいなかったら、とっくに隠居しちゃってる気がします。

スッキリしたことがいくつかあります。まずは「犬が吠える」の解散理由。「生還」ライヴに至る経緯とあの内容になったことについて。そして復活の経緯。

特に「生還」ライブのこと。「今」を見せることよりも、何よりも、まずはホントに「生還」というか「生存」の報告だったんですね。あのライヴは。誰も聴いたことない曲を延々見せつけて一人で悦に入るよりも、まずはファンに「ありがとう」の意味でもsyrupの曲を、と考えて。

でもそこからハイ復活とはならなくて、一回ほかで凹んでからそれがきっかけで復活というのが、なんとも五十嵐さんらしい(笑)。

復活に際しsyrup16gの名を冠することに問題視する意見もあったみたいだけど、そこを説得する五十嵐さんもなんだか微笑ましい。「どう計算しても、最終的にはsyrup16gというパターンしか出ないので。」って結論。僕が考えたってそりゃそうなるだろうと思うし、それでいいんじゃないかと思います。このメンバーでバンド結成しておいて違う名前って想像できないですもん。

最近はsyrupは解散てしたんじゃなくて、長い間休んでいただけなんじゃないかなって、なんだかそう思えてきました。

だからこれはバンドのシーンへの復帰でもあるし、同時にメンバーのsyrupへの帰還でもあるんじゃないかって。つまりリスナーにとってもメンバーにとっても、「そこ」は帰る場所。きっと安心できる場所なんじゃないかなあ。だって僕、インタビュー読みながら、「なんか、すごく、ダメなこと言ってるなあ、このヒゲの人(よく見たらヒゲなかったけど)」って思いながらも、すごく安心しちゃってますからね。ホントに。その在り方は、まさにsyrupの音楽そのもの。

帰還を受け入れる心の準備は、整いつつある。まずはアルバム聴いてからですけどね!

あと国際フォーラムも行きます。楽しみにしてます。ホントに。

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昔のインタビュー読み返してたら、印象的だった、というか今につながる、というか、変わってないなあって話がいくつもありました。

■当初東芝EMIに籍を置くもアルバム出せないままクビになって、ダイマスさんのUKプロジェクトから出すってなったとき。録ってる音も進む作業も気に入らなくて、全部新曲にしたい(ここも変わらないですね)って駄々こねて、レコーディング延ばして、今日は鼻声だからとかいってスケジュール延ばしちゃった話とか。(『音楽と人』 2008年2月号から)

■これも同じ記事からだけど、これは引用させてください。無断ですいません。解散についての話をしてるとき、なぜバンドがダメになってしまったのか、その理由を掘り下げていく中での、インタビュアーの金光さんとのやりとり。途中で出てくる「NHKホール」ってのは、解散を発表したEND ROLL Tourの話で、「2人」っていうのは、中畑さんとキタダさんのことです。

― 今、失って気づいた、って言いましたけど、すでにあなたは解散という決断を下してるわけですが、それに対して後悔の念はあったりするんですか?

「後悔だらけですよ」

― …………そっか。

「こないだNHKホールやってたときもすごく辛くて。でも俺はやっぱりここが好きなんだなって思った。俺を許してくれって、わがままを言えるのはここしかないんだな、って」

― そうだね。甘えさせてくれるもんね。

(中略)

「矛盾してるんですよね。圧倒的に2人を必要としてるんだけど、自分が生み出すものは何故か必要としていないものが出来ていってしまうっていう」
(金光祐史(2008), 『音楽と人』, 2008年2月号, p.73, USEN)

この時点ですでに分かってるんですよね。自分には2人が必要だって。逆にいえばそれでも解散を選ばなければならないほど、バンドの状態がよくなかったということでしょう。

■とりあえず今回はすべて同じ記事についての話になってしまうけど、これも同上。愛されたいか否かという話の中で、金光さんに「だって五十嵐くん、愛されたいって願ってるもん。話聞いたけど、どれも最終的に、どっかで甘えてるんだよね」って言われて―

「そう。メンバーにもスタッフにも甘えてるかな。それにちゃんとケリをつけないといけないなって思います。だって正直、辞めたくないですもん(笑)」

―って応える五十嵐さん。結局どうなんですか。ケリつけられなかったってことですか!? もっといえばこのインタビューでは、バンドの終わりに「青春の終わり」というイメージを重ねるような流れになってましたが、青春、青さ(ミスドで初代ベーシストの佐藤さんと中畑さんを交えた3人でバカ話しながら曲ができていってたあの頃、みたいな、そういう憧れというか)を捨てきれなかったということなのか。だから舞い戻らざるをえなかったのか。いや、捨てた上での復活なのか(でも今回のMUSICAのインタビュー読むと捨てれてないような気がしなくもない)。とりあえず気になる。

これは、目撃せねば、ですね。

きっと五十嵐さんは手に入らないものを求める人というか、少なくとも音楽ではそれを表現してきた人だと思います。手に入らなくて怒っちゃうか、うなだれちゃうか、皮肉っちゃうか、極端だけれど。そして人間ってやっぱり求めるじゃないですか。物理的な形あるものにしろ、そうじゃないものにしろ。自分自身に対しても欲するものというか、こうありたいという理想像というものがあるし。僕らは常に求め続ける。だから僕らは五十嵐さんの、syrupの音楽に惹かれるんじゃないかなあって今思い至りました。求めても得られない。そこから発生する思考の渦をsyrupは(美しいメロディと尖った言葉で)表現し、リスナーは自らをそこに投影、あるいはシンクロさせるのでしょう。でも『マウス・トゥ・マウス』や『syrup16g』では変化していたように思うし、その変化の先がこれからにあるのか、それとも…ってところは、やっぱり気になりますね。


学園天国




「学園天国」(がくえんてんごく)は、1974年3月5日に発売されたフィンガー5のシングル曲。

作詞: 阿久悠、作曲・編曲: 井上忠夫

from Wikipedia

【ファミコン】 悪魔城伝説BGMメドレー ≪ステレオ化改造実機再生≫




『悪魔城伝説』(あくまじょうでんせつ、英題: Castlevania III: Dracula's Curse)は、コナミから1989年12月22日に発売されたファミリーコンピュータ用ソフトのアクションゲーム。

本作の特徴として特筆すべきは、迫力あるサウンドである。ROMカセット内部にコナミ独自の「VRC VI」というLSIを内蔵している。このVRC VIには、中期以降のファミコンソフトに搭載されている拡張チップ同様の大容量ROMの管理や、グラフィック機能を実現するだけでなく、音源機能を搭載している。これによりファミコンのサウンドとは思えないほどの良質なサウンドが実現されている。タイトル画面で、説明書に書かれているコマンドを入力すると、本作のBGMを一通り聴くことができる(携帯電話アプリ版でも再現されている)。

(from Wikipedia


もっとも好きなVGMのひとつです。てっきり「Bloody Tears」使われてるかと思ってたら使われてなかったのか。

The First Class - Beach Baby




The First Class was a British pop music studio-based group, put together by songwriter and record producer John Carter.

From Wikipedia, the free encyclopedia

決して完成されなかったいつかの夜に

やっぱりKensei Ogataの『Her Paperback』がいいです。別のブログでHalo Twinsを紹介した時にも触れたけど、購入して改めて聴いてみて、再度思う。

音楽は気分をコントロールするツールでもあるし、気分に合わせて使われるコンテンツでもあると思うんだけど、この作品は、僕が望むところへ僕を導き、そして僕を固定する。コントロールする。僕が望むように。つまり、最近の、というか今現在の僕の気分にすごくマッチしているんです。輝きとその喪失。

この作品が2枚組だったこともいまさら知りました。2枚目の衒いのない憂いが、僕をゆるやかに夜の底へと沈めていきます。とても、安心します。




syrup16gが再始動してしまう

やっぱりそうなるんですね、って思っています。僕は正直やっぱりリボーンして欲しくなかったなあって思っているし、syrup16gではない五十嵐隆を見たいと思っていました。でもやっぱり彼が音楽をやるならsyrup16gしかなかったんでしょうし、結局のところ、もう何をやってもsyrup16gになってしまうのかもしれません。もう一度はじめることに、そう決断することに、どんな苦悩や葛藤、そして覚悟があったのかは僕にはとても推し量れないけれど、やっぱり優柔不断だなあって思っちゃいます(笑)。

「いつまでも甘えてばかりはいられない」、そう言って散ったはずのバンドが再び形になった。解散した理由は、「バンドとして機能しなくなっていた」というのが僕の見方なんだけど、それが解散時のメンバーで元に戻るってことは、よい状態になったってことなんでしょうかね。よく分からないけれど。スタジオで口もきかないような空気になっていた、あの末期とは、変わったということなんでしょうか。ナタリーの記事には「NHKホール公演での共演をきっかけに3人の間で話し合いが進められ、syrup16gとして活動を再開することが決定した」とあるので、あれがなかったら、こうなっていなかったのかな。

インタビュー、読みたいな。きちんと語ってくれるかな(そもそもこっちが聞きたいことをインタビュアーさんが聞いてくれるか、分からないですが。その前に、インタビューがあるかも分からないけど)。アルバムも早く聴きたいな。再発ライヴも観たいな。そう思う僕は、やっぱり彼が作る曲が、唄う歌が、syrup16gが、好きなんでしょう。

ここまで引っ張って再結成という道を選んだからには、中途半端なことは許されませんよ(笑)。相当な覚悟で、末永く(これ大事)、やっていただくことを期待します! きっと幸せを唄うことはないんだろうけれど、でも人生に怒る感じ(僕は『クーデター』が一番好き)もなくなってると思うんです。だから、幸か不幸か、たぶん、変わってるんだろなって思います。

今の彼らを、今の僕が、どう受け止めるのか、それが怖くもあり、楽しみでもあり。でもこの復活で初めて彼らに触れる人も当然いるんだろうし、それは素敵なことだと思います。そういう新規ファンに対して、古参ファンが「昔はこんなもんじゃなかったよ」って言い出さないような、「正直今の方がいいかもしらん」って言ってしまうような、よい復活になることを祈っています。

そして解散からずっと生きていた公式サイトが、今回の再結成でしっかり更新されていることにも驚いた(まるでこうなることが分かっていたように、それに備えていたように、あの場所はずっと残されていた)。

さーて、とりあえずはアルバム待ちですね。それまでは、これまでの曲を、聴こう。

今夜はこんな気分。



(I'm not) by you / syrup16g


僕だけがいないパーティ




いい曲。はじめて聴いたとき、ホントにガツンとやられました。

聴かず嫌いはよくないって、改めて思いますね。

ビデオ自体もすごくスキで、捕虫網もって土手を疾走する姿が、僕の中に眠っている衝動や欲求を強引に掘り起こして、ビンビンに刺激してくれるような、そんな気がします。
走りたいんだろ?走れるんだろ?だったら走れよこの野郎!って。

ホントは後ろ暗い、閉じこもったこと書きそうになってたんですが、この曲に、なんとなく代弁してもらいます。

ちょうどよい人間を目指しています。そんな夜。

五十嵐隆関連でこのブログを訪れる人が若干多いように思える本日です。生還DVDが発売されたばかりということもあるのでしょう。でも僕は買ってないし、買っても特にそれについて書くことはないでしょう。なんて、敢えてそんなこと、書く必要もないんだけれど。

こういう対象がハッキリしない文章はこのブログでは極力書きたくなかったんだけど、やっぱり書きたくなる日もあって、それは排泄欲求のようで、書かないと心のバランスがうまくとれないようで、だから仕方ないんです。書いています。

たとえば管理職にあるオッサンが、マゾヒスティックな快楽を求めて、そういったお店を訪れるのはなぜかと考えたんです。考えたんですけれど、それについて書こうとしたらなんだかウィキペディアにもっと面倒くさそうなことが書いてあったんで、やめときます。つまるところ、心の安定なんだと思います。キーポイントは。上に立たれることによって安心するような、そういった機構が心にはあるんだと思います。

なんでそんなこと考えるのか、書くのかって、きっと僕がある種のプレッシャーにさらされているからでしょう。きっと大したことではないんです。いつもそうなんですが、何かが始まる前に考えすぎて自分を参らせそうになってしまうんですね。でもやってみたら、なんだ全然大したことない、ってことがほとんどなんです。稀に考えていたよりも悪い状況になることもありますが、それは稀です。

だもんで僕はなんとなくエネルギーを欲していて、YouTubeで「やすしくん」なんか見て充電しています。ホントにこのころのダウンタウンのコントには狂気じみたエネルギーがあって、それが僕には頼もしいんです。寝るときの掛け声「正味の話がぁぁぁ!!」が抜群です。なんでしょうね、この勢いは。「キャシィ塚本」や「おやっさん」はいうに及ばずですが、「月光猿軍団」も最近改めて見て、狂気を感じます。暴力への酔いが感じられる瞬間があって、そこはちょっといやだったりするんですが、でもこれが演技だったらすごいなあと思うんですが、どうなんでしょうか。

そんな僕の中では、最近Peridotsの「ライフワーク」が再燃しています。隙を突かれると、涙が、流れます。

「例えば 君に出会って 愛を知る そんな日々を 夢に見てたから」

Shiness - Kickstarter Trailer



It's Hard To Believe This Is An Indie RPG

冒険に胸を躍らせたのは、いつが最後だろう。

いいなあ、やりたいなあ。

ときには旅に出てみるのもよいだろうって、常々思ってます。

このトレイラーを見てるだけで、心がザワザワします。




LIFE RECORDERSを聴いています。

自分としては音楽に対する接し方というか、気持ちの深さというヤツは、思春期と変わっていないつもりなんです。だから音楽の話でワイワイしたいと思って、自分としては熱い気持ちで喋っているつもりでも、何か若い子(って言い方も嫌だけど)、たとえば一回りくらい下の子と話していたりすると、どうも自分の熱量が結局のところ伝わっていないような、『結局「今」じゃないよね』的な受け取られ方をしているように感じられる瞬間があって、ガックリきます。いやオレ今を生きているし。今の音楽だって聴いてるんだよ。なんか悔しいですよね。

仕事で忙しい時期がひと段落して、ちょうどスポット的に暇な時期が来たことも関係あるのか、心にも隙間が生まれたようで、感傷的な気持ちになる余裕が生まれているようです。10代…じゃないか、20代あたまに聴いていた音楽を聴き返したりしています。そういうときにふと心に浮かび上がってくる音楽って人によって当然違うんだろうし、みなさんにとってそれがどんな音楽なのか気になるところでもあるんですが、僕の場合はLIFE RECORDERSであることが多いんです。昔やってたホームページでもなんやかんや書きましたし。

1994年に結成の「嫁島ロケッツ」を前身として、1998年に生まれたLIFE RECORDERSは、シングル4枚、アルバム3枚を残して、2001年に解散しています。彼らのインタビューは読んだことなかったと思うんだけど(ラジオは聴いたけどね。ミュージック・スクエア!)、たぶんブルーハーツに影響受けているんだろうなあと思います。パンキッシュな雰囲気もあるんだけど、音源の音作りは決してハードな調子ではなくて、おとなしい印象もあって、歌詞も思春期的な青臭さもあれば、内省的な部分も多くあって。特に『東京の空』のころは非常にナイーヴ。一番好きな作品でもあります。

ナイーヴって書いたけど、心のモヤモヤというか、迷い、憂い(あるいは愁い)、悩みを落とし込んだような歌詞がときたまポーンと投げ出されてきて、ハッとさせられるんです。そこが僕が彼らをいまだに聴き続けることの遠因でもあると思います。

「髪を切った 君がいる あのときのように風が吹いても僕の顔には もうかかることはないだろう」(新しい季節)、「いつからか僕は終わりを求め走ってた なんとく それに気がつきながら 走ってた」、「ぬけるような空 ぬけきれない僕 初冬の太陽を見上げ よく晴れた日に あのこに会いたくて 居るワケもない時間に いつかの場所を通り過ぎた」(初冬の太陽)。

「どこへ行けばいいの お昼過ぎに起きたって 空想の中でただただ時が過ぎてゆく」、「今日僕は どこへいけば 何をすればハッピーになれるの そうやって そうやって そうやって 僕の休日は終わってゆく」(海を見たいだけだった)。

「きみと待つはじめての東京の春 去年よりもなぜだか暖かそうな 七井橋の上 立ち止まっては聴いた歌 思えないだろ 忘れてしまう日が来るなんて」(メロディの中に)、「約束の時間 人ごみの中 タバコをくわえ 別れを待つあいだ 君が好きだった あの古いビルの屋上 髪のにおい いつも冷たかった風」(さよならだけを)

かいつまんで書きましたが、特にこういったところは今聴いても、心が刺激されます。いつも思い出すのは、高校のころの風景で。学校の敷地の近く、通学路に田んぼがあったんだけど、その田んぼの中の道路を学校に向かって進んでいくと、やがてその田んぼを越えた向こうに校舎を取り囲む鉄柵が見えて、その向こうに校舎があって、そのさらに後ろ、というか頭上には青い空があって。僕はプールの授業の補修だかで学校に向かっていて、要するにそれは夏休みで、学校にはほとんど生徒はこないから、学校の周りは閑散としていて、静まり返っていて、僕が気になるあの子はそんな時間にそんな場所にいるわけないんだけど、会えやしないかとどこかで期待してる部分もあって、これがそのまま「よく晴れた日に あのこに会いたくて 居るワケもない時間に いつかの場所を通り過ぎた」っていう歌詞につながっていくんですね。そう考えるといまだに僕はリビドーとコンプレックスを原動力にして日々を生きていることに気づかされます(恥ずかしがることじゃないかもしれないけど恥ずかしい。というか何を言っているのか自分でもよく分からないので気にしないでください。ノスタルジー)。

結局世の中は「心地よさ」で回ってるんだなとこないだ漠然と思ったんですが、人間は心地よさが好きなんですよ。一緒にいて心地よいのが一番いい、じゃなくて、聴いていて心地よいのが一番いいんです。だから音楽は自分のために聴くものなんです。雑音に惑わされてはいけない。『「今」じゃない』とか、イヤ直接言われたわけじゃないけど、そんな部分は気にしなくていいんですよ。あ、なんかムキになってるように響くかもしれないので、この論調はやめましょう。

そんなLIFE RECORDERSはとあるイベントで2010年に一夜限りの再結成をしてたんですね。ドラムの原さんもいたのかどうかちょっとよく分からないんですが、少なくともベースの三輪さんとギターの米田さんは確認できます。あ、動画がね、観れるんですよ! YouTubeで。思い入れない人にはどうってことないかもしれないんだけど、僕は約30分間のその動画をドキドキしながら観ました。上で歌詞を引用した曲はやってないんだけど、でもやっぱいいですね。「青春Ⅱ」とか「LENA」とかうれしいですね。ボーカル/ギターの高岡慎太郎さんは1972年生まれだからこの時点で御年38歳。スタジオに入るのも久しぶり(6年ぶり?)って言ってるから、やっぱり音楽とは離れたところにいるんでしょうか。なんとなく昔よりも鋭い顔つきになった気がします。にしても、もっと曲聴きたいなあ。

じゃあ、まあ、その動画を以下に貼らせていただくことで、ノスタルジックな気持ちにも幕を下ろしましょう。syrup16g風にいえば「ただのノスタルジー 生ごみ持ち歩いてんじゃねえ」ってことですよ! ぎゃふん。そうやって僕は現実に帰っていくのです。ただいま。


10 12.12 Sat. LIFE RECORDERS@DAWNTOWNDANCE vol.1

拝啓 背景 敬具

なんかよく分かりませんが、格闘ゲームの背景画GIFが並んでいます。いいなあ。好きだなあ。ドット画。眺めながらボーっとしてます。

IdeaFixa » Hora de massagear seu cérebro: 50 fundos de games de luta

いくつか引用掲載。ブログの体裁の関係で小っちゃくなっちゃうけど。まあ気になる方は上記リンク先で!









Ayami Muto - 「宙」

Kai-Youの記事を読んでいたら、気になって仕方ない。武藤彩未(むとう・あやみ)。すでにクイック・ジャパンで特集が組まれたというところが悔しくもあるんだけれど、でもやっぱり僕が気になっているというのは正直な話です。彼女の経歴、プロフィールは置いておいて、僕が打ち抜かれたのは、ソロデビューアルバムに含まれている「宙」のMVを見た瞬間だ。

80sな正統派アイドルソングを彷彿させるメロディ・歌声・歌唱と、エッジの立ったエレクトロなサウンド(リズムは4つ打ちで)が融合して、まさに新しさと懐かしさが融合した特異なポップスがそこにあって、はじめにあった違和感はやがて新鮮さにとってかわり、気が付けばYouTubeで延々リピートしていた。

エレクトロかつJ-Popという括りかもしれないけど、中田ヤスタカさんがPerfumeの『JPN』なんかでやっていたこととは、またちょっと違う気がします。ライブ会場限定で、80年代のアイドルソングをカバーしたCD(タイトルは『DNA1980』!)を販売しているというところも、すごくポップですよね。Kai-Youの記事の引用になっちゃうけど、武藤さんには「私がソロアイドルの時代を作って、私が(グループアイドルの時代を)終わらせます」という発言もあるらしくて、なんという頼もしさ。アイドル云々とは違う部分で、シーンを突き抜けて、新しい何かを提示してくれるんじゃないかって、期待してしまいます。これはアイドルソングの最新版アップデートなのか、それとも。

とりあえず、この1曲しかまだ聴いていないんですが、ホントすごい好きです(アルバム、買いますか)。ほとんど笑顔をみせないこのMVもよいですね(目の表情が巧みで色んな意味でドキリとします)。サイバーかつ幻想的な映象作りもツボ。ハマってしまったなあ…。


Ayami Muto 「宙」 Music Video

ここから何かが始まるのか。確認したいデス。アルバムは4月23日。

I'm moonlight syndrome.

NIGHT // CHILDREN // LONELINESS



Low Beam Light by Kaniku



ART-SCHOOLを聴いています

ART-SCHOOLの新しいアルバム『YOU』を聴いています。なんだかんだいって(なんだかんだというのは、リスナーの間でどうこう言われても、ということです)ほとんどの作品を手に入れてきています。僕なんかが言うまでもなく、彼らはずうっとずうっと同じことを唄ってきています。音作りはそのときどきで少しずつ変わるけれど、世界観は本当にゆるぎがない。いつかどっかで書いたかもしれないけど、ずうっと同じことを唄っているから、僕は彼らに疑いをもったこともあったんです。ある種のポーズっていうか、そんなニュアンスのものが、そこにあるんじゃないかって。でも彼らは度重なるメンバーチェンジを経ても、変わらずに突っ走り続けていて、当初からの世界観を保ち続けている。憑りつかれているといってもいいほどに。小説家や映画監督でも、切り口が変化しても、扱っているテーマ自体はずっと同じだという人が、ままいる。ART-SCHOOLの核である木下くんもそのタイプなんだろうと思います。

きのこ帝国の佐藤さんが『YOU』によせたメッセージが、僕の感想・感覚に近いように思いました。『まず、「YOU」という作品をいち早く聴けたこと、とても嬉しく誇らしく思います。本当に素晴らしく瑞々しいART-SCHOOLが詰まっていました。悲しさもあるけど、でも優しくて、美しい音世界のなかに、まるで10代の頃のような衝動を感じました。純粋に胸を打たれました。なぜこのような感覚の音が、未だ出てくるのかとても不思議だし、類をみないと改めて思いました。こんなART-SCHOOL、待ってた、って自分は思いました。反面、過去の文脈を必要としない作品だとも思ってます。単体で光る。ホントみんな聴いた方がいいと思います』。この『なぜこのような感覚の音が、未だ出てくるのかとても不思議だし、類をみないと改めて思いました』の部分です。やっぱりそう思いますよね。長いこと聴いていますが、本当に不思議で仕方ありません。

ライナーノーツにあった木下くんの言葉にも胸を打たれました。小野島大さんが「いい曲」の定義を問うたときに、こう応えています。『立体的であり、情景が浮かぶ音楽ですね。それから、何分かでもいいから、リスナーがラクになれたらいい。聴くことで目の前の景色が変わったりね。僕自身もソニック・ユースを聴いてしんどい気分が良くなったりするから。音楽のできることってそれくらいしかないんじゃないかな。衣食住とか、食欲性欲睡眠欲に一切関係ないものだから。でもそれで救われることもある。ラジオとかでちょっと流れて、いい曲だなあって、ちょっと気持ちよくなって風景が変わってくれれば。僕らはそのためだけにやってるようなものだから』。これもいつかどっかで書いたんだけど、僕は彼らの曲から喚起されるイメージが好きなのだということ。この聴き方を肯定してくれているような、木下くんの言葉に、勝手にうれしくなってしまいました。

そのイメージの喚起力ということでいくと、僕は『MISS WORLD』や『REQUIEM FOR INNOCENCE』、『SWAN SONG(DISC1)』、『PARADISE LOST』あたりが大好きなんです(曲単位ではもっと細かく好みがあります)。そんな中でも、今作にあるわりとメロウなトラックたちは、すごく、よいですね。「YOU」やラストの「Hate Songs」は特に好いています。木下くんの声は、明らかに初期よりやさしくなっているし、ヒリヒリとしたシャウトも、もうないに等しい(でも「YOU」の中でシャウトがあって、ちょっと懐かしい)ので、そういった美しいメロディの曲が、特に映えて聴こえるんじゃないかと思います。

アジカンのゴッチや、ラッパーの環ROYなど、外部ミュージシャンとのコラボレーションも面白いです(ゴッチは全編プロデュースじゃなかったんですねえ)。前アルバム『BABY ACID BABY』にいまいち納得できていなかった僕は、溜飲が下がりました(偉そうだなあ。スイマセン)。ART-SCHOOL、まだまだ走ってくれそうで、安心しました。

余談だけどリードトラックの「革命家は夢を観る」におけるラッパーの招聘には、どうしてもBase Ball Bearの「The Cut -feat. RHYMESTER-」なんかが重なります(ラッパーの呂布とチャットモンチーの福岡晃子を招いた「クチビル・ディテクティヴ」も思い出さないでもないけど、あれはちょっと方向が違います)。Base Ball Bearの方はもともとヒップホップに意識的だったから、ラップも見事にはまっているし、なおかつ開けていて、やっぱり彼らのセンスは「ポップ」だなあと改めて思いました。そんな余談。別にアートがどうこうということではないです。

エンヤサンを聴いています

エンヤサンの新しい作品『新宿駅出れない』が4月11日に発売されました。せっかくだからってことで、過去の作品もさかのぼって手に入れてみました。『▽』と、Y-クルーズ・エンヤの『しらくべくリゾート』。昨日から聴いています。まだ全然聴きこんでいるというレベルではないんですが、何がしか書きたくなってしまいました。

フリー作品だった『まさかサイドカーで来るなんて』は、しごくバランスの良い作品だったんだなあと思います。シリアスとユーモアがちょうどよく、混ざり合っていました。おいしいカフェオレのように。『新宿駅出れない』は、ちょっとまじめな印象。あとすごくポップ。オカザえもんをテーマにした「mono」だったり、ズバリ「新宿駅から出れない」様子を唄った「新宿駅出れない」は面白いです。僕の(ホントに)大好きな「あるく」も収録されている。すごく聴きやすいんだけど、全体的にはだいぶ落ち着いている。

そういう印象を持つのも『▽』や『しらくべくリゾート』がだいぶブッとんでいるからです。『▽』なんて雪男との会話から始まるんですよ! 「ウゴウゴ」いう声に、適当に相槌うってるんですが、最終的には「全然わからん」で締められちゃう、声だけの寸劇。音作りもダビーなリズムにやたら情熱的なギターソロ(音がエレキだ!)が入ってきたりして、なんだかただ事ではない。スペーシーなエレクトロニック空間に不思議なスポークン・ワードが広がっていく「さんぷんかん」、そこから鮮やかになだれ込むシティフレーバーなヒップ・ホップ&ポップス「NUDE~スペシャルな夜~」。そこからフッと力を抜いて、レゲエのリズムにサンシャインなメロディをのせた「Flyday」。そこからさらに翻って、星々が行進しているようなキラキラなポップス「am8:03」へ。このスタイルの多彩さ。カオティックという言葉すら使いたくなります。

ところがどっこいY-クルーズ・エンヤのソロ作『しらくべくリゾート』は、さらにディープなのです。というか、薄々感じていましたが、この作品はエロです。エロに満ちています。官能小説のように、それが宿命づけられているかのごとく、エロ。だって曲のタイトルがもう。「点が」とかあるわけですよ。「シンディ・コックス」とか。「挿入しよう」とか。使われてる言葉もかなり直接的なものもあったりして、なんなんですか、このハメはずしっぷりは。作りも面白くて、「シンディ・コックス」なんて、彼女のWikipediaを読み上げたりしてるでしょう、これは。「SWAG」もね、歌じゃなくて、これも電話口でのやりとりを模した寸劇なんだけど、すげえ笑ってしまった。「SWAG」ってラッパーが使うスラングみたいで、「すげえ」とか、そういう意味があるらしいんです。で、電話口の向こうで、彼女がどうもその言葉を頻繁に使うらしいんですね。それに対してこっちが問うわけですよ、「何SWAGって? なにそれ? おかしくね?」って。怒るわけですよ。「前から薄々思ってたけど…」と切り出し、「ラッパーと浮気してる?」って(笑)。「メールでもちょいちょい韻踏んでるし」って(笑)。なんなんだよこのトラック! しかもシチュエーションが動物園って、なんで(笑)。ということで、全編通して、相当にディープ、ドープ、サイケデリックな一品で、めまいがしそうなほどなんです。

だから、これらを通過したあとで、『新宿駅出れない』を聴くと、すごく落ち着いて聴こえるんです(ナイフを隠し持ってニヤリと笑ってるみたいな不敵さも感じますが)。でも発売前の4月10日、YouTubeをつうじてその名も「発売前夜」なんていう、シューゲイズなトラックを披露していたりして、やっぱり得体が知れません! 全体像をつかめるのは、いったい、いつになるのか…。とりあえず、気になる方は買いましょう!


エンヤサン 『410~発売前夜~』 Pro.by YAV(MADSOMA)




【MV】 エンヤサン 『きれいごと』




[PV] Y-クルーズ・エンヤ - Special Thanks

この「Special Thanks」はAV女優名オンパレード!トラック担当はあの食品まつりだぜ!

どうですか。気になっちゃってたまんなくないですか。フフフ。

NIN JAPAN TOUR 2014 - 2.26

というわけで二日目!

結論からいうと、僕は二日目の方がよかったです。一日目が点付けるなら95点で「ああもうお腹いっぱいだし、二日目どうしようかなあ」なんて思いもちょっとはあったんですが、二日目はまさかの120点でした。

なんでかって考えると、一日目はやっぱり比べてみると、ウォーミングアップ的な感じも確かにあったんですよ。オーバーヒート気味っていうか。空回りしそうな危うさっていうか。それが二日目はなくなっていて(あるいは軽減されていて)、バンドの熱量とフロアの熱量ががっぷり四つに組んだ感じだったんです。そのケミストリーに気おされて、二回くらいですかね、ホントに思わず泣きそうになりました(「Terrible Lie」や「Reptile」で眼がジンジンしてたのは何を隠そうワタクシです。って誰も気づいてねーよな)。

***

事前に宣言していた?とおり、セットリストをガラリと変えてきた二日目。なんと新作『ヘジテイション・マークス』からはついに一曲も演奏されず! 思い切りましたねー。一曲もやらないってのもすごいなあ。代わりに一日目にはまったくやらなかった『FRAGILE』や『THE SLIP』(!)、そして『GHOSTS Ⅰ-Ⅳ』(!)から、緩急を織り交ぜた、すばらしいセットリストでした(まあ僕が一日目を見ているからそう思うだけかもしれないです。この日だけの人は物足りなかったかもしれませんが)。そしてもうツイッターで駆け巡っている情報ですが、トレントの妻であるマリクィーンがゲストとして登場(これは驚いた。事前にこれを予測していた人はいるだろうか)! その後、彼女とトレント、アティカス・ロスのプロジェクトであるHow To Destroy Angels(HtDA)の曲をカヴァー(本人がいるのにカヴァーってのもおかしいけど、NINとしてHtDAの曲を演ったわけだから、やっぱりカヴァーっていうのが適当なのだと思う)。

***

アレさんの前座で演奏されたトラックは一日目と同じで、そこから「Somewhat Damaged」にスムースに移行(やっぱりメンバーはフラッと現れた)。このトラックって初めて聴いたとき相当ヘンテコな印象があったんだけど、もうこの十何年かの間にすっかりストレンジな感じは自分の中でなくなっていて、「懐かしい」トラックに様変わりしていた。でも初来日の頭(二曲目)、この曲だったのかあ。はあ、そこは覚えてなかった。『フラジャイル』の曲ってやっぱりあのぶっとい感じが印象的で、あの独特の硬さと重さはすごい好き。『THE DOWNWARD SPIRAL』(TDS)のささくれ立った、暴力的、背徳的な重さとはまた違っていて、すごく重いパンチ、みたいな。一音一音の主張が強くて、音が発せられるたびに、頭が揺れるみたいな。この重さを一発目に持ってくる辺り、すでに一日目とはモードが違うことの表れだったのかもしれない。

続いて「1,000,000」、「Letting You」と、『THE SLIP』から演奏するんだけど、シンプルなくせにやたらカッコいい。『THE SLIP』ってわりとガレージライクな、荒々しい肉体性、みたいな雰囲気があるけれど、それがそのままステージ上に現れていて、しかもそれは当たり前だけどNINのサウンドになっていて、流れの中に違和感なく埋め込まれている。フロアの反応も一日目とは違って格段によくて、次の「Terrible Lie」ではもうダイバーが出ていた記憶。明らかに熱量が異なっている。

その熱量の違いが伝わったのか、「March of the Pigs」を挟んだ「Piggy」では、トレントはステージ上からフロアにマイクを向けた。巻き起こる「nothing can stop me now」の大合唱。いやこの一体感。たまらん。やっぱり単純にトレントのルックスだけ見ても、『クロージャー』に収録されているライヴ映像とか、Woodstock '94 の頃の内向性っていうのはなくなっていて、彼は青白いモヤシっ子からムキムキマッチョマンに変貌を遂げ、それと合わせてパフォーマンス自体も健康的、健全なものになったように思うんですけれど(どっちがどうとかは言えない)、このフロアとの幸せな一体感っていうんですかね、これは今のNINでなければ出せない感覚でしょう。

『TDS』から『FRAGILE』の間にあったトレントの変化っていうのは、当時のファンにはけっこう衝撃的でした。BUZZの2000年3月号に載っていた、当時のキーボーディスト、チャーリー・クラウザーの言葉が忘れられない。TDSに伴うツアーの後、トレントに起きた変化を彼はこう伝えていた―

『トレントはなんと毎朝、
体鍛えて走ってジムに行くようになったんだ。
俺、あんなことが起こるとは夢にも思ってなかったね(笑)。
他のみんなも、
一緒に旅行してマウンテンバイクに乗ったりしてさ』(P.82)

―その変化が、今につながっていることは、言うまでもないでしょう。
(実際は『FRAGILE』の時点では、まだ精神的暗闇を抜け出せていなかったようですが)。

***

僕みたいに、だんだん離れていっているファンの人もいると思います(いや、でもファンですよ)。それとは逆に、新しくファンになる人も増えているんじゃないかって、今回ライヴを観に行って、そう感じました。ちょっと興味があって「観に行ってみっか」的なノリだった人は、きっとファンになっちゃったんじゃないかなあ、そう思う。この二日目の帰り道、僕の耳にはすごく(マジですごく、だ)、好意的な意見しか聞こえてこなかった。

中盤の「The Frail」~「The Wretched」っていう、この日の静的パートは、バランスがすごくよい。ピアノ主体の小品「The Frail」が何に結びつくのかというドキドキ感、緊張感、それを静かに力強く開放する「The Wretched」のイントロ。続く「Vessel」が始まった時の、このビーム光線みたいなサウンドのカッコよさ。しびれる。かなりヘンテコなサウンドだと思うんだけど、この求心力! アレさんはさりげなくバチ?スティック?で何か叩いて金属的な冷たい音を演出している。終盤~アウトロで、アレさんが作り出すノイズとトレントの作りだすBleepyな電子音の絡みが、たっぷり続いたんだけど、あんなノイジーな絡みでもグルーヴを出してくるってのが、またカッコいい。あのパート、もっと聴きたかった。

この日も本編終盤は怒涛のように駆け抜けたんだけど、中に一曲、『GHOSTS Ⅰ-Ⅳ』からの曲「31 Ghosts IV」が入っていたのが特記事項。でも僕はまったく曲を覚えてなくて、こりゃあ新しいインストか何かと思ってしまったんだけど、あとでゴースト収録曲と聴いて、「あんなバキバキしたカッコいい曲あったけなあ」とアルバムをひっくり返した次第です。そしたらちゃんとありました。今改めて音源を聴くと見事にNIN印の素敵な曲で、なんでこれを覚えてないんだ自分と、はずかしくなってしまった。

僕は最後の「Hurt」までが本編かと思ってたんだけど、公式には「Head Like a Hole」までで、それ以降はアンコール扱いだったみたいです。「Head Like a Hole」のあとにトレントはけっこう長いことしゃべったけど、あんま聞き取れなかったな。まあ言われているように、「昨日も来た人はいる?」or「今日初めて来た人?」って聞いてたとこくらいはなんとなく分かりました。フロアの前の方を指して「この辺は昨日も見た顔があるな」ってちょっと面白そうに言ってたのが印象的。もっとこのフレンドリートーク聞きたかったけど、時間の都合もあるんでしょうね、そうそうにライヴは進行。ゲストが招き入れられました。それがトレントの妻、マリクィーン。思わず「おぉ!」と言ってしまった。

「Ice Age」と「BBB」を演奏してくれたんだけど、どちらも決して代表曲という感じではないんですよね(「BBB」なんて初作のEPにしか入ってないと思う)。僕の中では。そこが面白くもあったんだけど、ちょっと残念でもあり。やっぱり「How long?」や「The Space In Between」、「Keep it together」が聴きたかったなあ。曲はもちろんトレントが関わっているので、彼らしいものでしかないんだけど、マリクィーンがメインボーカルを取るだけで、 曲の印象はだいぶNINとは異なります。より静的な方向に傾くというのと、Ambientiveな聴き心地になります。夜っぽいとでもいえばいいのかな(「Ice Age」のライティングは素敵でした。深く青いライトが縦横にゆっくり動いて、深海のようなイメージだった)。曲調はNINみたいにメリハリをつけたパンチのある構造ではないので、そのことも関係していると思います。

NINのライヴでHtDAの曲が聴けるとは思わなかったし、それだけにフロアの反応が気になったんですが、僕が感じた限りは好意的な受け入れ方でした。歓声もあがったし、拍手もあったし、みなさんしっかり耳を傾けている印象だった。トレントがわき役に徹する、もしくはステージにいないという、そんなNINのライヴ自体がレアすぎて、そのことにも興奮してしまった。しかもこのスペシャルな演出はこの二日目にしか行われなかった様子! 僕がいけなかった三日目にはもっとすげえことやるんじゃないかって思ってたんだけど、特別なことはやらなかったみたいです(最終曲が「Head Like a Hole」だったってのは良いと思う。やっぱり盛り上がって終わりたいデスもんね)。

で、「BBB」が終わったら、妻の肩を抱いてラヴなオーラを出しながら、ステージからはけていったトレント、戻ってきて「サンキュー」と一言述べた後、「Hurt」を唄うっていうね(笑)。シチュエーション的にぜんぜん合ってないんですけど!!っていう。そういう隙っていうか、突っ込みどころがあるのも、またトレントの魅力なんじゃないかって思う。昔スタジオでの写真だったかな、うしろのキーボードかなんかにかけられたタオルの柄がダサすぎるってツッコミを食らっていたことを思い出しました(緑と黒のボーダーだった気がしますが、定かではありません)。

今回のライヴでは三日間を通じて「Closer」をやらなかったことが意外でしたが、これはやっぱり「All Time Low」がそれに取って代わってるってことなんでしょうね。だから「All Time Low」の終盤には「Closer」の断片を取り込んだり、しているんでしょう。僕の中では「Only」が第二の「Closer」だと思ってたんですが、違ったんかなあ。でも「Closer」は「Closer」だから、やっぱりやって欲しかったなあ。

というわけで、個人的には今まで見たNINのライヴでは、この2014年2月26日のスタジオ新木場コーストがベストでした(もちろんみなさま、それぞれ意見があるかとは思いますが)! ライヴアクトとしての、NINのすごさはいまだ健在でした。曲の良さと、音の良さと、演出(今回の場合ライティング)の良さ、これらが高いレベルで結びついて生まれるこのエネルギーったら。揺さぶられずにいる人の方が少ないでしょう。すごい! トレントもオッチャンだけど、まだまだ走ってほしい。また絶対観に行きますよ。ありがとうございました!!

公式ツイッタ―に上がったこの日の写真を以下に―



うひょー!

おしまい。

この日のセットリストはこちら

NIN JAPAN TOUR 2014 - 2.25


まるで図ったように、七年ぶり。NINの単独来日公演。

彼らが初めて日本の地を踏んだのは、2000年。
その次が2007年。
そして今回、2014年。

幸運にも僕はすべて見てこれたんだけど(フェスは一回も見てないですけどね)、初めて見てから14年…。感慨深いです。

整理番号はわりと前の方だったんだけど(というかコーストはあまり整理番号関係ないですよね、行こうと思えば、かなり前まで突っ込んでいける)、体力的なことも考えて、ちょっと後ろにさがってみてました。他の理由としては、NINと自分の間にちょっと距離が空いていたから、ということもあるでしょう。新しいアルバムだって、数えるほどしか聴いていなかったし、昔は彼トレントが(プロデュースなり曲提供なりで)関わったサントラはほとんどすべてチェック、購入していたのに、近年の『鉄男 THE BULLET MAN』, 『ソーシャル・ネットワーク』や『ドラゴン・タトゥーの女』は、まったくといって言いほど、チェックしていなかったんです。今回のライヴメンバーもうろ覚え、たしかロビン・フィンクいたよなあ、あれ、アレッサンドロ・コルティニは?どうだっけ?みたいな始末。そんなこんなで、前回はフロア中ほどでシンガロングだった僕は、今回一歩退いて、おとなしく見るのが相応しいような、そんな気分だったんです。

一応今回の日本ツアーのメンバーは―

Trent Reznor, Robin Finck, Alessandro Cortini, Ilan Rubin

―この4名(合ってるはず)。フジ・ロック2013の時は、ベーシストとしてPino Palladinoがいたようですが、今回は外れている様子。

そして単独でも活動しているキーボーディスト、アレッサンドロ・コルティニ(以下アレさん)は今回の来日で前座も務めています。

***

きっちり19時くらいに客電が消えて、バックの青いライトが強くなり始めた。

現れたアレさんはステージ中央でしゃがんで、機材をいじるわけですが、これがAmbient/Drone調のトラックなもんで、なかなか、ねえ、アレですよねえ。NIN好きな人はこういう曲も受け入れられるだろうけれど、でもNINを待ってる状態で、この起伏に乏しい、リズムのない、電子音の波はいささか厳しかったかもしれません。多少アグレッシヴな鳴りがあったので(でもアレで手拍子するのは違うと思いますなあ)、音楽的に引きつける部分はありましたが、完全にAmbient/Droneだったら、よくも悪くも異世界に突入していたでしょう。このアレさんの前座は2トラックで終了。ノイジーな波を放射したまま、彼はその場を去っていきました。

このアレさんのプレイから本編のNINにつながることを予想していた人もいますが、まさにその通り、ここから間髪入れずに、フラッとNINメンバーがステージに現れて、トレントはフロア中央でキーボードをプレイ! さりげなさすぎる登場だよ! この登場の部分は前回の方が断然カッコよかったと思います! トレントは前回ひげのモッサリ姿だったんだけど、今回はちゃんと剃ってる(笑)。衣装もなんか帷子みたいな(?なんていうのアレ?)、股の部分にペロンと前掛けみたいのがついてるスタイル(スマパンのビリーみたいな。あそこまでガッチリじゃないけど)で、ちょっぴり気が使われている感じがしました。

で、1曲目がまさかの(これを予想できた人がいるだろうか)「me I'm not」! しかもこの時点で楽器を演奏しているメンバーが一人もいない(笑)。4人ステージにいるのに、みんなシンセかなんかよく分からないけれど、機材を操作しているという、なんとも面白い光景。でも前回のコーストを振り返ってみたら、「me I'm not」も演奏はしているんだな。トレントはこの曲好きなんだろか。

序盤からフルスロットルというよりは、こんな曲から始めるあたり、徐々に盛り上がりを作っていくパターン?とか思っていたら! 次が「Survivalism」だった! 決して唄いやすいという曲ではないんだけれど、このアグレッシヴなテンション、畳み掛けるようなリズムに会場は一気にヒートアップ。トレントのヘッドバンギング気味の歌唱と、強烈なライトアップ(ホント強烈)も手伝って、いよいよライヴ始まった感が半端なく高まった瞬間。

ホント序盤からすげー飛ばしまくりでニヤニヤしちゃったんだけど(トレントを生で見ているせいもモチロンあります)、次が「Terrible Lie」! このナタでぶった切るみたいなカタルシス満点の「hey God」のフレーズ(会場は大合唱です)。トレントのどこかセクシャルな歌唱が醸す肉体性。実に絶妙なアクセントになっている電子音のフレーズ。なんというパーフェクト感! すげーカッコいいのと気持ち良いのとで、3曲目でいきなりコレかよ!あとどうすんだよ!ってちょっと心配しちゃったけど、余計なお世話でした。

そうそう、このあとの(これがまた畳み掛けるような「えええ、飛ばすなあ!」って笑っちゃったんだけど)「March Of The Pigs」, 「Piggy」を見てて思ったんだけど、ドラムのIlan Rubinが、今回のライヴの個人的肝。Josh Freeseの引き締まったタイトなドラムも好きだったけど、このIlan Rubinのドラムが実にパワフルで、ライヴ映えする。プレイ自体、モーションが大きくて、見てるこっちも気持ちが高ぶってくるような、そんなスタイル。一打一打が耳をバシバシと打つんですよ。「Piggy」の後半のドラムとか、しびれましたね。あ、ちなみに今回はトレントは「Piggy」でステージ降りてきませんでした。またお客に歌わせるかと密かに期待したんだけど…。

***

この辺りからが、ちょっとクールダウンの部になるんですかね。トライバルに進化した「Sanctified」や、新作からの「Disappointed」(スピード感あってカッコよかった), 「Came Back Haunted」, 「Find My Way」を立て続けに披露。

最近のライヴでNINがスクリーン使っているのか知らないんですけど、今回の来日では(それを言えば前回も)使用せず。その分ライティングに力が入っていたような印象です(もちろんアメリカのシャッターみたいなのとはまた違いますけど)。前回のコーストではそんなにライティングが印象に残っていないので、これはやはり今回目立っていた演出なんだと思います。ライトのパターンや色、動き、光の出し方、トラックごとにさまざまに使い分けられていました。「Came Back Haunted」のときは、ステージ後ろの壁に埋め込まれたライト(複数)が、水平方向に回転しながら会場をグルグルと照らして回るような演出だったんですが、どう見てても一定のタイミングでライトの光が目の前を通過してくもんだから、ステージを正視できず(笑)。というのが強烈に記憶に残っています。あとは、その「Came Back Haunted」、やはりPOPだなあと思いました。新作の中ではダントツだと思いますが、ライヴだとさらによく分かります。サビが一緒に歌えますもの。新作の中では会場がもっとも盛り上がったのはこの「Came Back Haunted」でした。

やっぱりNIN、というかトレントは静と動の使い分けが巧みだなあと感じたのが、次の「Reptile」。冒頭の機械の駆動音のような効果音から、一気に振り下ろされるディストーションギター、あわせて放射される光線。このハンマーでガツンと殴られたような(いや殴られたことないけど)、すさまじい衝撃たるや。また曲中にある、奇妙な、バイオレンスとは離れた、黄昏た瞬間が、吸引力を発揮する。暴力の果ての虚無のような、心地よい空洞。その虚脱感のようなものは、セクシャルでもあり、僕が昔のNINに感じているエロさは、そのあたりに起因するのだと思う。そんな時化(しけ)と凪(なぎ)をひとつの曲の中で絶妙にコントロールすることで生み出されるカタルシスというやつが、NINのひとつの魅力であることを、この「Reptile」で改めて実感しました。

「Reptile」に続いた「Beside You In Time」はちょっと唐突感があったんだけど、意外にフロアは好意的に受け入れていて、逆に僕が疎外感を感じてしまった(笑)。でもこの曲はやはりあのすばらしい視覚エフェクトと共に見てみたいなあ! というか見たかったなあ! あのトレントがマイクスタンド振りかざすとスクリーンに映った映像が粉々に砕けていくやつ…。あれのイメージが強すぎます。そしてこのあとが通称「コピオバ」こと「Copy Of A」! やっぱりNINに求められているのは、こういったダンサブルなリズムに、キャッチ―なメロディを合わせたウタモノなのかなあって思います。フロアも確実にノリのよい曲を求めてますよね(当たり前といえば当たり前ですが)。そういった欲求を知ってか知らずか、POP度高めのセットリストで来てくれましたけれど、個人的にはもっと静のパートをガッツリぶちこんできても良かったと思います。というか僕が見たかっただけですが。「La Mer」とか「Eraser」とか、「In This Twlight」、「Right Where It Belongs」などなど。でもああいうのはやっぱりスクリーン使って演りたいのかなあ。

静のパート云々というのはですね、終盤ちょっと駆け足過ぎる印象があったんです。新作からエレクトロなファンク「All Time Low」をやって(ラストにちょろっと「Closer」を絡めてきてドキリとしました)、ここから最後までがもう連打連打ですよ。「Gave Up」, 「The Hand That Feeds」, 「Only」, 「Wish」, 「Head Like A Hole」, 「Hurt」っていう。そりゃあもう盛り上がりはすごくて、「Only」で一回落ち着く感じではあったけれど、「The Hand That Feeds」や「Head Like A Hole」はこの日のマックスだったんじゃないですかね。お決まりのハンドクラップが会場中で行われたことはもちろん、タオルやペットボトルが宙を飛んで行ったり、フロアから突き上げられた拳の数も気持ち悪いくらいで、ちょっと後ろからみていて圧巻でした。でもですね、やっぱりちょっと性急すぎる感じがあって、ここまでキチキチに詰め込まなくても、間に何か毛色の違うトラック挟んでもよいんじゃないかなってチラッと思ったのが事実。「Gave Up」と「Wish」はどっちかでよかったと思うし、もっというなら、「The Hand That Feeds」~「Head Like A Hole」~「Hurt」っていう、この辺の定型化している流れを崩してほしかった。まあ別の日には変わるのかもしれないけれど。

あと「Hurt」でのフロア側のリアクション、あの曲中にみんなでライターを掲げるというやつは、今回は実現されなかった模様。試みた人はいるみたいですが、会場側がダメ出しをしていたようですね。前回のコーストでは見事実現していたんですが。でもやっぱり危険ですからね。仕方ないです。

ということで、あっさりタイトに終了。猛ダッシュで目の前を駆け抜けていったような。でも僕は満腹です。正直ちょっと受け止めきれていないくらいです。アハハ。瞬間的にして濃厚という。

***

フジロックを見た人は、なんとなく物足りなさそうな意見が目立ちますが、僕は今回のライヴ、すごい良かったと思います。曲数とか曲目とか言い出したらキリがないけれど、パフォーマンス自体は素晴らしかったです。音も良かったし、声もしっかり出てたし。メンバーそれぞれが曲によって楽器をもちかえて演奏するマルチプレイヤーっぷりが目立ちましたね。テクニック的な部分はよく分からないけれど、あの臨機応変ぶりで、ここまでのパフォーマンスを見せるバンドもなかなかいないような気がします。

あとはトレントの動物的な動きも今回は印象に残りました。頭の中にある曲のイメージ、その動き(あるいは流れというか)に合わせて体を動かしているんでしょうけれど、始終動きっぱなし。前にNINのライヴ動画を見た知人が「あんなに動く人だと思わなかったよ」って言ってましたが、今回もまさに「動く人」でした。もう決して若くないのに、あれだけ動きつつ、渾身のパフォーマンスを見せるトレントの体力は相当なもんでしょう。エンターテイナーって言っちゃうとちょっと違うかもだけど、でも曲にしろパフォーマンスにしろ、刺激的なことをやりつつも、根っこに強い大衆性というか普遍性があるんだと思います。だからここまで大きなバンドになって、成功しているんじゃないかと思います。

ああ、なんかもっと書けることあった気がするんだけど。昔はもっと偏執的なレポートを書いてた気がするんですが、すっかりタッチが変わってしまいました。単純に興味の問題かもしれません。きっとそうでしょう。あ、グッズは買いませんでした。だって黒と白?のいかにもNINってやつしかないんだもんなあ。「Fragile」のときのTシャツとかないのかなあ。着倒してヨレヨレになったまま段ボールの中で眠ってますん。夏はこっそり寝るとき着てます。

***

さて、以上はまだ一日目。今回は二日目も行くんです。そちらはまた後日。

オフィシャルのツイッタ―に上がったこの日の写真を以下に。なんと日本語で「素晴らしいショウだった!ありがとう!」の言葉もあります。こちらこそありがとう!



あ、ライターの有島博志さんのツイッタ―にあがったトレントの写真がオッサン過ぎて逆に微笑ましいデス(笑)。なんかかわいい。

おしまい。

この日のセットリストはこちら



石崎ひゅーい「1983バックパッカーズ」(日本一周 Ver.)


音楽を聴くことに何だか疑問を感じてきてしまったときは、この動画を見ることにしました。

音楽を聴くことの喜びを―

Ryu attacks Taylor Swift at the Grammys


(via 4GIFs / permalink


お、おもしろいじゃねーの…! なんというマッチング。