① 『Witcher2』は圧倒的に短い。三作目の10分の1くらいの時間で終わってしまった。しかしグラフィックの重々しさが好き。剣を振った時の重量感とかイイ。戦闘のシビアな感じも好き。戦闘の派手派手しさというか、QTE(クイックタイムイベント)が激アツで、カイラン戦は特に燃えた。がストーリーが分かりづらいのと、サブクエスト進行の難しさ(メインクエストを進めていると進行不可になってしまうものが多い)は好きではない。「3」はだいぶ(ホントにだいぶ)ユーザーフレンドリーになっていたんだなと気づかされました。
② 『屍人荘の殺人』を買う寸前までいくが思いとどまる。ミステリ熱がそれほど高くないのかもしれない。今は。たぶん文庫まで待つ。ような気がする。
メモ
メモ
① 状況を変えられない自分の不甲斐なさに腹が立っているだけなんだよって、言い訳のように聞えるだろうか。みんなで寄ってたかって一人の人間の文句を言って、そこに正義があるようにふるまう状況は、果たして正しいんだろうか。僕はそうは思わない。でも変えられない。それが、腹立たしい。
『The Witcher 3: Wild Hunt』の感想
言わずと知れた名作、かどうかは分かりませんが、『The Witcher 3: Wild Hunt』をプレイしていました。というかメインストーリーは終わりましたが、まだ拡張パックのコンテンツ「Blood and Wine(血塗られた美酒)」をプレイ中です(と、書いてる最中に終わりました)。
ポーランドのゲーム開発会社CD Projekt REDが開発したビデオゲームなわけですが、原作はアンドレイ・サプコフスキよるポーランドのファンタジー小説『魔法剣士ゲラルト』。
まあコレはPS4版ですけれども。僕はPC版で遊んでます。
勧善懲悪を避けたストーリーはメインクエストのみならず、サブクエストでも徹底されていて、要所要所で設けられている選択肢はどれもが正しく思えるし、どれもが間違っているようにも思える。その一択で世界情勢が変わる可能性すら孕んでいて、プレイヤーにとってはエンディングにまで影響を及ぼしてくるのだから、そう簡単には決められない(ちなみに僕はラドヴィッド王暗殺に関わるのは断りました)。
メインクエストの結果でWitcher3の世界は36種類の状況があり、サブクエストの選択結果も反映されるエンディングデモが3種用意されている。
なるほどエンディング自体は3種類。いまどきここまでのゲームであればYoutube見れば全エンディングは確認できてしまうわけですが、僕は見てませんよ。まだ。とりあえず自分のたどり着いたエンディングには納得したので。とうか、やはりストーリーの運びが巧みなので、「これで間違いではない」と思わせるのですね。プレイ時間はメインに50時間、それ以外に50時間、合計100時間が見込まれているそうですが、僕は倍以上費やしました。というかメイン以外はまだ終わってないわけですが。それだけ時間を費やしておいて、じゃあ他のエンディング見るためにどこからやり直せばいいのかな?って確認するのも、もうそれはできねーなって気持ちもあります(笑)。攻略情報も多数あるでしょうが、別に詰まってるわけでもないのに、それはしたくないという気持ち。また時間があれば再プレイもあるかもしれませんが、今のところその予定はない。
硬派なゲームではあると思うけれど、ときどきジョークじみた展開があって微笑ましい(比べるのは違うかもしれないが『The Elder Scrolls V: Skyrim』の方がよほど硬派だと思う)。ケィア・モルヘンで男ウィッチャー3人で、女魔術師イェネファーの衣装(というか下着も含め)を無理やり装着して、どこかの王?とテレビ電話的なアレでつながったときには笑った。しかも王はトイレ中っていう…焦る王に対し扉の外の側近が「紙ですか?お持ちしましょうか?」的なリアクション…。トゥサンで銀行の各部署をたらいまわしにされるクエストも面白かった。
操作性がよいとは決して思えなくて、特に愛馬ローチの操作性がなぜあんな感じなのか。思った通りに動かない。仕様といわれればそれまでだけれど。僕は馬の操作がホントに苦手で、騎乗したまま行うクエストはホントに冷や汗だった。おかげでトゥサンのトーナメントも、レースだけは見事に落としてしまった。なので僕はゴルゴンとは会いまみえていない(でもそれもまたよしと思うわけです。それが自分の力量ですから)。このあたりの問題に関しては、とあるクエストの中で副作用的にローチと会話できるシーンがあるのだけれど、そこでメタ的に語られていて面白い。口笛を吹けば海の向こうからでも現れるのに(プレイヤーが口笛を吹けばローチはすぐそばに飛んできてくれる)、かと思えばちょっとした段差すら引っかかる、これはなぜだ?と主人公が問えば、「できることとできないことがある」と返される。「あなたの馬術はまだ上達の余地がある」といわれるから、「お前がもっと機敏に対応してくれれば」、「勝手にあっちへ行ったりこっちへ行ったりするから…」と返したり…。面白いね。
ストーリーも長いし、サブクエストも複雑に絡んでいるので、次第にそもそもの目的ってなんだっけ?的な状態になったりもしました。映画や小説でもありがちですけれど、ドラマチックな展開に持ち込むために、現実的な選択が排除されているようにも思います。激アツだったのは、やはりケィア・モルヘンの戦いなわけですが、でもそもそもなんでシリを霧の島から連れ出したのかな? そこにいればワイルドハントに見つからないんだったらそこに匿っておけばよいんじゃない?、って思ったりもするんですが。 いずれは見つかってしまうから、いつまでも置いておけないってことかもしれませんが…。でも連れ出して、いわばおとり的に使って、それでワイルドハントをケィア・モルヘンで迎え撃つってやっぱり無理があった気がするなあ。アチラ側も少しずつしか軍隊を送り込めないとはいっても、一国のレベルなわけでしょう、トータルすれば。それを10人弱のウィッチャー+女魔術師+仲間たちで相手にするっていうのは、んー。そのあと訪れる悲劇に対して、僕は「お前がいなければみんな死んでいた」ってフォローしたんですが、シリには「違う。あたしがいたからワイルドハントがやってきた。あたしがいなければ」と返されたんですが、ごもっともです! 言わんこっちゃない! と言いたい。旅の目的はとりあえずシリ捜索であり、シリの行動を追っていく形になるのだけれど、いまいち把握できない。どこでアヴァラックと出会って、次にどこへ逃げて何をして、そしてどこでアヴァラックはウーマ化したのか?などなど。これに関しては必ずまとめている人がいると思ったので、探しましたが、いらっしゃいました。→ 【ネタバレ考察】”複雑”なシリの冒険を最初から振り返る。 やっぱり分かりづらいですよね。この中で『「ワイルドハントが私を忘れた頃」だと思ったシリが、Geralt達が住む世界に戻って来る。』ってところも、おいおいって思いませんか? ねえ。わがまま娘。
インターフェースに関してもいろいろ言いたいことはあるけれど、この辺はmodを探して導入すれば解決するのかもしれない。特に武器や防具の製作に関しては、作ろうとしているものをすでに所持しているか否かが表示されて欲しかった。ウィッチャー装備はストーリーが進むとアップグレードできるようになるけれど、常に全部を持ち歩くわけにはいかないので、とりあえず倉庫に預けておくのだけれど、そうするとどれをどこまで作ったのか忘れてしまうんですよね。何個も作ってしまったよ…。あと必要素材が店に売っているかどうか分かりやすくする「レシピ」という概念も良いが、もっと簡潔にできるのではあるまいか。
あと抽出液、ほとんど使わないというか、使うものが決まってくるっていう。効果が分かりにくいものはほとんど使わなかったし、それでも戦いには勝ててしまうし、その辺り、ちょっと空しかった。「黒い血」は効果的だった。弓矢の使いどころも、もうちょっとあると面白かったのになあ。威力が小さすぎる(これは頑張れば変異で強化できますね)。
というのは、まあ些細なことで。実際ドラマチックな物語には心を動かされる(ときにわき道にそれるけれど)。寡黙で皮肉屋で決してヒーローではない(というかそれはプレイヤーの選択次第だ)主人公、ゲラルトの人物像も好ましい。僕好みだ。ちなみに初期設定では髪型は決まっていて、時間経過とともに髭が伸びていくのだけれど、これは物語中に何か所か存在する床屋でカスタマイズできる。僕が好んでいた髪型は横は刈り上げ、トップは短め、うしろはポニーテール、髭は綺麗に剃るというスタイル。装備で長く愛用したのは前半は猫流派の装備、後半は新月の装備、蛇流派の装備、剣はイリス、ティール・トカール、エアロンダイトでした。
もっとも印象的だったクエストは(暫定的ですが)、ウィッチャーと対峙するやつですね。詳細は割愛しますが、2つほど、ウィッチャーと戦うか否かという選択を強いられるクエストがありました。ひとつは見逃し、ひとつは成敗しました。ランバートにはめっちゃ怒られましたが(笑)。モークヴァーグが絡む「狼の皮をかぶって」もどう解決するか悩みました。が、人間に戻した後で成敗してやりました。呪いは解いてやっただろっていう言い分でいいでしょうか。
きわめて濃厚なゲームであったわけですが、しかし僕は1も2もすでに購入してしまったんだなあ。2の日本語版は起動するのにちょっと根性がいるみたいだけど、そこまでたどり着けるかな。どうでしょうか。行ってしまったら、またしばらく戻ってこないのでしょう。アハハ。
おまけ:【ウィッチャーあるある】プレイしすぎて日常生活の歩き方がゲラルトっぽくなる。
17歳とベルリンの壁 - Studio Live Program vol.4 - Sphere -
新曲が聴けるぞ~(3曲目と4曲目)。ありがとございます。
syrup16gの『delaidback』を聴いています。
いや、書けることないくらい?傑作だと思います。何を書いても的を射ていない気がする。けれど。
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『ROCKIN'ON JAPAN』の2017年12月号は買い逃した。読み逃した。読みたかった。『音楽と人』は手に取った(そして読んだ)。『MUSICA』も読んだ。
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公式ウェブサイトに依れば「開けられずじまいの心の窓から」と「夢みたい」が(収録曲中では)最も古く、1997年ごろの楽曲ということなのだけれど、僕はそのころのsyrupに出会っていないので、感慨というほどのものはない。正直なところ。
僕の中では2004年10月10日の日比谷野外大音楽堂でのライブを以てsyrup16gの第一期は終了したという認識で、それ以降、2007年末の「END ROLL」ツアーが始まるまでの期間は、バンドの迷走期というか暗黒期というか、ライブはやっていたものの、バンドとしてはもう上手くいっていなかったんだろうなあと思います。そして2008年3月1日の日本武道館でのライブを最後に、解散をしてしまう。
その迷走期、暗黒期のライブで多くの(ホントに多くの)新曲が披露されていたのはファンの方々ならよくご存知のこと。それらの一部はアルバム『syrup16g』に収められた。けれどそれ以外は…表に出ることなく、出すことなく、バンドは消えてしまった。解散後にそれらを出してほしいとは、僕は思わなかった。商業的な匂いがしそうだったから。
解散後にさほど間をおかずに五十嵐さんは「犬が吠える」なんて変な名前のバンドを始めたけれど、それも数回ライブをやっただけで、またいなくなってしまった。その数回のライブを観れた僕は「光」で我知らず泣いたりしてしまった。やっぱりこの人すげえなあって思って。
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syrupがいなくなって、犬が吠えるもいなくなって。
もう音楽辞めちゃうのかなあ、そうなんだろうなあ、なんて思ってたら、ひょっこり戻ってきて(というか戻らざるを得なくなり)。ひょっこりではあるけれど、まあ今振り返ると、4年も5年も経っていたのですが。
再結成してもなんだよグダグダじゃねえかってバンドも多いと思うんですよ、世の中。でもsyrupは再結成後、いなかった期間を取り戻すように精力的に活動してくれて、リリースもするしライブもやるしで、沈黙なんてほとんど感じさせない。端から見ると絶好調だ。ライブを観てもバンドがいい調子なのは明らかで(創作に関してはギリギリっぽいことも言ったりしているけれど、どこまで真実味があるかは分からない)。
別の投稿で、「バンドが軌道に乗り始めた今こそ、過去の未発表曲たちリリースしてくれないかなあ」なんて書いたけれど、今回それが叶った形になる。
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初っ端の「光」改め「光のような」でいきなり打ち抜かれてしまった。ドラマチックなイントロを経てからの歌声が入る瞬間の、このゾクリとする感じ(どういった感情なのかは自分でも分からない)。歌詞は一部変わっているけれど、犬が吠える時代に披露された形とほぼ一緒だ。ミックスのせいなのか、なんなのか、いつもより声の抜けがよいというか、若さを感じるのは僕だけだろうか。曲調のせいもあるんだろうか。そこにある世界観に、荒井由実の「翳りゆく部屋」に通じるものを感じる。たとえ自分が死んでも「あの輝き」はもう戻らないという諦めと、中央線が止まっても最終に乗り遅れてもこの生活は終わらないという行き止まり感。日常的な描写に落とし込まれているけれど、「何か」が起きても、自分の今おかれた状況はもう変わらないんだという、諦念(もちろん、だからこそ、そこから見える光が、とても眩しい。とても)。それが底でつながっていはしまいか。syrupのライブで披露されることがあるのか分からないけれど、新たなマスターピースの予感がする。「光」から「光のような」に改めたのは、syrupらしくしたということなのかもしれない。
アルバムを聴いていて思うのは、やっぱり「今」じゃないよなということ。最新形に歌詞は書き換えられたりはしているんだろうけれど、この軽やかさ、ギターポップ然とした瑞々しいギターと厭世的な歌詞の同居によって香ってくるノスタルジアは、およそ今のsyrupからは出てこないように思う。もちろん録音してるのは今だから、今っていえば今なんですけども。たとえば「向日葵」にもあった、思春期の狂騒を冷徹な視線で突き放すような、あの感じ。インタビューを読むと、デモ段階で残っていたものは歌詞がついていないものも多く、それらには現在から当時を振り返ってそのそのときの心情に適した歌詞を充てたということなので(それも難しい作業だとは思うけれど)、やはりそこに「今」とは違うと感じるのは自然なことなのだろう。
「透明な日」とか「冴えないコード」(ライブで映えそうだなあ)とか「ラズベリー」とかは割と最近に寄っている気がします。線が太くて重々しいギターに寓話的というか抽象的な歌詞。
「夢みたい」はちょっと「希望」を彷彿させるけれど、こういった恋愛に直結した歌詞、「変拍子」もそうだけれど、これも「今」の歌にはもう出てこないように思う。「分かりあえた日々が 眩し過ぎて 見れないだけ」って、上手いなあと唸る。「愛しあった日々」とかじゃあないんだね。
今のところ一番好きなのは「光なき窓」なんですが、このサビがどこだかハッキリしないまま、ミニマルな展開の中でメロディを上下させる作り方、syrupっぽいし、すごく好き。低空飛行から始まって、やがて空高く飛んでいくような歌唱、シャウトも胸に迫る。アルバムの冒頭が「光のような」でラストが「光なき窓」って絶対意図的だと思うんですが、この舞い踊るような輝かしいギターのイントロと対比するような寂しげな歌詞で描かれているのは、果たして希望なのか、絶望なのか。
今の暗いくせにパワフルな曲調も好きだけれど、この軽やかなメロディの裏で人生を憂うっていうのが、やっぱりsyrupだよなあって思ったし、改めて五十嵐さんのメロディメイカーっぷりを見せつけられた気がします(本当にPOPだ)。電車の中でも、家事の最中でも、食事中でも、隙さえあれば聴いています。メロディが抜きんでているのもあるんでしょうが、プラスノスタルジックっていうのもありますし、一時は表舞台から姿を消したと思われた楽曲たちが(曲によっては)20年以上もの歳月を経て音源化されたという意義深さもあり、僕は「傑作」という言葉を送ります。まったく文句がない。今までで一番聴いたアルバムは間違いなく『クーデター』なのだけれど、それを抜く予感がする。
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前にも似たようなこと書いたけれど、上に書いた大音楽堂のライブからもう13年経ったというのが本当に(本当に)信じられない。しかしそれは事実なのです…。生活環境が変わってsyrupを(というか、音楽を)聴かなくなった人もいるでしょう(前にインタビューで五十嵐さんも似たようなことを言ってましたが)。でもこうして、バンドは今も存続、継続しているし、「傑作」を届けてくれている。僕は今も聴いている。自分自身が、変わっていないってことなのかな。好きなバンドと一緒に年をとれるということは、幸せなこと、だと思っている。「幸せ」、ですよね?(笑)
ありがとうございます。
このアルバムで一度バンドが清算された、というようなことを五十嵐さん言ってますが、いや、まだ出てない曲あるしー、「ディレイドシリーズはいつでも出せる」と言っているので、これで終わりって感じでもないみたいだけど。ツアー終わったらしばらくお休みしてもよいので、新作と共にディレイドシリーズも継続してほしい。
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でもこのあと『darc』を聴くとそんなにメロディが弱いとは思わなくて、じゃあこのアルバムとの違いって何なんだろうって思うと、アレンジなのかなあって思ったりもするんですが、結局よく分からない。やっぱり『darc』は不思議なアルバムだ。
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人は孤独で。どんなに大勢に紛れようとも、いや紛れたときこそ、それは色濃くなるのかもしれない。そしてsyrupの音楽、そこにある「孤独」に惹かれるのは、自身が孤独だからだろうか、それとも、孤独に憧れるからだろうか。たとえば電車の中のような雑踏で、イヤホンを耳につけ聴いていると、さびしくなると同時に、僕はとても安心してしまう。孤独。
CLOWの『DEAR FRAME』を聴いています。
ポップ・ミュージックに歩み寄れば、より多くの人に届くのだろうけれど、そうはなって欲しくないという、ジレンマ。
そしてこの純度をいつまで保っていられるのかというところも、やっぱり気になる。
あっさり顔出しをしてしまったけれど、そこにあったのは、往々にしてあるように、ちょっと儚げで、でもだからこその引力を持った、(普通の)女の子の横顔だった。
楽曲とのそのコントラストが、余計にグロテスクさを強める形になっていると感じるのは、気のせいだろうか。
このヒリヒリした感じ、最近感じた記憶がない。
どこかのタイミングでライブを観たいです。
きのこ帝国が秘めていたグロさに共振するものがある、気がする。
もっと再生回数伸びてもよいと思うけどな。
これは『DEAR FRAME』には入ってませんけどね。
メモ
① 浅野いにおの『零落』を読み始める。なぜかちょっとずつしか読めない。かつてファンだった人間としては『浅野いにおの時代が終わる』という惹句にひかれざるを得ない。
② 相変わらず妬み嫉みが湧き上がってくる自分に腹が立つ。そしてそのような作用を及ぼす対象に憎らしさを覚えることにも腹が立つ。隠しきれているのだろうか。望まないのに抑えきれないなどと、そんなバカなことが。そんな人間になりたいわけではないのに。葛藤。疲弊。
メモ
① 「こんなことでダメージ受けてたら生きていけないよな」という思いが積み重なると、無気力無関心無感動に行き着くのかもしれないな。
② なんだかんだでCD買っちゃったりするんですが、心がワサワサしてるのでぜんぜん聴けてません。ちゃんと聴きたいということです。よ。
③ マッシヴ・アタック来日するの知らなかったの僕だけですか。アンテナ死んでるな…。行きたかった…。
メモ
① 「こんなのオレじゃない」って言ったって、結局お前なんだよソレ。じゃあお前どこにいるんだよ。お前がやってきた数多の選択の結果が今なんだよ。
①’ っていう自戒ね。
② 「マニアックで数学的なビートエディット」
③ 常に思うことは記事で人の名前を出すときは読み仮名を書けということです。なんで書かないんだろう。読めないから頭に入らないし、ぜんぜん覚えない。自分で調べろってこと? 読んでて突っかかるのってやっぱり心地よくないです。
④ 鹿野さん! フルで流してほしかったよ…「光のような」…。途中でフェイドアウトかい…。歌詞ちょっと変わってた…けど、ほとんどあのまんまで、何かすごく綺麗でしたね。『darc』の反動もあるのかしら。早くアルバム発売されて欲しいです。
メモ
① マリリン・マンソンのニューアルバム『Heaven Upside Down』、曲は誰が書いているのだろう。マンソンが一人で書くということはまずないので、メンバーの誰かだと思うんだが、しかしメンバーもいつからか頻繁に変わるようになってしまったので、現在のメンバー構成を僕は知らない。トゥイギーは抜けたんだったか? ここ最近の中ではいい感じに思える。spotifyで聴けるのだが、テンションがいい。ヘビーな音作りだけじゃなくて、ちょっとおどけた感じもあって、マンソンらしさがある。
と思ったらマンソン、ライブ中にセットの下敷きになって、自宅療養中だって…。もう若くないし、体大事にしてくれよ。太ったよなしかし…。
やはり僕の中でマンソンのピークは『DEAD TO THE WORLD』の頃だった。「開戦前夜のこの感じ」っていうの? なんか始まるぞってドキドキがすごかったんですよ。
随想 from syrup16g 「十六夜 〈IZAYOI)」 その一夜
2017年10月5日。Zepp東京。
syrup16gの『十六夜』ツアー初日―「一夜」に行ってきました。長い感想はまた今度…書くかもしれないし、書かないかもしれませんが。
『COPY』の曲は余すところなく披露された。今の曲の方がパワフルだなって感じました。つまり昔の方が枯れているっていうか、覇気がないっていうか(笑)。諦念というか、捨ててる感が。
そしてそれが僕の中ではsyrup16gだし、多くのファンもそうかもしれないし、だから今みたいに開き直られちゃうとなんか違う感じがするのかもしれない。
でも歌を聴きに行っているというよりは五十嵐さんを見に行っているという気もするし、五十嵐さんが頑張っているのを見て「オレもまだ大丈夫」って思いたいだけなのかもしれないなあ、ってなんとなく、最近思います(別に悪いことではないと思いますが、自分では違う観方を欲している)。
五十嵐さんは「心なんて一生不安さ」って歌ってるけれど、逆に考えると?人間って、というか僕は安心したいんですやっぱ。不安でいたくない。安心してたい。そして僕は不安を歌っている人のライブを観て安心するっていう、そんな構造。だから安心を手に入れたら、僕はsyrup16gから離れるのかもしれない。でも「一生不安」であるからして、それはない、のかもしれない。なんて。グルグル。
***
ライブって、演者の調子はもちろんだけれど、観る側の調子も、その感じ方に大いに関わってくる。と僕は思っている。そういう意味では、この日の僕は集中力を欠いていた、ような気がする。もっと興奮できたはずだって、今でも思っている。何かあった、っていうほどのこともないようなことが、僕にはあったりしたんだけれど、もうそれは仕方がない。心のコントロールがヘタクソだったというわけだ。
こんなところを読む人はとっくにセットリストも見ているだろうから触れてしまうけれど、コピー全編の合間合間に、それ以外の曲を挟み込むような構成だった。その合間合間が各地で入れ替わるんだろうな。ツアー全部で頭からケツまで丸まる『COPY』じゃあさすがにちょっと…って思いますもんね。『HELL-SEE』の頃はアルバム通りにやったこともありましたっけ。
***
来月にアルバムが出ることが発表されたわけだが、これはやはり『delayed』、『delaydead』に続くものだろう。タイトルを見ても。
1曲目の「光のような」は、あの「光」だろうし(ついに!)、そうでなかったら盛大にみんなでズッコケましょう。でも犬が吠えるで披露されたものとはきっと変わっているだろうし、そうすると感じ方もまた変わるんだろうな。すごく聴きたいけど怖い気も。「チャイム」も入れてほしかったし、「エブリディ~エブリナイ~」って出だしのやつも入れてほしかったし、もしかしたら違うタイトルで入ってるかもだけど、望みは薄そう…。でも思い返すとアレも入ってないし、アレも入ってないし、ってもう一枚アルバム作れるくらい、未発表曲ありますよね。さすがにもう出してくれないかな…。
ツアーのラストまた東京に戻ってくるのは何でだろう。別のところで終わってもぜんぜんよいと思うんですけどね。「十六夜」Tシャツは欲しいけどさ。と思ったら途中にリキッドルームもある…。新木場コーストとリキッドどっちも狙いたくはないこの感じ、伝わるでしょうか(大好物は少しずつ食べたいタイプ)。どちらかだけ行くとしたらまあTシャツの件は置いておいて、よい記憶があるのはコーストなんですが、でもリキッドで観たいこの感じ、またしても伝わるでしょうか…。なので先行予約はまだ迷っている…。
***
「明日を落としても」は弾き語りでもよかった気がする(と思うのも最も感極まったのがこの曲だからであろう、相変わらず)。ベースとドラムが入ると何か、こう、輪郭が崩れる感じがあって、他も曲によっては歯車かみ合ってないみたいな、妙な違和感がございました。
あと五十嵐さんよく吠えてましたね。お客さんに引っ張られてる部分もあるのかもしれない。久しぶりに行く地方のライブはどんだけ盛り上がるんだろうか。覗いてみたい。
「デイパス」、「パッチワーク」、「土曜日」がよかった。「サイケデリック後遺症」だったかな?キタダさんがコーラスしてるっぽくて、「ex.人間」(この日はやってない)以来の特別な興奮! あとアンコールに「Deathparade」もってくるとは思わなかった。意外だった。
やっぱりどうして、こなれていない感じもあるのかもしれない。しばらく硬い感じだったし。僕は「デイパス」あたりでちょっと変わったかな?って感じたんだけど。ツアー後半はもっと一枚岩のようなイメージが強くなる、のかもしれない。キタダさんが譜面台を置いているのも新鮮だった。Twitterにあった「16年前の譜面の無い曲の 変なベースラインとらせれて(原文ママ)」というのはやはりこのバンドのことだったのだろうか。
***
バンド史上最長のツアーにニューアルバムを挟み込んで、なおかつそこにはファン待望の音源化曲が含まれるという、猛攻撃。
激アツです。今度こそ第二期始動といわせてください。
どうかご自愛ください。
***
あとTシャツ3枚買いました。グッズ売り場、なかなかの、なかなかの、行列だった。
もう良いとか悪いとか、そういうことじゃないんだろうなあと、帰りの電車でボンヤリ考えた。バンドがどんな状態になろうと、これは最後まで見届けるんだろうなって、そう思う。だから?演奏についてあんま書くことがなくなってきたのかもしれない。特定のバンドのファンを長いことやってる人ってこういう感じ、心境なんだろうか。よく分からないけれど。あんま感じたことがない、この心持。
ついていくっていうのは違うか。見届けます。
メモ
① 「本当のこと」に追いつかれないように、逃げる。逃げる。それで楽しい振りをする。してみる。嘘もつき続ければ真実になる。かもしれない。から。
↑ 本文とは関係ありません。たぶん。
メモ
① もしも神様がいるのなら、こんな状況にも意味はあるのだろうか。でも(僕は)神様はいないと思っているので、きっと意味なんかないのだろうな…。
② もうあの人に一生会えないのかもしれないと思ったら、ドキドキしてきたが、それは果たして杞憂に終わるのだろうか。何も告げずにいなくなりそうな人ではある。
③ 文章を書くということが相変わらずしっくりこない。元気がないわけではないが、いろいろなものが自分から遠ざかっている感じである。とりあえず働いてはいる。
メモ
① チケットはとりましたよ。金はまだ。だけど。
② どうせいつかは終わるのに、なぜ楽しく過ごせないのだろう。質(たち)という言葉で片付けてよいものか。
③ 借りた本の読書にようやくギアが入る。遅い。
④ フライパンと炊飯器とアイロンが欲しい。などと思う。
実写みてえだなあ、オイ。
メモ
① 達成感を感じるたびに、ちゃんと生きようと思うのだが、目が覚めるたびに、気持ちがリセットされている。とても、弱い。少しずつでも「ちゃんと」に向かっていこうと、今思う次第。
② 最近エナジードリンクをわりとよく飲む、ような気がする。プラセボ効果もあるのかもしれないが、わりと効いている、ような気がする。
③ 秋だ。秋を感じる。今日だけでも。何も上手くいきそうになくても、秋というだけで、許そう。秋なんだから。
メモ
① ナタリーのフィードはすぐたまる。お疲れ様です。
② 僕の願いはだいたいかなわない。いやかなえようとしてないだけかな。どうなのかな。
③ 脇道に入りすぎてそこがメインの通り道になってしまったような日々を送っておりますが、人から借りた本を読み進めることが出来なかったり、向こうのブログを放ったらかしにしたり、いろいろスイマセン。
④ 夏なんです。僕の嫌いな。
⑤ 最近よくRe:Lilly(リーリリー)の『Scene of view』を聴いています。感傷的だけれど、うれしいことも、悲しいことも、悔しいことも、すべて景色の中に取り込んで流れていくような、穏やかな気持ちになれるんです。
ある夜
Nine Inch Nails(NIN)の新作『ADD VIOLENCE』がよさそうだ。
前作の『Not The Actual Events』はビックリするくらいPOPじゃなくてホントにビックリしたワタクシですが、今作からの「LESS THAN」を聴いて、重装備を脱ぎ捨ててファンを驚かせた『WITH TEETH』を―中でも「The Hand That Feeds」を―想起した。何となく聴いたようなフレーズもあったりするけれど、チープな音色と分厚いギターサウンドに緩急つけたボーカルスタイルは、確実に往年のNINに通じる音楽的カタルシス。「Discipline」にも近しい触感かもしれない。
先ほど公開された「THIS ISN'T THE PLACE」もダークでメランコリックなエレクトロニックサウンドで、これもやはり、これまでに披露されたNINらしさがあふれている。特にこのピアノのメロディの陰りは堪らない。実に「らしい」。
NINとしての新しい何か、というのはもうないのかもしれないけれど、変わらぬNINらしさがあるだけでよいんじゃないかなって、僕は思ったりもします。もう音楽作らなくても食ってけるんじゃないかな、なんて思ったりもするんですが、こうして新しいものを作って、しかもそれをきちんと届けてくれるってだけで、僕は本当にうれしいです。彼、トレント・レズナーは、間違いなく、僕の中でひとつの核になっているアーティスト、ミュージシャンなのです。
「ADD VIOLENCE DIGITAL EP + PHYSICAL COMPONENT」という形での発売は7月21日から。CDは9月1日から発売と、それぞれアナウンスされている。欲しい。こんなご時世だから手に入れなくても聴けてしまうんだけれど、これは持っておきたい。そんな気になった夜でした。
◆◆◆
メモ
① 早く寝なければいけないのに、なんだか不安で眠れないとき、ありませんか。僕はしょっちゅうあります。
② トイレクイックルが、使い切る前にカピカピに乾いてしまうこと、ありませんか。僕はよくあります。
③ いっそのこと、その光で射抜かれたい。
④ 自分へのご褒美って案外大事だと思うわけですよ。甘やかしてますかね。ダメですかね。
⑤ 人生なんて、案外気の持ちようだと思いませんか。そうでもないか。
とりこもう そうしよう
とりこんでそうでとりこんでなかった音楽たちをメモしておこう。
で、思い出したけど、NAHTの「Wave of Mutilation」も好きだった。トリビュート盤、どこにいったかしら。というかNAHT、は解散したので、SEIKIさん何やってるのかと思ったら、起業してるんですか…?
好きだあ! 久しぶりに聴いたらめっちゃ琴線ふるえた。CDどこいったか分からん。
なんで入れてないのかわけ分からないですね。最新アルバムしか取り込んでない。いや入れた記憶があるような…前のPCとかHDなのかな…。
オリジナルサウンドトラックは3枚組だからな…。ちょっとだけ手間だな。ちょっとだけ。何なら『クロノ・クロス』も入れたい。
色あせんなあ、しかし…。
YouTubeeeee
『三拍子の時事漫才2017.5.6月』をみる→やっぱり面白いなあ。→三拍子が冠番組『リアルキング三拍子』を持ったことを知る(おめでとうございます)。→最新の第三回までみる。→おしゃべりブロッ5リーのチャンネルを知る。→そこでわらふぢなるおのふぢわらさんが『バイオハザードⅦ』をプレゼントーク。→そういえば職場の上司(50オーバー)がプレイしてたなと思い出す。→プレイ動画みてみる。→序盤で左手切断(しかも視点は真っ向から捉えている)というグロさに衝撃。→ つい最後までみてしまう。→プレイが華麗すぎてボスが強いんだか弱いんだか分からない始末。凄腕だ!
にしても映像綺麗だなあ。僕は1作目で止まってますからね、何を隠そう。主観視点で襲撃されるのはやっぱりこええな。ドライバーで手のひら壁に固定されるとか、おもわず顔そむけそうになったわ(結局みる)。
今日のミー
① 喉が痛くなる。昨日よりも増す。風邪のような。
② 定期を忘れる。
③ 仕事でトラぶる(が、解消された様子)。
④ 電車でソフトゴスロリな少女に傘で小突かれる(過失です)。
⑤ 部屋で食事中、手元を誤りスープを盛大に床にぶちまける(2回目)。
⑥ ついてない一日の終わり、挙句の果てにどうやら自分自身のハートをコントロールできていないことに気づく。どう動いたらいいのか、最近そればかり考えている。一直線に的に向かいつつも、しかし人には見破られたくないのだ。難しい。諦める覚悟はできているつもりだが、きっとできていない。まだ。
⑦ 最近どうも心がおかしいようだ。周りからは余裕かましてるといわれるが、まったくもってどこを見てそういっているのかが、分からない。全然余裕などないというのに。
⑧ つまるところ僕は、求めてしまっている。けれど分かられたくない(なぜなら分かられた途端、薄っぺらいのが露呈するからさ)という、矛盾。
⑨ その状況を他人に話すように「陽」に投げるか、一人で抱え込むように「陰」に落とすか、というイメージなのだが、僕は後者を選ぶのだろう―
メモ
① 何もかも投げ打ってなんて、それは重い。何をくだらないことをやっているんだ俺はと思い、いっそ生きていることがくだらないのではないかなどと、ふと考えたりもする。そして日がまた昇るのと同じように、オレはくだらないことを繰り返す。そしてまた思いが巡る。
メモ
① モノを知っているが考えることのできない人と、モノを知らないが考えることができる人。組めばいいんだよな。
② 幻想に憧れて。
③ 思い通りにいかないのが世の中だ。だから何だって話だけどね。分かってても辛いものは辛い。
④ やっぱりオレはねえ、FireFoxが好きだったよ。いやまだ終わってないけどさ。合ってるんだよオレに。
Grapefruit / Cranberry
#MajinBuの「Grapefruit」のサンプル元って前から示されていたっけな。
The Cranberries - Linger
メモ
① 調子こいてVivaldiを使い始めたが、イマイチ安定しない。デザインは好きなのだが。惜しい。
② 『ゼウスの手』が気になる。
③ 『Castlevania The Lecarde Chronicles」』は辛くもノーマルモードをクリアしたものの、しかしベストエンディングを見るためにはハードモードでクリアしてくれと言われてしまい、暇をみては挑戦し続け何とかラストステージの鏡の中からボヨヨンのボスをあと1ミリまで追い詰めるが、己の慢心により敗れる…。あと一撃くらい何とでもなったものを…。戦意喪失のためしばらく挑戦はしないであろう。半日くらいかけるつもりで挑まないとダメだ。現状ラスボスに勝てる気がまったくしないが…。だって蜂があのスピードだったら相当ウザいな。
④ 人生やり直せることになったから、どこからにする?って言われてもオレはやり直さない。後悔がないわけではなくて、またここまで来るの考えたらゲロ吐きそうだし、もうシンドイやなあという、なんだか負け根性です。そう考えるとある意味幸せなのか? いやそんなわけないか。
Desert Child / 砂漠の子
おいおいクソかっこいいじゃねえか!
操作がイマイチ慣れないので負けてばっかりだが、とにかくクールだ。
パッドが使えるような感じだが、俺のは反応してくれない…。なぜだ…。Beta版だからか…。
Self Portrait (Interior) - Teaser
Download + Play :: https://theotrian.itch.io/self-portra...
Self Portrait (Interior) is a guided tour inside artist Theo Triantafyllidis, showcasing some of his inner organs, thoughts, desires and fears. During the virtual reality tour, the audience is offered a series of paths and requested to make the most meaningful choices.
Self Portrait (Interior) was commissioned by DiMoDa, a preeminent virtual institution and a virtual reality exhibition platform dedicated to the distribution and promotion of New Media Art. It was part of the VR group show Morphe Presence, showcasing artists Brenna Murphy, Rosa Menkman, Miyö Van Stenis and Theo Triantafyllidis. It has been exhibited in multiple locations, including Superchief Gallery in NY, the Satellite Art Show in Miami and the RISD Museum in Rhode Island. It has been written about on the creators project, fabbula and kill screen. The full VR group show can be downloaded here.
Morphé Presence was curated by Helena Acosta and Eileen Isagon Skyers. DiMoDA was co-created and directed by Alfredo Salazar-Caro and William Robertson.
Download + Play :: https://theotrian.itch.io/self-portra...
Theo Triantafyllidis, 2016
http://slimetech.org/
メモ
① 夜になると寒い。
② 『音楽と人』を読む。「今年に入ってから話すのが3人目、いや4人目か」みたいな五十嵐氏の発言に目を疑う。これは冗談で言ってるのか? だってこの対談の先にライブの予定とか入ってるわけだしスタッフと打ち合わせとかリハーサルとかもあるだろうに、そんだけとしか会話しないのか? 仕事関係は抜きにしてるのか? いやだったら金光さんはカウントされないだろうし、いやそこに何か線引きがあるのか…。まあ対談は面白かったけれど。「時雨さん」って何か面白い。「家とコンビニの往復」という生活スタイルに自分をダブらせる人がどれだけいるだろうか。43歳。
③ 考えたら「相手にとって不足はない」という状況ってあんまないな。自分は。スポーツとかやってればあるんだろうな。あるかなあ。
④ 『いぬやしき』が次巻で完結。確かにだいぶ前に「巨大隕石が」って話は出ていたが、こんなにいきなりぶち込んでくるとは思わなかった。『GANTZ』とダブるなあ。まあだからってどう終わるかは興味がある。人間に戻る、ことはないと思うので、地球を救ってこのまま生活するか、命を落とすか、あるいは去るか。獅子神は因果応報で報いを受けると見た。孤独に苛まれている描写があるけれど、だからってたくさんの人を殺めた罪は消えやしないでしょう。人間目線ですけれど。
⑤ 『人形の国』はチラ読みして、迷った挙句、購入は見送った。『シドニアの騎士』よりさらに漫画っぽくなっていて面食らう(いや漫画ですよもちろん)。
⑥ もっと堪能しても良いのかもしれない。次へ次へと行きたがるから疲弊するのだ。社会の流れ(それは仕事とは限らない)についていこうとして、ある日忘れ物に気づくパターン。先日のメモにもつながるが、もっと味わってよいのだ。満腹を求めるのはそれからだ。
2017.06.01 TK from 凛として時雨 presents「error for 0 vol.3」@新木場 STUDIO COAST
≫ syrup16g
僕はもちろんsyrupが観たくて参加したわけですが、その意味では非常に満足でした。音が良かった。中畑さんのドラムも空間ビリビリ震わせるし、久しぶりにハイパーな調子だった。キタダさんのベースも変にブヨブヨしてなかったし、芯がしっかり聴き取れました。あと五十嵐さんの声も良かったですねー。前回のツアーより良かったと思います。やさしさより鋭さ多めな感じでしたが。
前半はメロディメイカーっぷりを見せつける、割とおとなしめの曲を並べてきたので(「I'll be there」、「生きているよりマシさ」、「赤いカラス」、「来週のヒーロー」)、今日はそんなモードなのかなとかボンヤリ思っていた。「I'll be there」とか最後のギター、アレンジ変わってなかったですかね。あと「生きているよりマシさ」もドラムちょっと変えてきてたし(今までやってないパターンではあるまいか)、曲をライブ仕様に変化、深化させ続けている姿勢も目の当たりにできて、やはり来てよかったと実感。メロディで聴かせる曲であっても、3ピースでも、しっかりダイナミックで、そこは相変わらずかっこいいなあと思う。歌詞のすっ飛ばしも目立ったけれど、そこも相変わらず(笑)。
「Share the light」のドスの効いた空間(ベースがイカす。ちょっと変えてたかな?)から一気にハードモードへ転換し、「天才」、「coup d'Etat」~「空をなくす」、「Deathparade」、ラストの「リアル」へとなだれ込む。「coup d'Etat」のネタバレ感も相変わらず甚だしくて、ああくるなあという予定調和の空気が物凄いのですが、この日は恒例のグルグルドロンとした演奏の中で向井秀徳ばりの語りをするのかと思いきや、「シャ~イニン スタ~リン クマ~のリュックと~ ローマ帝国の配下~で 君はまゆげ~をなくした~」って「回送」の一節を唄ってくるからドキリとした。あわや予定調和を破って「回送」が始まるかとドキドキしたけれど、そこは違った。てっきりこれはアドリブかと思っていたのだけれど、中畑さんのインスタグラムを見ると、セットリストらしきものが上げられており、そこには明確に「回送」という文字が見て取れる(さらにはそこから「空をなくす」へつながっているように見える)。ということは予め組み込まれていたということか! どういうチョイスなんだろうなあ。
モチのロン、この日は五十嵐隆氏の誕生日であり、フロアからは隙を狙って、祝いの気持ちを伝えたいファンの声が飛び出す。五十嵐さんは照れ臭そうに逃げるように(とはいっても僕にはステージはほとんど見えていないから、声の調子だけで判断しているのですが)、「ありがとうございます」と繰り返す。「リアル」の前にTKに感謝の念を述べるが、そこで「こんな素敵な日に」と言って、「今日僕誕生日なんですけど」って自分で言ってましたね。ハハハ。で、また「おめでとう」って言われるから、「ありがとうございます」って手短に告げて、「一生懸命歌うんで、最後まで聴いてください」って、切り上げる。
「空をなくす」でまさかのミラーボール回転で、おいおいマッチするのかって思いましたが、違和感なかった。そういや「落堕」のMVもそんな感じでしたかね。
と、大方の意見もそうかもしれないけれど、非常にバンドの調子がよさそうに思えます。個人的には声の抜けが良いってのが、一番うれしいです。会場に依るところもあるのかもしれないけれど、この調子でぜひ次のツアーを拝みたい。
≫ TK from 凛として時雨
どっちかって言ったら好きなんだけどでもファンと言うほどではない、作品も持っていないという具合です(好きの度合いでいえば凛として時雨の方が好き)。知ってる曲はごくわずか。ライブ映像を見たこともなく、インタビューも見たことない。そんなTK from 凛として時雨のライブはキーボードやストリングスを加えた5人編成で、決して多いというわけではないんだけど、先のsyrupと比べるとやはり楽器が多い分、世界観の広がりというやつは感ぜられたかもしれない。しかしギターサウンドとストリングスというのはやはり難しいと思う。何回かそういうライブ観たことありますが、上手く使わないと埋もれちゃいますよね。ってこんなド素人に言われるまでもなくそんなこと考えて演ってるわって話でしょうけれど。観てると聴いてると、やっぱりハッキリしないことが多いんです。
いろんな音楽のエッセンスをぶちこんで、何がしかの感情的な発露を、いわばJ-Rock/J-Popの領域で行っているということで考えると、やっぱりどうしてユニークな音楽性。他にちょっと思いつかない。ウィスパーな歌唱から音波気味のシャウトまで使い分ける、ある種奇妙なボーカルスタイルも、この界隈では似たスタイルを思いつかない。凛として時雨よりも抒情的だったり、空間的広がりが感じられるってのが僕の勝手な判断なんだけれど、ファンの方はどのように音楽性の違いをとらえているのでしょうかね。その辺りも気になります。
ドラムとかリズムのスタイルってのが凛として時雨とそんなに違わないような気もするんですが、ブラストビートっぽい地鳴りみたいなヤツもたまにかましてくるじゃないですか。ドドドドドドドドドガガガゴアアアアァァァって。もちろんリズムだけじゃなくて、ほかの楽器と渾然一体となって繰り出されるあの辺りの圧倒的圧力、破壊力ってのが、一番ビリビリしたところです。他にもっとあるだろ?って言われそうですが。ハハハ。
メロディで聴かせるって感じの曲があまりないので、メロディが立ってるのが好きな僕としては「Signal」が一番よかったです。楽器が複雑に絡み合った(ように思える)楽曲たちは、そこにある絡まりの妙というか造形美、そこにあるカタルシスを楽しむもののように感じられる。もちろん歌詞によって描かれる世界観もそこに加味されるので、より豊かで複雑な音楽体験にはなると思う。その混沌の中にある刹那の鋭さ、みたいなものが魅力なのかなと思う(たぶん僕は凛として時雨と区別できていない。自分の中で。それが分かる)。
こんな曲も作るんだって驚きもあったし、こんなに映像使うんだっていう発見もあったし(ちゃんとステージ見えなかったのは悔しい。2階席がよかったかもしれない)、これまでよりがぜん興味をもってきました。TKに。そう、前にも書いたけど、TKがすごくやさしい喋り方するのが印象的で、その辺ちょっと五十嵐さんとイメージ被るかもしれない。
「昔からsyrupさんは聴かせてもらっていて」、「初めて聴いたとき」、「こんなに命を削って歌っている人がいるんだなって」、「衝撃的だったことを覚えています」、「昔、凛として時雨で対バンもしてるんですが」、「今回こんなツーマンができるなんて」、「昔の自分に話してあげたいです」って嬉しそうに、感慨深そうに話していて、なんだすげー真摯な人じゃねえか!って一気にTK好きになりました(笑)。
せっかくツーマンだから何かカバーとかあるかなって思ったけれど、さすがに、やっぱり、お互いにそれはなかった…。最後にステージに2バンド揃いでもしてくれたら、まことに貴重な瞬間だったのだが…! 五十嵐さんとTKが肩組んじゃったりして、「みんな写真撮っていいよ。拡散してよ」とかなってさ…と、妄想は膨らむのであった。
ではまた。
17歳とベルリンの壁 - プリズム [MV]
「終日」のMVと意図的に被せてますよね。
そっちを観たときも思ったんだけど、世界観こっちなんだなっていう。
歌詞とかけっこう抽象的で、もしかしてどす黒いこと唄ってんのかな、すごい内省的なこと言ってんのかな、とか思ったりもするんだけど、こうして曲に乗っける映像がPOPであるからして、やっぱりベクトルはこっちなのかな。
エディターにお任せなのかな。そんなことないか。
たぶんリリースされてる中ではいっとうドライブ感がある曲ですが、ライブで聴くとまた、たまらない。
今日のできごと
今日はTK from 凛として時雨の自主企画「error for 0 vol.3」を観に行ってきました。まとまった感想はまた後日書きますが、TKってあんなやさしい喋り方する人だったんですね。もっと鋭い人かと誤解してました。
ライブ終りに出口で配られたフライヤー見てたら、さりげなくsyrupの次のツアーが告知されててビックリしました(ウェブサイトでもすでに情報は掲載されてます)。去年末にツアーやったばかりなのに。走るなあ。今年はやる気だなあ。今さら無理して走るとは思えないので、調子がよいということなんでしょうね。きっと。
10月のZepp Tokyoからスタート。まだ時間あるしそれまでに新しい曲とかできてしまったら、堪らないですね。
『COPY』から「16」年目っていうのがツアーの名目らしいけれど、ちょっと強引な気がしなくもない(笑)。
まあ嬉しいからいいや。
キーワードはシルバー
よくよく考えたらフィジカル版買ってる俺はアップデートとか無縁じゃないのか?
というわけで急遽steamで購入を決意。今なら40%引きだしね!
たかだか数千円、もはや購入しない手はないのだよ。
フィジカルとデータの二つ持ちになるけど気にしない! だって追加シナリオプレイしたいからさ!
Aphex Twin - Flim (33RPM - 66% Speed)
Flim played at 33⅓ rpm aka 66% of its original speed. Same pitch, no distortion.
From the Come To Daddy EP
『Castlevania The Lecarde Chronicles』が難しい件
『Castlevania The Lecarde Chronicles2』に味を占めて、一作目である『Castlevania The Lecarde Chronicles』をプレイしているが、ゲロ難しいな。アクションに関しては二作目の比ではない。
クリアさせないのが目的かと思われるゲームも世の中にはあるが、そのレベルではない(僕はそれは鬼と呼ぶ)。それがまた憎らしい(かわいさ余って)。
ラストステージがなあ…、途中でセーブしたい…。1upが何回も取れるからボス戦以外でゲームオーバーということはないんだが…。
鏡の中からボヨヨンのボスに勝てる気がしない!
どのくらいゲロ難しいかは下の動画を参考にしてください(natsumikado1246さんアリガトウございます)。鮮やかにプレイされてますが、大変なことですよホント。
暗転には仰天したわ。生きた心地がしない。
メモ
① 奇妙礼太郎という名前を見て、浦見魔太郎を思い出すのは僕だけでしょうか。そんなことはないですよね。
② これを乗り越えれば、という気持ちがいつまでも持続するかと思ったら、大間違いですよ。
③ すべてがダメになりそうな気がする。夜がある。ときもある。
④ ショックをうけて黄昏たような気持ちになっても、結局すぐに自分の世界に帰ってきてしまうのだから、ショックを受けているという振りでしかないのかもしれないな。あるいは周りに助けられているのかもしれない。
⑤ お腹がいっぱいになると安心する。悩み事が遠のいていくような、感覚がする。
⑥ 『Castlevania The Lecarde Chronicles』、なかなかに難しい。アクションメインだな。
『Castlevania The Lecarde Chronicles 2』が素晴らしい件
どちらかというとビデオゲームに対しては一昔前の人間かもしれない。プレイした『悪魔城ドラキュラ』シリーズは、ファミコンディスクシステムの『悪魔城ドラキュラ』、『ドラキュラII 呪いの封印』、ファミコンROMカセット『悪魔城伝説』、スーパーファミコン『悪魔城ドラキュラ』、『悪魔城ドラキュラXX』、プレイステーション『悪魔城ドラキュラX 月下の夜想曲』。
今では多くの作品がリリースされており、ストーリーも複雑化している。バンパイアハンターのベルモンド一族だけを描いた話でもなくなってきている。
この作品はそのシリーズ中のどこかに位置づけられるのであろう。エンディングを見ると、そう解釈できる部分があるようだ(それはおそらく『Castlevania: Bloodlines』かもしれない)。
*** *** ***
まあ、前置きはよいでしょう。
≫ Castlevania The Lecarde Chronicles 2 (2017)
これはファンメイドのゲームであり、『Castlevania』シリーズ(海外における『悪魔城ドラキュラ』シリーズの総称)を愛するMigami Gamesによって作られた完全フリーのゲームなのです。
主人公はエリック・リカード(Eric Lecarde)。上記の『Castlevania: Bloodlines』において選択できるプレイヤーの一人だ。
ちょっとドラキュラシリーズをプレイしたことのある人―なおかつどちらかというと僕のように一昔前の人は、一発で世界に引き込まれるだろう。
当たり前なんだけど、まんま『悪魔城ドラキュラ』シリーズなのです。
システムとしてはステージ制ではなくて、各エリアを探索しながら物語を進め、最終的には○○○○○の召喚を阻止するのが目的という、アクションRPG的な作品。
なので『ドラキュラII 呪いの封印』や『悪魔城ドラキュラX 月下の夜想曲』に近しいイメージです。要所要所にある町の人と会話して、次に進むべき場所や、先に進むためのヒントを得たり、またエリア内にしかけられた謎を頭をひねって解きながら、ゲームと物語を進めていきます。
あ、探索するっていっても海外製だからどうせ言葉分かんないんだろうって思った人、今作は言語がいくつか用意されていて、きちんと日本語も対応しています! うれしい! ちょっと片言というか、翻訳チックなんだけど、意味は通じます。
*** *** ***
で、これがですね、もうホントに面白くて。寝る間も惜しんでプレイした日もあるくらい。
初めは通れない、進めない場所ばっかりなんですけれど、徐々に行動範囲が広がっていき、所有アイテムも増え、できるアクションも増えていく。
ということは、当然何回も同じ場所を通ることになるんですよ。この間は通れなかったけれど、今度は通れるってところがドンドン出てくる。マップも決して狭くない。なめてかかるとラストのエリア、「永遠の夜の城」の前に立ちすくむことになるでしょう―そのくらい城が広かったりするんですが、マッピング機能が搭載されているとはいえ、はじめ通れなかった場所は必ずメモしておいた方が良いです。どういう具合に通れなかったのか、と、あとは場所の名前。あるいは城以外でも、何か怪しいけれど今どうにもできなさそうだという個所がいくつもでてくるので、それもメモしておいた方が良いです。あとで記憶を頼りに彷徨うのも、まあそれはそれで楽しかったりするんですが、僕はメモしておかなくて後悔しました。
幸いにも各エリアに配置されているボスはさほど強くないです。ごり押しで勝てるケースもある。しかし今作はマルチエンディングであり、ただボスを倒していってハイ終了というゲームではない。Aランクのエンディングにたどり着くには、集めるべきもの、やるべきことがあるし、100%のコンプリートを目指すのであれば、アイテムの収集にも気を配らなければならない―もちろん先に進むために必要なアイテムも出てくる。
そうしたように完全なクリアを目指すとき、多くの「謎」が与えらえるのだが、これが手強い。ノーヒントというのはなくて、まずどこか近くにヒントが隠されているのだけれど、そのヒントから回答にいたるのが、これが、とても難しい。一回投げ出しかかったのが、ベルを鳴らす順番と回数がまるっきり分からなかったとき。それができないと扉が開かなくて、先に進めないんですよ。もうどうにもならんなあとなったときに、YouTubeに通しプレイの動画を投稿している方(Julián Ordoñez Paz)がいて、とても参考にさせてもらいました(動画リストはこちら)。なので僕のように「これはもうどうにもできない。考えても分かる気がしない」と、思考停止モードになってしまった人は、謎解きの快感はなくなりますが、この動画を見てみることをススめます。ちなみに動画は最短クリアを目指すものではなくて、道程がそのまま記録されているようなので、進むべき道を求めてアチコチをさまよう姿も、そのまま動画として記録されています。
そろそろプレイしたくなってきた方もいると思いますので、以下にヒント(のようなもの)とクリア後の感想を記しましょう。ネタバレも含むので、気になる方は読まないように気を付けてください。
ゲーム内では「ヒントが見つからない」というよりは、「ヒントはあるけれど意味が分からない」というパターンが多いと思います。
① といっておきながら、数字入力(文字盤を回して数字を合わせる)の1発目はどこにヒントがあったのか分かりませんでした。数字が与えられていることは分かるのですが、それをどうやって答えに結びつけるかが分からなかった。それ以降の数字合わせは、よーく文字盤を見れば、何を参考に数字を入力すればよいかが分かるはずです(各所をくまなく調べていることが前提ですが)。
② 赤い霧に覆われた部屋が何個所かでてきますが、場所は必ずメモしておきましょう。記憶力に自信があるのでない限り。
③ 上に書いたベルの鳴らし方ですが、ヒントは3つあります。石像に刻まれています。3体。僕は2つ見つけただけで、それですべてだと思い込んでしまった。3つを読めば何となく分かる、はず。
④ ヴォン・ヴィルトハイムという装備シリーズが終盤で重要になってきます。重要なのはわかるが、それらがそろった段階で、どこに向かえばよいかが分からないということがあるかもしれません。ここでもやはりくまなく捜索することが重要になるわけですが、一度行った場所、謎を解決したと思しき場所も、改めて訪れてみることをおススメします。図書館の本はくまなく読むべし。くまなく。
⑤ 墓石の並びとヒントが与えられ、どうやら叩くようだというシーンがあります。が、これもヒントにすべて書かれている。ヒントに嘘偽りはない。「前」は「前」。「4番目」は「4番目」。思い込みは捨てるべし。
⑥ あと明滅する十字架をチェックしていくシーンもよく意味が分からなかった。正しいものをたたけば音がするので何とかなるが。あの順番はどこに示されていたのか。登場する順番だろうか。
⑦ これが正規の方法なのかいまだに信じられないのだが、敵にアタックされて吹っ飛んだ勢いで高みに上るという、そうでなければ詰まってしまう(ように思える)シーンが2回ある! どことは言いませんが、通常のジャンプで届かない場所や、中盤エアーフロート(空中飛行)を使用してもどうにも届きそうにない場所は、近くに敵が設置されていないか、またその攻撃方法や移動方法をよく観察して、上手く当たることができないかどうか、考えてみてください! 僕? 僕は見事に詰まってましたね!
⑧ 必殺技(オーラバースト)はとりあえずレベルアップしたら、どんな効果が出るか確認しておきましょう。攻撃なのか回復なのか防御なのか。ハートを消費するので、何ならセーブしておいて、確認したらロードする形でもいいです。僕はあまり使わなかったんですが、使わざるを得ないシーンがありますし、ボス戦にも有効利用できるようです。プレイ動画でデス(死神)をアレで倒してるのはカッコいい!
感想:
BGMがオリジナルを使っているようなところがいくつかあるんだけど、権利関係大丈夫…じゃないんじゃないか。上手くアレンジされてるような節もあるけれど、でもまんまなところもある…。非常に興奮はするのだけれど、ね。図書館のBGMとかスーファミの『悪魔城ドラキュラ』の図書館ステージを彷彿させて大興奮。それと合わせて終盤のボスラッシュも同作と同じ展開に! BGMもあのままだ! ベリガン、ギャイボン、デス(死神)の3連戦! 前者2体はデザインもそのまま! あとは「あの曲」も、もちろん出てくるので、プレイしてのお楽しみ…。
僕が年喰っただけかもしれないけれど、綱渡り的なアクションがホント難しくて(いや元から得意ではないのですが)、二段ジャンプ、プラス空中飛行、プラス三段ジャンプ、で移動していく、その最中にスパイク(トゲトゲ的な)トラップがあったり、いやらしい動きの敵が飛んできたりと、ホントにもう何回チャレンジしたか分からないくらいって個所もありますね…。でもセーブポイントも沢山あるので、あんまりフラストレーションは貯まりませんでしたが、そんなこんなで結構、硬派なイメージがあります、この作品には。
Aランクのエンディングに向かうと。魔王ルシファーの召喚をもくろんだDuke Guillecourtを倒し、生贄にされかかった少女と共に現場から逃げ出し、あとは地下道を抜けるばかりとなったところに、立ちはだかる3体の大ボスたち(しかも同時出現!)、辛くもそれらを撃退し、地下水道からようやく地上にたどり着き、太陽のもとで、ああ、ようやくエンディングか…となったときに、頭上から響き渡るルシファーの声…。そして始まるラストバトル。まさにクライマックス。もっとも鳥肌立ったシーンでした。
僕は達成度がどうやら99%で止まっているのだけれど、これはエネミー図鑑が未完成なせいですかねえ。プレイ時間は10時間強といったところで、それでも通し動画に助けられつつだから、もっとかかってもおかしくないです。全然。
なんか面白さ伝わったかどうか分かりませんが…、少しでも気になった人はやってみてくださいね!
僕は今から頑張って1作目をプレイしようと思います。では――
MSX Longplay [014] Hyper Rally
持続する走行音。ブレーキ音のアクセント。流れるセンターライン。
それだけだからこそ。
中毒性。
夢の中の夢
やっばいめちゃくちゃかっこいい…
— 美波 (@osakana373) 2017年5月7日
帰りたくない… pic.twitter.com/S7a0PRTLms
これ本当にいきなり下北沢に向井(秀徳)さんいて弾き語りしてたら、俺だったら信じないね。
そっくりさんでしょ?って思って素通りして、あとでゲロ後悔するパターン。
こんなゲリラ的パフォーマンス、卒倒するわ。
メモ
① 味わうということと、腹を満たすということは違うのだ。久しく味わうということをしていない。
② 不平不満を述べたところで、結局歩んできた道に導かれているのではないかと思うと、自業自得である。
③ 俺は充実していない。現実世界に俺はリンクしていないのだ。
④ 人のあらゆる言動の裏を考えてしまって、それだけで疲弊してしまうということ、ないですか。ありますよ。ただそれだけで精一杯。やはりこんなんで人を幸せにできるとは思えない。俺の城というオアシスがなければ俺は生きていけない。
⑤ マストドンの中にnetaudioのインスタンスはないとみてよろしいですか。ほかの中に含まれているのかもしれませんね…。
⑥ 人+物に効果を求めた場合、結局物より人なんですよ。効果が発揮されるかどうかは。
日々
最近故あって『生還』をよく観るのだけれど、ご存知の方はいるか分からないが、僕はあのライブをリアルタイムで観ていたときは前半はひどく憤っていたのですが、今観なおすと鼻血出るくらい(実際には出ない)よいライブですね。僕が見たことある中ではベストパフォーマンスではあるまいか。
アンコールの「翌日(オリジナル ver.)」がひたすらに良くて、聴くたびに泣いている(これは今のところ本当だ)。syrup16gがこれから始まるという時期の―つまりスタート地点ともいえる―楽曲に、その時点の五十嵐さんの心情を刻み付けたその歌は、その瞬間にしか存在しえない奇跡的な光を放っていて、もちろんそこには迷いがあって、実際光なんて見えていないんだけど、とてもとても美しくて、僕は聴くたびに、胸がいっぱいになる。
「信号から 赤信号が消えた後の世界 にいる
気にされない 息してない それは おなじこと
自暴自棄になって生きても 音楽を愛せなくなっても
身代わりの 影に わずかな希望を忍ばせた
孤高という名の幻想も 不幸という名の甘い蜜も
いじらしい 程に そう あなたの傷痕になりたかったんだ
その時は その時は その時は―」
バンドを解散して、新しいバンドも上手くやれず、4年も5年も音楽から遠ざかり(その間は何もせずに暮らしていたというのが信じられるような信じられないような)、その『生還』ライブにしたって、バンドの再結成とか、その後の予定とか、何も決まってないまま、とりあえずの生存報告で、そのライブでそんな歌を唄っちゃうんですよ。そういう背景を知ったうえで聴くと、これは響かざるを得ない。得なかった。
ADDICT 2
世の中にはオレの知らない素晴らしい音楽がまだ沢山ある!
震えるぞハート。
やっぱり音楽は常に流れているし、だからやっぱり出会いなんだろうなあと思う。一期一会、とはちょっと違うか。
いろんな理由で音楽ロードから降りてしまう人もいるだろうし、それを否定するつもりは全然ないし、自分もいつかは降りるだろうと思う。
でもたまにふらっと音楽ロード歩いてみっかあ的な感じでも良いのかもなあと、最近は思っている。
話は逸れたが、屋上月光(オクサンタルピ)略してOKDAL(オクダル)は韓国では2010年から活動ということで、もう人気あるみたいですね。
日本では2015年から活動してるみたいだぞ!
ADDICT
この演奏もうバリかっこいいじゃないですか。でもこれはアイドルの楽曲の「オケ」なんです! すげーなー。
下が歌が入った形。もはやアイドルと呼ぶことにはためらいが。
曲作ってんの誰だコノヤローってなるじゃないですか。ハイスイノナサの照井さんだと知って、なるほどなあと、自身の持ち味全開でやれるのがすごい。
アイドル群雄割拠だし、いろんな角度から切り込んでくるのも分かってるつもりで、だからどっかの側面から自分が引き付けられることもあるんだろうなあと思ってましたが、sora tob sakanaを知ってついに自分が撃ち抜かれる時も来たかと、観念した(ような)気がします。曲がすごいってのもあるけど、この完成された楽曲と未熟な歌声のアンバランスが生み出す、不思議な少年性というか、(僕にとっての)青春の残滓、そしてバキバキなサウンドに乗る感傷的なメロディー、ノスタルジックな世界観。琴線を刺激されまくり。
「ポストロック×アイドル×ジュブナイル」は何を生み出す?sora tob sakanaサウンドプロデューサー・照井順政に訊く
4月末のリキッドルームでは全曲バンド演奏の公演を行うそうで、これは観たかった…!
LIFE
人生は短いと思えば短い。長いと思えば長い。
というような、人生の長短さえ忘れさせる長閑さの裏にある困難さ。
というか当たってるよなコレ、イジッテルノカ。
メモ
① 格という名前がすぐに読めなくなる。忘れてしまう。記しておこう。「いたる」だ。
② ギンザシックスの―
炭火焼熟成肉専門店「旬熟成」や餃子専門ワインバル「立吉餃子」を運営するフードイズムが展開する「旬熟成 GINZA GRILL(シュンジュクセイ ギンザグリル)」は、日本初の“目隠しグリルリストランテ”だという。味に集中するため最初の数口を、目隠しをしてヘッドホンで肉を焼く音を聞きながら味わう食べ方とのこと。(日経トレンディネット)
―というのは、普段お店でしない食べ方だし、気が散って、逆に味に集中できない気がするのだが…。ある種の音響体験というか、経験として考えると、面白いことは間違いない。
③ ああ、落ちる。落ちる。落ちる。逃げる。逃げる。逃げる。急げ。急げ。急げ。現実など、見たくもない、ときもある。
スプリング・ダスト
① YouTubeの「後で見る」って最新が上に来るように表示できんのかね。
② New Orderって最近何となくKMFDMに通じるかもな?って思ってたんだけど、『Technique』聴いてるとMinistryやPIGにも通じる感じだな。今度PIGの『The Gospel』買おう。
拝啓。皆さま
ラストライブのタイトルに初作である『拝啓。皆さま』を持ってくるなんて。キマりすぎだろ。
そのキマり具合がまた、ファンの胸をことさらに打つのだろうな。
≫ plenty、解散を発表。全国ツアー&9月のラストライブで活動に終止符
Twitterでトレンドに入るなんてね。愛されてたんだな。
タイトルは思いつかない
自分を捨てられない人間が誰かを幸せにできるのかというお決まりの問が頭を占める帰り道であるが。
こんなウンコみたいなブログで文章書いてごまかし続けることにも後ろめたさを感じるが、いや世の中ウンコだらけだしウンコ投げまくりじゃないかと思えば、少しは気が楽になるというもの。
そして結局自分を捨てられず、自分を喜ばせるためだけに、KANEを使う。使った。
① ミドリカワ書房 - 『おつかれさまです』
『東京十景』よりぜんぜん好きだなあ。遡ったらたぶん僕は『愛にのぼせろ』買ってないよなあ(笑)。買おう、そんな気にさせられました。
やっぱり最初聴いたときは頭がへばっていたのでしょう。たとえば婆ちゃんをひき逃げして逃げるカップルを描いた「ドライブ」みたいな、毒々しさやグロテスクなイメージは、確かにいつからかなくなった。けど、歌詞でひとつのシーンを描きつつ、そこにタイトルを組み合わせたところでさらに深みが生まれてくるのは、ミドシン節健在というべきか。歌謡演歌みたいな「もつやき 玄ちゃん」も安定のミドシンらしさ。イントロから笑っちゃったよ。アルバム自体のテーマが慰安ってことだけど、「おつかれさまでした」って力強く繰り返される言葉は、帰り道に聴いてると、グッときますねえ。いいですねえ。「昼キャバ」の「もしかして」っていうフレーズにはどぶろっく感じます(笑)。
「のれんの向こう」って最初居酒屋かと思ってた(笑)。寝ぼけ頭で聴いてたから歌詞が頭に入ってなかったんだな。シチュエーション的に「もつやき 玄ちゃん」と被ってるじゃんって思ったら違う店だったわ。いいですねえ。派手さはなくなったけれど、朗らかシリアスブラックな、ミドシンの何たるかが詰まっております。
…今では貴重なDVDつき『みんなのうた + α』は別れた彼女に貸したまま持ってかれたっていうエピソードもミドシンぽくって何かいいかって、僕も今では受け入れてるよ。お幸せに。
② 雨のパレード - 『Change your pops』
また挑戦的なタイトルですが。なんかトントン拍子で来てる気がしますよねえ。だって「メジャー」で「2nd」ですよ。メディアにもフックアップされてる。
いまいち抜けきらないのはメロディのクセのせいだと思うんですよ。サウンドは凝っていても似通ったメロディが多い。1曲ピックアップして聴くと「おぉ」っとなるけど、全部聴くと何かボヤーンとしてしまうんです。僕は「Tokyo」で衝撃を受けたんだけど、メンバーも言ってるように、あれはちょっと異色だったんだなあって、改めて思う次第。ああいう分かりやすい曲は敢えて封印してるのかな。
ちょっと世界観変わったんかなって思ったのが「Take my hand」ですが、良いです。ポジティビティ。まあやっぱり「俺はやるぞ、みてろよ」って匂いが漂ってますが(この気概はホントに頼もしいね)。次のアルバムあたりで変わるか、変わらないか。見所です。ってかその前にライブみたいなそろそろ。「Tokyo」でこれはライブ観ないと!って思って1st聴いたら足が遠のいて、2ndでちょっと戻りました。
③ Jimmy Eat World - 『Integrity Blues』
前にも書きましたが、僕の中でエモはジミーズとゲットアップキッズで止まってます。古臭いかな。加えるとしてもLDOAの3rdくらいまでかな。
ジミーズは何だかんだで全部アルバム買ってると思う。あぁ1stはないか…。ここ最近ピカッとくることがなかったんだけど、これは来ましたね。前半部は最強、最高じゃないですか。メロディといいコーラスワークといい、100点満点を捧げます。
④ Arca - 『Arca』
タワレコにLPが並んでて圧巻でした。やっぱ目を引く。再生機器はないものの、あやうく飾るためだけにでも買おうかな、などと思いかけましたが、止めました。ポスター欲しいな。このジャケットの。
セルフタイトル作は、まさか!のウタモノアルバムになってますが、今までで一番好きです。Ambient、静謐な空気感が好みです。今までアブストラクトでグニョーンとしてるし、メロディもほとんどないし、いまいち自分の中で着地してない、落としどころがなかったんですが、これで(とりあえずは)落ちてきた気がします。Arcaがこんなメロディ作るなんて思わなかったなあ。まあこのスタイルで定着するとも思わないけれど。
メロディと意味のある歌詞が出た反面、奇怪(きっかい)なイメージは薄れたかもしれませんし、何か普通になっちゃったって嘆く人もいるかもしれませんが、そこは倒錯的なミュージックビデオで補ってください。あのケツは何の意味があるんだろう。ケツ出してるMVなんて沢山あるだろうけれど、意図のよく分からない血に塗れたケツは、全盛期の松本人志のコントのようにグロテスクでシュールに感じる。
17歳とベルリンの壁presents Seventeen Front vol.2 - 2nd Mini Album "Reflect" Release Party - (2017.04.08)
音源ひとつも持っていないバンドを目当てにライブに行くというのは、はじめてだったかもしれない。
直接的なきっかけは、SoundCloudで流れてきた『Reflect』のTrailerだった。
そこに傑作の予感を感じた僕は、ライブの予定を見、そこに「死んだ僕の彼女」の名前を見つけ、これは堪らんと、その足で(というかその勢いで)ライブの予約をした。
そして4月5日リリースのそのミニアルバムを時間的に手にする余裕もないままに、ライブに赴いた。
会場は渋谷club乙(きのと)。
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1番手の渦(というバンド名です)は、ミュージック・ビデオなんか見ると、もっと大人っぽく見えるんだけど、実際見るとすごく若い印象です。細かいギターアルペジオとか、独特の浮遊感・脱力感あるボーカルとか、いい意味でユニークなグルーヴ、それからUSインディな匂いをビデオからは感じていたんですが(そういえばギターのあまの氏はLDOAのTシャツ着てたような? LDOAはアメリカじゃないけど)、ライブは全然エモーショナルで雰囲気違いましたね。緊張なのか何なのか、ギター/ヴォーカルのふせだ氏のこんがらがったトークが面白かったですね。カヴァーをやると言った後に、「はっぴぃえんどというバンドの―」っていうから「おぉ」と思ったのもつかの間、「17歳とベルリンの壁っていう曲…いや、ん?」と首をひねり、「17歳とベルリンの壁の!ハッピーエンド…ってみんなここにいる人は分かるよね?あの、スタジオの、あれ」とか言って曲に入っちゃいましたけど、何が「分かる」んでしょうか!? そこが知りたい。…いやあれでしょ?YouTubeにあるスタジオライブの曲ってことだとは思いますが…笑。
やっぱり「ジャズとペプシ」がよかったですね。空気を変えた「告白」もよかったけど。
にしてもふせだ氏のこのふんわりアフロと丸メガネ、そしてにこやかな表情、自分の知ってる誰かに似ている気がするのだが、思い出せない。そして忘れる。あとドラムのたばたちゃんがずっとニコニコで素敵。
歌詞に「ナンバーガール」って入ってる曲があったと思うけど、今更だけどそうナンバーガールも、もうそういうポジションなんだな、オレど真ん中だったけど、オレも年喰ったんだなって思った次第。
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二番手のBalloon at dawnは予想していたのと全然違った。いいとか悪いとかじゃなくて。違った。「Our Blue」とか見て、勝手にもっとチルウェイブ、シンセポップなバンドかと思ってたら、全然バンドサウンドだった。シンセがなかった?いえ、あったとしてもほとんど耳に残っていない、ってことも関係あるのでしょうか。ドラムがフラットでダンサブルな調子なのは、確かにそういった音楽の傾向を感じさせる。踊りやすいです。体が自然に動く。歌詞は感傷的だったりするんですが…。井口氏のボーカルはいいですね。声とかそういうことよりも、この歌をきちんと聞かせようとする、丁寧さと言いますか、出演バンドの中でいっとう歌詞が聴き取りやすかったです。始めはちょっと斜に構えてる感じなのかなとか思ってこっちが斜に構えましたが、スイマセン勘違いでした!
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三番手のchiio(チイオ)は一番得体のしれない感じでした。キャラクターを掴ませないといいますか。もろにメロディで聴かせるというわけではないんですが、歌とメロディがあって、どこか懐かしい感じもあったりして、佇まいは極めておとなしいのですけれど、かと思ったらメタリックなゴリゴリとしたギターをさく裂させて、衝動性を感じさせる。ボーカル/ギターの中村氏の朴訥とした雰囲気とのギャップもあるんでしょうか、なんだか不思議なイメージです。今現在、音源のほとんどがCDではなくてカセットテープや7インチでリリースされているところにも、強いこだわりを感じる。僕は音源を持ってないし今回のライブに合わせて予習もしてなかったので素直に観てましたが、音源から入った人は、ライブ観るとちょっとビックリするかもしれませんね。
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現存するジャパニーズ・シューゲイザーとしては知名度が高いと思われる「死んだ僕の彼女」が4番手。僕も『2songs + Cassette Tape E.P / 6songs From The Happy Valley』からこっちの作品は多分持ってる(多分)。今まで観る機会を逃していたけれど、ファンです。
「Yurikago Kara Hakaba Made」とか、ライブだとギターがどうこうで云々カンヌンという言葉を見た気がしたので、やらないんだろうなあと思ってたんですが(僕はあの曲の後半のドラムが大好きなのです)、初っ端からかましてくれて、大興奮でした。ギター/ボーカルの石川氏はいつもどおり目元に黒いラインを入れて、これでもかと細かくヘッドバンギングしながらギターを掻きむしる。1曲目で早くも汗だくです。でも思ったよりもギターの音が控えめで、もっと轟音で来るかと思ってたから意外。逆にシンセの音がでかくて、確かにシューゲイズの意匠なんだけれど、なんだか不思議な佇まい(動きまくる石川氏の隣で不動の出田[いでた]氏、という構図もその感覚を生み出すのに手伝っているでしょう)。
ボーカル/シンセの出田氏の歌声なんですが、僕はいつからか疑問に思ってたんですよ、なんでこんな楽しそうな歌声なんだろうと。「笑」が含まれているように感じられて、バンドの世界観に反しているんじゃないかと。『Underdrawing For Three Forms Of Unhappiness At The State Of Existence』からこっち、特にその感覚が自分の中で強くなっていて、初期の頃の無感情なトーンが好きだったなあ、なんて思ってたんですが、この奇妙な佇まいの中で気づきましたよ僕は、いや気づいたというか納得いきましたよ。歌声の誤解。このある種チャイルディッシュという言葉にも通じる、ヘブンリーなタッチ。エンジェリックというとまた語弊があるけれど、甘さと紙一重の死線の存在。ノスタルジアと死。これが逆にバンドの世界観になくてはならないものなのかもしれない。いやきっとそうだ。
ファンとか言っておきながら、「My Piggish Girl Died Miserably(惨めに死んだ豚の彼女)」に一瞬ピンとこなかった僕を許してください。ドゥーミィでアンビエントな空気も内包した、重くスローでヘビーな1曲はバンドの真骨頂といってもよいでしょうか。そこから続く「吐く息 (The Last Stage Of Change At The Deceased Remains)」がまた良くて。音源だとラストに歌声がノイズの波に飲み込まれていくんですが。ライブでもやってくれました。こういう感じのノイズって生で体験したことなかったので、新感覚でこれまた興奮しました。壁というよりはシャワー。ノイズに包まれる浮遊感。圧迫感。思わず目を閉じると感じられる不思議な包容力。けっこう長いこと続くんですが、やがてそのシャワーがアンビエントな聴き心地になってくるから不思議です。
17歳とベルリンの壁の鶴田氏と、死んだ僕の彼女の石川氏は昔家が近かったそうで、そのころの思い出話は貴重でした(笑)。
あと欲を言えば、「Sweet Days And Her Last Kiss」が聴きたかった! あともっとデカいステージで観てみたい。
本日のセットリスト。久々に「惨めに死んだ豚の彼女」をやりましたが、気持ちよかったです。俺たちこういうバンドだよね。石川 pic.twitter.com/UVfcZYIl4e
— 死んだ僕の彼女(公式) (@shindaboku) 2017年4月8日
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トリはもちろん17歳とベルリンの壁。やっぱり目当てのお客さんも多いんでしょうねえ、転換中に「みなさん一歩ずつ奥に詰めてください」と繰り返されるアナウンス。「すべて17歳とベルリンの壁の鶴田くんの伝言です。できるだけたくさんの人たちに自分たちの姿を見てほしいと言っています」って言いぐさが面白かったですね。
この日は夕凪に沈むのクラシマ氏を迎えてのトリプルギターにドラムにベースという5人編成(場合によってはツインギターにシンセ)。
何がどうってうまく言えないんですけれど、音がいいですね。いや実際いいかどうかは分からないんですけれど、僕の好みです。ドラムの抜けが良いのとギターが尖(とん)がってていい。トリプルギターって音聞き分けられるかなあってちょっと不安だったんですが、この絶妙な編みこみ感。これ聴いてるだけでも気持ち良い。やっぱりギターの音好きだなあと改めて実感です。
冒頭に書いたようにSoundCloudの新作トレイラーだけで気になって、音源ひとつも持たずに、YouTube等で予習の上ライブに挑み、そして音源購入して帰ってきたわけですが、当たり前と言うべきかどうか、動画よりも音源よりもライブの方が100万倍(って言い過ぎかなあ笑)、よかったですね。ギターがギャーン、ゴワーンと鳴って、ボッソリひっそり歌うっていう、曲によってはドがつくくらいシューゲイズな佇まいなんだけど、音がこもってない感じがすごいいいです。メロディも生きてるし(歌詞が頭にないと聴き取りづらいのはあるけれど。「肺刺す憂いと意地を/淀み吐くと癒えるさ」とかは流石に聞き取れない!)、全体としてのベクトルはやっぱりポップで、すごく聴きやすい。
2年ぶりの新作『Reflect』は前作に比べてよりシューゲイズに近づいているというか、歌が後ろに引っこんでいる―ギターが前に出ている印象が強いんだけど、僕は歌がある曲はやっぱり歌詞を聴きたいんで、歌声を前に出してほしいです。今初めて歌詞を見ながら聴いているんだけれど、韻を踏んだり語呂合わせだったり、イメージというか、一定の傾向性はありつつも、言葉遊び的な要素が強いのかなあ、そんなに言いたいこともないのかなあと感じているのですが、どうなんでしょうか。あえて世界観を固定されないようにしている、それもキャラクターなのかもしれませんが、このキラキラとした素敵なサウンドに、歌詞による確かな世界観が構築されれば…って考えたけど、やっぱりこの形がよいのかもしれませんね(曖昧)。でも「一人バスに揺られて/ひどいハッピーエンドで」って歌詞は好き。「ひどい」と「ハッピーエンド」って普通くっつかないよな。
一番手の渦と二番手のBalloon at dawnがそれぞれカバーをやっていたので、ここで聴くのが2回目って曲もあって(あんまこういうのないですよね)、一粒で何回もおいしいみたいなお得な展開も。あと紅一点ベース/ボーカルの高野ちゃんが思ったよりもずっと小っちゃくてキュートでした。ボブ。すっとぼけたふんわりトークも味わい深い。
次は是非フルアルバムを。というかくるでしょう、そろそろ。2年とあけずに。いや来年くらいに。この日のライブで確実にファンを増やしましたよ。一人はここに。僕。
YouTubeのぞくとライブ映像沢山あるけれど、そのどれよりも生の方が良いと思います!
まあひとつ心残りがあるとすればカレー食っておけばよかったな…っていう…。
おつかれさまでした。
…もしかしてKensei Ogataさん来てたのかなあ。いや…来てたから何だって話なんだけど…別に知り合いでもなんでもないし…ただ、『Her Paperback』が好きなんです…。
17歳とベルリンの壁 - Studio Live Program vol.3 A / R
Seventeen Front vol.2
月日:4/8(土)
会場:渋谷club乙-kinoto-
開演:18:30
料金:¥2,000 + 1D
出演:17歳とベルリンの壁 / Balloon at dawn / chiio / 渦 / 死んだ僕の彼女
FOOD:Green Leaf Curry
続
緊張感と、焦燥感と、ノスタルジアと。
こんなに涙腺、琴線を刺激するギターフレーズ、グルーヴに出会ったことがない。
だから俺は、ナンバーガールが好きだという人は、無条件で信用してしまう。
テキスト
それぞれが全く違うものが好きなのにみんなサブカルって呼ばれるならそれはもう言葉が死んでる アイドル文化でも映画や喫茶店でも何でもいいんだけど「何かしらの文化を認識している状態」がサブカルというもはやスラングになっている言葉におさえつけられちゃうのは超野暮だと思います
— はくる (@silonica) 2017年3月1日
だから俺はサブカルじゃない。
テキスト
お笑いコンビが、結成後なかなか芽が出なかったのにボケとツッコミを交代した途端、急に売れたり、漫才やコントのスタイルを変えてブレイクしたりすることがある。
行き詰まって壁にぶつかって「このままではダメだ」と自分たちを否定して、もがき苦しみながら一から型を作り直す。そうした経験はすごく価値がある。
二十代半ば、わたしは商業誌の仕事を干されて、食えなくなった。当時のわたしは硬派ジャーナリストといわれるような書き手を目指していて、鋭い(とおもわれるような)文章が書こうとしていた。たぶん、向いてなかった。
編集者に「もっとわかりやすく書け」「すぱっと言い切れ」みたいなことをいわれて、そういう文章を書く練習をしてみたのだが、まったく書けなかった。
そのころ、昭和十年代あたりの私小説を読みはじめた。今の文章と比べると、文章がのんびりしている。ああでもないこうでもないと悩んで、悩んでいるうちになんとなくうやむやになる。
「自分は正しい」という文章と「間違っているかもしれないが、自分はそうおもう」という文章はちがう。前者は鋭く、後者は鋭くない。自分は、鋭い文章より、のらりくらしした文章のほうが合っているのではないかとおもうようになった。
で、これまでスタイルを変えて、売れましたと書けたらいいのだが、「文章が古いし、くどいよ」といわれ、さらに仕事が減ってしまった。
ただし、鋭い文章を書こうとしていたときは、何か批判されると、すぐ反論していた。ところが、古くさくてくどい文章を書くようになってからは「今、ちょっと迷走中でして」みたいな大人の対応ができるようになった。
で、大人の対応ができるようになったおかげで売れたと書きたいところだが、そうはならなかった。
ただし、くどい文章を書いて、大人の対応をしているうちに、(以前と比べると)性格がのんびりしてきて、多少、神経も図太くなってきた。
それから仕事が減ったおかげで、ひまな友人と知り合い、飲み会の誘いが増えた。
それがライター生活十年目、三十歳手前くらい。それから最初の単行本が出るまで八年くらいかかった。
何の教訓にもなっていない。
(via 文壇高円寺)
メモ
① 何かあるとグーグルってのそろそろダサくなってくれないかな。「何それだっせぇ!」って誰か言ってくんねえかな。「そんなことしたってみつかんねーんだよばーか」って言って笑ってるみたいな、どうしようもない存在が好き。まあどうせそこまで意味を見出して使ってるわけじゃないんだ。只の道具だよ。ラーメン食うのに箸使うのと一緒さ。一番便利だから。
② お金は使うためにあるのなぜ使うのをためらうのだろう。自分の話。
③ 「楳図かずおの漫画に出てきそうな美少女(or美人)」という言葉を思いついた。のでここに記しておく。
メモ
① 案の定、今月は時間がない。自分の、時間がない。どうでもいい考え事が出来ずに、つまりは息を抜けない時間が多い。シー・ユー・ネクスト・マンス。だわさ。
② 自分より頭の良い人なんていたるところにいるんだよ。当たり前だけど。その明晰さの片りんを見るにつけ、僕は打ちのめされ、そして怯えるのである。自分が特別でも何でもないことを知っているふりをしているが、その実世界をせせら笑っていたことを知る。笑われるべきは己なのだ。何一つ向き合わずに、特別感に酔いしれて、井の中に。世界は常に開かれているというのに。
③ 眠いわ。
メモ
① 毎日チェックするべきだった。べきだったのだ。今やもう遅いのだ。
② 『暗黒館の殺人』が読了間近なのだが、ウソこのまま終わる?犯人こいつで確定なの?という気持ち。犯人はまあそれとしても、あとどこかで一捻り来てくれないと、俺の中での館シリーズ1位は獲れないぞ! 1位どころか2位すらも!
③ なんか忘れてる気がする。気がするだけか。今月はやはり忙しい。気も心も。って一緒やん! だから、更新しないんだよ! 書いただろ! ああそうだ不動産屋に電話だ。水漏れの件だ! 思い出した。まさにメモ!
④ なんかさー初期ミニストリーみたいなボディミュージックって他にないのかしらん。求めてるよ俺は。
⑤ ドッキリは嫌いなくちですが、これは泣いてしまったんですよ。どっからどこまでが仕組まれているのか分からないんだけど、そんな思いがあってすらも、泣いてしまった。ナイツ好きだよ俺は。ネタも含めて自分の中ではかなり高い位置にいます。
メモ
① 妖怪蛇口ひねりでもいるのではないかというくらい、蛇口から水がポタポタしている。
② 健全な精神は健全な肉体に宿るとか言われているが、健全でない精神の持ち主が引き寄せるのは果たしてどんな肉体だろうか。僕の周りに集まる肉体はどんな人たちなのだろうか。まともな顔して…というヤツらなのだろうか。
③ 世の中楽しいことばっかりじゃないさ。ってね。
④ 我ながら、このうだつの上がらなさよ。やばい空気察知する能力オンリーで生き延びたのさ。と、そういえばsyrupの新しい曲が発表される夢を見た(夢なんだよ)。内容は忘れたがやはり既聴感があった気がする(気がするんだ)ので、ライブで演奏済み、未音源化というやつだったんだろう。いや結局そう、ぜんぶ夢なんだけど。
⑤ Crystal Castles 、ちゃんと聴いてこなかったのはなぜだろう。ぜったい好きな感じなのにな。全部今から揃えてドバッと聴くのって、何か違うじゃないですか。楽しくないっていうか。ただ聴くだけになってしまいそうで。つまり消化不良というヤツか。で、ボーカル変わる前の方がやっぱり力があると思うけど、変わってからもこの曲は好き。歌って感じではないけれど。
甘いかおり
① 上司に誘ってもらえるのもそれはそれで光栄なことだし、嬉しく思います。本を読みたいとか音楽を聴きたいとかもありますが、それはまあ後回しでもよいんだよな実際。あとでも出来ることなんだと思うし。
② いったいそこに何があるのかと思う。なぜ引き付けられるのか、というかそこに安寧を見出すのか。思うに万感なのだ。万感が含まれているのだ。痛がり屋、苦痛をクローズアップしがちなわれわれにとっての、万感、あらゆる物思いがそこに内包されているのだ。いろいろ、いろいろ、いろいろあって(端折るけど)、あーもうなんか何なんだろうこれ、この人生、これってどうなの?って思ったときに、まあこんなんでもいいのかなあ、クソみそな人生が正常なのかって思わせてくれる、ある種の甘さ。
メモ
ここ数日ネットに接続できない環境にいました。案外平気だよねっていうのが率直な意見。PCもスマホもっていう環境ですが。いたって普通に過ごす。そう考えると欲がないのかなとも思う。最近会社の先輩というか年配の人と話してても欲があるんですよ、「あれをやりたい」っていう。仕事とは関係のないところで。もう定年している人だけど。同僚でもなんていうのかな、欲を感じさせる人がいて。悪いことじゃなくて、健全なことなんだけど。あー俺は考えてみればそういうのないなあと思って。そしてここ数日のネット非接続の環境を過ごして、ここ最近そんなことなかったけど、でもいざ過ごしてみると全然平気で、まあ今はこうやってつながっているし、当然仕事でも否応なしにネットは使わざるを得ないんだけど、それが「ない」っていう生活もそれはそれで面白いよなあってなんとなく思いました。そう考えると、少なくとも自分にとってはネットはただのひまつぶしなんだなってよく分かりました。よくよく考えたらインターネットって何なんだろうね。成り立ちはともかく、今現在、多くの人にとって、いったい何のために存在しているのだろう。もちろん経済とも切っても切れない関係なんだろうけれど。そこを除くとね。はて。
嗚呼
自分はクソだなと思う。何かあったからではない。何もないからそう思うのだ。
地を這う虫には空を飛ぶ鳥の気持ちは分からない。逆もまた然り。
空を見上げて嫉妬に似たモヤモヤとした、悔しさのようなものを感じる、ことをやめたい。
心を自由にコントロールできたなら。
メモ
① なんでみんな悟ってそうなことばかり言いたがるんだろうか。知ったこと、思ったことは発しておきたいという、何欲求と言えばいいのだろうか。そういったものが大なり小なりみんなのなかにあるのだな。だな。オレも。
② マンとウーマンとの間に交わされる好意の意志というやつにうすら寒さというか気持ち悪さを感じてしまったらもうどうしようもないまともに生きられるだろうかとか思っちゃう。俺の話。だから必死でねじ伏せる。自分との格闘。
③ 枕元に置かれた飲み終えたコーヒーボトルも存外にオシャレじゃないか。じゃない(違う)か。
doon kanda - Axolotl
ディレクションもやっぱりJesse Kandaなのかな。
相変わらずグロい。
この生々しさに対するアンテナ、そしてこれをミュージックビデオに利用する感性、すごいな。
音楽的には、どうなんでしょうねえ、思ったよりストレート、というのが第一印象。
taken from ≫ doon kanda - heart (HDB105)
ってかそもそもこの映像どういうシチュエーションだよ!
メモ
① Googleのリアルタイム翻訳から翻って、VaporWaveに目がつけられる日も近いな。ついに陽の目を見てしまうか。そんなわけねえか(笑)。
Googleリアルタイム翻訳、電脳をハックされてる感じがしてたまらない pic.twitter.com/oK5WHCjZ3Q
— 2X (@studio2x) 2017年1月25日
全部ウソでもいいんじゃないかな。
自分の行動に若気の至りを感じたときに必ず脳内に流れるのが―
自分の存在価値や
おれたちの意味ってやつに
くだらない ちっぽけな
エリアの中で
しがみついて
たいくつなこと考えて
気がつくと雨はやんで
夕陽に 染まる 赤い部屋
何故かいまの
おれの気分に
ぴったりだった
NV — KATA
キュートだなあ。どう考えても「良い」という言葉しか出てこないよ。
映像のおかげでPOPさがさらに際立つなあ。
ああこの受け取り方でよかったんだって、評価?落としどころ?が、フィックスされた感じ。
メモ
① 厄介なことばっかりだ!!
② あっという間に今日が終わって、明日も終わる。そのままその次も終わって、トントン拍子で俺の人生も終わるのであろう。楽しんでるのか??
③ 生まれてきたからには例外なく必ず死ぬんだなあ、俺にもそのときが必ずくるんだなあと思うと、たまに愕然とする。のです。避けられないし。
④ 今日はトーンが暗い。
⑤ Tumblrの画像表示がうまくないトラブルは早く直って欲しい…。見方によっては面白いけれど、正直にいえば面白くない。
夜露死苦!亞夢茶流酢
何者かと思ったがしっかり説明があった。また新しいヴェイパー作家かと思ったよ…。
【🤔夜露死苦!亞夢茶流酢とは?】
— 夜露死苦!亞夢茶流酢 (@yrsk_amcrz) 2016年11月7日
普段はライブペイント等で活動しているゆめかわいい系イラストレーター2人、亞夢(@amu__0 )とちゃるん(@charun_dream )の、ゆめかわいいを抜け出してロックでアガれる曲に特化したDJユニット!💗卍 pic.twitter.com/WucgBHG2iB
バー「ジャック・ハマー」にて
画像はKAI-YOUの記事「1999年にネット文化を予見した『シルバー事件』が凄すぎる・・・」から。リリースから17年を経た去年末にHDリマスターPC版が出て、それをプレイしていて、当該箇所で鳥肌立ちましたね。まんま今のTwitterの使われ方を予見しているような。
Twitterって、正直ある種のクラウドの外にいる人には何のこと言ってるか全くわからないこと、多くありますもんね。だからいいのかもしれないけれど。でもそこで自分の知らなさを嘆くよりも、逆に自分の専門性に磨きをかけた方がよいんじゃないかな。ってどうでもよいな。
病気ですな。
メモ
① 好きなものについて喋るが誰もついてこずしかし喋りきったあとに、ふいにおとずれる後悔。閉じている扉を開いてしまったような、それによってマイナスのイメージが自分にまとわりつくのではないかという恐怖。大げさな自意識。
② 「よく言われるけどそれけっこうコンプレックスなんだよね」って言ったら、相手が気まずそうに口をつぐんで、変な間があく。悪いことを言ってしまったと思ってくれたのかもしれないけど、そんなにコンプレックスに感じてたら僕の方が口をつぐんでただろうから、そんなに君が気にすることないんだよ、俺のコンプレックスなんて屁みたいなもんだよって言えればよかったけど、そのときは「ん?なんでこんな間が…?」って思っただけで、何も言わなかったんだ。「コンプレックス」って言葉が出た時点で笑ってほしかったんだけど、やはりそんなに以心伝心するわけないか。と、なぜ今頃になってそう思うのか。1人になると頭が回り始めるこの性質、どうにか直らないものだろうか。最近常々感じている。仕事でもこういうのはよくない。でも熟考してから喋るようにすると妙なテンポになるし、面白くない時間を作ってしまう。リハビリが必要かもしれない。と、やはり大げさな自意識。
③ 以前アルバイトの子と喋っていて、その子もsyrupが好きだったんだけど、「でも○○さん、なんで全然、普通に働いてるし、全然そんなんじゃないのに、なんでなんですか?」みたいなことを言われた。なんて答えたかは、忘れてしまった。syrupは当然「そういう人」以外も聴くものなのかもしれないし、僕は「そういう人」ではなかったのかもしれない。俺、普通に見えてるんだなって思って、嬉しいんだか悲しいんだか、よく分からなかった。ひねくれた自意識。
④ めっきり寒いので、みなさま風邪など引きませんように。僕は残業が思わず長引いたり、思わぬ反発にあったりして、ちょっと疲れました。
⑤ CLOW、いいよね。やっぱり好きな方向は変わらないんだと、思う。この、無常観の中に突っ張った気持ちを滲ませたような声、たまらない。「自分には何もいらないんだ」って無理してるみたいな。
備忘録:Web MANGA
・「洗濯荘の人々」(yum マンション102号室) 最近もっとも涙が出たのがこちらの物語です。
・「西遊少女」(萱島雄太 | YUTA KAYASHIMA)
・「モノリス」(クリスティーヌ中島) ※リンク先は第一話です。安心して読み進めてください。
・「パペラキュウ」(松永豊和)
・「BIBLIOMANIA(ビブリオマニア)」(マッチロ)
メモ
① PCにSpotifyをインストールした記憶がないのに、普通に聴けてるなあ? いつ入れたんだろう? まだ日本で使えるようになる前に、入れるだけ入れておいたっけ? 覚えてない…。まあ使えてるからいいんだけど。ってもそんなヘビーには使わないなあ。ねえ。Nine Inch Nailsの新作を聴いたが、ビックリするくらいPOPじゃなくてビックリした。別にもう売る必要もないのかもしらんなあ。最近得意のギュルギュルもっさりドッタドタな具合。
② 携帯音楽プレーヤー、電車で寝ながら聴いてたら、急に音が消えた。イヤホンが断線気味だったから、あら寿命かあ。買い替えないとなあ。なんて思ってた。いやでもちょっと待てよ、操作音はしてるってことは…断線じゃないよなあ? んん? でも明らかに、音がしない。ラジオも流れてこないし、動画も同じくだ。そんな阿呆なと思って、あちこちいじってたら、音量がゼロになってただけだったよ。
③ 自己顕示欲。自己顕示欲。ドヤ顔を決めてしまった時の恥ずかしさ。ドヤ顔を向けられてしまった時の恥ずかしさ。
メモ
① 目で見てるだけなのに気持ち良いってなんか不思議だなと思ったが、別に音楽も耳で聴いてだし、匂いだって鼻で嗅いでだし、食い物だって舌で味わってだし、別におかしなことではなかった。
② 飽和だ。飽和を感じる。時間が足りない気がする。してくる。そういうときは本を読む。その世界に集中する。必要なものなど案外ないのだと、やがて分かってくる。すばらしい世界。
メモ
① 「最高」のハードルの低さ。
② ありがたいけれど面白くはない。後から読んだら何だか意味が分からんかもしれんが、それでもよい。
③ syrupの『darc』、ジャケットはフー・ファイターズの1stへのオマージュと発言がありましたが、『Hell-See』はKLFの『Chill Out』への、っていう発言はありませんでしたか? 『クーデター』はBrian Enoの『Apollo』みたいって、当時スヌーザーだったかな?でどなたかが書いてましたが、別にオフィシャルな発言があったわけではありません。
行ってみたいと思いませんか
悔しいが、傑作だ。なぜ悔しいかは説明しない。
なぜこれが「VaporWave」でなければならないのか? はなはだ疑問だ。
もはやそんな言葉はここには必要ない。
それはまるで波のように
サビらしいサビもないのに、ヒタヒタと迫り、確かな存在感を放つ。
冒頭の一言と共に始まるギターの音。それだけで引き込まれてしまった。
繰り返される波の中で。感情の起伏が作られていく。
やはり僕は憂いのある声が好きなようだ。
父親は音楽プロデューサーの小林武史、母親はMy Little Loverのakko。
高音にときおりakkoを思わせる響きもあり、逆により深みのある声かもしれない。
まだまだ若いし、この活動がどれだけ長く続くのかも分からないけれど、興味を持って見守りたい(偉そうだなオイ)。
メモ
① ブルゾンちえみのluxury感、いいよね。
② オレの『ヘジテイション・マークス』が行方不明だ! ケースに入ってない。どこにいった。けっこうマジで。
③ いつかあの人、裏切られてしまえばいいのに。って、そう思う僕は醜いのでしょうか。その信用しきった(ように見える)関係性が、僕は憎らしい。らしい。そんなものあるはずがないって。人にはみな、正面しかないわけではない。
④ みんな国の名前とか地域の名前で呼ぶけどさ、本当は(って言い方もアレだけど)名前なんてないんだよなあ?って考えると、なんか不思議。人間様って感じです。
オーマイガー!
なんだこのフリーゲームは…。ゲームと呼ぶこともはばかられる…? アートか…?
壁は突き抜けるは床が抜けるわ。人の頭が階段になってたり。
音楽はオーケストラのサンプリングだろうか、それがループしている。
今もって目的が分からない。
ドラッギーな幻覚体験のような。ストレンジ。
ホラー的でもある。